実は、秘密にしていたことがある。
やけに疲れていると感じた日には夏野けいさんの作品を読むのが習慣になりつつある。
美しい描写。静かな語り口調。日常の一瞬を切り取った風景。
それらに触れていると、まるで海中から水面の光を見上げているかのように気持ちが落ち着く。文章を読んでいるというよりは、美術作品を鑑賞しているときのような気持になる。
淡々とした静かな語り口調でありながら、不思議と登場人物たちの情動には迫力がある。その落差さえも心地よく、作品を読み終えたあとは少しの安らぎと少しの元気を分けてもらえる。
強い情動を、派手な場面と強い言葉で書くのは簡単かもしれない。
しかし、その逆は相当な筆力が必要なはずだ。
夏野けいさんの文章を読んでいると、ひとつの場面、ひとつの文、ひとつの句、ひとつの文字にいたるまで神経が注がれ書かれたものだということが伝わってくる。
そうして綴られるのは、人々の他愛もない日常であり、生活の一場面である。
作品をいくつか読ませていただいて気付いたことだが、フォーカスの当て方が抜群にうまいなと思う。
もし私が同じ設定で同じ場面を書いても、なんとも味気ない話ができあがるばかりだろう。
今回ご紹介させていただく『水深1.2Mの保健室』も、よくある日常のワンシーンを切り取った作品だ。
五限目の英語と、六限目の体育。
その二時間足らずを描いている。
一行目からとても興味を引く文章だ。
何しろ、作品タイトルと一行目の言葉を読むだけで、主人公の女子生徒が保健室登校をしているということ、保健室でも自主的に学習を行っているということ、養護教諭とそれなりに仲はいいこと……など、かなりの情報が伝わってくる。
主人公が自分の置かれている状況や立ち位置を淡々と語る。
その静かな文章の中に、彼女の悩みや息苦しさがにじむ。
そこへ、ひとつの不安要素が飛び込んでくる。クラスで人気者の男子が、怪我をしたと言って保健室にやってくる。
保健室のベッドはカーテンで仕切られているから、男子から主人公の姿は見えていない。
主人公は複雑な気持ちを抱え、そして……。
物語を終わらせる場所がとてもうまい。
どこにフォーカスを当てたいのか、何を描きたいのか、何を伝えたいのかがはっきりと伝わってくる。
遠くで聞こえるホイッスルの音。
それは深い水でぐぐもっているようでもあり、遠い世界の出来事だと暗に示しているようでもあり。
そして私は、水の中からその光景を眺めている。
作品を読み終えて、ふと、タグに並んだ言葉が目に入った。
「ふつうって何」。
よく目にする問いかけではあるが、読後はやけに突き刺さる。
その痛みが、明日を生きるための力となる。