朝倉景昭、浅井久政を叩けず

 高虎が感慨深げに兵たちを見回る中はるか後方の金ヶ崎城では、高虎から副官扱いされている本多正信が浅井の宿老たちに囲まれていた。




「織田勢からは何の連絡もないが」

「そういう事なのでしょう」

「しかし実際、藤堂軍はだいぶ元気みたいだからな」




 高虎が見つけて来た本多正信とか言う小男の事を、歓迎する人間は少ない。



 自分で蒔いた種だからと言って自らこんな戦いに身を投じるのはまあともかく、その連絡役にこんな男を残すのはなぜだと言う意見は多かった。それこそ信玄を討ち徳川家康を助けると言う功績を上げた人間が得た徳川からの報酬がこの男一人だと言うのもまた、無欲を感じさせるより先に不審を巻き起こした。


 しかも高虎が百石、つまり今の石高の一割を与えていると言うのだ。政澄は無論、員昌も貞征も正信を評価する気はなかった。



「兵たちの中には本当に大殿様と戦うのかと言う不安を感じている者もいる。その上に本願寺も兵を寄越してきていると言う話だぞ」

「本願寺との戦い方はすでにご存知でしょう」

「それはそうだがな」




 実際問題、官吏としてはかなり有能だった。万単位の人間の食糧補給や恩賞の手はずを手早く整え、その上に自分たち浅井の宿老や藤堂家内部の人間、さらには織田家とも連絡網を作り上げている。



 だが現実的な話として、まず見た目が気に入られなかった。

 自分たちより明らかに背が低く、そして猫背で三十六とは思えないほど老けている。何より戦なんかできないだろうと思って話を振ると、臆面もなく首を縦に振った。



「この戦いが終われば万石取りになり、高虎だなんて呼べなくなる。上総介か、せいぜい与右衛門だ。その人間が見出したのだから忘れるな」

「心得ております」


 あるいは本来ならば長政か自分が得るべきだったはずの存在に向かって阿閉貞征は嫌味をぶつけるが、それでも正信は笑うだけである。もっとも、得たとしても石高の一割をくれてやる様な事はしないつもりだったが。


「だいたい、我々は譜代の浅井の家臣。上総介だって譜代だ、新参のお前とはわけが違う」

「それがしとて仮にも武士です。その武士の端くれとして、自分を認めてくれた人間のために動くまでです。一向宗に触れ、その身をゆだねて戦いそしてその一揆の現実を見た上で今こうして藤堂様に仕えているのです」

「ああもういい少し口が滑った謝る、すまんすまん!」



 そのくせ口を開くと、紛れもなく武士たる事を示そうとする。まるで必死さがなく、事前にそういう質問を投げかけられる事を想定していたかのように口上を並べる。簡単に自分の方が不利だとわかってしまった貞征が適当に頭を下げると、清綱たちも同調した。



「とにかくだ、武田信虎を討てばいい訳だろう」

「そうです」

「まさかとは思うが、わざわざ飛騨を通らせたのは」

「浅井備前様の御為、泥水を飲みに行くのもそれがしの役目でございましょう。それこそ皆々様にはできぬ、新参ならではの」



 長政の事しか知らない藤堂高虎、その配下に付く朝倉景鏡たち朝倉の旧臣。で、それこそ新参の極みの本多正信。

 いずれも久政に相対するには絶好の顔ぶれである。



(徳川殿の事を忘れたつもりはない……だが今のそれがしは浅井の、いや藤堂の家臣として何とかして世の平穏を取り戻さねばならぬ……)



 かつて一向一揆に携わり、その中の欺瞞を見た正信にしてみれば高虎はどんな坊主よりも敬虔な信者だった。





 一方的に領主気取りになる坊主たちを、正信は幾度も見た。領主と言っても仏の慈悲を見せた統治をおこなうならばまだともかくそんな物などかけらも見せず、ただただ天罰の二文字を振りかざして庶民から暴君として現世はおろか来世も縛ろうとする人間たち。


 その上でせめて仏敵との戦いに専念し続けるのであればまだともかく、妻帯肉食飲酒などありとあらゆる戒律を破った破戒僧などと言う言葉では片付けられない連中、そしてそれを取り締まろうとしない顕如以下の本山の僧たち。まったく唾棄すべき存在だった。







 今対峙している久政とて、本質は何も変わらない。長政に対し親、高虎に対し年齢と言う一点を振りかざして自分に従わせようとしている。信虎はまだ手段と割り切っているし元から恨みもあるからともかく、久政にはもはや妄執しかない。



(矛を捨ててくれればいいが……)



 小谷城の方向を見ながら、正信はため息を吐いた。




※※※※※※※※※




「要らぬ」

「いえいえ、景昭様にこそ」

「そなたが食べよ」

「しかしそうするとそれがしが」

「構わぬ」


 小谷城の本丸で、一人の幼児が膳を前に首を背けていた。明らかに大きすぎる羽織袴を身に纏い、年相応の量しかないはずの髪の毛を無理矢理髷にされたその幼児の乗る畳は、すっかり色落ちしていた。


「景昭様、どうか」

「兵たちにやれ」

「ですが」

「久政、わしは食事より家族が欲しいのじゃ」

「なればこそ、今こうして家族を奪った不心得者を討つべく兵を動かしております。それにしてもなんと慈悲深きお方、さすがは朝倉家のご当主様でございます」



 その幼児こと愛王に対し、摂政を名乗り保護者気取りの久政は心からの笑顔を見せながら、深くうなずいていた。




「わしの所にもいろいろな話が入っておる」

「すべて世迷言にございます」

「すると何か、武田信玄を討った男が敵と言うのもか」

「それは本当ですが、詐欺師と言うのは真実を偽りの中に織り込む物。また軍勢がたくさんいれば誰が討ち取ったとしてもわからぬ物でございます。その手柄を己がそれとして誇る、つまり横取りするような輩に人心がなつく訳がございませぬ。ほどなくして崩壊し」

「ほどなくとはいつじゃ」

「ほどなくでございます」







 この城に連れ込まれてひと月あまり、愛王に久政は何もさせていない。


 初日こそ兵たちの前に出て適当に手を上げてよく来てくれたと言わせたり、その二日後に最悪の不心得者こと藤堂とかの前に出て来させて思いっきりののしらせたりしたが、その後はずっと本丸に押し込めて来た。


 本丸の中の小さな空間で、食事から下の世話、寝所に布団までことごとく与えて来た。大半は侍女であったが、時には久政自らその役目を買って出る事もあった。




 そしてその度に、久政は長政や高虎、信長の悪口を混ぜるのだ。


 長政は親不孝者、高虎は親の仇、信長は仏敵。幾たびも幾たびもそう聞かせては、ひたすらに頭を下げた。







「なあ久政」

「なんでございましょうか」

「姉上はどうしておろうか」

「不心得者を滅した暁には必ずお会いになれます。この久政がつかんだ話によりますればあの不心得者に手籠めにされ孕ませられたとの事」

「よかったではないか」

「どこまでも寛大なお方でございますな。このようなお方ならば不肖の息子も必ずやひれ伏しましょうぞ。どうか浅井に連なる者の乱行をお許しくださいませ」




 愛王にしてみれば、自分なりの反撃のつもりだった。


 四葩と言う姉については正直保護者以上の印象はなかったが、ここに来てから本来は本願寺が娶る予定だっただの、それを浅井が奪っただの、今度は手籠めにされているだのたくさんの話を聞かされて来たが、いずれにせよ生きていると言う事だけは確実であり、それだけで十分だった。


 ましてや孕んだとなればそれこそ家族が増えると言う事であり、少しは孤独も紛れると思った。


 だと言うのにそれをまるでとんでもない罪悪であるかのように言いふらす久政の頭を叩きに行ったはずなのに、久政はますます頭を下げたがる。




「なればわし自ら姉上に正しに」

「もちろんそのために我々がいるのでございます!景昭様はここで吉報を」

「待てぬ。まさかとは思うが、おぬしは姉の子が憎いか」

「とんでもない!それがしが」

「なればだ、今後姉の子とその親である藤堂とやらをないがしろにするでないぞ」

「ははっ…………」

「まあ、褒美に飯を食ってやる事にしてやろう」


 ようやく上機嫌そうになった愛王が膳に箸を付けると共に、腹の虫が鳴き出した。再び後頭部を見せた久政を見下ろしながら、朝昼晩三度の飯を食べるのが愛王の一日だった。







「ではそれがしはこれにて」

「久政、もう少し居てくれまいか」

「しかしその、摂政と申しましてもずっとお側にいる訳には」

「嫌じゃ!」

「ではこの久政がもう少し」

「ああ、すまぬ」


 長い籠城生活でうっぷんがたまっているのだろうと、久政は笑顔で愛王の食べ終わるのを待ち、愛王に向かって歌えもしない子守唄を歌ってやった。

 そして愛王が眠りに就くや、高虎の命だけは守れと言う約束を反故にする事を決めながら、後は頼むぞとだけ言って本丸から京極丸へと向かった。










「遅いではないか!」

「仕方がないだろう、景昭様がなかなか放してくれんのだ!」

「まったく、この状況でよくあんなに喰える物だ!」

「だいたい、まだ四つだぞ。それに大義名分からしても景昭様だけは粗略にするわけにいかんのだ!」

「ふん、この無芸大食親子め!」

「わしならともかく景昭様に対しなんだその言い草は!」


 信虎は予定よりだいぶ遅れた久政に対し、義景までひっくるめて罵詈雑言をぶつけた。




 覇気のない顔をして立つ兵たちを横目に、武田信虎と浅井久政と言う二人の男だけが元気に吠えている。



「それよりまずいぞ、噂がとうとう景昭様の所にまで入ってしまったぞ」

「それがどうした!」

「どうしたではない!大将があんな調子で戦えるか!」

「だいたいだ、どこの誰があんな噂を流したかなどどうでもいいではないか!」

「どうでもよくないだろう、流言飛語を取り締まらねば士気は低下するぞ!」

「流言飛語だと!?全部事実だろうが!」










 長政の下に走れば、目一杯食べられる。

 加賀の一揆の民は、逆らえば地獄に落ちると言われて来た。

 高虎は朝倉左衛門督の娘婿であり、景鏡以下多くの旧朝倉軍も今や彼の下についている。

 武田信玄を討ち取った男が率いる軍勢を相手にする事なかれ。










 かような噂が、小谷城の中に蔓延していた。

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