第4話

 章陽祭二日目。今日は学校での展示発表と、簡易ステージでのイベントがある。私はクラス展示のプラネタリウムと所属している文芸部の展示当番に三十分ずつ拘束されているだけで、あとの時間は自由行動ができる。そうは言っても特に一緒に騒ぎたい相手がいるわけでもないから、一通り展示を見たらどこか空いている教室で本を読んだり、創作をしようと思っている。高校生らしくないかもしれないけれど、それはそれで有意義な時間だと思うから。昨晩はなかなか寝付けなくて、更に今朝は早起きをしてしまった。毎日学校に通い、勉強をして、家でも課題などに追われる。その積み重ねで身体も心も疲れているはずなのに、興奮状態が継続しているのだろう、まったく眠くなくて。いつまでこの状態が続くのかと少し不安になってしまう。睡眠不足は敵。頭が働かなくなってしまうから。でも、興奮して眠れない今は逆に頭が冴えている気もする。だけどこの状態が続くのも身体によくないだろうから、早く落ち着いてほしい。頑張れ。私の心と身体。


「おはようございまーす…って、まだ誰も来てないか」


 今日は朝と午後二時半ごろ、二度、担任による出席確認があり、それさえパスすればほぼ自由だ。朝は教室にみんなが集まる予定だから私も今教室に来たわけだけれど、時間が早すぎてまだ誰も登校してないようだった。プラネタリウムの準備がされて窓に暗幕を付けられている教室は夜のように真っ暗。でも、もう少ししたらこの教室に星たちが輝き始める。教室の蛍光灯を点けようとスイッチのところまで行く。スイッチを指で押しかけて、私は指を一度引っ込めた。綺麗な星たちが見たくなったから。誰の許可もなくプラネタリウムの装置を作動させるのもどうかなと思わないこともなかったけれど、独り占めしたい気持ちもあった。そしてクラスのみんなで協力して作った自慢の星たちにみんなを迎え入れてほしかった。私はプラネタリウムの装置のスイッチを押す方を選んだ。暗闇にたくさんの星が浮かび上がる。星座盤を真剣な眼差しで見つめて星を配置していったのは、天文が好きで、でもおしゃれも好きな女の子。そのクラスメイトは今日もきっと凝ったヘアアレンジで登校してくるのだろう。他にも機械に強い人や、工作の得意な人、それぞれがそれぞれの得意分野を生かしてのクラス展示。誰かひとりでも欠けていたら、何かが変わってしまって上手くいかなかったかもしれない。私も不器用ながら牛乳パックで小さな家を作った。私も、このクラスを作るピースのひとつ。だから。パタパタパタ、と誰かの足音が聞こえる。


「あれ?誰か来てる」

「おはよう」

「近藤?早いね」


 くりちゃんだった。私は自分の存在をきちんと知らせるために近寄って声をかける。


「くりちゃんも早いね。どうしたの?」

「芽衣に、この綺麗な星を見せたくて、さ」

「芽衣ちゃん来られそうなの?」


 くりちゃんはちょっと寂しそうな顔をして首を横に振った。


「今、一緒に登校してきたけど保健室に行ったよ」

「そっか…」


 一度心に負ってしまった傷は、そう簡単に癒えないということだろう。


「だから、動画撮って見せてやろうと思って。すげー綺麗だから」


 スマホの動画機能で、星を録画していく。私は物音を立てないように静かに隅に立っていた。


「終わったよ。ありがとう」

「うん」

「今は暗闇が恐怖の対象かもしれない。でも、乗り越えられると思ってる」

「うん」

「支えるよ。俺が」

「それ、私じゃなくて芽衣ちゃんに言わなきゃ」

「俺の決意表明だから、第三者に聞いてもらわないと。電気点ける?」

「ううん。この状態でみんなを待とうと思ってたんだ」

「それもいいかもしれないな」

「うわあ、すご!綺麗!」


 三番目に教室に来たのはクラスでも静かに過ごしている男子生徒で。その言葉に、くりちゃんも少しだけ笑顔になった。そのあと、次々登校してきたクラスメイトが、プラネタリウムの綺麗さに歓声を上げたのは言うまでもない。



 プラネタリウムになっている一年三組の教室と、文芸部の展示作品をさせてもらっている二年生の教室の前の廊下にいなければいけない時間は、計一時間。それも午前中で終わってしまう。午前十時からのプラネタリウム当番も終わり、今度は文芸部展示の当番だ。文芸部は兼部の生徒も多いので、展示当番ができる生徒は限られているようで、二人一緒に三十分ずつがその当番に当たっている。私と一緒に担当してくれるのは三年生の二色健斗先輩。日々小説の執筆活動をしているらしい。私が話しやすいと思える数少ない異性の先輩で、読んだ本の話をしてくれたり、今書いている小説のプロットなどを見せてくれたり、とても優しくしてくれるお兄さんだ。お兄さんで思い出したけれど、入学したばかりの頃、文芸部を見学しに行ったときに、他の先輩が二色先輩を、にいちゃん、と呼んでいて、私の中で、兄ちゃん、に漢字変換されたのは、今の二色先輩の鉄板ネタになっている。その二色先輩は私が展示場所に行けば五分前なのにもう前の当番の人と代わっていて、隅の椅子に座ってぼーっとしていた。


「二色先輩お疲れ様です」

「近藤もお疲れ。来てもらったけど見に来る人少ないから、俺ひとりでも大丈夫そう。他のところ廻っておいでよ」

「そう、言われても…」


 そう言われても自分の中で展示当番は今日一日の行動計画に組み込まれているし、私は突然の変化が苦手だったりもする。それを思い出したのか二色先輩は優しい笑みを浮かべて、隣の空いている椅子をぽんぽんと叩いた。


「せっかくだし、話でもしようか」

「でも」

「俺は近藤と話がしたい。ダメかな?」

「お邪魔じゃないですか?」

「そういう意味で他の場所を廻っておいでって言ったんじゃないから」


 私がなかなか椅子に座らないものだから、二色先輩が腕を引っ張って無理やり座らせる。細身だけれどその力はやはり男性のもので。私には敵わない。でも、その強引さが怖くないのは二色先輩が穏やかで優しいことを知っているから。


「この間読んだ本なんだけど」

「はい」


 二色先輩が読んだ本の話をしてくれる。有名なミステリー作家さんの小説で、今後私が読むことを考えて結末は話さないけれど、始まり方、描写の仕方、好きなシーン。高校三年生、十八歳にして、何年も小説を書く人は着眼点が違うなって思った。


「近藤、最近、いいことあった?」

「え?どうしてですか?」

「俺の直感。纏ってるオーラが柔らかい気がして」

「オーラ?二色先輩、オーラが見えたりもするんですか?」

「オーラって言い方は大袈裟か。なんて言うんだろう。雰囲気?」


 私をじっと見て、目の前に座る二色先輩は優しく笑う。その手のひらが優しく私の髪を滑っていく。古山くんとは違う優しさで、私に触れてくる。お兄ちゃんが妹に対して抱くような、そんな。私も二色先輩のことは優しい先輩だと思っているし、憧れてもいるし、好きか嫌いかで聞かれたらそれはもちろん好きだけれど、けして恋愛感情ではない。


「柔らかくなった。以前はもっととげとげしてたよ」

「そう、かなあ…」

「何か思い当たることがある?」


 思い当たることを考えてみるけれど、古山くんとの関係の変化しか思いつかなくて。ただのファンだった私が話せるようになって、その相手が私のファンだと言ってくれて。二人だけの秘密もある。そして、私は恋を自覚した。


「その顔は、何かあるみたいだね。大事にしなね、その気持ち」


 にいちゃんからのアドバイスです、だなんて、そのにいちゃんは、お兄ちゃんって意味なのか、二色ちゃんって意味なのか。きっとその両方なのだろうけれど。文芸部の展示スペースに誰か来たことが空気でわかり、二色先輩は私の頭から手を離した。トントントン、と足音が響いて、そしてその音が止まる。展示を見てくれているようだ。


「誰か来たね」

「読んでもらえると嬉しいですね、やっぱり」


 今回の展示で、私は詩を書いて壁に貼っている。隣にいる二色先輩は小説を書く人だから、それを冊子にして机の上に置いている。私の作品は文章量が少ないからさらっと目を通せるけれど、小説って読むのに時間がかかったりするから、読もう、と思わないと読めない気がする。でも、二色先輩には学校内にファンもいるという噂だから、きっと何人も冊子を手に取ったのだろう。文芸部員それぞれにファンがいるからこそ成り立つ展示。自分の生み出す作品を好きだって言ってくれる人がいるって、本当にありがたいことだし、素敵なことだと思う。二色先輩が静かに立って、展示を見に来ている人の様子を窺いに行く。そろりそろりと近くまで歩いて行って、そろりそろりと足音をたてずに戻ってきた。


「近藤の作品見てたよ。男子生徒」

「え?」

「ほら、あの、昨日ギター弾いてた人」

「古山くんですか?」

「名前までは覚えてないけど。友達なの?」

「最近仲良くなりました」

「そっか。じゃあ、解説に行っておいで。人によっては展示を見ているときに話しかけられるの嫌がる人もいるけど、友達なら大丈夫でしょ。何なら、そのまま展示当番終わってもいいから。ちょうどいいくらいの時間だし」


「ありがとうございます。お疲れ様でした」

「お疲れ」


 私に向かって手をひらひらと振り、二色先輩は笑う。二色先輩は、空気が優しい。そして、展示を見てくれている古山くんに近付いていく。古山くんは背中にギターケースを背負っている。二色先輩の中で、古山くんとギター弾いてた人がイコールで繋がった記憶力がすごいなって思ったけれど、背中に背負ったギターというヒントがあったらしい。古山くんは足音に気が付いたのか、私の方を見て、驚いた顔をしていたけれどすぐに笑ってくれた。


「近藤の作品を見に来たのに近藤本人がいた」

「今、展示の当番だったの。もう終わったけど」

「今回の作品もすごくいいよね。曲が付けられそう」

「本当?嬉しい」


 言葉を感じて、それに曲を付けたくなるのはある意味古山くんの職業病ってやつだと思う。まだ、職業ではないけれど。でも、私の言葉が古山くんの琴線に触れているのならばとても嬉しい。


「空羅が、詞を書いたのは誰なのかってしつこく聞いてくるんだよ。内緒にしてるけどね」

「そう言えば、空羅くんは一緒じゃないの?」

「空羅は横谷と二人で行動してるよ。デート気分なんじゃないかな」

「公認だからね、二人は」


 あれだけ空羅が好き好き好きって感じなら、公認せざるをえないよな、そう古山くんは笑う。普段一緒にいない私でも、空羅くんが横谷ちゃんを思う気持ちは途轍もなく大きいんだなって思うから、空羅くんの親友である古山くんには、空羅くんの気持ちがびゅんびゅん飛んで見えるんだろう。女の子としては、恋人にそれだけ思ってもらえるって嬉しいと思う。


「近藤はこの後何するの?クラス展示の当番も終わってるよね?」

「考えてない」

「見たい展示は?」

「気になるのはもう見に行っちゃったから、特になくて…」


 背負っているギターケースの位置を直して、古山くんが私に問いかける。この後、特に予定という予定はないけれど、最初から決めていた通り、空き教室利用だと思う。本を読んだり、創作をしたり。


「でも、空き教室で本読んだり創作したりしようかなって思ってるよ」

「俺も一緒に行っていい?」

「え?」


 古山くんの言葉を聞いて私は思わず聞き返してしまう。私の反応に古山くんは、嫌なら、邪魔はしない、けど…と少し寂しそうに言う。嫌とか、邪魔とかそういうのじゃなくて、私はただ単純に驚いている。だって、人気者の古山くんが、この章陽祭というイベント時にそれを無視して過ごそうとしているのだから。


「ダメかな」


 そして、眉毛の下がったその顔は反則だと思う。私は慌てて首を横に振る。


「ううん。ダメじゃないよ。でも、空いてる教室はこれから探すけど」

「俺たちの教室は展示があるしね。ぐっさんに相談してみる?」

「先生なら今日どの教室が使われてるかとかの一覧を持ってるかもしれないしね」

「よし、行こう」


 優しくて、でも、ちょっと強引で。古山くんの様々な面を見せられるたびに、私は胸がドキドキするのを感じる。今まで、知ることのなかった胸のドキドキ。この短期間で色々なことがあったと思う。章陽祭は一行事って感じでただ単調に過ごすはずだった学校行事だったけれど、色々なことが起きて楽しく思っている私がいる。その理由は主に古山くんが作ってくれたもの。感謝しないといけない。本当に。


「古山くん」

「ん?」

「ありがとう」

「どうしたの。急に」

「楽しいよ。章陽祭」

「それで俺にありがとうって言うのおかしくない?」

「おかしくない。私の中では辻褄が合ってるの」

「それならいいけど」


 ふ、と笑うその表情もかっこいいなって思う。職員室に行くとぐっさんは校内の巡回に出ていていなくて、学年主任の藤沢先生に事情を話して空き教室の状況を教えてもらった。やはり自習目的などで空き教室を使用したいという生徒は少なからずいるようで、大体の教室は埋まっているようだった。天気もいいし、外に出てみたら?木陰とか、という先生のアドバイスで、校舎側ではなくグラウンド側の川沿いに行ってみることにした。藤沢先生は古山くんと私が一緒にいるのを見て関係性を勘違いしているのか笑顔で見送ってくれたけれど、違うんですよ、って、私の一方的な気持ちなんですよ、って言いたかった。


「あ、木陰空いてる。藤沢先生すごい」


 土手に上がる前に大きな木がある。クスノキ。常緑樹だから今も葉がある。正午過ぎなのに陰を作れるほど大きな木の根元に二人で座る。古山くんはギターを前に抱えて、鳴らし始めた。私は持参していた文庫本を開く。


「近藤?」


 十五分くらい経ったとき、古山くんに名前を呼ばれて顔を上げる。古山くんは私の顔を見ている。


「俺も。章陽祭、楽しい」


 笑顔がとても眩しくて、でも優しくて。古山くんが章陽祭を楽しいと思える理由に、私が少しでもなれていればいいなと思う。古山くんにとってはクラスメイトのひとりかもしれない。来年はこうやって二人で過ごすなんて、きっとない。それでもいい。でも、大人になったときにきっと思い出すだろう。この初恋を。かぜにふわりと。共作の曲、さくらのはなびらのサビの部分を古山くんが弾き語りし始める。目を閉じてその優しい歌声と音色に浸る。私は今、とても幸せだ。


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初恋ミュージック 東郷吏怜 @rirei-togo

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