下間頼照、酒に溺れる

「なんだ、たったこれだけか」

「そんな事言われましても」



 まったく何の意味もない会議もどきから二日後、さっそく頼照は農民に召集をかけた。


 だが集まって来た農民の数は少なくも士気も低く、これまでに増してまともな装備もない。百姓一揆だからしょうがないと簡単に言うにしても、一年前の高虎と言う雑兵よりまともな装備をしている人間さえほとんどいない。



「ほどなくあの天魔の子がやって来るんだぞ。あの男を討てばそれこそ千石の領主に任命する旨ご門跡様も仰せになっている」

「朝倉の侍はそれこそ我々よりずっと強いんでしょう?その中の大将をぶった切り、それから次の戦で一人で三十人近く斬り倒したようなのを」

「だからそなたらの力が必要なのだ、一人で駄目なら大勢でかかれば良い。名家の少女をかどわかして手籠めにせんとするような男だぞ」

「名家と言いますけど、その名家ってのは」

「確かに、朝倉はかつて敵だった、だが今はそうではない。あの第六天魔王とそのしもべと化した浅井と徳川により滅ぼされたのだ、それを守る事こそ御仏の慈悲であろう」



 まったく調子のよい理屈である。義景が生きていた時の朝倉と加賀の一揆の力はほぼ互角であったのに対し、今では朝倉は浅井に身を屈してかろうじて生きているだけの状態である。

 はっきりとした弱者になった途端に助けると言うのであれば、能登の畠山氏だって救済対象になるはずだ。だと言うのに頼照は畠山に加賀が落ちれば次は能登だぞとか呼びかける事さえしていない。


 元より加賀が四~五十万石、能登は二十万石程度しかない上に現状の畠山氏はかなり弱っている。足利将軍家でさえ形を保つのにほうほうの体の現状に、畠山・斯波・細川及び京極・赤松・一色・山名と言ういわゆる三管四職の末裔でまともに大名の体裁を守っている家などほとんどない。


 だいたい名家の少女とか言うが、ここの農民たちの中にその名家の少女こと朝倉の姫たちがどこにいるのか把握している人間は一人もいない。さらにかどわかすとか言うが朝倉の娘を朝倉家の元に連れ込むのは、誘拐ではなく救出である。


「にしても、もう少し用意できなかったのか?ちゃんと聞いただろう」

「でも」

「仏敵たる浅井などにひざを折るか?」

「そのようなことは、ですがその浅井軍は」

「浅井は必ずや御仏の前に屈する!恐れなど抱くではない!」

「聞いたと言われましても、どこのどなた様から」

「どなた様からとは何だ!まさか今初めて浅井来ると聞いたとか言うまいな」

「へえ、その通りでございます」




 頼廉はここでようやく農民たちが質量とも貧相な理由に気が付いた。




(きゃつめ、逃げたな)


 あれほどの袈裟をくれてやりながら、まともに浅井の脅威を説こうともしないままに逃げ出してしまった。今頃は浅井に尻尾を振っているか、それとも能登か越中か飛騨、下手をすれば美濃に入っているかもしれない。


「とにかくだ、もはや浅井が来るのは時間の問題だ!御仏と共にこの地を守り、この国を極楽浄土とするのだ!」

「どうやってですか」

「どうやっても何もあるか!全ては御仏を信ずれば良いのだ!」



 裏切り者の存在に内心怒り狂った頼照は、そっぽを向いて話を無理矢理終わらせてしまった。百姓たちが後ろでどんな顔をしているかなどまるで興味もなさそうに、二日前と同じように北東を向いて去って行った。


(まったく、何ゆえ仏法をむやみに疑うのだ!ただまっすぐに信じておれば全てうまく行くと言うのにまるで顧みる事もなくああだこうだと無為に舌を動かしおって!)


 二度三度のみならず、幾度でも抗弁して来る。そしてそれに対しいくら言葉を返しても、まるで減らず口をやめる節がない。戦は水物である事など百も承知だろうに、たかが遠征の一回負けたぐらいで一体何だと言うのか。







 ここしばらく、頼照たちは坊主頭ばかり並べて話し合っていた。実際に戦う事になる地侍や農民たちの姿はなく、まったく戦場を知らないはずの人間ばかりが話し合っていた。

 石山でも同じだったのだが、石山でうまく動いていたのを加賀にそのまま持ち込んでもうまく行くとは限らない。










「それにしても……」


 別に織田や浅井が何かした訳でもないのに、加賀には荒れ寺が多数あった。そのほとんどが一向宗に敵対するそれであったが、一向宗の寺も荒れていた。



「まったく、こんな事をやっていては浅井に付け込まれるだけだ!今こそ我々が主軸になって仏敵に立ち向かわねばならんと言うのに!」



 太って袈裟がきつくなり足取りの重くなった頼照は農民たちを駆り出して城砦の建築や寺の補修をさせていたが、その補修が最近つとに鈍くなり始めた。農民たちの動きが遅く、さらによく見れば女子供老人ばかりで男がいない。彼らの中には地べたに倒れ込んで半分目を閉じているような者もおり、見るからに限界と言うべき状態だった。


 確かに農作業に出ている住民たちがいるのは間違いないが、だとしてもあまりにも貧相である。


「そなたら、浅井により皆殺しにされたくなくば動け!」

「はい……」


 せっかく頼照が声を上げても、返事はまともに返って来ない。動いている人間はそれより手伝ってくれと言わんばかりに無言で動き、動けない人間だけが返事をしているような状態である。


「浅井の手にかかった同胞たちは血まみれとなり、痛く苦しい思いをした!同じ思いをしたくないし、させたくないだろう!これはそのための戦いなのだ!」

「…………」

「浅井は織田の同族だ、織田がそうしたように浅井も人を狩り、仏を潰し、寺を焼く。それがもし望みであるのならば今すぐ去れ。止めはせぬ」

「ではお世話になりました」




 その上にほんの少し脅しをかけた途端に、いきなり一人の男が走って逃げ出した。頼照があっけに取られている間に男は若い坊主たちに追いかけられる事もなく視界から消え去り、後には男が運んでいた木材だけが残された。


 そして農民たちは逃げた男に向かって恨めしそうな目線をぶつけながら、まるでそよ風が吹いた後かのように作業を再開した。


 恨めしそうな目線であったが、同時に力強くもあった。その力強い目線は、先ほどまで頼照にぶつけていたそれとは全然違う。その事に気づいた頼照の傍らで馬を引いていた小坊主たちはさっと頼照から離れ、男が落とした木材を持ち上げた。


「何をやっている」

「我々は一向宗の人間です。一向宗の寺社を建て直すのは当然の行いです」

「そうか」


 本来ならこの後、他の宗派の寺を襲撃しそこにある物資を奪う計画を立てるはずだった。それなのに二人の出しゃばりな小坊主たちのせいで時間が無駄になったと馬上でいらだちをこらえながら寺をにらんだが、まるで動きが速くなることはない。





「お前たち、疾く作業を行え!さもなくば地獄へ堕ちるぞ!おい、聞いてるのか!」


 頼照にしてみれば切り札を切ったつもりだったが、これで速くなったのは小坊主たちだけだった。百姓たちはああそうですか元からそうなんですけどと言わんばかりに、これまで通り自分たちなりの目一杯の速度で動いた。


「もう行くぞ……」

「はい、よろしいのですか」

「本人たちなりに目一杯なのだろう、下がって良いぞ」


 見せつけるかのようにわざとらしく首を大きく振り、下を向いた頼照は百姓たちと同じように、気力の籠っていない目をしながらゆっくりと駒を進めた。






 苛政は虎よりも猛なりとは孔子の言った言葉だが、なるほど虎は逃げきってしまえばそれまでの存在である。そして苛政と言うのは確かに虎よりも猛ではあるが、結局のところ一生限りである。


 あるいはその一生は来世のための糧であると言うのは宗教の根源のひとつである。そして僧たちが必死になって修行に励むのは現世では迷える衆生を救うためではあるが、同時に来世に自ら良い世界へと生まれ変わるためでもある。


 だが、宗教による苛政となると話は違ってくる。苛政の範囲は基本的に国家または都市であるから、逃げようと思えば別に死を経なくても逃げる事もできなくはない。そしてさっきも述べたように死ねば確実に終わりである。




 しかし宗教の場合、地獄が存在する。最も軽い地獄である等活地獄でさえ、六千年の責め苦が待っているとされる。そうやって現世のみならず来世までも縛り、今が苦しかろうが逃げればもっと苦しくなると思いこませ拘束するのだ。


「まったく、どうして皆わざわざ地獄を選ぶのか……いくら考えてもわからぬ」

「まずうございますぞ」

「何がだ」

「あの坊主も農民も浅井に走る可能性がございます。彼らから内情を漏らされたら一大事です」

「何を言う、あんな不心得者どもに率いられるような軍勢など物の数ではない。と言うか今更どうやってだ」

「浅井の手の者が入らぬように越前との国境を封鎖すべきかと」

「わかった、すぐさまやれ」


 焼け石に水の価値もなさそうな事はわかっている。それでも何もしないよりはましである事には仕方がないからそう命令を出す事にした。


(まったく、こっちだって越前の事はわかっているのだぞ、にわか越前領主の浅井長政めが!)


 内心ではそう毒づいてみるものの、たかが小坊主からこんな指摘をされた事がまた腹立たしくて仕方がなくなり、その度に浅井や高虎たちに対する憤りが膨らんだ。










「ああ、まったくどやつもこやつも!御仏のお心をなんと心得ている!無間地獄に堕ち幾千万年の責め苦を負う事がそんなに望みか!」


 夜のとばりが落ちかかった中、頼照は加賀一向一揆の本拠となっている大きな寺の隅っこの小さな部屋で一人わめき散らしていた。

 百姓に会えば会うだけ、浅井との戦いに対し良き見通しが立たない事が分かってしまう。と言うより、自分たちが歓迎されていないような気分になって来る。


「浅井も織田も徳川も、なぜ勝ち続ける!御仏はなぜ暴挙を見過ごしになられるのだ!」


 浅井は現在進行形で自分たちを踏みにじり、織田は比叡山を焼き続いては伊勢長島の仲間を焼こうとするだろう。そして徳川も両者の送った援軍により天台座主こと武田信玄が当主を務める武田軍を打ち破っている。



 自分たちは連戦連敗中だと言う事だ。



 勝たねばならない。勝たぬから百姓の信頼が薄れるのだ。それはわかっている。しかし、どうすればいいのかまるでわからない。

 石山本願寺のように西の毛利家や南の雑賀衆と言った友好勢力を当てにする事は出来ない。伊勢長島のようにそれほど強力な地元勢力がある訳でもない。山城や丹後を経由し、また朝倉家の治世の時代に秘かに渡っていたはずの加賀であったが、こうなって見ると文字通り陸の孤島である。


「あの男だ、あの天魔の子さえいなくなれば……」


 この際だとばかり坊主たちの安全を約定して投降しようにも、あの高虎を殺さない事には話にならない。他ならぬ頼照自らが「天魔の子」と呼ばわった人間に頭を下げるような事をすればそれこそ本末転倒である。殺されるならまだともかく、下手をすると本願寺に背徳者として突き出されるかもしれない。


「ええいっ!」


 頼照は大声を上げて小坊主たちをおびえさせながら大股で歩いて堂に入り込み、そのまま座り込んで経文を唱え始めた。



(浅井滅すべし、織田滅すべし、藤堂滅すべし……)



 恨みつらみを込められた経文は堂内を駆け巡り、薄暗い堂にたたずむ仏の顔を曇らせて行く。単純に大声を出して唾が飛び湿度が上がった結果でもあるが、もちろん頼照はまったく気づかないし指摘できる者もいない。


「下間様……」

「おのれ天魔の子め……!」


 呼吸を荒げながら立ち上がった頼照の目付きは高虎どころか勝家以上に鋭くなり、なおさら人を近づけなくなっていた。


「例の物を頼む!」

「はい……」


 本来心を静めるべきはずの経文をいくら読んでも心は落ち着かない。こんな事が最近幾たびも続き、頼照はだんだんと眠れなくなっていた。







 うかつに目を閉じようとすれば、すぐさまあの天魔の子こと高虎が太刀で自分たちを切り裂こうとする絵が映る。


 不思議なことに農民たちに囲まれている中、正確に自分たちだけを狙ってくる。


 笑っていたり無表情だったり引き締まっていたりと顔は変わりまくるが、いずれにせよまるでかなわない事には変わりはない。


 たまに金属製の錫杖を振る事もあるが、それもまた簡単に叩き斬られる。



 先ほどの部屋に引っ込んだ頼照の前に、小坊主の手で徳利が置かれた。その徳利をわしづかみにして口を付け、中身を流し込んでいく。


「はあ、はあ……」

「下間様!」

「頼む、もう一杯……般若湯を……」


 その般若湯なる液体を本来なら一口でも口にする事などまかりならぬ事など、とうの昔に忘れていた。浅井に知られればそれこそ腐敗の端緒であるとまた責められるような物を恒常的に口にし、そして今は半ば薬として用いている。




 結果的に般若湯を三杯頼照は喉に放り込んでようやく眠りに付いた。堂の中には大いびきが響き渡り、勝手に寝ずの番の見張りを成立させていた。

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