第四章 天魔の子vs甲斐の虎

藤堂高虎、嫁を貰う

「何かと不如意もおありでしょうが」

「弟がおらぬことが唯一最大の不如意です」


 雪に包まれた金ヶ崎城の中で、四葩は笑顔で白湯をすすっていた。

 元亀四(1573)年、三年ぶりに帰った故郷で迎えた正月だった。


 新年はいつもこの通りなのが越前であり、これが四葩にとっての日常だった。




「奥方様はどうでしょうか、この雪にも慣れましたか」

「私はどうも。近江も雪は多うございましたが、ここまでではございませぬ。ましてや尾張などほとんど……」

「その知恵だけならばご教授できそうですね。まあうちの旦那様に先にしておりますが」


 お市から畳三枚離れた下座に座る四葩は、口元に手を当てて笑った。正月の宴もひとしきり終わった新たなる浅井家の本城で、四葩はまた茶碗に口を付けながら笑った。


 四人目のできているお市が自らの腹をさすりながら、四葩の腹にも目をやる。そしてわずかなふくらみを確認しながら、慈悲をこぼれ出させる。


 それだけで、正月の祝典の参列者は皆幸福になれた。



※※※※※※※※※




 昨年の夏に加賀から救出された四葩たちは、すぐさま越前へと護送された。


 侍女すらもほとんどいない、寂しすぎる里帰り。


 しかも生まれ育った一乗谷城ではなく金ヶ崎城と言う名の、浅井が、浅井の手により、浅井のために作った城。

 そう、自分たち朝倉の支配下同然であった家の作った城。


 それにとどめ置かれること自体、あるいは耐えられないかもしれないとまで景鏡は思っていた。




「姫様、誠に大変でございましょう」

「特段何の問題もございませんが」


 仮住まいとされた金ヶ崎城内の御殿の部屋で、四葩に向けて景鏡は深々と頭を下げていた。一応朝倉家の重臣であった身としては、主君の娘には平身低頭する他ない。


 四葩の着物、長政とお市により与えられた着物は景鏡にはどこか不格好に見えた。


 元々着ていたであろうそれは妹たちのために売り払ったのか、見つかった時は朝倉家の姫とは思えぬほどにみすぼらしい姿であり、景鏡より先に高虎の方が口を押えてしまったほどだった。


「姫様がそのようにお元気であれば拙者は言う事はございませんが」

「今さら姫でもありますまい。今の朝倉の当主はあなたなのでしょう」

「それは」

「もし仮にあなたでないとすれば誰です?まさか私と言うのではないでしょうね」


 自分の言葉で景鏡が鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったのを見て四葩は笑い、釣られるように景鏡も笑った。


「この二年間、このような心休まる思いをした事は一度とてありません。これこそ我々が求めていた物です」

「そうですか、これは出過ぎた事を」

「ああそれから言っておきますが、私は俗世に留まり続けます。今さらあのような所に籠る気などありませんので。妹たちにもあのような事はさせません。見たのでしょう?清貧を説きながら俗世に塗れたその姿を」


 当たり前ではあるが、加賀にも尼僧はいた。だがその尼僧とて他の僧と同じように俗世の欲にまみれ、さらに宗滴や義景の罪を説こうとするような忌むべき人間だった。

 そして女人禁制を盾に性欲を男児で発散する僧がいたように、その尼僧も女児で同じ事をしようとしていた。もし浅井が来るのがもう少し遅かったら、四葩でさえもそういう事をさせられていたかもしれない。


「景鏡様」

「景鏡でよろしゅうございます」

「では景鏡、私から二つの願い事があります」

「何でしょうか」

「一つ、妹たちは健やかに育てなるべく浅井の家臣に嫁がせる事。おそらく織田様のお許しがなくばできない事でしょうが、どうか」

「承りました」

「二つ、愛王を是非とも取り戻す事」

「ですがそちらの方はいつになるか」

「わかっております。愛王はあの混乱の最中に景紀の手の者によって連れ去られ、未だ行方は知れませぬ。私が今こうして生きていると言うのに、何を恐れてあのような真似を……」


 男児と言うだけで奪われた弟が、四葩にはただひたすら不憫だった。口では勇猛を気取りながら一揆衆に利あらずと見るやあっさり逃げ出した景紀を、四葩はもう絶対に許すつもりはなかった。


「それで、姫様は」

「四葩でかまいませぬ。私はもう決めています」

「まさか生涯生娘で」

「つまらぬ戯れを。この場に戻してくれたお方に、私はその身をささげるおつもりです」




 戦国大名としての朝倉家を滅ぼしたのは織田信長であり、そして長政もその一味ではあり罪がないわけではないが、高虎はより罪が重い。


 実際に木の芽城と言う一つの城の守将を討ち取ったのは高虎だし、壊れかけていた織田と浅井の仲をつなぎとめたのも高虎である。それこそ朝倉に忠義を誓う者としては長政以上に許しがたい存在かもしれない。


 何より、長政なら百万石の大名だが高虎はこの前の戦で加増されたとは言えまだ千石である。その生活はそれこそ義景の姫でいられた頃とはまったく質素なそれであり、おそらく炊事洗濯その他の家事もその手で行う事になるだろう。無論侍女を雇う事はできるが、それとて数は知れているはずだ。


「藤堂様の戦いはまだ続くのでしょう、でしたら私がいの一番に支える存在になりたいのです。そう、いの一番に」


 確かに長政ならば側室だが、まだ嫁のいない高虎に嫁げば正室である。それに長政がお市に注ぐ気持ちが深い事も、ほぼ一緒に暮らすようになって十分に理解している。

 ましてや四葩が十三歳なのに対し、長政は二十八歳、高虎は十七歳。長政とお市の三歳差ほどではないが、それほど不釣り合いな婚姻でもない。


「しかし」

「もちろん備前守様あっての藤堂様であることはわかっております。でも私、いや朝倉の人間に取って一向宗は忌むべき敵。景鏡とてそうでしょう」

「はい……」

「だいたい、妹たちに浅井の家臣へと嫁入りせよと言っておいて自分が総大将の側室になるなど割が合わないではありませんか」


 四葩の言葉に淀みはなく、最初からまったくその気としか思えなかった。


 妹たちの生活の事を考えれば長政の側室の方が良いのかもしれない。でもそうなればいくら長子相続が基本とは言えどうしても格差が生じてしまうのが嫌だと言うのだが、だとしてもどうも理に合わない。




「好いて、おいでなのですね」

「ええ」


 景鏡がゆっくりとその三文字を言うと、四葩はためらいもなく首を縦に振った。当時の上流階級の姫とは思えないほど積極的な行動を、顔をまるで変えもしないで取る。父親にまったく似ていない積極的な振る舞いに、景鏡の方が赤くなってしまった。


「無論わがまま以外の何でもない事はわかっております。されど藤堂様は命の恩人であり、妹たちの恩人です。その恩を直に返すには他に方法もないでしょう」

「確かにそうですが」

「景鏡はこの二年間、どうしておりました」

「当初は織田、途中から浅井にくっついて一揆と戦っておりました。本当、ずいぶんと楽をしていましたよ」

「思えばあのお方もずいぶんと楽をしていたのでしょうね」


 もはや景紀は四葩にしてみれば勝手にこの世からいなくなったり弟を連れ去ったりした、ただ迷惑なだけの存在でしかなかった。子どもの景恒とてまたしかりであり、今やもっとも忌むべき存在になっていた。


「いっその事一乗谷にとどまっておればと幾度も思いました。あの時はもうそれしかないと思いましたが、今になって思うとなぜ手を振り払わなかったのかと」

「それがしとて命惜しさに織田に身を投じた男です。藤堂殿とは違います」

「藤堂殿ですか、確かにその通りです。もはやこうして浅井に首を垂れる事が朝倉の生き残る道なのでしょう」


 四葩自身、景紀にその事を訴えた事もある。だが景紀はまったく耳を貸す事なく、一揆勢を朝倉の兵のように鍛え上げるとか言って下間頼照らに頭を下げては人殺しの道具ばかり振っていた。朝倉を取り戻すと言う自己満足と、織田と浅井への憎しみだけで動く景紀父子に四葩が親しみを持てるはずもなかった。



「よくわかりました。それがしもできる限り応援いたしましょう」

「ありがとうございます。それにしても、朝倉の血筋など邪魔でしかありませんね」

「こうやって浅井に屈従している人間に対してほとんど反抗する者がいないのが全てのはずです」

「その通りですね。もう戦は飽き飽きなんでしょう」



 越前は二年間で三度も当主が変わっていた。


 まずは朝倉家が滅び、そこに織田が入って政治を行おうとして北の一向一揆によって追い払われ、すぐさま一揆勢も瓦解して浅井家の領国となっている。


 庶民は戦に疲れていた。

 その上に織田の侵攻にまったく抗えなかった朝倉は情けなく混乱をもたらした存在であり、きっかけを作った織田も好かれていない。そして長年唯一の敵であった一向宗にも良い感情を抱けるわけもなく、消去法のように浅井家の統治はうまく行っていた。


 これを壊そうとする人間など、もう越前にはほとんどいなくなっていた。


 この二年間の闘争の犠牲者の一人である四葩の言う通り、もう越前の民は戦に飽きていたのだ。加賀侵攻の際も浅井の元々の兵ばかりで行かねばならなかったのは大地と民が疲弊していたのもさることながら、越前の民に厭戦気分が蔓延していたのも大きかった。










 景鏡を通じて四葩からの言葉を受けた高虎はすぐさま登城し、四葩と婚儀を行いたい旨を告げた。近習と言う立場でありながらその身のこなしは固く、まるでおのぼりさんのように目線をさ迷わせていた。


「ずいぶんと落ち着かんな」

「来るたびに変わる城ですから、それが……」

「それにしても高虎、この程度の事、書状だけでも良かったであろうに」

「いえその、家にいても落ち着かぬ物でして」

「家で落ちつけぬとは、一体いずこなれば落ち着くのか」

「戦場かもしれませんな」


 たった二年の間に高虎は足軽から二百石取りに、二百石から千石に出世した。

 その間に近江から越前に移住し、父母を含む家族を呼び寄せ屋敷も作った。言うまでもなく工事が行われており、今日もまた槌やのみの音が鳴り響いていた。

 当主に近い身としてその工事を見守らねばならないとは言え、近江以上に冬が早く来てしまう以上その工事はとんでもなく高速であり、それこそ四六時中の単位で行われている。


「何をためらっているのだ」

「それがその、新たなる領国と屋敷を作っていただけるのはよろしいのですが場所がなく……」

「わしが許す。これ以上伸ばし伸ばしにする理由などもうあるまい。もう、わしが全部日程を決めてやるからとっととやれ!」

「はい……」


 戦場とまったく違う高虎に長政は年長者の余裕を浮かべながら、同時に天は二物を与えずだなと苦笑もした。






 そして八月半ば、半ば未完成の状態であった藤堂邸にて婚儀が行われた。


 高虎の側には父母と旧主と言うべき阿閉貞征が付き従い、四葩の側には名目的に養父となった朝倉景鏡と真柄直基がいた。


 貞征と媒酌人となった遠藤喜右衛門直経以外誰もが着慣れぬ装束を身に纏い、やたらたどたどしく言葉を進めていく。


「やれやれ、戦場の勇者もここでは赤子だな」

「このような婚儀を上げるなどまるで考えておりませんでしたから……」

「考えていようがいまいが、話は進む物です。では旦那様」

「ああ……」


 お姫様である四葩が一日の長を持って高虎を支えていく。庶民の婚儀ならともかく千石の人間相応の婚儀などまったく想定もしていなかった高虎はまるで貞征と四葩の思うがままであり、まったく着せ替え人形だった。







 朝倉四葩は、ここに「藤堂四葩」となったのである。

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