柴田勝家、嫉妬する

 金ヶ崎城は、それほど大きな城ではない。一乗谷城から比べればまったくの支城であり、一日で陥落させられる程度には平和な中にいた城である。




「とりあえずはこの城は越前における浅井家の中心となる。天筒山城を解体し、その上で改築を進める方向で行ってもらいたい」

「確かに、ここでどこの誰と戦うのかわかりませんからな」

「とにかくだ、彼らを裏切らないようにしてくれよ」


 金ヶ崎周辺のいわゆる嶺南地域は、朝倉義景と言う悠長な男が治めていた越前の中でも特に悠長な地域だった。朝倉唯一の敵と言うべき一向一揆が来るのは北からだけであり、美濃の斎藤も東からしか来ない。


 そのせいでか一日で城が二つ落とされても、領主が配下同然であったはずの浅井家に変わっても、何事もなかったかのように新たな城主へのあいさつに来ている。その多忙の暇を盗んで、長政は貞征と言葉を交わしていた。




 十万石と言っても、その十万石がまるまる浅井家の懐に入る訳ではない。

 今回の場合浅井家の取り分は三万石で、金ヶ崎の城主に任命された阿閉貞征に三万石、他の家臣に四万石が振り分けられる事になる。


「ずいぶんと執着なさるのですな」

「兄上からの言葉でもある、耳を傾けて損がなければ傾けるまでだ」

「まだ未熟者である事を叩き付けられたようですがな」

「言葉が重なっているぞ」


 阿閉貞征は浅井家の重臣たちの中では比較的年かさであるが、それでもこの戦でそれほどの功績を上げている訳でもない。それに派閥で言えば久政派であり、長政派の員昌や清綱にしてみればあまり面白くない話である。




 ——また、藤堂高虎なのだろう。


 一人の家臣を事実上引き抜く形になった手前、これぐらいの誠意を見せねばならぬという誠意に満ち溢れた判断。見え透いているのはわかっていても、これぐらいの事はしてしかるべきだろうと言うのが長政だった。




 その藤堂高虎が二日前、疲労困憊になって帰って来た時は長政も貞征も妙な汗をかいた。蜂須賀とか言う織田の陪臣を名乗る男の話によれば織田の重臣の柴田勝家にいきなり一騎討ちをふっかけられ、かなり重たい槍を渡されたあげく逃げ回った結果だと言う。


 たらい回し同然にあちこちを振り回された上にそれとあらば、あんな風に泥のように眠り目を覚ますや目の前の食事にかぶりつくのもむべなるかなとしか言いようがなかった。



「柴田殿と言うお方が万夫不当の将であることは拙者も存じ上げています。それがなぜまたあの高虎などに」

「武士の本懐と言う物かもしれないな。強い相手と見たからこそどうしても戦ってみたくなったのだろう。その上で木の棒で挑む辺りさすがよくわかっておられる」

「殿、とは言え高虎は木の芽城に奇襲をかけた戦いが初陣でした。見た目からしてもまだ若輩者である事はわかるはず。にもかかわらずいきなり挑みかかるとは、あるいは織田様の眼がなければ本当に命を奪うはずだったのではないでしょうか」



 人間を殺すのに刃物などいらない。縄で首を絞めるか、さもなくば牢獄に入れて数日間水も食べ物も絶つか、あるいは石を頭に叩き付けて頭蓋骨を割るかすれば死ぬ。


 木の棒とか簡単に言うが、小枝とかならともかく大木の丸太の硬度であれば簡単に兜を叩き割る事もできる。突き出すにしても、圧倒的な力を持って胸に当てれば内臓に大きな負担をかけられるし、肉体を弾き飛ばす事による打撃も与えられる。

 その上に使い手が使い手である。高虎と言う若輩者ながら大柄な男が持て余すような武器を軽々と投げ落とせるような柴田勝家が振るのだから、それこそ十二分に凶器足り得るはずだった。



「喜右衛門、それでまさかその柴田殿が越前に来るとか言う事はないだろうな」

「まだわからぬ以上、何とも言える物ではない。兄上もいきなり越前のほぼ大半は誰かに割くような事はしないでしばらくは代官のような人物を置くはずだ。それが柴田殿であればそれなりの対応をするまでだ」

「柴田殿と言うお方について、藤堂与右衛門は何か」

「戦を楽しんでおられる、その上で相当に自信がある上に潔いと」

「喜右衛門、取り越し苦労と言う奴だ。お前もあの一騎討ちの経緯を聞いただろう?そんな人間がむやみやたらに暴れ回るとは思わん。あくまでも兄上の指示ありきの暴れぶりに過ぎないのだ」



 高虎に重い槍を寄越して自分が木の棒を握ったのは、言うまでもなく自分が負けないし命を奪う気もないと言う意思表示だ。その上であるいは一刀のもとに勝負を決めるつもりであり、その見込みを外されてなお圧倒的な戦いぶりを高虎に見せつける事ができた。紛れもなく強者のそれだった。







「いずれにせよ一旦小谷城へ帰る。その上で改めて、そなたの金ヶ崎城城主の任命とその周辺の領国を与える旨伝える」


 城主の座が内定している貞征とその手勢、細かい国境を定める役目として直経と長政直属のわずかな守兵を金ヶ崎城に残して、長政は員昌や清綱ら重臣や、高虎らの近習と共に小谷城への帰途に付いた。




※※※※※※※※※




「柴田殿、気持ちはわしも重々わかるがの」

「静まれ!」


 長政が凱旋帰国していた頃、柴田勝家は越前を駆け回っていた。


 越前の国力からすればかなりの大軍と言える一万三千を集めた上での敗戦の挙句、景鏡が無条件降伏したためさすがにこれと言った勢力は残っていないとは言え、朝倉の領国を織田が治めるのは楽な話でもない。

 よく言えば穏やか、悪く言えば世の中から遅れていた義景の統治の中で、朝倉の民は自然に義景が抱いていた織田への見下しめいたそれと同じ感情を抱いていた。


 そしてその感情の量は、朝倉の民が浅井を家臣として下に見ていた感情より多かった。


「我らの役目は越前に立ち入らんとする加賀一向一揆の芽を摘むこと。民百姓が困窮すれば彼らは必ずや立ち入ってまいりますぞ」

「わかっておる!だからこそお館様のように、盗人をぶった切っているではないか!」




 他人の稼いだ銭を一銭でも盗む者は即死罪と言う信長の刑法は、かつて漢の劉邦が打ち出した法三章や朝倉家の家法である朝倉孝景条々と比べるとかなり過酷である。義景の統治とは比べるまでもない。


 その法に従い、勝家は郎党を率いさっそく数名の山賊を斬り殺した。それに伴い大量の出所不明の金銭を手に入れ、織田家の財貨としてとりあえず蓄えている。


「此度の異動に伴い、丹羽殿の領国も空きましょう。そこが狙い目です」

「にしてもなぜお館様は佐久間殿ではなく五郎左(長秀)を!」


 勝家は怒り怒りこの前高虎に持たせた槍を振るっている。その度に野盗たちの血が大地に流れ、赤土をなおさら赤くする。




 滝川一益、佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀———―。




 この四人が現在の織田の最上層部と言うべき四人である。この内一益は伊勢攻略を担当する役どころであり越前などに関わる事はない。だからこそ勝家にしてみれば、越前は自分たち三人の誰かの領国になると思っていた。


 その上で織田家の本国の美濃とも接している以上、新たなる最前線となるのはまず間違いない。だからこそ、自分が一番力を発揮できると思っていた。





 だが信長は既に、越前を丹羽長秀に担当させる事を決めている。



「この越前の北は加賀だ!加賀の一向一揆はあの本願寺の分家とも言っていい事は知っているだろう!一揆勢だろうが何だろうが、わしが全部打ち砕いでやろうと言うのに!」

「さすれば女子にももてると」

「真面目に物を言えこの禿鼠!女人にもてるもてないのために戦をする奴がどこにおる!?それにわしは一度僧籍に入った身だぞ!本願寺の生臭坊主どもでもあるまいし、女子など貴様と違って不要だ!」



 身長も目線もはるかに下のくせにやけにせせこましく動き回る小男、勝家が武を振るう一方でその成果を正確に記録しまた各村々の実態調査に勤める役どころを任された禿鼠こと木下秀吉の戯言その物の物言いに対し、勝家は先ほど山賊を殺した時よりも赤い顔になって怒鳴り散らした。


 柴田勝家はかつて信長の弟の信勝に付いて信長と敵対しており、その際信勝方の中心人物であったため信長から許されにくい立場だったが、髪を切り坊主となって罪をわびた事により許されたと言う過去がある。だがもはや十二年も前の遠い過去であり、それを蒸し返す人間などもう織田には本人以外いない。



「これが終わったらおねにたくさん抱いてもらい、その上でめいっぱいまぐわいもせねばなりませぬ。まだ側室など持てませぬゆえ、正妻たるおねを大事にせねばなりませぬからのう」

「うるさい、正確に記せ!」

「おっしゃる通りにいたしますとも!」


 時々ありえない思いつきをして見事に成就させ大功を上げて出世するのが秀吉だが、その思いつきから離れても仕事は正確である。元々重臣の家である勝家と違い読めない字も多い秀吉だが、それでも蜂須賀小六らに筆記させて書き写す帳面には何の誤りもない。


(まったく……もしおぬしにわしほどの立場があったならば、それこそあの嫁を顧みず輿入れを止めにかかっただろうに……わしが年をうんぬんするのもおかしいが、貴様も十二分に身の程知らずだわ!)







 お市の美しい事は輿入れの時から、浅井家の共通認識となっている。言うまでもなく、実家である織田家でもその美貌を称えられて来たし、我こそはと思う者もいた。


 柴田勝家もまた、その一人だった。現在二十四歳のお市に対し勝家は四十九だが、それほどの年の差がありながら勝家は本気でお市に惚れ込んでいた。


 武田信玄やその父信虎、と言うかほとんどの戦国大名がそうだったように妹や娘を家臣団や他の家に嫁がせて勢力を固めたり拡大したりしたように、お市もいずれ家臣の誰かに嫁ぐのではないか。

 そういう考えが浮かび上がるのももっともであり、勝家もまたその可能性について真剣に考えていた。


 だが実際にはその時まったく他人だった浅井長政とか言う存在に嫁がされる事になり、尾張どころか美濃からも離れてしまった。お市が長政と婚姻したのは斎藤家が滅ぶ三年も前であり、その間にお市は六歳で死に別れた信長の父・信秀を祖父にした。




(あの小僧、まるで浅井の小童みたいに逃げ回りおって……)




 勝家はもし許されるならばあの時高虎を、と言うか長政の頭を叩き割ってやりたかった。まだ美濃も落とし切れていない時分に横からいきなり割り込んで主君の妹をかっさらい傷物にした憎たらしい男。その上にすでに男児、すなわち次代の浅井家の当主を作り、自分が死んでもこの子がいるぞと見せつけている。



 これらの全てが思い込み以外の何でもない事はわかっているが、どうにもおごり高ぶって見下しているように感じてならない。表向きにはただどれほど強いのか見たいと言う純朴な武士心理をぶつけた事になっているが、もし信長の目がなければあの長政が寵愛しているらしい自分以上の大男を叩き斬り、お前などその程度に過ぎないのだと長政に見せつけてやりたかった。

 結果としてただただ逃げ回るだけと言う醜態をさらさせたものの、してやられたと言う気分の方が勝家の中では圧倒的に優勢だった。



 織田と浅井領がまだ決まっていない事を理由に一乗谷城の南東、美濃越前の国境方面を勝家は今回まともな戦が足羽川一度しかなかった事も含めてうっぷん晴らしを含めて駆けずり回り、秀吉はあくまでもゆっくりと付いて行っていた。

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