第2話

 クラスメイトの栗田康祐くんと下田芽衣ちゃんが校長室に呼ばれたのは、章陽祭の前の週の金曜日だった。朝、登校してきたとき、芽衣ちゃんには元気がなくて、みんなからくりちゃんと呼ばれている栗田くんが、頭を撫でながらの登校だった。二人は幼馴染だ。


「くりちゃんと芽衣、何したんだと思う?」


 空羅くんが横谷ちゃんの机に肘をついて、横谷ちゃんに話しかける。近くには古山くんもいて、難しい顔をしていた。


「不純異性交遊とか」

「くりちゃんも芽衣も真面目だから、変なことはしてないでしょ」

「でも、校長室だよ?」

「芽衣、元気なかったよね」

「あ、戻ってきた」


 教室に戻ってきたのはくりちゃんだけだった。そのくりちゃんにも元気がなくて、二人のことが心配になってしまう。二人に何があったのだろうか。


「芽衣は?」

「保健室行った」

「体調悪いの?」

「ちょっとね」


 質問しようとするクラスメイトを軽くあしらって、くりちゃんは自分の席に座って机に顔を伏せた。その行動は、完全に何かあったことを示すもので。聞くに聞けない雰囲気がある。くりちゃんと芽衣ちゃんは本当に仲が良い幼馴染だ。幼稚園のときからずっと一緒らしくて、愛とか恋とかそういうもんじゃねえの、もはやファミリー、と以前くりちゃんが言っていたと聞いたことがある。くりちゃんが芽衣ちゃんを見る目はとても優しくて、芽衣ちゃんもくりちゃんを信頼している様子が窺える。私にも幼馴染がいるからわかる。私の幼馴染は同性だけれど、何でも話せる、自分のすべてをさらけ出せる存在だから。だから今、芽衣ちゃんが何か悩んでいるとしたら、それはくりちゃんの悩みでもあり、芽衣ちゃんが痛みを感じているとしたら、それはくりちゃんも同じように痛いのだと思う。


「昨日、三組の女子が痴漢に遭ったらしいけど、誰?」


 隣のクラス、二組の男子生徒が扉から顔だけ出して聞いてくる。みんなが、一斉にくりちゃんの方を見た。くりちゃんは少しも動かない。


「まさか」

「芽衣に元気がないのって…」

「くりちゃん」


 空羅くんが、くりちゃんの肩を揺さぶって。


「くりちゃん、黙ってんのは肯定なんだぞ」

「事実なときは肯定するしかねえじゃん」


 教室内が急に静かになって、でもすぐにざわざわし始めた。


「俺だって、守ってやりたかったよ。俺が一緒に帰らなかった日に限って」


 電車通学の二人は、いつも一緒に登下校をしていた。でも、昨日はくりちゃんの所属するサッカー部の練習が終わる時間が遅くて、先に帰るように芽衣ちゃんに伝えたらしい。最寄り駅で電車から降り、そこから芽衣ちゃんの家までは徒歩で十五分。いつものように二人で話しながら歩けば、あっという間に着く距離のはずだった。でも。


「変なおっさんが裸で芽衣の前に立って、急に近寄ってきたって。怖かっただろうな。あいつ、男の裸なんて見たことないだろうし」

「不審者は?」

「捕まったよ。ちょうど近所のよく知ってるおじさんが通りかかって、芽衣の叫び声に異変を感じて車を止めてくれた」

「そう」

「でも、芽衣はそのおじさんさえ怖がってしまった。俺たちが小さいときから可愛がってくれてる人なのに。今日、校長先生を見たときも震えてた。俺が、一緒に帰れなかったばっかりに、芽衣を怖い目に遭わせて、くそっ」

「くりちゃんのせいじゃないだろ」

「空羅だって横谷がいるからわかるだろう?守りたかった誰かが傷付けられた、守ってやれなかった罪悪感が。確かに俺と芽衣は付き合ってない。でも、でも、すごい小さいときから一緒なんだ。俺にとっては世界一大切な女の子なんだよ」


 くりちゃんは自分の机を握りこぶしで叩く。やり場のない思いが伝わってきて、何だか、心が、とても痛い。


「芽衣が落ち着いて、教室に戻ってきたら、俺たちは何も知らないふりをして笑顔で受け入れよう。それが、友達ってもんだよ」


 古山くんがそう呟いて、話を聞いていたみんなが同意する。くりちゃんの世界一大切な女の子は、今、感情と必死に戦っているんだろう。



 芽衣ちゃんは、章陽祭の前日まで教室に入ってくることはなかった。くりちゃんが誘っても、仲の良い横谷ちゃんが誘っても、ただ俯いて、保健室で首を横に振っていたそうだ。


「芽衣、明日から楽しめるかな?」


 教室の窓に暗幕を付けながら、くりちゃんが静かに呟く。


「プラネタリウムは暗所だから怖いかもしれないね」

「ホール発表もどうだろう?先輩の劇とか、席を暗くする時間もあるかもしれないから怖いかもな」

「せっかくの章陽祭なのに」

「プラネタリウムのスイッチ入れて。教室の電気消すから」


 教室の電気が消えれば、天井に満天の星が浮かび上がる。確かにそれはロマンティックだった。頑張って作ったクラス展示だから、みんなで見たかった。


「明後日の朝。くりちゃんと芽衣ちゃんだけ、プラネタリウムに入ってもらうってのはどうかな?準備だけして、私たちは違う場所にいればいい。くりちゃんと二人なら、芽衣ちゃんもきっと怖くないでしょ?」


 暗いところは、確かに怖いかもしれない。でも、信頼しているくりちゃんと二人なら、芽衣ちゃんもきっと。私はそう思った。教室で準備をしているみんなが、くりちゃんの返事を待つ。


「芽衣に聞いてみる。明日、返事する。もし見たいって言ったら、準備してもらうことになるけど、よろしくな」

「芽衣のためだもん。みんな嫌とか言わないよ」

「そうだよ」


 寂しげな表情だったくりちゃんが少しだけ笑って。芽衣はみんなに愛されて幸せものだよな、そう言った。でも、このクラスで芽衣ちゃんのことを一番思っているのはくりちゃんなのは間違いない事実。


「頑張ろうな、明日から二日間」


 私たちの、章陽祭が明日から始まる。

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