下間頼照、不人気ゆえに入滅する

「なんだあの数は!」







 四月十七日、加賀の中央に位置する御山で頼照は坊主相手にわめき散らしていた。顔は赤く、息は酒臭い。


 さきほど農兵たちを見回った時に唇を固く噛んでいたのは目前の惨状に悲嘆した訳ではなく、単に酒の臭いを出したくなかっただけである。


 朝からとっくり一本分の般若湯を飲み干した頼照の怒鳴り声が寺の外まで響き渡り、そのまま農兵たちにも届く。頼照はそれらすべての存在を顧みずに目の前の坊主たちを怒鳴りつけ、ふらつきながら腰を下ろす。


 その頼照に、車座になった坊主たちの中で誰も物申す者はない。



「まったく、兵力を分散していては各個撃破されるだけだと言うのに……」


 かろうじてそんな恨み節を吐いた坊主がいたが、それで頼照の機嫌が良くなるものでもない。赤い顔をしながら、聖職者らしからぬきつい目をするだけだった。




 確かに頼照の言う通り、ほんの少し前まで一度呼びかければ万単位の農兵が集まったと言うのに、田植えなどとっくに終わったこの時期に寺の外に集まって来た農兵は二千もいなかった。

 大聖寺城を落とした浅井軍の七分の一以下である。


 仮にもこれよりの動向を決める大事な会議であり人の集まり具合によっては一挙に大聖寺城にまで飛び込むつもりだったというのに、こんな数では何もできない。


「朝倉景紀殿はどうした!」

「行方が知れませぬ。まさか投降したとは思えませぬが」

「ええい、これだから武士は!」


 そしてただ一人残った武士と言うべき景紀はおらず、戦にまともに使える人間はもういない。坊主頭集団は戦に関してはまったく素人の集まりであり、誰一人まともに戦場に立てる人間などいなかった。


「それで朝倉の子と姫は」

「男児はやはり行方知れず、姫たちは既に浅井の手に……」

「やっぱりあの女使えんわ、呼んで来い!」

「既に自害しております」


 朝倉義景の一族、と言っても母は加賀に来る道中で客死し妻は景紀に反発して途中で脱走しようとして幽閉され絶望して自害し、侍女たちは次々と離散した。

 もう文字通りの五人ぼっちの幼い姉弟であり、いくらでも傀儡として使えるはずだった。


 しかしその内四人の姫はすでに浅井の手に渡り、残る一人も行方不明。もはやどうにもなりはしない。しかも景紀にくっついていたあの若武者、景紀の息子だとか言う朝倉景恒とやらもまた行方知れずである。




「にしても浅井め、あのようなふざけた偽書を……なぜご門跡様が拙僧を見捨てると言うのだ!」

「どやつもこやつも天魔の子とその飼い主に平然とひざを折る!愚かな、愚かな愚民どもめが……」

「ああ、誠に悲しき事かな!」




 そしていくら頼照が歯噛みしようとも、これまでのどの事実よりも最悪の「虚報」は止まる事なく広まって行く———―顕如が頼照を破門したと言うそれが。


 言うまでもなく頼照にも届き、その度に兵は逃げ出した。

 天罰が下るだの地獄に落ちるだの抜かした所で、浅井に下った寺の住職にすがりますだの破門された人間が何を言うだのと言う理屈で次々と消え去り、あっという間に頼照たちは孤立した。




「まったく、そもそもがあの武士がいかんのだ!小手先で越前をつかみ取れるなどと言ったあの男が!全てはあ奴の口に乗っかったのが間違いだった、そうだ今度もその本多とか言うふざけた輩が浅井にへつらうために作り上げた虚説なのだ!」

「今すぐ呪い殺してやるべきだな!」


 本多正信への呪詛をまき散らす彼らの頭に、自分が間違っていたという発想は微塵もない。


 本多正信は半ば意図して無名であったからまだしも、斎藤龍興のような三連勝の立役者を冷遇し、朝倉景紀と言う農民と武士の区別のつかない人間を大事に使っていたのが頼照だった。景紀が一年間に十人の農民を死に追いやった事に対して農兵たちが不満を唱えても、浅井に付けば地獄に落ちるぞと言うだけで終わらせていた。

 その上に「天魔の子」に対する恐怖心に対しても上杉謙信や武田信玄に援軍を求める事もせず震え上がるばかりで、結果大聖寺城の戦いで大爆発して加賀中に四散し、次々と勝手に浅井に降伏する寺が出る始末だった。

 元より御仏の力が頼照らの苛烈な収奪やここ最近の過酷な訓練や強引な普請などによって失われていたせいで、一向宗に対する信頼はまったくなくなっていた。


 そんな加賀の民が天魔の子から身を守ろうとしても行きつくのは他宗か浅井家かのどちらかであって一向宗ではなくなっていたし、ましてや頼照たちではなくなっていた。


 仮に頼照がまともな政を行い、かつ相当なカリスマがあったとしてもそれを一瞬でぶち壊すような破門宣告と言う切り札が飛んだ以上、もう付いて行く人間はいなかった。あくまでも頼照は顕如が派遣した代官であり、顕如の言う事を聞いているからこそ権勢を握る事も出来たのだ。

 ついでのように七里頼周も破門されていたことについても、彼のやって来た事が頼照とさほど違っていた訳でもない以上、十把ひとからげでも問題ないと言うのもまた加賀の民にしてみれば当然の思いだった。


 その全てに背を向け、般若湯を煽りながら本多正信への呪詛を唱える声ばかりが寺から響き渡る。真摯に信仰に徹するべき僧が行うべきではない行いを、ひどい僧になるとしらふでやっている。出せるだけの大声を出しながら、慈悲を司る仏像の前で。







「いっその事ここで自害でも……」


 ひとしきり本多正信への呪詛を唱え終わった所で、頭の冷えた坊主が笑いながら武士っぽい決断を下そうとする。

 そうすれば、確かにここに集まっている農民は助かるだろう。


「馬鹿も休み休み言え!」

「そうだそうだ、ここで死ねば浅井に負けたも同然だぞ!」

「ではどうやって立ち向かう?ダメだとしてもどうやって逃げる?」


 だがその言葉を聞くや同じように呪詛を吐き出し切って黙りこくっていたはずの坊主たちが急に元気になり、そのまま跳ね上がってその坊主を責め立てた。特に頼照にはあの時豪華な袈裟を渡しておきながらまともな成果も出せなかったあの坊主に見え、ますます腹が立った。どうせ浅井に膝を折って靴をなめているのだろうとか珍しくも大正解の予想をしながらにらみつけるが、弱気の虫は暴れるのをやめない。


 そして彼の言う通り、今の頼照たちは逃げ出す事もできない。


 破門宣告が事実なら本願寺に帰れる訳もないし、帰ったとしてもむしろ本願寺の仲間たちにより殺される。浅井が流した虚報だとしても、加賀を脱出できる当てがない。貯め込んだはずの金穀はその多くがこの数日で消失しており、それを持ち込んで能登や越中に亡命する事も出来ない。仮に越後や信濃までたどりつけたとしても、破門宣告されている自分たちを謙信や信玄は受け入れるはずもない。


「やっぱり武士と言うのは信用ならん!」

「そうだそうだ!あの朝倉景紀とやらも結局は私利私欲にまみれた人殺しの長だった!」

「浅井はあの朝倉の子飼いだったのだ、結局はそういう気質を持っていた連中でありそれを伝染させおったのだ、どこまでも、どこまでも非道で卑劣よ!」

「それがご門跡様のご意思だったのだ、なるほど破門されたのはそれが原因か……くそっ!」



 何を言っても結局そこにたどり着くのが頼照だった。



 武士の搾取から守るために立ち上がったという名目でここまで来た以上武士を認めては本末転倒だという理屈だが、武田家と結んでいるような本願寺がそれを今さら気にするはずもなかったのに、頼照の中では武士を当てにしたから破門されたのだというとどめの一撃になってしまっていた。




「酒色におぼれ、御仏の名を乱用して庶民から金穀や労力を搾取し、さらに戦においてまったく敵に立ち向かおうとせず敵前逃亡し、その上功多き者を冷遇し功なき者に好き放題にさせた。その行いはまったく御仏の意志に悖るそれであり、指導者としても、否坊主としても資格を満たすには足らぬと言わざるを得ぬ。よって下間頼照、及び死亡した七里頼周の両名を顕如の名において除名し、その身柄を即刻本願寺へと引き渡すべし」




 長政が手に入れた文は「下間頼照と七里頼周を破門する」で終わっていたが、顕如の記した正式な弾劾文の内容はこうだった。


 見ればわかる通り、武士を頼りにしたから破門するなどとは一文字も書いていない。


 あくまでも悪いのは頼照の政治姿勢と、戦場での卑怯な振る舞いと、功績の多寡を誤ったと言うある意味極めて俗な理由でしかない。武士が同じ理由で更迭された所でまったく驚けない話である。酒色だけは当て推量であったが、実際今の頼照はすっかり酒色にふけっていた。

 これらの情報が浅井や織田ではなく、本願寺に金穀を運ばせた自分たちの側近から漏れた事、彼らがそのまま帰って来ていない事など頼照は目に入っていない。




「拙僧は屈しはせぬ……せめて仏敵たる浅井の心に少しでも痛撃を与えて」

「……わかり申した」


 もはや何もかもおしまいである事を理解した頼照は、せめて最後に一太刀だけでも浅井に加えんとばかりに、農兵たちの元へと足を運んだ。

 残っている兵を集めて大聖寺城へと突撃し、そこでひとりの浅井の兵とでも斬り合いながら死ねれば少しは顕如様も見直しになられるだろうとか考えながら寺から一段一段ゆっくりと階段を下りて出ると、農兵たちは整列して頼照たちを待ち受けていた。




「おお、よくぞ集まってくれた。残念ながら、もはやこの加賀は」


 鷹揚そうな顔を作り、どうにか自分に付き合ってくれるように深々と頭を下げるつもりでいた頼照であったが、その胸にいきなり大きな負荷がかかった。


「何を」


 すると言う言葉が口から出る前に、さらに腹から血が出ていた。農兵たちの竹槍が胸に刺さったのだ。一本や二本ではなく五本六本と刺さり、気が付くと頼照の首は大地に転がっていた。




 そして雪崩れ込んだ農兵たちは坊主たちを次々と引きずり出し、外に出した所で頼照と同じようにその命を奪った。寺には一滴の血も飛ばさないまま、坊主たちだけを殺した。


 全ての坊主たちが死体に変わったのを確認するや、農兵は頼照の首を布で包み代表の男に渡した。




 全く武士のような見事な手際により、下間頼照と言う加賀一国を取り仕切っていた一人の坊主はあっけなく死んだのである。



 そしてこれとほぼ同じような事件は、加賀中で起きていた。多くの坊主たちが農兵により殺され、さもなくとも自害するか捕縛されて浅井家の元へと連れ込まれた。

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