最終話「美味しいパンケーキの店」


『おまたせしました。トリプルエスプレッソです』


 カフェのテラス席からコロニーの青空を眺める僕の前に、宇宙よりも黒い飲み物が運ばれて来る。

 それを運んで来たのは、当然だが配膳ロボットだ。

 人型ではあるものの、食事の安全かつ確実な運搬と定型句の発声以外の機能は備わっていない。


『ごゆっくりどうぞ』


 配膳ロボットはお決まりのセリフを人工音声で発した後、すぐさま定位置へ戻っていく。

 決められた機能と仕事だけを忠実に実行したのだから、ロボットとしては申し分ない。


 ただ、僕はどうしても、あのライフ・セレクターと比較してしまう。




 ライフ・セレクター〇三七号の解体後、機体の残骸は軍部に回収された。

 陽電子頭脳はもはや修復不可能な程に破壊されていたので、情報を引き出すことも、彼を復活させることも出来ない。

 きっと、数年に及んで軍部を苦戦させたロボットを、誰にも再現させない様にしたいのだろう。

 僕はなんとなくそれが癪で、〇三七号が残した日記は渡さなかった。

 これは誰かに渡すつもりも、見せるつもりもない。


 ただ、彼という存在がこの世界に居た証を残しておきたかった。それだけなのだ。


 予想だが、ライフ・セレクター機体は〇三七号が最後の生き残りだったのだろう。

 リブラを作ったマーテイラー博士亡き今、彼等を生み出すことは出来ない。

 僕たちは二度とライフ・セレクターを目にすることはない。

 博士の夢『第三の目』は永遠に失われたのだ。


「パパー!」


 ふと、どこからか女の子の声が聞こえて咄嗟にそちらへ目をやる。

 そこには通りを歩く小さな女の子と、女の子の手を繋ぐ父親らしき男の姿があった。

 幸せそうな笑みで楽しそうに歩く仲睦まじい父子の姿。

 それを目にした僕は、〇三七号の娘「ミーナ」のことが脳裏を過った。




 〇三七号の記録を閲覧した後、僕はミーナについて可能な限り調べた。

 直近半年間、第六セクター付近で保護された少女がいないか、あるいはセキュリティに補導された少女がいないかなど、とにかくミーナの行方を追った。


 しかし、ミーナらしき少女の情報を掴むことは出来なかった。

 仮にミーナを見つけたとして、僕に出来ることはなにもない。

 ただ、彼女が無事かどうかだけでも知りたかった。

 〇三七号が身を挺して守った女の子が、彼の願い通り平穏に生きていると僕も願っていたから。

 それに、ミーナはまだ十四歳の少女。

 〇三七号が生き方を教えたとはいえ、まだまだ子供だ。

 父を失った彼女の気持ちを思うといたたまれなくなる。

 きっと、とても寂しい想いをしているに違いない。そう思い至り、不意に溜息を吐く。

 そんな時だった。


「ねえパピー、次はどこに行こっか?」


 背後のテラス席から女の子の声が聞こえた。

 真後ろなので顔は見えないが、おそらく十代前半ぐらいだろう。

 そして誰か連れがいるのだろう。

 僕はなんとなく、彼女達の会話に耳を傾けることにした。

 

『君が行きたいところに行くといい。私は君について行くだけだ』

「パピーにも考えてほしいの! せっかく二人で自由に出歩けるようになったんだから」

『ふむ……では、君が行きたいところが、私が行きたいところだ』

「もー、それずるだよ! パピーもちゃんと考えて!」

『こういう時、ネットワークが一部しか使えないというのは不便だな。君が行きたそうなところを検索出来ない』

「ダメだよパピー。検索ばかりじゃなくて、自分の頭で考えなきゃ。パピーが教えてくれたことだよ?」

『これは……一本取られたかな』


 パピーと呼ばれる何者かの言葉に、女の子が小さく笑う声が聞こえる。

 パピーの声は、人工音声だ。おそらくロボット、それもなかなか高性能な人工知能を持っている様だ。

 声色や楽しそうな会話から仲の良さが窺える。

 人間とロボットの理想的な関係だ。

 きっと〇三七号とミーナも、背後の彼女達の様に他愛ない話をしていたのだろう。


『君が立派に成長してくれて私は嬉しいよ。ミーナ』


 僕はパピーが発したその言葉を聞いて、思わず振り向いた。

 人工音声は女の子のことを、確かに「ミーナ」と呼んだのだ。

 こんな奇跡があるものなのか。いや、僕はこの奇跡を望んでいた。


 背後のテラス席に座っていたのは、綺麗な長い金髪の、お人形の様な可愛らしい女の子。

 白いワンピースを身に纏い、ティーカップを傾けながら眩しい笑顔を浮かべている。

 そして正面には、子犬型の動くぬいぐるみが座っていた。

 ぬいぐるみは人の様に喋りながら、短い手足を動かして身振り手振りのコミュニケーションを取っている。

 おそらくあれは「アクティブドール」だろう。それも超高性能。

 まるでロボットの陽電子頭脳をそのまま搭載したかの様だ。

 実際には陽電子頭脳そのものではないのだろうが、一部は再現しているに違いない。


 ミーナという名の金髪の少女と、パピーという名の子犬型アクティブドール。


 間違いない。信じられないが、彼女達だ。


『さて、それではどこに行こうか? 生憎このセクターの情報はあまり知らなくてね』

「うーん、私もあの場所以外はぜんぜん分からないからなー……あ、パンケーキ食べたい!」

『本当に君はパンケーキが好きだね。しかし、あてもなく彷徨うことは推奨出来ないな。不用意に歩き回ってセキュリティに補導でもされたらどうする?』

「うーん……」


 僕は、ずっと考えていた。

 もしミーナに出会えたら、僕は何をすべきなのかを。

 もし出会えてたとして、何かしたくても、結局は何も出来ないのだと思っていた。

 だが、彼女を前にした僕は、なんでもいいから力になってあげたい。そう強く思った。

 そして、ここにいるのは彼女だけではない。〇三七号の分身もいる。

 咄嗟にマーテイラー博士の願いが、僕の脳裏を過った。

 今なら、彼が知りたかった話も聞くことが出来るかもしれない。

 マーテイラー博士の無念を果たすことが出来るかもしれない。

 

 しかし、それを彼が、彼女が望んでいるだろうか。


 違う。


 僕がすべきは、余計なお節介を焼くことでも、博士の無念を果たすことでもない。


 僕がすべきこと、それは――。






「ねえ君! ちょっといいかな」


 僕は立ち上がり、ミーナ達の席に歩み寄る。

 突然僕に話しかけられたミーナは、驚いた様子でこちらを見上げる。

 宝玉の様に輝く青い瞳が、僕の目と合う。

 子犬のぬいぐるみもこちらを見やるが、席から動く様子はない。

 人前では、あくまでも普通のアクティブドールを演じているのだろう。


「えっと……なにか、ご用でしょうか?」


 ミーナの表情からは困惑と警戒がうかがえる。

 無理もない。知らない地で突然他人に話しかけられたら、誰だって戸惑うし警戒する。

 彼女達の境遇と状況を考えればなおさらだ。


「ああ、驚かせてごめんね。僕の名前はショウキ。隣の席の者なんだけど、君たちの話が聞こえて、そしたらどうしてもこれを教えたくって」


 そう言って、僕は小さなメモをミーナに差し出す。

 するとミーナは首を傾げながらも、おずおずとそれを受け取ってくれた。

 受け取ったメモを見たミーナは少し眉をひそめ、そして再び僕の顔を見る。


「これは……お店の名前?」

「ああ。そこは僕の行きつけの――」


 僕は笑顔で答えた。






「美味しいパンケーキの店さ」






 完

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天秤の娘に美味しいパンケーキを 天野維人 @herbert_a3

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