天魔の子、加賀で分裂する

 四月十日、長政は阿閉貞征らの手勢と合わせて一万五千の兵で加賀への攻撃を開始した。







「大聖寺城に一揆勢は立てこもっています」

「数はおよそ二万……こちらより多いな」



 越前と加賀の国境に近い大聖寺城は加賀の防衛線であり、ここを抜けば一挙に加賀へと突き進むことができる。もちろん一揆勢とて重要性は理解しているはずだ。その上に田植えが終わったばかりの時期だから、人は余っている。

 二万の兵を入れるのは難しくない上に、城郭もそれなりに整備されていた。



「それで敵将は」

「朝倉景紀と称しておりますがおそらくは騙りでしょう。今の景紀ならばこんな手を選びますまい」

「どこか後方に控えているのは間違いないだろうな、この城に手こずっている間にわしを取りに来る気だろう」



 浅井を滅ぼす事を悲願としている景紀、専門職でもない農兵に武士並みの稽古を強いた上で逃げれば殺すような事をやっていた景紀がこんな消極的な策を取るはずもない。


 籠城と言うのは、援軍ありきの策である。でなければ相手に撤退を強いるための策であるが、加賀だってそうであるように越前や北近江だって収穫があるのだ。一万五千と言う規模にとどめた事もあり、その気になれば二、三ヶ月の対陣だって可能である。




「まあとりあえず、呼びかけてみるか」



 そして長政は、あくまでもそういう人間だった。



「城内の方々に申し上げる!この大聖寺城は包囲されている、このままでは数日のうちに落城するのは必死である!今ならばこの城を放棄して逃走、または投降すれば害する事はない!城将にそう伝えよ!」

「何を言うか、おぬしらが一万五千しかいない事は既に分かっている!ここには二万の兵がいるのだぞ、おぬしらこそとっとと逃げ帰れ!」




 型通りの降伏勧告に、型通りの宣戦布告。実に行儀のいい戦の作法だ。


 違う事はただ一つ、言い返した男の頭に毛がなかった事のみだった。



「朝倉景紀殿はどうした」

「総大将がわざわざそんな挑発に乗る理由などない!景紀殿は天守でじっと指揮を執っているのだ!貴様らにはその顔を拝む事は出来まい!」

「なれば敵将はこの戦の前に逃げ出したか、さもなくば出て来る度胸もないかのどちらかと言う事になる」



 その上で極力冷静さを貫いた使者の煽りに耐え切れなくなったのか、坊主の側に居た農兵が一本の矢を放った。


 使者のだいぶ手前で矢は落ちたが、両者ともその矢一本で全てを悟った。



 ――交渉は決裂したのだ。



「そうか、なれば動くよりないか」

「ですがこの戦い、坊主たちだけを討つと言う訳には参りませんぞ。それにおそらくは兵糧も豊富なはず。かと言ってこの城を無視する事も出来ませぬ」

「なればああするよりないか」


 型通りの儀式を終えた長政は副将である磯野員昌に向けて、事前に員昌が提案した策を実行するように命じた。




※※※※※※※※※










 果たして大聖寺城には、朝倉景紀はいなかった。先ほどケンカを買った坊主が総大将であり、あとはその配下の坊主だけが大将的な立ち位置にあったに過ぎない。



「あっという間に包囲されてしまいましたぞ」

「あわてるな、数を分散させただけだ。東でも西でもいいから兵を集めて突破すればいい。少し耐えていれば援軍がやって来るのだ」



 浅井軍は一万五千の手勢を三つに分け、五千ずつで大聖寺城を囲み始めた。北だけ空けたのは死に物狂いで来ないように逃げ道を作ると言う戦の常道であり、その程度の事は誰もがわかっている。

 だが敵前逃亡=天罰の一揆勢をして越前と加賀の国境を越えるまでまともな妨害を一つも出来なかった時点で士気は知れており、農兵たちを督戦しようにも他に言える事もなかった。


(どこか一ヶ所開門して勝利を得る、それしかないか……御仏よ、お許しくだされ……)


 結局のところそういう事でしか農兵たちを煽れないのかと思うと、僧として無力感もある。普段さほど仏法を重んじている訳ではないにせよ、それが本職である以上そこで何とかしたかった。


「申し上げます!」

「どうした、敵が動き出したのか!」

「そうです、南から来ました!」


 苦しい時の神頼みを地で行く発想をしながら城の中を回っていると、さっそく浅井軍が動き出したと言う報が入った。とりあえず南門の敵を見てからでもいいかと思いながら極力足音を押さえて歩くが、その度に空気が重たくなってくる。



「どうした!」

「じゅ、住職様、あれを……」



 じわり、じわりと歩を進めて来る浅井軍の先頭に、一人の男がいた。


 多くの農兵たちが得物を握りながら見つめる先に、一人の大男がいた。




 蔦紋の旗が翻る中央に、面頬で顔を覆った若武者らしき男。右手には太刀を持ち、馬上でじっとこちらをにらみつけている。


「そなたら、今の浅井軍にはこの藤堂与右衛門がいるのだぞ!その武勇はこのような城門などたやすく叩き割れること既に分かっておろう。俗人には慈悲があるが、売僧や破戒僧は容赦なく斬るぞ」


 後ろに控える朝倉景鏡の口上が進むたびに、城内の者たちのひざが笑い出す。



 天魔の子と呼ばれている藤堂高虎、その男がこれより何をするか。




 言うまでもなく、殺人だ。

 戦場である以上当たり前ではあるが、だとしてもその程度が違う。

 目に付いた敵を全て殺し、その上で何の痛痒も感じない。叫んだり、黙ったり、時には笑ったりしながら。

 口では狙いは坊主だと言っているが、構わず自分たち俗人も巻き込む。五千の人間を千で斬り倒し、その気になれば全てを食い尽くす。






「ひーっ!」

「て、て、て、天魔の子だ!」

「おた、おた、お助け下せえ!!」






 農兵たちの心はいっぺんで乱れた。


 城の将、あるいは総大将である下間頼照がしっかりしていればまだ何とかなっただろうが、頼照は高虎への恐怖で酒浸りの状態であるし、取り巻きの坊主たちもまた大差ない。


「馬鹿を言え!天魔の子と言えどもこの門を破る事は出来ないし数が違う!御仏を信じるのだ!」


 そう吠えた坊主にもこれと言った対策がある訳ではない。


 念仏も呪詛も効かない天魔の子を前にして、一年以上頼照は手をこまねいていた。いくら僧たちが吠えた所で、農兵たちが動かなければしょうがない。暴威をもって自分たちを圧して来る存在には同様の力を持って当たるしかないが、そんな存在はどこにもいない。


 石山本願寺の最大の守りの要となっている鉄砲を寄越してくれるように要請した事もあったが、まだ三十丁しか届いていないしこの城には一丁もない。まだその成果をはっきりと評価していない浅井家でさえ、自家製のそれを含めて家全体で二百丁、この場には百丁持って来ている。


「守れば良いのだ、しょせん天魔の子は悪逆非道の存在!我々正しき仏道を歩む人間に勝てるはずがない!耐えよ、耐えるのだ!」


 結局その生まれて一度も加賀から出た事のない坊主は、こんな従来通りの精神論しか吐けなかった。







 本願寺からやって来た頼照や頼周からしてみれば、自分たちにあらがうような存在は不愉快の種だった。一定以上の知恵を持った人間は聖俗問わず、中枢部から遠ざけられ越中や能登との国境へと回されていた。本多正信だって、最初こそ越前侵攻の案を立てて重用されたがその後の自分たちの行動について苦言を呈したのを最後に半ば放逐状態だった。

 この坊主もまた頼照の言う事をはいはいと聞いていただけの存在でしかなく、戦略眼などあるはずもなかった。


「しかし、どうして浅井が天魔の子を出さねえと」

「大事な切り札は最後まで取っておく物だろうが!」


 だから農兵たちのそんな当然の疑問にもまともに答えられない。浅井が一年の休養を経て二年前の意趣返しのように本拠地に攻めてくる事など、簡単に予測できたはずだ。一応城砦の建築は行ってはいたが、それだけで天魔の子を止められる訳でもない。




 その天魔の子はじっと動かず、こちらをにらみつけている。


 大柄で、太刀を持ち、馬に乗った男。面頬の下では舌なめずりでもしているのだろう。景鏡の口上が終わり、時が経てば経つだけ体が強張る。耐え切れず弓矢を放ってしまう農兵まで出始める始末だった。


「ほれ見ろ御仏の力とそなたらの怒りにより動けなくなっておるではないか恐れる事など何もないぞ」


 異様なほどの早口で言った所でどうにかなる物でもない。ますます恐怖心が増幅され、全く届かない矢を放つ人間が増えただけだった。






 そして、数分もしない内についにその天魔の子が動き出した。


「来ます!」

「迎え撃て!天魔の子を討った者は勲功第一ぞ!」


 ゆっくりと、ゆっくりと、近寄って来る。矢の射程距離を測るかのように。


 その間にも耐えきれなくなった兵が矢を放つが、届かない。どんなに引き絞って撃っても、目の前で落ちる。一応足は止めたものの、来ている事には変わりはない。

 大聖寺城の南門に集まっていた人間たち、いや城内の大半の人間が天魔の子を恐れ、構えていた。




「どうした!これ以上は近寄れぬか!天魔の子もしょせんはただの臆病者、御仏の」

「東から来ました!」


 坊主が再び虚勢を張るとほぼ同時に、また別の叫び声が聞こえた。


「こちらに引き付けて置いて横から攻撃とは!迎え撃て!」

「し、しかし」

「もう破られたのか!」

「て、て、天魔の子です!」

「馬鹿を言え!じゃあ今南門に来ているのは何だ!見ろ!」

「紛れもなく、天魔の子です!!」




 自分を引きずって行く男たちに吠える事も出来ないまま引きつった顔をした農兵たちを残して東門に連れていかれた坊主が見たのは、やはり「天魔の子」だった。




 大柄で面頬を被り、太刀を持っている。その上で蔦紋の旗を掲げさせている。


「ふ、ふ、ふ、ふざけるな!ど、ど、どうせ」


 偽物だ、はったりだ、影武者だ。じゃあ南門にいるのは何なんだと叫ぼうとしたつもりだったが口が動かない。農兵たちも坊主と同じように「天魔の子」を指さしながら矢を無駄撃ちしている。

 

 もちろん届かない。


 射程距離の外にいるから当たり前なのだが、基本的に弓など持った事のない農兵たちにはそれもまた「天魔の子」の力のように思える。




「落ち着け、落ち着け、もう少し、もう少し寄って来るまで」

「に、に、に、西ぃ!」

「誰も彼もくだらん幻覚ばかり見おって!この目で確認してやる!」

 それでも必死で震え上がる兵たちを督戦しようとした坊主の耳に、また別の悲鳴が侵入する。

 もう反論する気も失せたはずなのにわめき散らし、天魔の子は魔の力を使って分身でもするのかと泣きわめいたり気を失ったりする者が出るのにも構う事なく西門へと一回りすると、農兵たちが矢を切らしていた。




 大柄で面頬を被った太刀持ちの男が、七里頼周を斬ったのは私だと叫び、その上で蔦紋の旗を持った兵士を側においている。




「東門にも南門にも!?やっぱり天魔の子ってのは人間じゃねえんだ!」

「馬鹿を言えどうせそれもただの偽物だそんなつまらんこけおどしに乗るなただじっと構えておれば彼奴らは手も足も出んわかったな天魔の子を討てば極楽浄土へ行けるのは確実だぞおいきいてるのかちゃんとしっかりしろ頼むから聞いてくれ」


 身振り手振りしながらめちゃくちゃな速さで口と手を動かしていると、太鼓の音が鳴り響き、統一された歓声が上がった。


 浅井勢の弓兵から矢が放たれ、三人の「天魔の子」が同時に動き出す。







「助けてくれえ!!」


 それと同時にまったく浅井軍の狙い通り、農兵たちは北門から逃げ出し始めた。

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