朝倉四葩、手紙を渡す

 朝倉景紀を見る朝倉四葩の目は、日に日に黒さを失って行った。







「景紀様」

「景紀で十分です」




 高虎が屋敷の庭の裏でそうしているように、景紀は刀を振る。

 だが高虎と違い、その後ろにも前にもたくさんの人間がいた。


 前では農兵たちが鍬やら鋤やら、ひどいのになると木の棒を景紀に続いて振っている。


 その後ろでは村長の屋敷、と言っても一乗谷の屋敷の十数分の一の大きさのあばら家で疲れ気味の目をして景紀以下の人間を見る女性がいる、







 その多数の男女に取り囲まれながら、景紀はひたすらに刀を振っていた。






「いいか、少しでも隙を見せればな、あの天魔の子に取って食われるんだ!死にたくないのであれば戦え!戦わなければ生き残れないんだぞ!」

「はい……」

「おい聞いてるのか!」

「聞いて、おります……」


 返事が小さくなったのに気付いた景紀の顔が急に凶悪になり、並ばされていた農兵たちを射竦める。それで動きが止まるとますます景紀は不機嫌になり、わざと刀を逆手にして振り出す。


「いいか?少しでも気を緩めれば殺されるのが戦場だ。何ならこの逆の刃でぶん殴ってもいいんだぞ?正しい側の刃が当たるより数段ましだ。あの天魔の子は女子供老人でも平気で斬るぞ」

「景紀様!」

「あの姫様を忘恩の徒である浅井の連中に犯されたくなければ、今を戦だと思って得物を振れ。姫様が気に召さぬのならば家族の事を思い、家族がなければ大地を思え」




 冷たく怒る景紀は四葩の諫言さえも、農兵たちを威圧する武器に変えた。


 邪魔をするのならばあなたとて容赦いたしませんよと言いたげな口調で四葩の口を塞ぎにかかるのもまた、加賀における恒例の風景になっていた。


「景紀様と農民の皆様とは違います、武士の鍛錬を農民に押し付けては農民が潰れます」

「お前たちがそんなだから姫様は弱腰になられるのだ!気合を入れろ!」

「聞こえていないのですか!」

「あーはいはいわかりましたよ、わかりましたよ!少し休め!聞こえてるならとっとと手を止めろ!浅井にどうしても屈したい奴以外はな!」





 余計な事言いやがってと言わんばかりに足元の砂を蹴飛ばすと抜き身のまま四葩に向けて歩き出し、主人のはずの人間に向かってあぐらをかいた。




「なぜ私があんな言い方をするかわからないのですか景紀様」

「姫様は気弱になっておられます。確かに延々二年も越前にお帰りになれぬゆえ辛いのはよくわかります、とは言えこのままじっとしていればいずれあの忘恩の徒の浅井によりこの加賀の地も蹂躙されます!これは必要な事なのです!」

「必要と言っても程度と言う物があります、あれでは戦う前に死ぬ人間が出ます」

「ここで怠ければどうせ浅井に殺されるから同じです、あのような忘恩の徒に負けてはいけません。それに浅井でもまだ先代の久政殿はご壮健との事、必ずや我らのためにその勇を振るってくれます!」



 主従関係で言えば下のはずの景紀を景紀様とよそよそしく呼んで自分との乖離を示そうとしても、戦う前に兵を壊してはならないと言うごく当たり前の真理を述べても、景紀の闘志はまったく萎える気配を示さない。

「私がどういう人間か、わかっての物言いですか」

 そういう理屈で止められるならば苦労はしていない。そう言うと一応は止まるが、次の日に倍になって返って来るだけである。



 彼女が姫たる物を示す物体など、もうほとんどない。二年の間に生活を支えるために豪奢な着物や飾りなどは四葩自らの手で売り飛ばし、わずかな金穀に代えて糊口をしのいでいる。

 実際には坊主たち、時には頼照自らがそれらの物を運んで来るが、だとしてもそれらの額は一乗谷にいた時から比べれば数分の一以下である。



「それより薬はありませんか、まだ三つとは言え愛王の失禁がまるで治らないのです」

「僧たちに祈らせているのですが、とにかく四葩様たちになるべく安らかにしていただければいずれは治ります」

「力を貸していただけますでしょうか、なるべく静かな所で過ごさせたいのです」

「では僧たちに要請して北へとお送りいたしましょう」



 不如意極まる環境で過ごす中で、四葩たち四姉妹と愛王の精神も摩耗していた。妹たちは寝不足で目の下に隈ができ始め、愛王は昼夜問わず尿失禁が止まらなかった。もはやまともな布団はほとんどなく、夜具は小作人のそれより劣っていた。

 年の近いはずの浅井の子女がどのような暮らしをしているのか、それを考えるだけで四葩の目からも液体が流れ出る。



 仮にも主君一家のはずなのに、どうせ戦場に立てばこれ以上の恐怖があるのだから知った事かいとばかりに言いたい事を言い終わった景紀は踵を返し、すぐさま刀を振り回させ出した。


 妹たちが昼にも関わらずに眠りこけ、愛王が股間を押さえながら訴えかける中、四葩は愛王を厠に連れ込む。あまりにも小さな棒の先からいずれ出る物体にどれだけの期待をかけようと言うのか。厠の中でさえ聞こえて来る怨念と怒りと憎しみの籠った景紀の声ばかりが、四葩たちの脳内を占拠する。






 それから逃れる事ができたのは、四日後の事だった。景紀の言葉通り四葩たちは北の寺へと送られ、そこで戦勝を祈る役目を与えられた。


「先祖の罪、一族の罪を悔い、そしてその上で御仏へ祈るのです」


 小さな尼寺、男は愛王一人と言う中で住職と思しき尼僧が四葩たちの前に仁王立ちする。初っ端から上から目線の物言いで一応は姫であった人間をにらみつけ、仮にも一国の主であった一族の誇りを否定しにかかる。


 故意か失言かはともかく、まだそれ相応の自尊心が残っていた四葩の心をなおの事打ちのめした尼僧は、まったく邪気のない笑顔で四葩たちを寺の中に導く。


「住職様はどちらから」

「生まれも育ちもこの加賀でございます。四葩様ぐらいの年に得度し、それ以来ずっと修行を重ね、こうして今はひとつの寺を請け負っているのです。私の父も兄も、戦いにより越前で土くれとなりました。私はひとりきりとなり、住職様と、そして御仏と出会ったのです。これにより私はこんなに幸せな時を過ごせております」


 加賀生まれ加賀育ちでも、本願寺から来たとしても変わりはしない。後者ならば宗教的使命に燃えているだろうし、前者ならば長年戦って来た朝倉への憎悪を抱いている。いずれにせよ、朝倉と言う武家につらく当たるのは目に見えている。と言うか、そうでなければ職務怠慢なのだろう。

 あの景紀の声から解放されたと思ったら、今度は毎日のように、朝倉家の罪を聞かされる。自分たちがどれだけ関与したのかわからない話について、延々と聞かされる。義景どころか祖父の教景や宗滴の事まで仏敵と言う名の悪逆非道の徒と呼ばれる事に、だんだんと耐えられなくなる。



「朝倉も、いずれも織田も浅井も徳川も、仏の名を汚し教えを踏みにじった故に滅びます。衆生一切平等であり、その理を無視した故です。聖も俗も武士も農民も、みな同じです。横並びなのです。

 まあその、全ての責めを負おうと言う姿勢を進んで取る事を非難する気持ちは一分もありませんが、それもまたある種のごう慢である事をお忘れなく」


 横並びと言えば体裁はいいが、それは責任者不在という意味でもある。朝倉が戦に負けた時には庶民の大半は戦に巻き込まれる事もなく普通に過ごしており、朝倉の民から織田の民へ、そして浅井の民へと簡単に変わる事ができていた。朝倉家と言う責任者がいたからである。だが一切平等だとなれば、それこそ負の責任も平等である。長政がもしこの加賀を征服すれば、坊主でも農民でも等しく殺す権利があると言う事になる。


 こちらが理屈の穴にすぐ気づいて視線を曲げたのに気付くと、警策で打ち下ろすかのように口を動かし、生意気な小娘の口を塞ぎにかかる。それであーはいはいわかりましたよと言わんばかりに口をつぐむと、やりこめてやったと言わんばかりに笑う。



 それで粗衣粗食にもまったく不満も言わず口に運んでいると、さらに気持ちを良くしてすり寄って来る。


「そのような心がけを見せていれば、必ずや御仏はあなたの望む物をくれます」


 自分の言葉をびた一文疑う様子もない。素直と言うより、ただただ無神経。自分がどんな気持ちになっているのかまったく読もうともしないで好き勝手にはしゃいでいる。







 結局なおさら憂鬱になっただけの四葩の流れを変えたのは、一人の武士だった。武士と言っても小柄で腕も細く、とても腕利きのそれとは思えない。

 だと言うのにまるで天魔の子とやらでも来たかのように仁王立ちしながら数珠を鳴らし、尼僧は男の前に立ちはだかる。


「彼の事を知らないのですか!」

「ですが」

「私は武家の娘です!」

「決して荒事に巻き込まないのであれば」


 姫らしい所を見せつけて人払いしてやると、数珠に手を合わせながら尼僧は去って行った。来賓と言ってもいい人物のはずなのに雑な扱いをする彼女に改めて失望し、振り返るまいとばかりに首を大きく振って彼を出迎えた。




「大変失礼いたしました」

「こちらにいらっしゃるとの事でしたが、本当にご無事で何よりです」


 その男こと本多正信は、心底から丁重に頭を下げる。



 越前侵攻計画を立てた責任者であり、もし越前全土を手に入れられていれば第一の功績者と呼ばれてしかるべき男だった。

 だが頼照たちは他宗からの略奪をしてはならないと言う正信の言葉に耳を貸さず、ましてや越前全土の攻略には数年かかると言う言葉など右から左へ受け流していた。


 そしてこうなった結果でも、死人に口なしと言う訳でもあるまいが、二年前の敗戦は全て七里頼周と藤堂高虎の責任になっている。


 本多正信と言う名前は出ていない。


「頼照殿や景紀様には」

「頼照殿は最近私を遠ざけております、最近では般若湯をすすらねば眠れないような状態で、一日中読経と称して籠っているのは般若湯の臭いを抜くためとか。そして景紀様はこの数日で四名の農兵をお斬りになられたとか」

「………………」

 

 ああ、やっぱりとしか思えない自分がものすごく嫌いだった。頼照とか言う宗教家気取りの独裁者たちが目の前の男を避けるのもわかるし、自分の目を排除した景紀が好き放題するのもわかっていた。


「お願いがあります」

「何でしょうか」


 四葩は経文を書き写すための紙に、筆で何かをしたため始めた。目にも止まらぬ速さで、美しき文字を書き連ねる姿はまさしく良家の子女であり、正信さえも感心するほどだった。


「どうかこれを、四葩からの頼みです」

「わかりました」


 四葩はこの脆弱そうな男の手のひらに気持ちを込めて書状を渡し、正信はそれ以上何も言わないまま懐に忍ばせた。







「何かあったのではないですか」

「何かいかがわしい事があった方がよろしいのですか!」

「これは失礼いたしました、まさかあそこまで年長の男子が息女を娶るような事もないでしょうから」


 ただそれだけの事をして走り去って行った人間に対して、まるで野盗か何かのようなずいぶんな物言いをする尼僧をまた殴りにかかったが、まったく柳に風である。


 朝倉景紀に下間頼照、それから七里頼周。まだ斎藤龍興はましかもしれないが、それでもまともな大人の男に二年間四葩は会っていない。


 自分は尼僧などではなく、あくまでも俗人。大名の娘と言う一流の俗人として、為すべきは為さねばならない。そうやって僧としてのやり方に難渋しているから俗人の浅井に勝てないのではないかと内心で舌打ちしてみたが、自分の俗人のやり方が僧に通じない事も四葩は忘れていた。







 そしてそんな浮かれていた俗人の背中を、尼僧は決して見逃さなかった。

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