下間頼照、独裁権を振るう

 天魔の子こと藤堂高虎が小谷城で侍女相手に政談を垂れ流していた頃、加賀では坊主たちがその童貞男ひとりにおびえ対策会議と称して寺に集まっていた。


 多数の坊主たちがやたら輝く仏像の前で、坊主たちが車座になって加賀の地図を囲んでいる。




「最近農民たちの中には一向宗を棄てる者が現れ始めております。一向宗に加わったからあの天魔の子により襲われるのではないかと思い詰め、ひそかに他宗に鞍替えすれば救われるのではないかと」


 まず加賀に生まれ育った一人の坊主が口を開き、支持基盤と言うべき農村の現状を訴える。


 ――――坊主だけが狙われ、俗人はどんなに抵抗しても金穀を与えられる。しかも坊主であっても一向宗でなければ構わない。



 そんな噂が昨年から加賀に流れている事は皆知っている。



 武士にしても坊主にしてもしょせん下の者の支持ありきであり、領主として認めてくれる人間がいなくなればあっと言う間に地位は失われる。非生産者である彼らが飯を食えているのは、端的に言えばまったく百姓のおかげである。


 そういう意味では武士と坊主の地位は全く対等であり、対等な存在同士が競い合うのはまったく不自然でも何でもない。


 ただでさえ浅井勢は坊主ばかりを狙って来る、いくら天罰を唱えてもまるで馬耳東風と言うのが一向一揆の中での共通認識になっていた上にこれであるから、ますます領内は不安定になっていると言うのだ。










「どうせだまし討ちにされるのがオチだろうに、また苛烈な支配を望むなど百姓は何を考えているのかとんとわからぬ。考えてもみよ、浅井はあの織田の眷属だぞ。織田が比叡山を焼いた事を知らぬ訳でもあるまい」

「そう言われましても」

「まさか浅井がその話を止めている訳でもあるまいに、そなたの口が足りぬのではないか?」

「滅相もございません!」

「では早速そうせよ、ほれ善は急げだぞ」


 その百姓の支持が急激に離れていると言うのにまったく取り付く島もない本願寺の坊官・下間頼照に対し加賀の坊主はさらに顔を赤くして訴えにかかったが、頼照の口からは全く厄介払いとしか言いようのない返事しか出て来なかった。



 実際問題、信長が延暦寺を焼き討ちにした事、浅井がその信長の同盟勢力である事は十分に言いふらしている。その上でこの結果なのをどうにかしてくれと訴えたいのだが、頼照は面倒くさそうに手を振るばかりである。



「では金穀や武具などを」

「足りぬと申すか」

「雪などもうほとんどございませぬ、さすれば浅井は」

「あればとっくに出している」

「浅井にはありますが」

「本願寺からここまでどれだけ離れていると思っている、そんな物が運べるのならば浅井などとっくに存在しておらんわ。浅井から奪えばいいではないか」

「奪えとは、それは御仏の」

「民百姓から奪い取った金穀の成れの果てだ、構う事はあるまい」



 頼照の言葉と共に、本願寺から来た人間のみならずほとんどの坊主がうなずいた。


 実際問題、頼照は本気でそう信じていた。




 織田信長は自ら魔王などと名乗り、本願寺に敵対する気満々である。なればその挑戦を受けるより他ない。



(仏法にもとる行いを繰り返すのであれば仕方がない、金穀も武器も我々が使ってやるべきだろう)


 その事を知って織田と同盟関係にある浅井や徳川を誘った事もあったが、両者ともまったくの梨の礫であった。

(「あきらめてはならぬのです、いつかは二人とも己が過ちに気付くはず。二人が気付かずとも他の誰かが目を覚ましてくれると考えます」)

 それでもなお頼照はそう顕如をあおって調略を続けさせていたが、そんな事をするまでもなく本願寺内部での織田・浅井・徳川に対する反感は高まっていた。織田は言うに及ばず浅井もまたこんな調子であり、そして徳川家康だって三河の一向一揆を鎮圧して大名になったような家だ。



 なればこそ織田または浅井の領国となり、かつ元々朝倉の領国であった越前で構う事なく略奪行為を行わせ、その大半の民からそっぽを向かれても平然としていたのだ。








「ですがそんな事ができる状態では」

「信仰が足りぬのだ、とりあえずあれを持って来い」


 そんな話に酔っている頼照が加賀の坊主に寄越したのは、いかにも上物な袈裟一枚だけだった。薄汚れた床に無造作に放たれた袈裟はまったく音を立てる事もなく、窮状を必死に訴えていた人間の前に落ちた。


「こうして身なりを整えれば百姓たちもそなたの言う事に耳を傾けよう。わかったらすぐそうしろ、良いな」

「…………」




 その坊主が表情を失った顔で寺からいなくなると同時に、本願寺から来た坊官たちは深くため息を吐いた。


「ったく、この地の住民はなっとらんな」

「ええ、御仏を捨ててあんな外道共にひざを折ろうとするなど、来世に地獄へ落ちる事をなぜ望もうとするのか」

「それもこれもすべて浅井のせいですな!」

「とくにあの藤堂とか言う輩はまったく許しがたい!衆生を極楽浄土へと導くべき我々をまるで恐れる事もなく殺す!鬼畜にも劣る輩ぞ」

「やめい、鬼畜に対して詫びよ」




 そして声が届かなくなるのを確認するや、加賀の住民への罵倒とくだらない冗談で破顔し出した。仏像の前で品もなく笑い、中には倒れそうになる者もいた。






「とにかく、ここで北に敵を失ってしまえば浅井も織田も全力で南下できると言うのに。そうなれば良民たちは破滅です」

「上様にももっと協力していただかねばなりませんな」

「ええ、幕府の長たるものここで立ち上がらねば誰もついて参らぬと言うのに」

「一応動いてはいるようですがな」

「もし我々を盾にするようであれば、その時はその時と。ご門跡様もそのようにお考えらしく」

「とにかく我らの教えを広めねばなりません。加賀のみならず越前、いや近江や美濃にも」

「仏のために生きる者は極楽浄土へ行く、ただそれだけの事とは言えこうも手こずるとは思いませんでしたがな」

「だからそれが甘いのだ、我らに与せぬ者は全て地獄へ堕ちると言えば良いのだ」

「なるほどさすが下間様」




 そして笑い声を止めて背を正して見たものの、出る言葉は変わっていない。


 前向きな戦略もなければ、民百姓のための案を考えるような事もしない。

 せいぜいがいかにして農民たちの信仰心をあおり、浅井や織田との戦いに駆り出すかである。

 その上で室町幕府の長である征夷大将軍足利義昭を全く気安く呼びながら、茶をすする。長政が敦賀城で飲んでいたそれの倍以上の値が付いている事など知る由もなく、文字通り湯水のように飲んでいく。


「さて、話が決まった所で早速その通りに動くと致しましょう」

「ええ、では解散と言う事で」

「貴殿らの思いがあれば、必ずや仏敵を滅ぼせよう。愚僧は厚く礼を申すぞ」


 頼照は鷹揚そうな笑みを作りながら、坊主たちを見送った。そして堂に誰もいなくなるやゆっくりと立ち上がり、仏像に尻を向けながら寺から去った。










(あの男をどうやって滅するか……拙僧には正直自信がない。あそこまで動じようのない男がいる限り、この首が繋がっている保証すらない気がして来る……)


 不安を覚えるたびに念仏を内心で唱えてごまかそうとするが、その度になおさら増幅されて返って来る。







 頼照に取り、越前での戦いは悪夢であった。


 あの藤堂高虎とか言う男は、まったく仏法を恐れようとしない。坊主頭を見るやまったくためらうことなく太刀を振るい、冷酷なまでにその首を刎ねようとする。


 頼照は、仏のために死ねば極楽浄土に往けるなどと本気で信じてはいない。そんな人間が事実上頂点にいるのだから、下は推して知るべしである。自らから得物を振るって切り込んでいくような僧兵と言うべき坊主はほとんどおらず、ほとんどがあっと言う間に逃げ出してしまった。

 それこそ仏の力だけで戦って来たと言うか勝てると思い込んでいた人間が、その絶対的なはずの力が通じない相手にどうやって勝つと言うのか。

 民衆を駆り出しただけに一応数だけはあったが、大将が真っ先に逃げ出すような軍勢の兵卒がどのような思いを大将に抱くのか、答えは明白である。




(比叡山もずいぶんと計画的に焼かれたようだからな……)


 口では暴挙暴挙と言っているが、比叡山がどう焼かれたのか正確な所を見た坊主はほとんどいない。

 とりあえず抵抗する物を斬り殺しては誰かれ構わず火を点けたと言いふらしているが、その過程で兵器に鋳潰せそうな仏像などは運び出されたとかも言われている。

 そして普段仏罰を振りかざしている自分たちへの当てつけかのように、仏に罰を与えていると言い放った事だけは少なくとも確実であった。


「何がそこまでする事はなかろうだ!」


 比叡山の僧の中にそう抗弁した者がいたと言うその事実は、恐ろしく不愉快だった。まともな信仰心など頼廉にはないが、だとしても仏に罰を与えようなどと言う発想自体がごう慢極まる事だけはわかっている。その発想に屈したも同然の物言いをした男は、信長の手により助命されたらしい。


「おのれ浅井め、必ずや仏罰を当てさせてやるからな!」


 頼照は北東を向きながら、誰にも聞こえないほどの声で浅井への不満を唱えた。その呪詛がいずれ浅井と高虎にむごたらしい死をもたらす事を望み、その上で自分が顕如と共にこの国の中枢に立つことを望みながら。

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