大学の先輩に振られた男が異世界転生したら一次元宇宙だった件

吉所敷

大学の先輩に振られた男が異世界転生したら一次元宇宙をだった件

 驚くことに、世界は濃紺に染まっていた。

 濃い紺色というくらいなのだから、水で薄めたような明るい色ではなく、酷く濃い紺色である。

 どうしたものか。身動きも取れないのだが、これは神による配剤であろうか?

 それとも、前日にゼミの先輩に振られた、哀れな男子大学生である私が、ヤケ酒を繰り返したことにより、身体の自由が効かなくなったのであろうか。

 後者の記憶が鮮明過ぎるので、二択にもならない。

 

 美しい人だった。僅かに赤茶けた明るい髪色は、このような陰鬱な濃紺などではなく、朗らかな彼女の人柄によく似合っていた。

 私自身も礼儀正しい後輩で、悪くない関係を築けていたように思う。

 今思えば、あれは天国であった。

 一に勉強二に学習。全てを教科書と数式で埋め尽くされた私が、大学受験に失敗して落ちぶれていたのも、記憶に新しい。

 恨み骨髄に徹すと言った雰囲気で、我が母親が殺意の籠もった視線を浴びせかけてくる実家を、転がるように逃げ出した私にとって、あの人と過ごした大学というのは、少々ランクが落ちようが、極楽でさえあった。

 しかし私が一張羅を着て、彼女を呼び出した直後から悲劇は始まったのである。

 二人でよく過ごしたサークル棟で、諸先輩方のいない時間を狙って彼女にメールを送った。

 

『大事な話かあります。どうか、サークル棟で私と話す時間を作って頂けませんか?』


 かいつまんで要約するとそう言う内容だったが、実際には拝啓から始まり草々不一で締められる、硬い文章であった。

 実際、一世一代なのだから、それでも私には足りないと言える。

 今か今かと待ち侘びて、遂に扉が開いた瞬間に、私の心臓は跳ね上がった。

 デニム生地のジャケットに白いシャツ。白いスカートとは、あまりにも清楚がすぎる。

 ほんの少し柔らかそうな肉の付きようがなんともいかがわしい彼女に、私はその刹那を持って、全力で手を差しのばした。

 

「好きです。先輩。どうか私と結婚を前提としたお付き合いをして下さい!」


 そう叫んだ直後、唖然とする先輩の後ろから現れたのは、明らかにサークルとは無関係そうな……そう、つまり。知らない人だった。

 黒髪でショートボブで、キツそうな目を尖らせて私を睨むその顔は、女子大生というよりは不良でスケバンである。

 先輩とお揃いのデニム生地がまた、それを冗長する。同じ服でも着用者によってそんなに印象が変わるのかと、酷く驚いて、

 お揃い?

 私の頭に、大きなクエスチョンマークが出現した。


「ほらな。告白だっだろ?」


 やがて不機嫌そうに発言したその他人は、驚くほどに私を見下していた。

 だがそこは流石に先輩がおられる、優しくて穏やかな彼女はその他人に対して、咎めるように叱りつけると、私の肩に手を置いてこう発言する。


「ごめんね。嬉しいけど……私は彼女と付き合ってるから、君とお付き合いは出来ません」

「なん……ですと……!?」


 そう。彼女は同性愛者だったのだ。

 サークルの諸先輩方は存じていたようで、私はその後、放心しきって部屋で死んでいたところを助け出され、慰められながら今に至る。

 

 いや、まて。まて。

 それと身体が動かないことは、なんの説明にもなってやしない。

 そうだ。私は泥酔していた。ふらふらと終電に載り、ええと。

 駅のホームまでの記憶しか、ない。

 

 ここは、どこだ?


「気が付いたようだな」


 ハッと。私は首を動かそうとしたが、それも叶わない。

 突然、私にかけれた声の主の正体は、未だに不明である。


「そうじゃない。身体全体枠動かすようにするんだ。まずは、『その身体』の使い方に慣れろ」

「か、からだ……? いや、まて。そんな、夢だ……こんなのは夢に決まっている……!」


 ああ神よ。本当におられるなら、なんて残酷な仕打ちをしてくれたのだ。

 助けてくれグレゴール・ザムザ。助けて仮面ライダー。

 遂に肉体を動かすことに成功した私の視界には、摩訶不思議にも喋る『点』がいる。

 そう、まさに『点』なのだ。

 手足もなく、顔もなく、厚みもない。

 

 そして私の身体も、また『点』であった。


 私はきっと死んだのだろう。そして転生してしまった。そうでなくては説明がつかない。


 この一次元宇宙に。



 喋る『点』の話によると、この世界には濃紺に拡がる面以外が存在せず、どこまで行っても平面で、高さや深さに相当する感覚がないとのことだ。

 

「俺は、恋人と待ち合わせしてたらトラックに轢かれちまってな。お前もそんなもんだろ?」

「ということは、もしやあなたも」

「そう。お前と同じ地球人って訳だ」


 そして同時に、私達以外の全てもいない。

 一次元ネコも一次元イヌも一次元スズメもおらず、当てもなく彷徨っていたところ……私が現れた。

 喋る『点』……ここではひとまず一次元先輩と呼ぼう。

 一次元先輩は、どうやらこの宇宙に少しだけ詳しいらしい。

 

「まあ。そりゃ体感で三日くらいお前より先に来てるからな」

「ああ、時間の概念が異なるのですね。というより、この濃紺では昼夜の区別など、出来ませんか」

「だな。とりあえず歩こうぜ。まだ誰か見つかるかも知れねえ」

「お付き合いします」


 この身体を動かすには、それなりに苦労した。なにせ脚がないのだから。

 地面も、正確にはない。

 濃紺の宇宙を、一歩、一歩踏み出すようにして歩くというのではなく、前へ前へと浮かんでいくような感覚だった。


「そう言えば、食事は?」

「腹が減らないんだよ。お前もすぐに分かる」


 そうして数時間。いや時計になるものが何一つないので、とにかく数時間歩いたような気分になっていた頃、一次元先輩とそんな話をした。

 私はなんというか、この異常な事態には一次元先輩の助けが無ければ、とうに発狂していただろうと、感謝の気持ちでいっぱいになっていく。

 一次元で構成された一次元ラーメンでもあれば奢って差し上げたいのだが。

 残念ながら一次元宇宙には一次元豚骨も一次元醤油も存在しない。


「いーよいーよ。まあ、せめて話し相手になってくれ。この世界は、紺色過ぎてつまんないから」

「まったくですね。少しくらい緑色があっても良かった。いや、あってしかるべきだ」

「お、言うじゃねえか! 彩りは大事だもんなへっへっへ」


 思えば既に、この時点で我々は限界だったのかも知れない。

 なにせ浮かんでも浮かんでも紺色で、濃紺で、肉体的にはどんな構造なのかも分からないまま疲労が蓄積していくのだ。

 これで人型であれば「脚が痛い。腰も痛い」と患部が分かり、座ったり寝転んだりすればいい。

 だが、『点』とは。

 どうやって休めば良いんだ。

 そもそもなんで喋れているのか? 見たところ口もないのに!

 改めて奇妙な世界に、果たして何日間籠もっていただろう。

 

 ふと、気付いた。


「一次元先輩」

「うん?」

「私達、今……進み始めて、『何年』経ちました……?」

「……わからん」


 そう、この世界の時間は分からない。

 昼夜の区別がないだけではない、時間など所詮は体感に過ぎないのだから。

 この。濃紺に、時の流れなど通用しない。

 気付いてしまえば、あとは速かった。私はゆっくりと歩みを止めると、やにわに空のようなものがあるような気がして、天を見上げた。


 上などなかった。全て濃紺だった。


「どうした、一次元後輩。進まねえのか?」


 歩みを止めて、一次元先輩は私に話しかけてくれる。優しい人だ。今まで何度、こうして気に掛けてくれただろう。

 優しい人は。そう。もう一人いた。


「先輩……私……帰りたいです」


 零れた言葉が届いたのか、一次元先輩は私に少しだけ寄り添ってくれた。

 僅かにお互いの接触面のみが触れ合っていたが、一次元の『点』でしかない我々にとって、それが一番近くに寄れる姿であり、まるで私には抱き締められているようにも感じる。

 唐突に零れた声は続いて、溢れ出た。


「す、すきな人がいたんです。とても優しい人でした。だ、だけど……彼女は同性愛者でした。私のような、男では彼女とお付き合いすることは出来ません」

「……それで? 付き合えないなら、お前はどうしたいんだ」

「特別な関係になれないことを、恨めしく思いました。私は最初から。あの人に選ばれないのです、それが悔しくて、悔しくて」

「……」

「でも」


 一次元に身をやつし、無限のような時間を進みながら、私は考え続けていた。

 どれだけ忘れようとしても、あの人の微笑みだけが私に元気をくれる。

 ゆっくりと前に進んで行けた。

 そう。大丈夫。まだ、私は進める。 


「だから、うんと幸せになって欲しい。あの人を受け入れてくれる人がいればきっと、私も幸せなのです」

「……そうか」

「ええ、そうです。それでいい。それでいいから、また彼女に逢いたい……! 私は、私は先輩に逢いたいんです。だから!」


 私は、正しく存在しない世界を目指す。この異世界の、一次元宇宙を拡張するように。

 存在しない『上』を。

 身体を引っ張り上げる。可能な筈だ。何故なら、異世界転生というのは常に、その世界のルールや常識を破る逸脱がセットなのだから。

 私も逸脱して良いんだ。何を躊躇う必要がある!


「俺はちょっと諦めてたっていうのに……オーケイ。後押ししてやるよ、後輩!」

「一次元先輩、なにを?!」


 先輩は私へと身体を押し込むようにして、『点』を重ねていく。まるで壊れることを厭わないかのように。

 いや、そうか。

 下に潜り込もうとしているのか! そうだ、重なればそこには『上下』が生まれる。

 もはや一次元では、ない。

 だが保つのか? この『点』の身体が。

 

「俺……いや、アタシにも、恋人がいるんだ」

「先輩……!」

「泣かせたくない。行くぞ、一緒に」

「はい!」

 

 浮上しようとする力と、押し上げようとする力。それは一次元宇宙ではあり得ない現象だ。

 何故ならこの世界には『点』と『面』しかないのだから。それ以上の次元上昇は存在しない。

 我々が、異世界転生者としての力を解放していくにつれ、何かが軋む音が聞こえる。

 

「なんですかこれ?!」

「一次元宇宙が崩壊してるんだ! これでいい!」

「ああ、でも、でも先輩! 私達の身体が!」 

「クソ! ヤバい、溶ける!」

 

 身体が、『点』が滲んでいく。宇宙崩壊のエネルギーに耐えられなかったのか。溶けるようにして消える私達の身体は、徐々に世界へと滲んでいく。

 いや、違う。そうだ。これは。

『線』だ。

 

「先輩……待ってて下さい……! 私は……!」


 そして、一次元宇宙は崩壊した。


 私に二度目の死が訪れる。



 後頭部をスパンと叩かれ、私は突然の覚醒を促される。

 急に起き上がった為か、脚がビクッと跳ね上がり、前に座る友人を蹴りつけてしまった。

 痛がる彼に対して謝罪をした後、サークルの活動中に居眠りしてしまったのだと気付く。

 私は曖昧な笑みで誤魔化し、皆さんに頭を下げると、一人だけからかうよな笑い方ではなく、優しげに微笑む女性がいた。

 ああ、先輩だ。女神のように微笑むお顔は白く小さく整っていて、少しだけ赤茶けた明るい髪が揺れている。

 私はどこかおかしなことをしただろうかと、立ち上がって衣服を整えようとする。しかし身体は、脚だけでなく全体を動かすように歩いてしまう。

 結果として、奇妙な歩みを見せた私の身体は、椅子に躓いて本棚へと激突した。


「まだ寝ぼけてるね、大丈夫?」


 流石の諸先輩方も、とりあえず絆創膏をくれたりしたが、やはり一番優しく介抱してくれたのは女神のような先輩であった。

 ハハハ。流石に一次元宇宙の夢を見て、身体がまだ三次元宇宙に慣れてないんです。などとは口が裂けても言えやしない。

 ただ私は「そうですね、親切にありがとうございます」と応えた。

 しかし、告白したのは夢ではなかったようで、先輩は「君も昨日会ったよね。私の恋人もさ」と話を続けた。


「なんだか身体全部一緒に動かす感じに慣れちゃったって、今朝も寝ぼけてベッドから落ちて、頭切ったのよ。ふふふ、お揃いだね」


 それは。私と同じ……いや。まさか、そんなこと。

 ……夢だったに違いない。

 私は自らにそう言い聞かせて、ただこの至福を享受することに全身全霊を傾けた。

 

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