天魔の子、恋文を受け取る

 馬上で太刀を振るう「高虎」の姿を見るだけで農兵たちは崩れ出し、あっという間に大聖寺城の守りは壊れて行く。


「天魔の子天魔の子と言っていたとしても、結局相手を調べることもしない軍勢とはこんな物だと言う事ですな」


 景鏡の言葉にうなずきながら、長政は笑う。







 若武者で、背丈が大きく、そして太刀を持っていればごまかせる。そんな雑きわまる工作で誰が引っかかるのかと景鏡は苦笑していたが、実際にやってみるとこの通りである。


「もし自分が加賀の僧たちだったとしたらどうなさいます?」

「もう少し藤堂高虎について研究する、情報をかき集め対策を考える」

「それでこちらが本願寺への対策を考えた結果がこれですか」


 藤堂高虎は、比叡山を焼いた信長のように坊主に対する常識に縛られる事がない。若い世代とはああいう物なのかと思うほど長政は老けていなかったがそれでも高虎には頭が上がらない思いだった。

 自分ならば身がすくんでいただろうし、一向宗と戦っていたはずの景鏡とて大差はないはずだ。久政などは論外だろう。


「さてと、藤堂ばかりにやらせる訳にも行くまい。見ていただろう?」









 その上で、高虎ばかりに頼る訳には行かない。


 後方に控える第二の存在、去年阿閉家から加増と引き換えに引っこ抜いた男。



「やって見せましょう!」


 南門もすでに、逃げ出した一揆衆により開けられている。


 田中久兵衛吉政が、その南門へ向けて先鋒として大聖寺城へと突入した。のそのそ城へ近づく「藤堂高虎」を追い越し、城へと殴り込みをかける。



「我こそはと思う者はこの刃を受けろ!」

「ほざくな、貴様のような罰当たりなど!」


 北門から逃げ出す人波に負けまいと留まっていた坊主たちが手に数珠をかけながら、必死に祈りをささげる。よくみれば袈裟の下に甲冑を纏っていたが、それでも坊主頭が守られる訳ではない。


 顔を強張らせたその坊主を吉政が上から叩き斬ると、それだけで最後の抵抗をせんとして集まっていた数百単位の農兵たちが逃げ出した。


「見たか、俺はあの武田軍とも戦って勝ったのだぞ!」


 はったりではない確かなる過去を叫びながら、高虎と同じように坊主頭を追い回す。坊主頭たちが逃げればそれを追い回し、農兵たちを追い散らす。


 たまにどうにもならないと思ったのかここで死ねば極楽浄土へ行けると思ったのかどうかはわからないが農兵たちが向かって来るが、吉政はためらいなく斬った。血だまりが大聖寺城に出来上がり、その分だけ地面に得物が転がって行く。

「あっコラ逃げるな地獄へ落ちるぞ」

 その血だまりを見ていよいよ心の折れた人間たちの中には投降を申し出る者も出始め、坊主たちの力ない言葉は虚空に消えて行き、その命もまた吉政の手によって消えた。



 そして南側が浅井軍に占拠される中、北門には逃げようとした農兵が殺到し、押し合いへし合いの大騒乱になっていた。



「どけ!」

「家には女房も子どももいるんだ!」

「それはこっちだって同じなんだよ!」



 誰か一人でも疫病の種をもっていれば確実に全滅しそうな程に密集した人間たちが、狭い門をくぐろうとする。少しでも平衡を失い転倒すれば、即座に死の待つ世界だった。


 そして二万の兵の内、誰一人たりとも逃げ出すまでの間に、浅井長政が本丸に入っている事に気付く事はないだろうし、東門と西門から誰一人入って来ない事も、浅井軍が途中から自分たちを追っていない事にも気づかないだろうが、もう長政にはそのような事はどうでもよかった。
















「今日の戦の二番手柄など」

「何、よく聞き分けてくれた。農兵を追おうとしなかったのもまた良い」


 西側で旧主と言うべき阿閉貞征にくっついていた本物の高虎は、南門と東門にいた影武者のそれと同じくのろのろ進み、城門が開いて農兵が逃げ出しても突っ立ったままだった。


「そなたの名前をあまりにも簡単に使い過ぎたのは詫びる。だが犠牲は少ないに越したことはないしな」

「全くその通りでございます」


 高虎の名前を振りかざすだけで大聖寺城は簡単に落城し、犠牲者もさほど出なかった。脱出の際の混乱により五百人近い農兵たちが死んだのは間違いないが、浅井軍の犠牲は両手の指よりも少ない。


「とにかくこの大聖寺城を抜いた事により加賀の陥落も時間の問題だろう」

「それはさすがに楽観し過ぎかと思われますが」

「まあ、しばらくこの城に留まるのもよかろう。二万の兵は二万の口となる」


 天魔の子への恐怖が再び爆発した加賀の民は、恐慌状態に陥るはずだ。その中で頭の冷えた人間は高虎を御している長政ならば自分たちを救ってくれるのではないかと考えるようになり、自然と懐くと言う訳だ。

 それでも坊主たちと言う主人にカリスマなり統治力なりがあれば話は別だが、一年前に三連勝のあと一敗しただけでその相手を恐れて怯え切っていたような存在にその類の物を感じるのは難しいし、宗教的権威を持ち出そうにも相手がそう言う類の全く通じない織田信長の同盟者である浅井に所属する、「天魔の子」と言う自分で蒔いた種から生まれた存在である。


「ああ、今のうちに降伏すれば来年まで四公六民だと言いふらさせておく」


 そしてもちろん、加賀の民の心をつかみに行くのも忘れなかった。













 二日後、十分に休養した長政は大聖寺城の広間に将たちを集めていた。


 左右には貞征と員昌が座り、そして景鏡高虎吉政の三人が横並びの関係となっている。


「さて、まずこれらを見てもらいたい」


 三通の書状が、長政の手元に入っていた。



「まずこれだ」



 一枚目の書状、写経に使う上品そうな懐紙。




「これはどうやら、朝倉四葩殿かららしい」

「ななっ!」

「景鏡殿、そういう事で明日にでもこの書状の届け人に会い早速その宛先に向かってくれ。それで中身なんだが……」


 いきなり朝倉四葩と言う名前を出されて場がざわつくのにも構う事なく、長政は書を開き中身を読み上げようとするが、それと同時に口が波打つ。




「空林 真の貴人 岩屋子に 五つの星は ただ降り注ぐ」




 長政が文を読むと共に、員昌や貞征もいやらしくほほえみ出す。吉政は呆れ笑いを浮かべ、景鏡は複雑そうながら笑顔を作っていた。









 朝倉四葩からのそれは、まったくただの恋文だった。




「どうやら朝倉のお姫様はお前を好いているらしいな」


 「空」は「天」、「林」と「貴人」(鬼神)と「岩屋」は「魔」と言う字を分割したそれであり、最後の「子」と合わさって「天魔の子」と言う事になる

 その上に五つの星はおそらく自分たちの事であり、最後の七文字は完全にその身をゆだねる気満々だと言う意思表示である。




「なぜまた、朝倉を滅ぼしたのは私ですぞ」

「何、それを重用しているのはわしだ。そしてわしも実はお前の嫁を探していてな、もし朝倉家の息女がその気になってくれるのなればそれが最高だと思っていてな」

「はあ!?」




 戦場で見せた天魔の子の顔などどこにもないかのように、十六歳の童貞男が面相になって素っ頓狂な声を上げる姿に、場は一気に笑い声に包まれた。



「な、な、なぜまた!」

「簡単な話だ、お前は五百石取りだから身分の低い娘をあてがう訳にも行かない。朝倉家ならば格は足りている」

「足りすぎます!」

「今の朝倉家は二千石だぞ、それほど問題はない。何よりだ、お前は自分がついこの前まで雑兵であった事を理解してくれるような女性が欲しいと言っていただろう。あれから二年間ですっかり百姓の生活にも慣れているはずだ。

 その上にだ、朝倉の当主の長子とも言うべき存在を娶ったとなれば朝倉は大きな柱を得る事になる。今回の戦でまたお前は功績を立てたから、出世させない訳にも行かない。そんな存在に気を感じないのならばそれこそそれまでだな」




 まったくその通りだった。


 今の朝倉家の家禄はさておき、ほんの少し前まで足軽だったのが二年間で五百石取りになっているとあれば、信長や長政のみあらず誰もが寄り添いたがるのは当たり前である。そして今の朝倉家の当主景鏡には何の政治的影響力もなく、その一族が浅井や藤堂の内部を乱す事もない。




「わかりました、お館様のお勧めに従いその方向で話を進めていただきたく思います!」


 全身を真っ赤にして平伏する高虎は実に可愛らしく、そして微笑ましかった。


「それでその、この手紙をお届けになった方は」

「この身柄を徳川様にお引渡し下さい、と言えば通ずると言っておる。現在は本人の要求で捕虜扱いにしているが」

「それはもったいのうございます」

「なんだ、恋の導きをしてくれた相手には弱いの」

「他の捕虜から身の上が聞けるはずです」

「ああそうだったな、確か本多とか言っていたが、武士らしいが」

「本多!?」




 そして高虎に負けじとばかりに、今度は吉政が反応した。徳川家と共闘した吉政は本多忠勝と言う存在を知っているし、同時に他にも本多と言う家がある事も知っていた。


「久兵衛」

「徳川様は三河での一向一揆に悩んでおりました。その時の一揆の指導者の一人が本多何某と言うお方だったと聞きます」

「それがなぜまた加賀に」

「敗れた後何らかの故あって加賀に来ているのでしょう。どうやら捕らえた農兵の話に因れば越前へ攻め入るように進言したのもそのお方とか」


 あの越前侵攻を予測した上で動いていたとすれば、なかなか使えそうな男である。だが単純に考えても家康にとっては謀叛人だろうし、すっと抱え込むわけには行かない。


「なんとかならぬ物か」

「その点についてはとりあえず捕虜とした上で、徳川殿と交渉してみましょう」




 とりあえず四葩と本多についての話が終わった所で、長政は二通目の書状を出した。




「一向宗の職務、それは御仏に祈りをささげ他者を守る事。決して略奪を行う事にあらず。他宗や良民からの略奪をやめ、地元の民のために祈りをささげるべし。それがご門跡様のご意思であり、真の御仏の道と愚考する物なり。もし道を誤れば浅井に屈するのみならず、ご門跡様が貴公らを見捨てる事すらあり得る旨、気を付けなされよ」


 名前こそ一向宗の坊主、それもおそらく尼僧のそれだったが、中身は極めて冷静沈着でありかつ宗教的に極めて誠実である。

 このような僧が未だ加賀にいるのかと長政たちを戸惑わせるほどには、優美できれいな字と内容だ。


「この書を記した人間に会いたい物だが」

「それはできませぬ、自決したそうで」

「もったいない、このような人間が中核におればまだ一向宗も戦えただろうに」



 加賀の支配者の頼照の評判は、落ちる所まで落ちていた。

 ただでさえ地獄と天罰の二つだけで強権的な政治を執って来たのに、それで推し進めた越前侵攻が大失敗した上に酒浸りと強引な普請の連続では、人心が懐く方が奇跡だった。


「しかしこのような書状、よく残せた物だ。見つかれば即処刑でもおかしくなかったろうに」

「その点が少し気になりますがまあよろしいでしょう。その尼僧が住職を務める寺でも探しておきましょう」


 員昌の言葉と共に二枚目の書状は閉じられ、四葩の恋文と逆側に置かれた。




 そして三枚目である。


「これは!」

「ああ、本願寺顕如だ!」


 大聖寺城の戦の次の日に加賀にやって来たやけに立派な袈裟を着た坊主が、大聖寺城に浅井の旗が翻っているのを見るなりいきなり逃げ出したので捕まえたが、その懐に入っていたのがこの書だった。




 ゆっくりと開かれたその書面、間違いなく本願寺顕如のそれである事を示す書の内容を読んだ長政の眉がつり上がり、残る五人は息を呑んだ。







「大規模な出撃は当分見合わせだな」

「ええ……」

「しかし本願寺顕如、やはり侮りがたき人物よ……」




 長政の元へ届いた一枚の書状。


 それは浅井軍の方針を決めさせると同時に、顕如の恐ろしさを見せつける文でもあった。




「景鏡殿と高虎は朝倉の姫を迎えに行け、員昌は捕虜たちにこの書状の事を伝えよ。そして貞征と吉政はここに留まれ」


 将たちを帰らせて一人になった長政は、員昌に渡した短くも恐ろしき文の事を思いながらこの戦の終焉の近さと、次なる戦の困難さを思った。










 ———―下間頼照、七里頼周の両名を破門する。

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