藤堂四葩、花嫁修業する

 さて婚儀を終え夫婦となった四葩は、いよいよ本格的に家事に取り組む事となった。



 千石の屋敷とは言え、一乗谷城のそれから比べれば小屋でしかない。そんな中に夫だけでなく舅姑、さらに一乗谷の時から比べればずっと少ない使用人。

 その上に石高こそともかく、事実上高虎の家臣となっている景鏡の屋敷に住まう妹たちの面倒も見なければならない。










「お義母様、まずはとくとお教えくださいませ」



 苦労したとは言っても、しょせんはお姫様であり人質として疎外される苦労しかしていないのが四葩だった。

 そのまったく家事について習熟していないお姫様が庶民の着るような麻の着物をまとい、高虎の母に向かって姑だからと言う理由だけで深々と頭を下げた。


「私はただの百姓の娘ですよ」

「お義母様、そのような言葉遣いはおやめください。私はもう、あなたの義理の娘です」

「じゃあ四葩、まずは包丁を握ってごらんなさい」


 高虎の母は包丁を手に取り、粗末なまな板に向けて包丁を下ろした。その手は実に節くれだっており、かつては夫と高虎のために相当使って来た事がよくわかるそれだった。自分のもいずれそうなるのかと思うと、四葩はそれがむしろ楽しくもあった。



 野菜を切り、米を炊く。その傍には乱雑に薪が並べられている。


 さすがにもう高虎自らする事はないが、その高虎の直臣を気取る越前出身の山﨑庄兵衛長徳なる男が、少し柄が長すぎる斧を振り下ろして薪を作っていた。


 包丁に比べれば案外と軽い事に安心しながら、四葩はその薪をくべる。


「あくまでも高虎の分だけだからね。私たちの分は私たちのそれで作るから」

「申し訳ありませんが、今日は旦那様にはまだ……」

「そうそう、まだまだこれからだよ。早くうちの息子にうまい飯を作ってやれるようになりなさい」


 自分が十三歳の時どうだったのか、そんな事を誰も教えてくれないまま自分が一家で最年長の女性になってしまった。


(どんな家でも嫁げばこれだけは欠かせぬはずなのに……芸事を教え込むのもいいですけどどうしてこの程度の事さえも)


 ましてや義景は名家気取りで過ごす事を恥じないような人物で、四葩にも花嫁修行など大して積ませておらず、歌や花の稽古などばかりさせていた。それこそ大大名なり貴族なりに嫁ぐ事だけを考え、そのような人間に仕立て上げようとしていたからそんな事はさせて来なかった。

 逆恨み以外の何でもない事はわかっているが、だからこそ四葩の高虎の母と言う年長の女性にかける思いは強かった。



「本当、殿様のお付きの方のご指導が良かったみたいで何よりね」

「私はぜいたくな女かもしれません」

「ぜいたくってのはそれをぜいたくと思わないからぜいたくなんだよ。本当、ここまでいっぺんにでかくなっちまってもあの子はあの子だからね」


 戦場でどんなに功績を立てようが、母親にしてみればあの子なのである。

 四葩が何であろうとあの子の嫁であり、山﨑庄兵衛たちもあの子の部下である。


「あなたにはあの子の後方をきちんと守ってもらわないといけないからね。千石ってのは千人分の米が取れるって事だろ?千人分のそれを背負わなきゃいけないと思うと私だって肩が重いんだから」

「とくと教えて下さいませ!あとその……」

「何だい」

「いえ、これはその、あくまでも旦那様ありきの事ですので、その前に掃除か洗濯を教えていただければ」

「はいはい、わかったよ」


 高虎への好意を素直に語った四葩が急に赤くなり、体をくねらせ出した。それと共に高虎の母もまたその意をくみ取り、大口を開けて笑った。










 だが四葩により雑な切り方をされた野菜は、まだ高虎の胃袋には届かない。高虎には母親と侍女の作ったそれが届き、四葩が切ったそれは自分の胃袋に入る。


「母上、なぜまた今日は」

「彼女が料理の仕方を教えてくれとうるさくてね、それでですよ」

「まだ不慣れな物で、今後是非とも旦那様のために」

「雑でも味が変わるとは思えませぬが」


 新婚早々双親と共に食卓を囲む事になった高虎の言葉に思わず四葩は頬を赤くした。あれほど盛大に好意をぶつけたつもりなのに、いざこうして好意を示されると急に箸が動かなくなる。


「高虎、彼女を好いておるのであれば今宵辺りどう?そうでしょうあなた」

「母上!」


 そして親子四人での食卓で母親からいきなりそのような話をされた高虎も、四葩と同じ色になった。


 その事に対し男女どちらが積極的かは論の尽きない話であるが、実際その事もまた妻には重要な仕事である。高虎がさらに出世すれば側室とか言う話もなくはないが、基本的には正妻の子の長男が家を継ぐのが決まりだ。


「と、とは言えその道もまるで不慣れゆえ」

「おい四葩!」

「わしが教えても良いのだが」

「あなたは高虎と男同士で教え合ってください。女には女のやり方があるのですから」

「そうか、なれば今宵は男子同士……」

「それがしにはまだ小姓を囲う甲斐性も趣味もありませんぞ、何ならそれがしが小姓みたいな物なのに」


 織田信長と前田利家と言う名前はともかく、朝倉家内部でもそのような関係があった事ぐらいは四葩も知っていた。だがこうして義父から実際に言われてみるととてつもない場所に足を踏み入れたような気分になり、あわてて口の中の物を嚥下して平静を装わなければいけない気分になった。


(やはり私はお貴族様なのかもしれません。こうしてつい先ごろまで庶民であった家に嫁いでみると、自分が本当別世界の人間であるとはっきりわかります。でもその上で決めた以上、郷に入っては郷に従えと言う事なのでしょうね)


 無用な遠慮もなく、言うべき事は言い合う。これが親子であり、夫婦だ。なれば今後は自分もそうならねばならぬと思いながら、義母の家事を見るのと同じ顔をして三人の食卓を見つめた。






 それから毎日毎日、雪が増えてもなお家事について先達である義母の下に通っては家事を教わり、それができない時は権限を振りかざして侍女を呼び付ける。


 その上でもちろん、他にすべきこともする。妹たちの家に通っては最近羽振りが良くなっている景鏡らと共に言葉を交わし、おもちゃやお菓子などを与える。そうして適当にたわむれて家に帰り、また家事の指導を受ける。


「まったく、戦がないとここまで武士とは情けない物とは思いませんでしたな」

「それにしてもこの雪ってのは本当に大変だな」

「藤堂様、ここでも奥方様に一枚取られましたな。それで、励んでおられますか」

「ああ、その上で励んでいるのだからな。しかも向こうから求めて来るのだからな」

「ああこれは奥方様、どうも失礼いたしました!」


 その精力的な活動に、雪に埋もれてまともに出仕の用件すらなくただ稽古ばかりしている高虎と長徳も圧倒されていた。その上で男同士でしか言えない事を話し合う所に出くわし、クスリと笑うぐらいには四葩もこの生活を楽しんでいた。




※※※※※※※※※




 やがて新婚家庭に釣られた訳でもなくやって来た雪解けの頃、一通の書状が高虎に届けられた。


 そこに高虎の父親で、一応役どころとしては高虎領千石の代官と言う形で浅井家に籍を置いている虎高の存在はない。あくまでも高虎への書状だった。




「織田様は奥方様と座を共にする事も多い。羽柴様に至っては共に思案を練る事もまれではないと聞く」


 高虎は二人の真似をするかのように、四葩を同席させながら書状を開いた。


「近年、堺の商人より甲州碁石金の価値が落ちているとの報が入っております。その碁石金がもしなくなれば、武田は大きく退勢状態に陥ります。その事をどうか浅井備前守様にお伝えくださいませ。それがしの事は四葩様にお伺い下さいませ」



 意味の今ひとつわからない書状と共に、見慣れぬ署名がなされていた。



「これは誰だ」

「ああこちらは、本多正信様と言うお方です」

「どなただ」

「加賀にいらっしゃった武士で、かつては一揆軍にいたそうです」

「そのお方がなぜまた」

「一揆軍を支配していたのは僧です。僧たちに取って武士は邪魔であり、自分たちの権勢を補強するだけの道具でしかありませんでした」


 軍勢ならば、それこそ宗教で縛り付けた農兵を駆り出せば良い。下手に武士に力を持たせれば、反抗して来る危険性がある。ましてや織田のように仏法を恐れない相手となれば、個人的な戦力差で押しつぶされるかもしれない。

 だから頼照や頼周は武士を嫌い、自分たちに従順だった景紀も朝倉再興と言う名目に酔いしれる扱いやすい手駒としてしか考えていなかった。その彼らのほとんどが現在浅井家に仕官している事は言うまでもなく、正信もまたその一人だった。


「で、なぜその本多正信と言う方は」

「徳川様の領国でも一向一揆が起きたのはご存知でしょう。もっとも、私もあなたの妻になって初めて聞いたのですが」

「ああ知っているが」

「その時の一向一揆の指導者のおひとりだったそうです」

「なぜお前は知っている」

「あの恋文を記し、景鏡に届けさせたのが本多様だったからです。今は景鏡様の下で経理をしているとか」

「もったいないように思うのだが」

「大きくは使えないのでしょう、浅井はともかく徳川様にはいろいろな問題もありますゆえ」


 徳川に対する謀叛人と言うべき正信を、徳川の同盟勢力である浅井が勝手に仕官させるのはあまり感心できる話ではない。

 一応藤堂高虎の家臣となっている、つまり長政からすれば陪臣である景鏡の部下として食い扶持をくれてやってはいるが、それだけでもあるいは問題かもしれない。










「やっぱり来たか」

「やっぱりとは」

「本多正信と言う人間から、景鏡を通して書状が届いている。甲州碁石金の品位が落ちたと」


 急ぎ金ヶ崎城へと向かった高虎だったが、長政からまったく予想外の言葉をぶつけられて叩頭したまま動けなくなった。


「まったく、お主は実に分かりやすい。そして本多正信と言う人間も実に見事だ。わしがどうしたら動くか見極めている」


 阿閉貞征や赤尾清綱、磯野員昌と言った重臣たちは本多正信などと言う個人の事はどうでもよく、あくまでも浅井家中心に考え冷静な判断を下すはずだ。

 遠藤直経ならばなおさらだろう。


「おぬしは走り出したら止まらぬ男だ。妻を守ろうとした人間を欲しいのだろう」

「それは無論」

「そなたは出兵したいか」

「はい」


 二十代の主人と十代の部下が、好き勝手にはしゃいでいる。年かさの人間たちが制止する暇もなくすっかり乗り気になった二人の手により、すぐさま重臣たちによる会議が執り行われる事となった。




 ほどなくして会議が開かれ、加賀の守護代として任じられた磯野員昌と今浜を守る赤尾清綱を除く浅井の重臣が集められ、左右に筆頭として阿閉貞征と浅井政澄が控え、高虎と吉政も端の方に座る事を許された。




「おい与右衛門、何をそんなに浮かれている?」

「それはもちろん、こんな大事な舞台の末席に身を置けるのだからな!」

「お前のそう言う所、うらやましいよ……」


 誰もが唐突な招集、しかし小谷城よりずっと早く集まる事ができた分だけ戸惑いが少ない中、高虎だけははしゃいでいた。

 無理矢理に渋面を作り吉政に向かって首を縦に振り、この舞台をただ楽しみにしている。吉政にとっても初舞台であったが、居並ぶ重臣を前にして場違いと言う気分ばかりが頭の中にうずまいていた。


「さて、武田が徳川殿の領国を狙っている。徳川家には恩もある。もし徳川殿の領国が武田に渡る様な事があれば織田も危ない。織田の危機は我々の危機でもある。そこでだ、援軍をこの浅井としても送らねばならない」

「武田と申されましても」

「言ったであろう、武田によって徳川殿の領国が脅かされれば次は美濃であり尾張だ。そのまた次はこの越前や近江なのだぞ」


 座が落ち着いたのを見計らい、長政が口を開いた。

 ずっと北ばかり見て来た浅井家の人間に取って武田は遠い場所であったが、それがかなうのも織田と徳川が後方を守ってくれているからなのも事実だった。


「援軍と申されましても」

「いかほどの人数が動員できるか、それが問題となる」




 浅井家は昨年一国を奪うほどの大戦をしており、とても百二十万石相応の戦力は出せない。

 いくら戦がそのひとつだけで、かつ若狭は同盟国、丹後・能登・越中は弱小と言っても国外へ連れて行ける兵には限度がある。



「それで、加賀・越前・北近江からどれほどの兵を出せる」

「加賀の兵はほぼ無理でしょう、越前は……」

「越前の去年の政はそれなりにできている、だが一万五千は無理だ」

「そして北近江からは三千人がせいぜいか……」


 加賀の大地は疲弊しており、能登や越中の国境に残す兵を捻出するだけでいっぱいいっぱいである。北近江は本国同然だが、さすがに丹波や若狭の国境には兵を残さなければいけない。


「越前の兵を動員するだけしても、およそ一万が限度かと……これが夏ならば一万五千でも出せますが」

「合わせれば一万三千か」

「一万三千ですと、救援にですか」

「ああ、そうだ。先にも述べたようにかつてこの越前を巡る戦いで徳川殿はその必要もないのに命を的に朝倉軍に当たってくれた。今度はこちらが行く番だろう」

「これより農繁期ですぞ」


 長政は浮かれたように一万三千と軽く言うが、貞征以下誰も乗り気な顔をしない。


 貞征の言う通り、この農繁期に農兵を出す事は出来ない。一応専業の武士はいるがその数は多くなく、現在の越前の動員兵力は一万がせいぜいである。その上にまだ浅井に人心が懐ききっていない加賀の事を考えると空っぽにする訳には行かない。

 それに兵を興すと言っても、一万三千と言う数ははいそうですかと出せる物ではない。兵糧、武具、薪を始めとした雑具その他の用意がなければとても無理である。


「武田だってそうだ、農繁期が終わるまでは兵を出せないだろう。とは言えそれが終わればすぐに来る」

「一万三千と申されましても」

「整えて置いてもし不要と言われれば」

「能登に向かうか、それとも丹後へ行くかすればいい」


 ずいぶんと口の軽い主君を横目に、貞征はかつての部下であった高虎をにらみつける。


 お前がそそのかしたのだろう、こんなたかが援軍でお家を傾かせるとはあまりにも若すぎる、無謀ではないかと敵将に向けるような顔をするが、高虎は馬耳東風と言わんばかりに無理矢理作った渋面のまま長政の方ばかり見ている。

 貞征だけでなく、吉政以下多くの将が高虎をにらんでいた。


「それで大将は」

「政澄に頼む。その上で、副将を赤尾と朝倉景鏡殿に任せる」




 ――副将、朝倉景鏡。その言葉が、全てを現していた。




 この援軍の実質的な責任者が一体誰なのか。勝利を得た時の功績も、損害を出した時の功績も、誰の肩に乗っかるのか。


「それでは失敗した場合は」

「ああ、将たる物責任を取らねばなるまい」

「重き任務ではありますが、やってみせましょう」


 政澄が長政の言葉を引き取って頭を下げ、そして高虎の方を向いてにやついたのは、まったく自己顕示欲から発したしぐさではない事を全員が感じていた。




「ではこれで決定だ。軍備が整い次第、早速兄上に書状を送る。ああそれから、徳川殿にも別口でな。では下がって良い」


 長政の散会の合図と共に、政澄以外の将たちは大広間を後にした。高虎の前後には誰も立つ者はなく、わずかに吉政が距離を開けているのみだった。












「政澄……」

「惚れこむのは奥方様だけになさった方がよろしいかと」

「何、わしは別に惚れているつもりはない。自分の尻は自分で何とかせよと言っているだけだ。では早速出兵の準備を整える事にするぞ」


 自分の息子と大差ない年齢の人間の御守をさせられる運命になって見ろと言う政澄の文句にも気づくことなく、長政は次なる位置へと進もうとしていた。

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