明智光秀、敵の死を喜ばず
「内藤昌豊が死んだと言うのか!」
「はい!藤堂様お見事でございます!」
武田の猛将が一人、藤堂高虎の手によりこの世を去った。
とどめを刺したのは山崎
「この陣は守れるのでしょうか」
「守るしかないのだ!守るしか!」
既に武田軍の一部が柵に馬蹄をかけているような状態であり、ここが破られればいよいよ敗北は必至の情勢である。
数はともかく、一番強い所が次々にぶつかって来るからたまった物でははない。赤尾だの田中だのは既に半ば乗り越えられて今では二番手の部隊を相手にしているような状態で、一応は挟撃状態のはずの先陣を攻撃できていない。
「浅井殿も奮戦しておりますが侵入は止まらず」
「まったく、これが武田騎馬隊か!」
「いきなり一番強い所を持って来て一気呵成に突破しようなど……」
「これが武田信玄の戦い方とは思わなんだわ!」
斉藤利三が唸ったように、光秀もまたこの戦い方は予想外だった。予想外なればこそ体制が整わず、一方的に押されている。
だいたいがだ、内藤昌豊と言う武田の中核の将が死んだと言うのにこんな元気なのはおかしい。だとすれば昌豊以上の武将がここにいると言う事になる。そして光秀は、そんな人間を二人しか知らない。
「山県、それとも馬場……」
あるいは両方かもしれない。武田四名臣と言われるうちの三人が揃っているとすれば、それこそ単なる貧乏くじとか言う次元を通り越した災難である。
戦場に来ておいて死にたくないなどと世迷言を抜かすつもりもないが、ほとんど数合わせ同然に派遣されてこんな危険な目に遭うなど話が違うのではないかと吠える権利ぐらいはあるはずだ。
「援軍を頼むのは心苦しいのだが!」
「わかりました!おい誰か!ここには武田の一番強い所が集っている旨伝えてくれ!」
数の多い織田、地元の徳川に比べれば浅井が弱い事は考えればわかる。だからこそその前面に大軍を置くと最初読み、その上で全軍ともほぼ半分の兵に分けながら本隊の位置をごまかすようなやり方を取った時点でほんの少し油断してしまった結果がこれだと言うのか。
(武田信玄、やはり稀代の策略家よ……!)
あるいは戦前にもう少し浅井軍の防備を厚くするように信長に頼むべきだったかもしれない。そんな後悔ばかりが光秀の頭を支配し、とにかく寄越した使者が一人でも多くの援軍を引っ張り込んでくれる事だけを祈りながら指揮を執っていた。
浅井軍全体に二百しかない銃を百丁も持った明智軍の攻撃により武田軍の先鋒は倒れ込む。しかしそれでも敵は全く止まらず、平気で屍を踏み越えて来る。
光秀の目にも、武田軍の得物の光が入り込む。まだ届きはしないものの、それでも恐怖といら立ちを増幅させる事は変わらない。
誰でも良い、目の前に立ちはだかるのが悪いのだと言わんばかりに刀槍が繰り出され、ついには桔梗紋の旗を差した軍勢が倒れ出す。
「内藤昌豊は死んだぞ!これが我々の力だ!」
「なれば修理(昌豊)の仇を取るまでの事だ!この馬場美濃の刃を受けてみよ!」
「そのようなやり方で、武田に勝利をもたらせられるとでもっ!」
「こんな程度の数を止められない軍勢を守るのが勝つ道だとでも言うのか?」
「武田の中核を全部潰してしまえば次代はおしまいだぞ!」
「新しい中核は残っておるわ!」
その上に相手を威圧しようとしてうっかり昌豊の名前を出して馬場信房と言う名前をぶつけられてしまい、敵の士気はまったく下がらない。これまで幾たびも死線をくぐり抜けて来たはずだと言うのに、光秀の背筋は寒くなる。本当に強い軍勢が、正確かつ命を惜しまずに突撃して来るとこうなるのだと言う事か。
そしてついに、光秀に向けて刃が飛んで来た。槍で勇敢にもその命を捨てに来た男を亡骸に変えながら、こんなところで死ぬのかと己が不運を恨みもした。
「申し上げます!柴田様率いる軍勢が援軍として到来!」
「ありがたや!皆の者聞いたであろう、もう少し踏ん張れ!浅井殿にも伝えよ、援軍が来たと!」
そんな苦難の中吉報が届き、笑みを取り戻した光秀は勢いに乗って政澄に向けて使者を送り、その上で必死に槍を振る。
「先頭の勢いが鈍っています!」
「今だ、全軍で押し返せ!」
敵軍の勢いが鈍った。ここしかないかもしれないとばかり、鉄砲隊以外の全軍を押し出させる。ここで陣から追い払えば自分の任務は達成できる、浅井の大将にも面目は立つはずだとようやくほんの少しの安堵を得た。
「申し上げます、浅井殿がおりません!」
「何を言っているのだ!」
「浅井殿は既に柵を飛び出し、馬場勢へと向かっています!」
———―こんな言葉を飛ばされるまでの、ほんの少しの時間であったが。
浅井軍の大将である政澄と言う男は、清綱と比べてもとても度胸のある男には見えなかった。久政寄りである故に家中で孤立気味とか言う話を信長を通じてつかんでいるが、だからと言って長政に表立って叛旗を翻すような事はできないだろうと踏んでいた。
そして同時に、柴田勝家と言う織田軍一の猛将が来たからと言って俄然やる気になって兵を進められるほど調子に乗れるような人間でないとも思っていた。
そんな人間がなぜ動くと言うのか。
「まさかとは思うが藤堂……」
「ええ、藤堂様から馬場軍の側面を突くようにと」
「それが理由かっ!」
破られれば負けと言う本陣から、兵をもぎ取って行く。乱暴きわまるやり方だ。
まあ後続を断ちきってしまえば一軍や二軍突破した所でと言うのはわかるが、だとしても大将の軍まで動かすなど何様のつもりだ。
「赤尾殿に申し上げられよ!ふざけた」
「十兵衛、何の話だ!」
怒鳴りつけてやろうと思っていた所にまったく折悪く飛び込んで来た柴田勝家が政澄のいた個所に入り込み防衛体制を整え、一瞬隙を付いたかに見えた馬場軍を押している。
その上に浅井軍の側面からの攻撃が効いており、その上引き返して来た田中軍も馬場軍を挟む事ができるようになっていた。
「し、柴田殿……」
「ふざけたとは何だ!馬場がここにいると言う事か!」
「私が、いや秀満が柴田殿から兵をもぎ取ってぶつけるような事ができるのかと言う話です!」
「それで勝てるのならば別に良かろう、それにしても浅井の前に主力を置いておったとは武田めやりおるわ!」
「まさか……!?」
あの藤堂がまた何かやらかしたとでも言うのか。
昌豊の存在を関知するやこの辺りに主力軍ありと言わせ、この場所を守るために信長に面会を申し込んだとでも言うのか。
「何を考えておる、織田本隊に突っ込んだ武田軍はさほど強くなくてな。なればこそわしはこうして手空きだったわけよ。どうやら徳川殿の側も一益の活躍もあろうが似たような調子だったわけで」
「もしそれが藤堂とか言うただの浅井の部将の命令だったとしたらどうなります!?武田の主力がここの前に集まっていると言う事を真っ先に関知できたのはおそらくその一部将!その一部将の命を」
「桶狭間にて一番手柄とされたのは今川義元の位置を伝えた男であって討った男ではない。それがお館様のやり方だ。それに内藤昌豊の声が浅井にしか届かないとでも思っておったのか?」
勝家はかつて、高虎に一騎打ちを吹っ掛けて逃げ回られた事がある。それ以来高虎とか言う生意気な若僧の頭をぶん殴ってやりたくて仕方がないはずだ。
だからこそこうして誘ったつもりだったのに、まったくわかっている様子がない。公私混同していないと言えば体裁はいいが、とても気合に満ちたいつもの勝家と同一人物とは思えない。
「平気で逃げるのもまた才能だ、そうお館様はおっしゃられた。わしは首を横に振ったがな、だとしてもそこまで言われると情けないを通り越してうらやましいのだ」
「柴田殿!」
「だからあくまでも情けないと言っておるだろうが、わしらも今から突っ込むか?」
結局のところ、勝家だって信長の家臣であり、信奉者なのだ。
いつどこで言い含められたかはわからないにせよ、信長から直々に言い聞かせられればこうもなるだろうと言うのはわかる。取り分け純情そうな勝家など一発で転んでもおかしくはないのもわかる。
「まもなく馬場軍は崩壊する!一兵たりとも生かして返すな!」
馬場軍に全ての思いをぶつけるつもりで、光秀は得物を振る。目の前で血しぶきが上がろうが首が舞おうが知った事かと言わんばかりに、勝家よりずっと過激な命令を出す。
馬場信房を斬らなければ、このいら立ちは収まらない。傲岸不遜な若僧の鼻を明かしてやらなければ、この戦には何の意味もない。
何が本陣だ。そんな物どうでもいい。最初に兵をもぎ取って行ったのはどこの誰だ。
もう柴田軍が来たし用なしだろう。自分だって浅井殿のように出てやる。
「馬場信房、討ち死に!」
そう決めた傍から、こんな言葉が飛んで来た。
政澄軍に側面を突かれ体制を崩され、そして後方からやって来た田中軍により次々に部下を討たれ、最後には吉政により得物を合わせる暇もないままに首を飛ばされたと言う。
あまりにもあっけない死に様。吉政自らが声を張り上げそれに皆浅井軍が同調しているからおそらくはその通りなのだろうが、正直まったく喜べない。
ただただ、腹立たしさとやるせなさだけが心をわしづかみにする。
(まだ、まだ内藤昌豊の方がましな死に様だ……!)
不死身の馬場美濃と呼ばれた名将の死に様としては、みじめであった。昌豊とて十人ほどの道連れを作ったと言うのに、信房は実質一太刀も打たない間に討たれた事になる。
「馬場軍が崩れません!」
「本当に討ち死にしたのか!」
「間違いないはずです!」
その挙句、大将を討ち取ってなお、馬場勢は倒しても倒しても引き下がらない。馬場信房さえもひとりの兵であるかと言わんばかりに、自分たちが敵を倒せばよしと前ばかり見ている。
その恐ろしい軍勢とその仲間の軍勢の大将を、二人とも単純な数の力で殴り倒してしまったのが高虎なのだ。信房を実際に討ったのは高虎ではなく吉政だとしても、勝たせるための手を打ったのは高虎だった。
そして勝つための兵力は、たかが一部将のくせに大将や援軍である自分たちから平気でもぎ取っている。
あまりにも図々しい戦ぶりだ。
「利三……」
「殿」
「死ぬなよ、こんな戦で」
内藤昌豊に続く馬場信房の討ち死にの報も、ただただ空しかった。あるいは信長なら同じように戦を終えても少しは爽快感のあるそれになるのかもしれないが、高虎とやらの戦はどこまでも横暴で、強引で、乱暴だった。
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