不明瞭な窓辺
浅川多分
洗面所のタオル
2019年の三ヶ日。久し振りに実家に帰った。
用を足して洗面所で手を洗い、傍らに備え付けられたタオルで手を拭く。拭き終えて洗面所を後にするとき、そこでふと思い出した。この家では洗面所のタオルが使えない暗黙の了解があった。
長らく実家では猫を飼っており、その猫の毛がこのタオルにはビッチリと付いていたはずだ。洗面所のすぐ横に設置されたこのタオルは、猫が洗面所の蛇口から漏れる水滴を舐める際に丁度体が当たる位置にある。我が愛猫ミーが新鮮な水分を求める度、そのタオルがミーの毛をキャッチしてしまうのだ。それどころか肌触りが良いのだろうか、意図的にゴシゴシとそこに戯れ付いている事すらある。
そのため洗面所の横に設置されたそのタオルは、吸水性こそあるものの、そのタオルで手を拭くことで、せっかく綺麗にしたその手を猫の毛まみれにしてしまう罠と化していた。
しかし、その罠はなくなった。何事もなく吸水し、本来の役目を果たした。この時ようやくミーがもういないことを実感したのだと思う。
2018年の暑さも忘れる秋口、ミーはこの世を去った。海外での仕事に追われていた時期だ。父親からのLINEでその事が伝えられて、次の日には葬儀を済ませた連絡が来た。ミーが歳を重ねやがて逝く事は想像していたし、泣くだろうなと思っていた。でもいざその時が来ると泣かなかった。きっと実感がなかったのだろう。
タオルで手が拭けただけで、少し泣けてきた。実感した途端この有り様だ。
「もう使えるよ」
徐に母親が声をかけてきた。
「さっそく使ったよ」
「そのタオル、ようやく洗濯し甲斐があるよね」
その通りだと思った。
不明瞭な窓辺 浅川多分 @aka0629
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