第3話
章陽祭一日目。今日は高校近くの大きなホールを借りての、ホール発表の日だ。プログラムによれば二年生の先輩方の演劇が主で、夏休みの自由研究で優秀だったもののスライド発表、有志の漫才や楽器演奏の披露などもあるみたいだった。古山くんのギター弾き語りも今日。歌詞を渡して泣いてしまった日に鼻歌を聞かせてもらっただけだから、結局完成形は聞けていない。だから、とても楽しみだ。もう泣かないようにしないといけない。ホールの席は大まかに前から三年生、一年生、二年生、そして各クラスごとに分けられている。私たちのクラスは一年生に割り当てられた範囲の右端辺りだったから、私は最右端の席にひとりで座った。みんなはなるべく中央寄りで見たいみたいで、端の方の席は全然競争率が高くなかった。私が嫌われているわけではないと思いたい。
「近藤、隣いい?」
下を向いてプログラムを見ていると古山くんに声をかけられる。口では隣いい?、って聞いているけれど実際はもう座っていて、私に拒否権はなさそうだった。拒否なんてしないけれど。
「真ん中で見なくていいの?」
「途中で抜けるから端の方がいい」
「確かに。じゃあ、一番端の方がいいよね?代わるよ」
「そうすると隣が空羅だけど、近藤、大丈夫?」
「え?あ、あぁ…」
「近藤!その返事何!すげー嫌そう!」
章陽祭にテンションが上がっている空羅くんがぷんぷん怒っていて申し訳なくなる。その隣で横谷ちゃんが宥めていて、横谷ちゃんが隣に来てくれるなら古山くんと席を交換してもいいのになって思った。空羅くんが嫌いなわけじゃない。だけど、空羅くんとはあまり話す機会もないし、話題が合うかどうか心配な部分もある。でも、横谷ちゃんなら同性だし。
「古山が隣なのはいいのに俺はダメなの?何だよ、結局は顔か?」
「空羅もかっこいいよ」
「亜生だけ。そう言ってくれるのは。好き」
「はいはい。私も好きよ」
ぷんぷん怒っていた空羅くんの表情が柔らかくなり、横谷ちゃんが口パクで私にごめんね、と言ってきた。前から思っていたことだけれど、横谷ちゃんの空羅くん操縦技術はさすがだと思う。二人はこの高校に入学してから出会い、お互いに身体を動かすことが好きな性格だったこともあってか、急速に仲良くなり惹かれ合い、お付き合いを始めたらしい。まだ、出会って半年。それなのに横谷ちゃんは空羅くんの性格を熟知していて、空羅くんを立て、時に怒ったりもしながらお付き合いをしている。二人が結婚したら亭主関白に見せかけたカカア天下なんだろうな、そう言ったのはクラスの誰だったっけ。
「くりちゃんと芽衣ちゃんは?」
「芽衣が後ろの方で静かに見たいって言ったらしくて、くりちゃんも一緒にいるって」
「明日の朝は?」
「ありがたい申し出だけど、遠慮しとくって」
「そう、なんだね」
「あれ?古山と近藤、いつの間にそんなに話すようになったの?」
私の方を向いている古山くんの後ろで、空羅くんが首を傾げている。
「それ私も思った。青葉ちゃんってみんなの話を静かに聞いてるタイプだと思ってたのに古山くん相手には話すんだね。意外」
「顔か?やっぱり顔か?」
空羅くんと横谷ちゃんの視線を感じる。私は最右端の席だから、背後に逃げ場はない。古山くんと空羅くんと横谷ちゃん。クラスでも明るい人気者たちのグループに気付けば交ざっていて、私はこれ、場違いじゃないだろうか。
「空羅は俺の顔が好きなんだな」
「え?」
「さっきから褒めてくれるじゃん。付き合うか?俺と」
「あ、いや、でも、俺には亜生という大切な存在が…」
「冗談だよ」
「そんなかっこいい顔でそんな冗談言わないでくれよー」
話題がいつの間にか私から逸れていて、古山くんに感謝しなければと思った。
二年生の演劇は話題のドラマを模倣したもの、英語劇、小説原案のものなど様々だった。中でも英語劇の白雪姫は白雪姫が体格のいいラグビー部の男の先輩で、ユーモアたっぷりに演じていて面白かった。古山くんの弾き語り発表は終わりの方で、それは路上ライブなども行っているという実力を買われてのものだった。三年生の先輩の自由研究発表の途中で、古山くんはこっそり席を立つ。難しい自由研究に飽きていた空羅くんもすぐに気付き、頑張れ、と肩を叩いている。
「頑張ってね」
「ありがとう。行ってくるよ」
私の前を抜けて、ホールの外に出て行く。そこからステージ裏に回るのだろう。
ぽっかりと空いた、古山くんが座っていた席。ただのファンだった私が古山くんと話せるきっかけをくれた、章陽祭の古山くんの発表。古山くんも私のファンだと言ってくれた。自分の世界に、少しだけ自信が持てるようになった。気付けば自由研究発表は終わっていて、司会を務めている生徒会役員さんがステージに立っていた。
「次は一年生の古山翔悟くんのギター弾き語りです。路上ライブなども行っている実力派。そしてイケメン。楽しみですね。それでは古山くん、お願いします!」
スポットライトが、ステージの中心にいる古山くんに当たる。椅子に座り、ギターを抱えてにこにこと笑っている。
「ご紹介に預かりました、一年三組、古山翔悟です。今回はこのような機会をいただき、本当にありがとうございます」
「古山、堅苦しいぞー!」
マイクの高さを合わせながら挨拶をする古山くんに空羅くんが叫ぶ。近くで大きい声を出された私は思わず空羅くんの方を見てしまう。
「俺はこのスタンスなの。あ、今の声、俺の親友の空羅です。今日は三曲披露させてもらおうかなと思っています。まずはこの曲、聞いてください。空の青さを僕は知った」
一曲目は有名なアーティストさんの曲だった。静かなホールに古山くんの弾くアコースティックギターの音と歌声が響く。このアーティストさんは歌詞に特徴があって、人気がある。この曲も俯きがちだった人が空を見上げるようになって、空ってこんなに青いんだなって思った、というストーリー性がある。私も好きだ。
二曲目はスローテンポの洋楽。
さっき古山くんは三曲披露すると言っていたけれど、二曲目までに私が歌詞を書いた曲は歌われなかった。三曲披露の三曲目に歌ってくれるのだろうか。それってすごく嬉しいことだけれど、緊張もしてしまう。私が歌詞を書いたことは二人だけの秘密なのかもしれないし、それならそれでもいいと思った。
「最後になります。三曲目」
古山くんがふうっと息を吐いたのがわかった。
「この曲は、クラスメイトに歌詞を提供してもらったオリジナル曲です。俺はその人の紡ぐ言葉のファンで、わがままを言って歌詞を書いてもらいました」
「そんな才能があるやつがクラスにいるの?」
「誰だろうね?」
ステージ上の古山くんの言葉を聞いて、空羅くんと横谷ちゃんが首を傾げている。私の心臓は過労死しそうなほどに激しく動いている。
「その人は、普段多くは語らないけれど自分の世界を明確に持っていてかっこいい。でも、もう少し自分に自信を持ってもいいかなって思います。歌詞を書いてくれてありがとう。さくらのはなびら」
静かに前奏が始まる。古山くんの唇が動いて、歌い始める。それは確かに私が書いた、並べた、言葉たちで。
君と行った、桜祭り。
君の髪に付いた桜の花びら。
何気ないふりをしていたけれど僕の指先は震えていたんだ。
初めて君に触れた。春の日。
古山くんのおかげで命を与えられた言葉たちがホールいっぱいに広がっていく。何週間か前の私には考えられない、私の力では私の言葉たちに体験させてあげられなかったようなこと。私は嬉しくて、胸がいっぱいで。唇を噛み締めて、泣くのを必死に耐えた。言葉にするのが難しい感情が胸を、いや身体を駆け巡って、とても熱い。震えたりしていないだろうか。私は。
風にふわりと。
そっと、ふわりと。
気持ちを乗せることが出来たなら。
届けたいよ。
明日の君も絶対に好きだと思うから。
ありがとう。君に。
耐えているつもりなのに、涙が頬を伝わる。私、こんなに涙脆かったんだ。いや、違う。この出来事が、古山くんの歌が、私の感情を昂らせて涙腺を刺激し続けているせい。最後のフレーズは。
ありがとう。
ありがとう。そう歌い終えた古山くんはふんわりと笑って、ギターを抱えたまま立ち上がり、一礼した。私が今、古山くんにとてもとても伝えたい言葉。ありがとう。
「ありがとうございました!」
ステージが暗転して古山くんの出番は終了した。拍手が沸き起こって、私の横にいる空羅くんは、古山はやっぱりすげえな、って言っている。でも私もそう思う。古山くんは私に自分の世界を持っているって言ってくれるけれど、古山くんだって音楽という分野で自分の世界を持っていると思う。そして、その世界に数多くの人たちを惹き込んでいくんだから、古山くんの方が何倍も何倍もすごい。古山くんの次に出てきたのは二年生の先輩で、大好きな落語を披露します、と言っていた。でも、大変申し訳ないけれど、全然耳に入らなかった。その先輩の落語の途中で、古山くんが客席に戻ってくる。
「古山お疲れ」
「お前なあ、いきなり叫ぶなよな。色々考えてたことが吹っ飛んだじゃん」
「だって、超堅苦しいから緊張してんのかなって」
「まあ、確かに空羅の声聞いたら緊張は解れた」
「そうだろ?俺天才」
古山くんが戻ってくればすぐに空羅くんが話しかける。ステージ上で古山くんが公言したように二人は親友という間柄なのだから、当たり前のことだと思う。でも、私もお疲れ様を言いたかったなって、ちょっとだけ悔しい。
「ねえねえ。歌詞提供してくれたクラスメイトって誰なの?」
空羅くんの向こうから横谷ちゃんが顔を覗かせて、古山くんに聞く。身体がビクッと動いてしまった気がするけれど、ここは暗いから横谷ちゃんや空羅くんには気付かれていないだろう。古山くんは私の名前を出すのだろうか。
「秘密。まあ、そのうちわかると思うけど」
「気になる。教えろよ。近藤も気になるよな?」
「え、うん…」
落語が面白いところになったのだろう。私の返事に客席の笑い声が被った。空羅くんが何か古山くんに言ったけれど私には聞こえなくて、空羅くんと横谷ちゃんは前を向いた。古山くんは私の方を向いて。耳に口を近付けて。
「ありがとう」
そう言ってくれた。本当は、私の方がありがとうと言わなければいけないのに。だけど、言葉になってくれない。私はただ頷くのが精一杯で。古山くんが、三回、頭に優しく触れてくれた。頭蓋に響く振動すら愛しく思えてしまう。今まで抱いたことのない感情が身体の中を支配している。ああ、これが恋というものなのかもしれないなと思う。確かに古山くんに対しては以前からファン的な気持ちを持っていて。それから色々あって二人で話をするようにもなった。今まで、親友や幼馴染、家族。大切な人はたくさんいた。でも、その人たちに抱いている大切な想いのどれも、古山くんには当てはまらなくて。私の初恋。古山くんにもらった、ありがとう、という言葉があれば、これから先、たとえこの恋が実らなくても生きていける気がした。
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