藤堂高虎、たらい回しに遭う

「そのような調子でどうする?」

「はっ、その……」

「とりあえずうぬらの身は五郎左(丹羽長秀)に預ける。もしその名を騙り織田に反する者が出た場合、うぬらは景鏡殿に付きその手足となれ。では下がって良い」


 景固と吉継は、初めて対面した信長の前で縮こまって叩頭していた。基本的にゆるい義景と違う、まったく厳しい主人。


 返り忠と言えば体はいいがさしたる功績も上げられないままの、実質ただ投降しただけに終わった両名に対し、信長は厳しい裁定を下した。




「まったく、いささか面倒な事になったものよ」

「ですが、景健は死に景紀も行方知れず。もはや朝倉の中に求心力がある人間は残っていないでしょう。今更朝倉の赤子を駆り出して何ができるのか」


 朝倉景健の死亡は投降した兵から確認できているが、景紀の行方は未だ知れない。だがその兵のほとんどは既に一乗谷に入城した織田軍の配下に付いており、もはやまともな戦闘力はないはずだった。


「確かにその通りではある。だがなればこそいくらでも騙れる。無論何度も出していればさび付きもするが、少なくとも一度はその宝を繰り出せる」

「恐れながら、いささか逸ったのではと愚考いたしますが」

「もし朝倉義景と言う人間が、備前守や三河守ほどであれば話は別だがな」




 既に織田に投降した景鏡に朝倉家の当主の地位を信長は与えているが、だからこそ正当後継者と言うべき愛王をかつぎ出す重みも増してしまう。


 とは言えそれは、あくまでも一度しか使えない切り札でもある。義景に男児が一人しかいない事は周知の事実であり、二人目以上はそれこそただのはったりでしかなくなる。


 それに朝倉義景の息子と言う肩書きはあまり力を持つ物ではない。義景がどの程度の人物かは、越前の人間はみなわかっている。平常時ならばそれなりに務まるが、戦の時には大して活動できない人間。それが朝倉義景だった。


 そんな一度滅んだ御家の再興の旗頭としてはまったく不適当な人物の血を受け継いでいるとすれば、期待は起きにくい。


「妻子はどうなりましょう」

「妻は景鏡曰くあまり家内での評判が良くないらしい、新たな朝倉には邪魔だろう。確か娘は四人いたらしいが、見つかった時は景鏡の養女にでもしてしまえばいい」

「かしこまりました」

「それでだ。おい、猿」


 佐久間信盛がとりあえず事は済んだとばかりに深くうなずくと、信長は後ろに控えるひとりの男を呼び付けた。美形と言うにはほど遠い文字通りの猿顔であるが、その立ち居振る舞いと相まってなぜだか不愉快に感じる人間は少なかった。


 その木下藤吉郎秀吉、通称猿。その二つ名の通りにすばしっこく目端の利く彼を、最近信長は寵愛していた。



「何でございましょうか!」

「そなたは徳川殿の陣に行って参れ」

「もしやと思われますが藤堂殿とやらを」

「わかったら速く行け、もしおらねば備前守の下へ行け」

「ははっ!」



 秀吉の耳にも、藤堂高虎と言う人物の噂は入っていた。



 あの日、朝倉の内情を改めて探るべく信長の元を離れていた間に闖入して来た藤堂高虎と言うあまりにも大胆な男、それこそつい数年前の当時まだ斎藤家の領国であった美濃に潜入して情報を得た自分のような男。


 これがもし浅井家の内部で浮くような事があれば織田に呼び込むか、あわよくば自分の配下にしようかと思っていたのが秀吉だった。





 そういう野心も込めて秀吉は高虎よりはるかに優れた馬術を持って、足羽山の徳川の陣へと駆け込んだ。


「申し訳ございませんが、それがし織田の使いで参った木下藤吉郎と言う者でございます!」

「何用だ!」

「ははっ、此度主君から朝倉討伐の御礼を申し上げたいとの事で」

「虚礼ならば不要だ!先の戦いで織田殿は幾たびも主君に厚き礼を述べられた!」


 秀吉に真っ先に相対した大久保忠世からいきなり敵を見るような目で見られても、秀吉は丁重かつ低い姿勢で頭を下げる。


「まあまあ、もはや戦は終わったのです。そのように肩の力が入っていては疲れますぞ」

「だから織田殿に申し伝えよ!もうこの戦については終わりましたと!」

「何をそんなにいら立っておるのだ」

「ああ殿、織田様の使者です!」


 秀吉をして攻め落とせないような要害に籠城した忠世の門をこじ開けられるのは、やはり家康しかいなかった。渋面を崩さぬまま後ろを向いてひざまずいた忠世は、邪心のない笑顔に挟まれながら首を横に振るしかなかった。


「で、使者の方がまた何用で来られたのだ」

「織田様曰く、朝倉討伐に多大な功績を残していただき誠にありがとうございますだそうです!」

「なぜそのような事を言うのだ忠世!」

「酒井殿や石川殿の手前もあり殿を危険にさらすような真似はなるべく避けよと申しつけられていたのです!ささ、役目も終わったでしょう、早くお帰り下さい!」

「そんなご無体な!あの藤堂高虎と言う男を」

「ああおりますよ!おりますとも!とっとと連れて出て行ってくださいませ!あーあ浅井殿もご心配なさっていると言うのに!」


 そしてまた藤堂高虎かと忠世がやけくそになって叫ぶと共に、秀吉は陣の中へと走り込んで行った。忠世が秀吉に聞かせるように大声でため息を吐いたが、秀吉の足を止められる物ではなかった。







「いやこれまた、噂には聞いておりましたがずいぶんなお体をしておりますなあ。この木下藤吉郎にしてみれば、正直うらやましいの一言です」

「この知恵のない男の才能と言えば、それしかありませんからね」


 秀吉からしてみれば、高虎は文字通りの大男だった。その体躯から出される速度と持久力をもって織田陣へと駆け込み、そしてついこの前は城に潜入して富田とか言う敵将を討ち取ったのだと思うと、秀吉は単純にうらやましかった。


「しかし、もう三日も経ちます。それがしは疾く殿の所に戻りたいのに、徳川様が殿には了解を取り付けたからと」

「ずいぶんとご熱心ですな」


 刀の代わりに振っていた棒を地べたに置きながらひざまずくその姿は、猿と言われている秀吉からしても大猿、いや猩々やましらと言う類のそれに思えた。


 だがこの程度の大男ならば、秀吉も見慣れていた。親友の前田利家もかなり大きな体躯だったし、信長だって利家ほどではないが大きかった。

 そしてその大半が体躯に物を言わせるような粗暴な男であり、かつては小男の秀吉をさいなむ立場として、現在は手のひらで踊らされる立場として関わって来た。





「何かお気に召されたのでしょうかな」

「木下様こそ、ずいぶんと織田様には可愛がられているようですが」

「おやまた、なぜそのようにお考えで?」

「木下様は、それがしをどうにかしたいのでしょう?」

「お館様が、どうしても連れて来いとおっしゃってまして!」

「でもやはりそれがしの主君は浅井備前守様ただ一人、そのお方の了解なくば」


 そしてこの高虎という男はごう慢とも取れる発言をかましておきながら、まったくおごり高ぶる様子はない。これまでの数日の自分を取り巻く環境の急変に対し正確な視点を持ち、その上で自分がそう振る舞うべきだとしっかりわかっている。


 これをどうにかするには裏表なく真意をぶつけるしかないと思い言葉を放つと、高虎はすぐさま言うべきことは言わねばならぬとばかりに斬り込んで来る。

 武道に長けていない事が分かっている身でさえも思わず身を引いた方が良さそうなぐらい鋭い主張に、秀吉は思わず口を閉じそうになってしまった。


「ですがその、浅井様とてお館様の義弟!どうか、どうか再びお会いいただければお市様もお喜びになり申す!」

「あ、ああそうですか……では、でもとにかく備前守様の」

「わかり申した、わし自ら行って参ります!」




※※※※※※※※※




 一昼夜足羽山の陣にとどめ置かれていた高虎は知る由もなかったが、一乗谷陥落の報を受けた浅井軍はこの時小丸城に入城しており、足羽山からはさほどの距離もなかった。

 だから秀吉が小丸城まで行って帰って来るまで半刻の間もなく、高虎をもうしばらく預かりたい旨を告げて秀吉は徳川陣へと戻って来る事ができた。




「どうしてまたこのような」

「わしがその方に興味があるだけの事よ」

「拙者はあくまでも備前守様の家臣です!」


 その秀吉から約束を取り付けたとか言われて再び織田陣に入った高虎は、信長に対しいきなり吠えて見せた。


 一乗谷という場所など、高虎は入った事はおろか見た事もない。


 高虎にしてみれば全く雲の上の世界であった。もしこれが員昌や清綱であったら、もう少し感慨の一つや二つあったかもしれない。


「いきり立つな。例えばの話だ、その方はこの先浅井はどうなると思う?」

「どうなると申されましても、とりあえずは十万石ほど領国を増やしていただけるのですよね」

「無論だ。越前と若狭の国境も備前守に任せる事になる。まあ幸い若狭の武田は我らの側の存在になるが、最近どうも中身がやかましいようでな」


 久政ほどではないが、近畿の国人にも織田という東からやって来た大勢力をいぶかしく思う声は絶えなかった。若狭武田は織田方であったが、領内で謀叛が断続的に起き続けていて、良好な関係とは言えない朝倉家を討つと言う出兵にもまったく協力できなかった。


「その謀叛側が反織田となる可能性は高いと」

「ああ間違いあるまい。さすれば摂津河内はおろか織田領の南近江から京の都への道も危なくなる。織田には正直味方は少ない。徳川と浅井、ほぼそれだけだ」

「そのような」

「徳川殿には此度まことに世話になった、次徳川殿を助ける時にはそれこそ全力で参らねばなるまい」

「浅井もまたしかりと言う事でしょうか」

「言うまでもあるまい。まったく、見事な事をしてくれたものだ」



 この戦において、徳川はまったくの他人である。だと言うのに浅井や織田よりはるかに危険な真似をやって見せた。それこそこの戦の最大の功績者と言うにふさわしいそれであり、これを軽んじれば損をするのは自分たちばかりだろうと高虎にもすぐわかった。



「さて聞くが、徳川の敵とはどこだ」

「武田でございましょう」

「そうだ、あの風林火山の旗を掲げた武田信玄だ。正直な事を言えばあまり相対したくはない。だがお主らも余も、いざとなればこの恩を返しに行かねばならぬ」

「勝てるのでしょうか」

「損害を顧みねばな」




 確かにいくら敵が強かろうと、数を集めれば勝てる事は木の芽城の戦いでわかっていた。とは言え、将一人に二十人近くの人間を費やすのはあまりにも割に合わない。その計算で行けば千人を二万人で潰さなければ勝てないと言う事になるが、それこそ人がいくらでも生えて来ない限り無理である。


「まあ次にだ、この戦いで金ヶ崎の辺りは浅井の物となる、だが朝倉の領国の大半は織田の物となる……その織田の次の相手は誰か?」

「加賀一向一揆、でございましょうか」

「その通りだな。では聞く、仮にこの戦いの前に信長が越前一国を浅井に与えるとしたら浅井はこの戦動いたと思うか?」

「動かぬと思います」

「何故だ」

「いくら同盟相手とは言え虫が良すぎます」

「それだけか」

「正直な話、一向宗との戦いはしとうございません。死をも恐れぬ集団の集まりであり、その上にとんでもない大軍であると聞きます」

「まったく、浅井の兵がすべてうぬのような人間であれば浅井は十年で天下が取れるな」




 もしここで雑兵である故分かりかねる、などと言うのであれば問答を打ち切る予定であった。それほどまでに兵たちに戦う意識を浸透させていない長政はまだ当主としては不足かもしれないと判断すべきだと言おうとしていた信長は、高虎の言葉に舌を巻かざるを得なくなった。




 浅井に取り東と南は織田領であり、西は丹波や丹後と言った小大名がかち合っているせいで誰も攻めて来ないだけの土地だった。

 だが今度から、北を気にせねばならなくなる。目下の所織田が朝倉に代わって入る事になるが、その織田の更に向こうには加賀の一向一揆が待っている。


 織田領を挟んで敵が待っていると言う事で言えば東の武田も南の本願寺も同じだが、美濃は織田家の本領のひとつであり、南近江は上洛への大事な通り道であり守りも強固である。

 だが越前は長年朝倉家の統治にあった土地であり、義景が織田家を軽視して滅ぶ事になったとは言えその統治に不満を抱く人間がさほどいなかった以上統治は楽ではない。




「すでに織田は一揆と幾度かやり合っている。彼らは逃げんのだ」

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