第5話 生まれ変わる

 空に薄紅よりも淡い、ピンクのたくさんの花びらが舞う。桜だ。


 今日は春。高校の校門前、辺りは新入生たちの賑やかな声に包まれていた。


 玲は今日、この高校に入学した。


 空に舞い上がる桜を見ながら、玲は歩を進めた。




 レイは、確かに死んだ。そして玲には物心つく前から、レイとしての記憶がある。

 いわゆる、生まれ変わりというやつだった。


 生まれ変わった当初はとても混乱したが、それでもすぐに受け入れることができた。生まれ変わったって関係ない。だって、結局はここにもロイはいないのだから。


 レイとしての記憶を持っていたからか、玲はお世辞にも可愛いとは言えない子供だった。それでも玲が前世のように壊れずに、人形にならずに済んだのはひとえに両親のおかげだろう。

 レイの頃の両親と違い優しい今世での両親は、玲を優しく包み込んで慈しんでくれた。でも玲の傷は表面上は治っても、中はじくじくと痛み、むしろ余計にロイを探してしまっていた。今もなお、その痛みは続いている。

 そんな中今までやってこれたのは、前世と変わらず今世でも作り笑いや嘘を吐くことが得意だったからだ。


 本当に優しい両親と、たくさんの友達。玲はまだ15で全て断っていたが、告白だって何度かされたこともある。

 それでも、玲は絶望に歪んだ目を隠し持ち、心ではいつもロイを求めていた。ロイに変わる人など、見つかるはずもなかった。




 玲は川辺を歩く。誰もいない、穏やかな堤防を、一人静かに歩いていた。


(もう15歳、か……)


 15歳とは、レイが死んだ年。

 ロイがいないまま、ここまで来てしまった。相変わらず、世界に色などない。確かにそこにあるはずのものたちが、どうも写真のように薄っぺらく感じてしまい、どうしてか偽物のように思ってしまう。


(でも……)


 子どもたちに、悪いことをしたなと思う。そして、幸せに暮らしてくれていたら、とも。


 ボーッと視界でチラチラ舞う桜を目で追うと、その先に人がいることに気づく。

 その人は私に背を向けて、堤防の下、川のすぐそばで佇んでいた。


(……え?)


 パサリと、片手に持っていたバッグが地面に落ちる。玲はそれを確認する間もなく、その人に向かって転がり落ちるように堤防の芝生の上を駆けた。


「……ロイっ…!!」


 掠れた声だったけれど、確かにその音が口から溢れる。


 佇んでいるその人が、振り返る。


 髪や目の色、身長、色々と違う。けれど、あれは。


 けれどその人は、玲を視界に入れた途端、ダッと駆け出してしまった。


「ロイ……!!」


 逃げるようにして、いや、玲からその人は全力で駆けて逃げた。


 玲は前世の記憶を持っていること以外、普通の女子高生だ。普通に考えて、男の全力疾走に追いつけるわけがない。


 少しずつ遠ざかるその背に、玲は少し考える。


(あれ、同じ学校の制服だった。新しいものみたいだったし、もしかして新入生?てことは同い年?)


「待って、ロイ……っ!!」


 そんなことを考えていたからだろうか。足がもつれて豪快に転んでしまった。せっかくの新品の制服が台無しだ。


 だが玲は、そんなことは気にせずうつむいた。


「っ……どうして逃げるの、ロイ……」


 ぽつりと言葉が零れたとき、目の前に暗く影が落ちた。


「レイっ、大丈夫……!?」


 どうやら玲が転んだのを心配して、駆けつけてくれたらしい。片手を差し出してくる。


(私から逃げてたくせに、わざわざま寄ってくるとか……)


 それにどうやら、この人もロイの記憶があるようだ。名前を知らないはずなのに、玲のことをレイと呼んだ。


 だがとりあえず……。


 ――パンッ


 玲は右手を振りかぶって、相手の頬を思いっきり叩いた。


「ロイなんでしょ」

「……っ!!」


 逃げていたことを思い出したのか、はっとまた逃げ出そうとするのを左手首を掴むことによって防いだ。


「なんで、自殺なんかしたの」

「……そのほうが、レイに迷惑にならないでしょう?」

「っ……ぃじゃない」


 うつむきがちに目をそらしながらぽそりと答えたロイに、玲はキッと睨みつけた。


「そんなわけないでしょ……!!」


 思わず声を荒げ掴んでいる手首をギリッと強く握って引っ張り、制服のネクタイを引っ掴んで引き寄せた。


 引っ張られた反動で、ロイはよろけて膝をついた。ロイはわけが分からない顔をして、こちらを見ている。


(そうでしょうね。わけがわからないでしょう。だって教えてないもの)


「……どういう「知らなかったでしょう」

「え?」

「知らなかったでしょう。私の家族が決して噂通りなんかじゃなかったったって」


 知らなかったでしょう、と玲はもう一度顔を寄せて言う。その顔に浮かぶのは優しい笑みだが、瞳には揺れるのは激しい怒気と絶望だ。


「っ……」

「ねえ。知らなかったでしょう?父にとって私は、物、商品同然だったの。機嫌が悪いときには、当然のように殴られたわ。もちろん、見つからないようにお腹か背中にね」

「知らなかったでしょう?母にとって私は、憎くて邪魔で、気に触って仕方のない存在だったの。ちやほやされるのは自分だけで良かったのでしょうね。母に似てそれなりに見られる容姿だったから、扇子か鞭で叩かれるのは当たり前。少しでも気に触ったら、真っ暗な光一筋すら許さないような地下室で、数日閉じ込められて食事を抜かれたりしたわ。でもそれも街の人たちに気づかれないよう、傷や怪我は私の薬で治る範囲。

 弟だって、あの子は私を姉とすら思ってなかったわ。そもそも人と思っていたのかな?ともかく、あの子は私を紹介と自分の名声を上げる道具くらいとしか、認識してなかった」

「そ、んな」

「知らなかったでしょう?私が使用人たちからイジメられていたの。使用人たちは私をどのように虐めたら母や弟に気に入られるか分かっていたからね。

 商会の従業員だってそうだった」

「でも、優しく叱ってるって……」

「ええ、見た目はね。そもそも、あれがヤラセだったのよ。父が用意した茶番劇。毎回毎回叱ってくれていたけど、それは父の命令だから仕方なく。いつも叱っているときの目の奥には、疎ましく思っていることが丸わかりの感情が見え隠れしていたもの」


 いつ、どこにいても気が抜けなかった。家では家族や使用人、商会では従業員や客、外でだっていつでもどこでも人の目があったし、私を“商会の娘”として見ていた。唯一気が抜けたのが、ロイのそばだった。


「知らなかったでしょう?私、ロイと出会う前、いえ、ロイといないときは無表情だったの。何も感じなかったの。何故か分かる?」

「……」

「そういったことを、学ばなかったから。学べなかったから。

 私の周りには、私を愛してくれる人が一人もいなかったわ」


 それからも私は言葉を紡いでいく。何故かスラスラと、口から溢れていく。


「知らなかったでしょう?ロイが死んだあと、私は抜け殻のようになっていたのよ。私にとってロイは、あの何もない、何も感じない地獄の日々を耐えることのできる理由、私の光だったの。ロイは私の生きる理由だった。

 知らなかったでしょう?私、ロイが自殺してからすぐ、誰とも知らない下級貴族に嫁がされたの。政略結婚のようなものだったけど、相手方が私をいたく気に入ってくださってね。毎晩毎晩犯されたわ。その人は、人形のような生きた人を欲しがっていたみたいね。最低限の生活はするけれど、何か問いかけてもはいしか答えない私をとても可愛がったわ。

 知らなかったでしょう?私ったら、子供が三人もいたのよ。15歳で。三人目のときに難産で死んだけれど、やっぱり妊娠中以外は毎晩犯されたわ。もちろん抵抗する気力も何もない私は、動くことすら稀だったけれど」


 私が口を開くにつれて、ロイの顔はどんどん青く、厳しくなっていく。


「僕が、レイの光……?」

「うん」


 ロイと再会してから、少しずつ口調が元に戻っている気がする。


 そして最後に。


「ねえ、知らないでしょう?私の光は、今もなお、ロイなんだよ」

「っ……!!」


 ショックを受けた顔で、ロイは固まる。


「私はね、ロイ。ロイと出会う前まで、感情というものを知らなかったの。悲しいと思うこともなければ、嬉しいと思うこともなかった。あそこでは、そういったものを学び育める環境がなかったから。種があっても芽吹かせることができなかったの。

 それなのにそれが周りにバレずに生活を送れていたのは、たまたま私に、自然な作り笑いや嘘を吐く、そういった才能があったから。でもだからこそ、余計にその種たちは身を隠して芽吹かなかった。楽しいが何かわからなかったけど、作り笑いをすることを覚えたし、周りに合わせることを覚えた。涙の出し方だって学んだ。でも本物ではなかった。

 それかまロイ、貴方と会って変わったの。今まで芽生えることのなかった種が、一斉に芽吹いて感情を教えてくれた。ロイが生き方を教えてくれた。でも、ロイ以外ではなんの役にも立たないし、動かなかったけど。

 ロイだけが、私の生きる理由、光だったの」

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