藤堂高虎、恋愛相談をする
ほんの少し前まで雑魚寝が当たり前だったと言うのに、今や畳の上で心地よい布団が待つ寝所で眠るのが当たり前になっている。
もう十分稽古もしたしあとはゆっくり寝るかと思って戸を開けると、年かさの侍女がわざとらしくしなを作りながら高虎の前にひざまずいていた。
「若君様、今宵はご当主様の命により夜伽を行わせていただきます」
「夜伽とは」
「男子が男となるための修練でございます」
藤堂家がただの土豪だった時代からの侍女、高虎にとってはまったく見知った顔の存在ではあるが、それだけにこのような姿は予想外だった。
彼女自身が既にどこかの男との間に子を為している事は知っているが、あるいはだからこそここまでそれっぽい演技ができる物なのかと高虎は無邪気に感心していた。
その上でゆっくり寝て体を休めようと言う時にそんな話をさせられて迷惑だと言う思いもあり、眠気と退屈さと相まってあくびが出そうになってしまう。
「まったく、不意打ちをかけたのがまずうござったと言うのですか?」
「ああ、まずい。こちらはもういい加減寝る気満々だったのだぞ」
「はぁ……眠気覚ましになるお話でもございませぬか」
高虎の流した涙の正体に気付いた侍女が薄闇の中でもわかるほどの失望の表情を浮かべるが、高虎は何をわびるでもなくうっとうしがるだけだった。
「まだ十六の若造が言うのも何だが、相手が求めているかいないかぐらいわからないのか」
「若君様はここ最近女性を求める事激しいとうかがいましたが」
「女性ではない、妻だ。無論自分の中の勝手な理想の存在としてだがな」
ここ最近と言う単語すら取り繕いでしかない。本当にここ一日の話だ。
自分が不能だとは思わないし、別に男色家だとも思わない。長政はともかく信長や家康にもそういう存在がいてそういう事をしているのは聞き及んでいるが、高虎は迫った事も迫られた事もない。
「ずいぶんと贅沢なお方ですね」
「当たり前だ、私はもう五百石取りなのだぞ、あの阿閉様の居としていた屋敷に入り込んでいるほどの人間なのだぞ。少しは贅沢をしても罰は当たるまい。あの真柄親子の息子の直基や、山崎長徳と言う人間まで仕えてくれている。彼らを守るためには少しぐらい贅沢してもいいではないか」
「ですから自分のためにです」
「自分のためだぞ」
「家中には若君様は不能ではないかと言う噂が立っております」
「臆病もほどほどにしろと言う事か」
何もない日は朝になると刀を振り、朝食を取ってしばらくして家内の事をするか刀を振る。真剣だったり木刀だったり違いはあるが、政務に関わる事がない場合はそれこそ一日中でも平気でやる。
そうでない日でも夕食が終わると毎日、日が暮れるまで刀を振る。その事により体が心地よく疲れ、ゆっくりと休める。体に良いし飯もうまい、何より鍛錬を怠って戦場で命を落とす可能性も減る。時には直基や長徳のような家臣を集め、教えを乞う事もある。
そこに女が入り込む余地などなさそうなほどに、高虎は武士らしく生きているつもりだった。
「まじめにお話をお聞きください」
「まったく、父はもう今年で五十七歳だというのになおも盛んらしいな」
「はい、まるでお子様二人の分を吸い上げたかのように」
「五十七とか八とか、そのぐらいの年になっても前線で戦い続けられる将になりたい物だな」
「他に話す事はないのですか」
「ああ、このような屋敷でできる事を喜ばねばなるまいな。兄上のためにも」
「もう、いいかげんに色を覚えて下さい!」
侍女は声を荒げるが、高虎の耳にはまるで入らない。
高虎はもう舟をこごうとするのを無理矢理我慢しているような状態であり、正座しながら右腿を掴んでいるのはあきらかな眠気覚ましだった。
「これを見ても何とも思わぬのですか!」
「徳川殿や織田様が言うには、武田は歩き巫女と言う間者を使い情報を集めさせるらしい。あるいはこういう事もするのであろうな」
「ああわかりました!好きなだけその手の話をして下さい、いくらでも付き合いますから!」
やけくそのように胸をはだけても高虎の口から出るのはこんな言葉ばかりであり、完全に侍女を直基か長徳としか思っていない。明白な厄介払いである。
そして色事から離れれば離れるだけ、高虎の頭が冴え、目が輝き出す。抱き付いたとしてもこうやって懐に潜って闇討ちを行う気なのかと言われる事が見えてしまってふてくされた侍女が服を直すと、高虎はようやく機嫌を直したようになった。
「あくまでも私見だが、浅井は遅くとも来年の内に加賀を攻撃する」
「加賀をでございますか」
「おそらくは加賀全土を取る事になると思う」
朝倉との大戦、そして越前国内の一揆との戦いからまだ一年足らずでさらに戦いを進め、しかも加賀の一向宗を全滅させる。長政の側に居てずっと見て来た高虎は本気でそうすると思っていた。
「本来ならば去年の内にやりたかったんだろう、だが連戦に次ぐ連戦の上に領国が膨れ上がり過ぎた。その疲弊や領土の分配の手間があり今までかかってしまったと言う訳だ」
「そんなまさか!」
「兄上が亡くなったのも伊賀を巡る戦いでだ。織田様は西へ東へ北へ南へ、まさしく八面六臂の戦いぶりを繰り広げている。そんな存在を見ておきながらただ傍観していた事がお館様は相当に悔しかったのだろう。昨年一年間内政に集中して徹底的に産業を興し領民を潤す事に尽力した。体勢さえ整っていればすぐさま加賀を潰したかっただろうに、まったく織田様はものすごいな」
「……ああ、そうですか」
どうしてここまで楽しそうなのかと侍女に思わせるほどには高虎は変わった。
信長の話をするだけで急に舌が止まらなくなり、疲れていたはずなのに元気になる。女としてはうんざりなのにだ。
「若君様は天魔の子とか呼ばれているそうですが、今宵意味が分かりましたよ」
「元々は一向宗が寄越した烙印だ。単に武士らしく目の前の敵を斬っていたらいつの間にかそう呼ばれるようになっていたらしい。まったく、自分としては当たり前の事をしただけのつもりなんだけどな」
「そうではなくて、若君様の初恋の相手は織田様なのですね。そしてそのお方に惚れこみそのままずっと握り込まれたままであると」
「ああなるほど、もしかして私はその初恋の相手に特攻してしまったのかもしれないな。あれからもう二年経つとは信じられないが、ああいう風になりたいからこそあんな真似をしてしまったのかもしれない。まあ、無理をするなって話だがな。それでもあれほどの英雄」
「お静かに」
「ああしまった、ついその気になってしまうとな……」
「あーあ、まったく並の女人ではそんな英雄に勝てないと言う事がよくわかりましたよ。それだけでも今日は甲斐があったと言う物です。それで加賀のお話の続きをお願いいたしたいのですが」
虎高も高則も、この高虎の唯一の悪癖を気にしていた。信長について好き放題語らせると、それこそ圧倒的なほどの力でしゃべり続ける。
言いたい事を言い終わらないか止めないか限りは延々と続き、長政に対するそれよりもずっと長くなるほどだった。
そして高虎自身、この悪癖が兄を殺したのかもしれないと言う自責の念にかられる事もある。
自分から信長と言う存在のすさまじさを聞かされ続けた兄が、その織田に関わる戦に参陣する事により自分の目で弟の言葉を確かめてやろうとしたのかもしれないと。
高則が何を思って伊賀へと出征したのか高虎は聞いていないが、元より七つも違う次男坊である分だけ気楽だった自分と兄とはあまり付き合いがなく、自分の手で長政の側近とか二百石の禄高を勝ち取っても兄は大した感動を示す事もなかった。ただ生まれた村に引っ付いて、そのまま過ごしていた。高虎たちが小谷に屋敷を与えられたのは兄が死んだひと月後であり、もし兄が生きていたらやはりその生まれ故郷に引っ付いていたかもしれない。
「ああそれでだ、越前での戦いによりかつて朝倉にいた者はその多くが浅井に付いているらしい。加賀の一向宗は天敵であり今さらそちらには走れないからな。だがまだ、多くの者は浅井に本気で従っているのかどうかわからない」
「浅井と言う朝倉に従って来た家になど仕えられぬと言うのでございますか」
年上らしく信長へのお熱に浮かされた主君を慰める侍女により落ち着きを取り戻した高虎は正座を解いてあぐらをかくと、二度ほど深呼吸を繰り返した。
そして再び加賀の話に戻してくれた侍女の期待に応えるかのように、高虎は再び自分なりの見識を述べる。
真柄隆基や山崎長徳と言う旧朝倉家臣が入っているだけに朝倉の事情にも高虎は詳しく、そして朝倉の現当主である景鏡の元に旧朝倉家臣の集まりが悪い事も知っている。
主君である義景を真っ先に見捨てたとか、浅井と言う朝倉の配下同然だった家に仕えたくないとか言う理由はあるが、それ以上に朝倉の旧臣には気がかりがある。
「いや、義景殿の男子が一人残っている。その男子を立てればまだ名目は立つ」
そう、どうしても問題となるのは朝倉愛王である。
浅井家は一年かけて愛王たち義景の遺児を探し回ったものの、一乗谷が落城する寸前に城から逃げ出し加賀に逃げ込んだと言う事しかわかっていない。もう一乗谷の落城から一年半以上経っている以上、行方不明としか言いようがない。その上生きていたとしてまだ三歳であり、とても大将など務まる訳もない。
だが何と言っても正当後継者であり、景鏡などと言う織田や浅井が据えた傀儡政権の主ではないと言う魅力は大きい。
「愛王と呼ばれている義景殿の御曹司には多数の姉がいる、と言っても一番年かさで十三か十四だそうだ。仮に加賀にいるとすれば、それこそ災難でしかないだろう」
「加賀の一向宗に虐げられていると言うのですか、仇敵であったからこそ」
「いや大事にされているだろう、越前を攻める絶好の大義名分だからな。だがその目的に使われた所で今の朝倉殿と何が違う?」
「確かに……」
朝倉にはもはや自立する力はなく、他家の配下として生き延びるのがせいぜいだった。
浅井に利用されるか、一向宗に利用されるかのどちらかしかない。もちろん浅井に利用されるのも不幸だが、それでも高虎自身仇敵であった一向宗に使われるよりはましだと思っている。
「それでだ、もし仮に義景殿の側室は既にこの世を去っているとしたらどう思う?」
「それが何か」
「側室とは言え愛王と言う跡目となるべき子を産んだ事もあり愛されていたようだ。その女性は、夫の死が免れぬような状況にあって生き延びた事を喜ぶものだろうか」
「私にも子はいますから、その子のためにいくらでも生きようとしたでしょう」
「私の妻は、そういうふうに子どものために泥水をすすってでも生きてくれるような女人がいい……」
「なるほど、その線で話を進めさせてもらいます。まったく、ずいぶんと話の長い方ですね」
「これが私の快感だからな」
長々とした政談の上にようやく女人の話にたどり着いた事に侍女が満足して部屋から立ち去ると、高虎は先ほどよりずっと満足な顔で舟をこぎ始めた。
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