内藤昌豊、天竜川に散る
武田菱の旗ばかり並べたのも、全てはこのためだ。
(昌月はよく育っている……わしはお館様と共にここで死ぬ)
一応風林火山の旗を勝頼と言う次代の後継者に与えてはいるが、後はどこが強くどこが弱いのかわからないように全て武田菱の旗を並べていた。
そう、信玄でさえもだ。
先鋒が馬場信房、次鋒に山県昌景、本隊が武田信玄。
そして、脇を固めるのがこの内藤昌豊。
これが、対浅井の布陣だった。武田家の中で一番強い所を集めた軍勢であり、なんとしてもここを突破して勝利を得るためのぎりぎりの兵の分け方だった。あえて戦力を分散させ、どこに主力がいるのかわかりにくくさせる。
(そして強き刃を持って、弱き盾を打ち砕く!まあ、刀剣とは結局消耗品なのだからな…………)
名刀とか言った所で、しょせんは実用品であり人を斬れば斬るだけ血や油によって切れ味は鈍る。鍛え直しても最初の破壊力は戻らず、いずれはさび付いて使えなくなる。
(この辺りがしまわれるべき時なのだろう。だが敵の手によって煮られるのだけは勘弁してもらいたい物だ。それにしてもあの水、実にうまかったですぞ)
戦の前に交わした水杯の味を思いながら、昌豊は敵勢に突っ込む。正面からの突撃を凌げないと見るや脇に回り込もうとする姿勢はなかなか悪い物ではない。
だがそれでも、しょせんは一揆衆ぐらいとしか戦わなかった兵だ。大将もいない程度の間に合わせの兵に過ぎない以上、真っ正面からぶつかれば崩れるだろう。
「逃げる者は敵と同じだ!」
戦前に下していた過酷な軍令、その上で皆飲み込んでくれた軍令を再び叫びながら、自ら突入する。
見た所数は二千。倍に過ぎない。ただただ愚直なまでに突撃すれば、それだけで十分に打ち砕ける、そう判断して一挙に突っ込む。
だがその途端に、急に敵先陣が北にずれ出した。さらに北側に回り、自分たちの後方を突く気だと言うのか。
「兵力を分散させるなど愚の骨頂!このまま一挙に前面を突き破る!」
浅井の家紋が並ぶ中、ただ一角だけ蔦紋の旗が並んでいる。おそらくはこの部隊の大将らしき人間がいる部隊。
その部隊の主が配下を置き去りにして一体何をやっているのか、ただでさえ数を減らした上に大将自ら孤立しに行くなど!この好機を逃す手はあるまいと昌豊は自ら槍を振り回して突撃する。
そうやって残された軍勢を一挙に突っ切ろうとした時、後ろからまた別の軍勢が現れた。
「朝倉だと!」
間違いなく朝倉景鏡だ。信房や昌景が押さえていたはずの軍勢がなぜこちらに回って来るのか。確かに赤尾清綱は浅井の中でも名の知れた将だが、だとしても二人の突撃を受け止められるかはわからない。
「藤堂殿を守れ!」
冴えない見た目のはずの朝倉景鏡が、自分にも負けないほどの気合を持って軍勢をぶつけて来る。それに伴い藤堂とやらの軍勢も突き進み、襲い掛かる。
「ええいひるむな!こんな苦し紛れに惑わされるな!ここを抜ければ浅井軍本陣なのだぞ!こちらが駄目でも残る二軍が何とかする!」
昌豊は吠えるが、景鏡軍も本腰を入れている。正面衝突はいいとしても数の差が千対二千から千対四千以上になってしまっており、その上気合負けもしていない。
精鋭部隊に精鋭部隊がぶつかり、お互いの手駒を削り合っていく。
「喰らえ!」
「貴様など!」
「その首を寄越せ!」
「浅井のために死ね!」
「武田のために散れ!」
将兵たちが相手をののしり合いながら刀槍を振るい、屍の山を築き上げて行く。
その戦場ではありふれた光景とともに、昌豊の顔に冷や汗が増えて行く。
「まずい、このままでは消耗戦になる……」
一番避けたかった展開だった。五千対一万五千で真っ正面からぶつかれば、こっちが全滅してもまだ相手には一万人が残っている事になる。だからこそこちらとしては一挙に主力をぶつけて、足軽たちのぶつけ合いにならないようにしたかった。
これでは相手の主力部隊を削れるのはまだいいとしても、こちらの主力部隊まで削れてしまう。
「突っ切れと言っている!」
昌豊自ら敵を討ちにかかるが、それでも朝倉軍の動きは止まらない。
元からここで死ぬのは覚悟していても、このまま陣を突き破れないのではただの犬死だ。それだけは避けねばなるまいと得物を振るうが、戦果にはまったく結び付かない。二、三人血祭りに挙げた所で、すぐさま後ろからやって来る。
「すべての兵を」
こうなれば一兵たりとも残さずぶつけるしかないとばかりに後方に控えていた足軽部隊を繰り出そうとするが、ほんの一瞬だけ早くその後方から歓声が上がった。
ついに、敵の部将が間に合ってしまったのだ。方向を整えた軍勢が一挙に残していた足軽を狩り、数を削り取って行く。
自分たちの足軽が武田の足軽とぶつかれないのならば、自分たちの主力で武田の足軽を潰してしまおうと言うのか。数でこちらを受け止め、その上で自分たちを潰しにかかる。
力任せの部類に入るとは言え、兵数に物を言わせるやり方としてはなかなか巧みではないか。
(だが、なればこそこの軍勢を潰すのには意義がある!)
前面の軍が逃げなかったのは、おそらく部将の信頼の為せる業なのだろう。逆に言えばその部将さえ倒せば敵軍は一挙に崩れる。一発逆転も可能なはずだ。
「敵の主力はむしろ後ろだ!」
後方に向きを変えながら、奮戦する自軍の兵をすり抜ける。
やがてたどり着いたその先では、蔦紋を掲げた部隊が自分たちの足軽を狩っていた。
中央に立つのが大将かと思ったが、それにしても若い。
「まさか貴様、田中久兵衛か!」
「私は藤堂高虎だ!」
「わしは内藤昌豊ぞ!」
「これは栄誉な事!藤堂高虎、お相手いたす!」
藤堂高虎、あの天魔の子。
加賀にて僧たちを容赦なく斬り、一向宗を事実上壊滅に追い込んだと言われる恐ろしき存在。それがこんなまともに髭も生えていない若武者だったとは。
その太刀を握り込んだ若武者は、自分の名を聞いて興奮したのか、目も鼻も思いっきり開かせている。
――お上りさん。それが昌豊の抱いた第一印象だった。おびえるではなく感動して、それにより興奮しているのだろう。
だがしょせんは一向宗相手に勝ち誇って来た田舎侍、本当の恐怖を知らないはずだ。
「覚悟せよ!」
若武者は経験を積んで熟練の武者となる。そうなる前に死んでもらわねば、いずれは武田にとって大敵になる。だからこそ、今のうちに芽を摘み取っておかねばならない。
最初から本気だと言わんばかりに槍を突き出す。そこいらへんの男なら、何もわからないまま突き抜けているほどの速さの槍。だが高虎は体をよじって交わすと、太刀を槍に叩き付ける。それだけではっきりと器のほどがわかった。
本気の本気でかからねばこちらが死ぬ。槍をすくい上げて体勢を崩しにかかるが、それでも高虎は動揺せず斬りかかる。
高虎の太刀を昌豊が槍で受け、昌豊が槍を叩き下ろそうとすれば高虎は斬り上げて弾き返す。
「ええい!この!」
十合、二十合と斬り合い続ける。なかなか押し切れない。
どうにかして、この目の前の敵を斬らねばならない。信玄がそう思っていたように、勝頼や昌月のためにもこの男を残すわけには行かない。
後生畏るべしとはよく言うが、田中久兵衛だけはなくこのような武者まで浅井にいるとはと言う焦燥と不安に駆られ、目の前のこの将来の大器を叩き割らんと必死に槍を動かす。
だが四十合まで行った所で、急に高虎が距離を離した。
「勝負はお預けだ!」
「逃すな!」
「完全に誘導です!」
「うるさい!あの男を放置していては武田全体が取って食われるわ!」
まだ二十歳になっているかいないかわからない若武者、それが自分と同い年になるまで生きているとすれば、あと三十年は手こずらされる。そして今以上に大きくなろう物ならば、それこそ今の武田家ですら敵わなくなるかもしれない。
「わしの最後の敵かもしれぬ、あれと刺し違えられるならば本望よ!」
「わかり申した、お供いたします!」
昌豊は前線の兵を置き残し、数十名の兵と共に高虎を追った。相討ちでも良い、なんとかしてこの将来の敵を潰さねば武田はおしまいだ。その思いを込めて馬を走らせる。高虎の背中を追い回し、西へ西へと突き進む。
その間にも自分の軍勢が浅井と朝倉の大軍に呑まれて行くが、振り向く事はしない。ただただ、たったひとりの男を追いかける。
その悲壮な追撃は、一発の銃声と共に終わった。
「ああ!」
その銃声によりひとりの近習が倒れる姿を目の当たりにした昌豊の頭が急に冷え、そして絶望が襲いかかった。
昌豊たちはいつの間にか、百名近い足軽たちの中に囲まれていたのだ。
「今しかない!さあ行け!」
その一瞬の隙に反転した高虎の号令と共に、足軽たちはいっせいに襲い掛かる。
「俺の手柄になれ!」
「待て、俺のもんだ!」
目先の手柄に飛びつく浅ましい兵たちが次から次へと襲ってくる。そしてその連中を薙ぎ払うべく槍を振り回して追い払ったが、その結果生まれた隙を見逃す高虎ではなかった。
「ぐぐ…………!」
高虎の太刀が左肩を切り裂く。槍をかろうじて握ろうとするが力が入らない。
道連れを作ってやろうと振り回すが、二人を斬ったと同時にさらなる痛みが走り槍が手から滑り落ちた。
そしてその槍が着地する前に、背中に猛烈な痛みが走った。その痛みは喉をこじ開け、これまでの昌豊の人生で一番の大声を出させる。
「ぐぁぁぁぁ!!」
その痛みの根源が背中に出ている事に気付いた途端、自分の体がゆっくりと崩れて行くのに気付いた。
そして同時に愛馬から落ち始め、一足先に落下していた愛槍が地に落ちて音を立てるのと同時に、稀代の名将・内藤昌豊の人生も終わった。
その首が胴体から切り離されると同時に胴体は浅井軍の足音を聞きながら、土くれの一部となるための活動を始めた。
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