藤堂高虎、初陣を飾る
居竦んでいる兵たちを無視して南門へたどり着いた長繁が見たのは、既に南門を乗り越えて内側から城門を開けようとしている織田軍の兵士たちだった。
「このっ!」
腹立ちまぎれに槍を突き、織田軍を狙う。
時が経てば経つだけ、見通しが暗くなって行く。あるいはここで逃げるべきなのかもしれないと思いながら槍を突き、門に手をかけようとする織田軍を狙う。結果、ひとりの雑兵を刺す事には成功した。だが、間に合わない。
「ああ、城門が開けられてしまいました!」
「申し上げます!浅井軍の姿が見えません」
「織田軍がなだれ込んできます!」
「織田軍の大将は丹羽と言う男の様です!」
何にも内容のある事を言わない兵士たちに、長繁はいいかげん失望した。
何が重要で何が重要でないかてんでわかっていない。
今必要な事は敵将を把握する事ではなく敵を追い払う事だと言うのに、こんな調子なのが朝倉軍の現実だった。
丹羽だが何だか知らないが、とにかく倒すしかないのだ。口ばっかり達者で何が兵だと言うのか。
「とにかくだ、織田の兵を斬れ!それ以外何もするな!」
ようやくその声と共に幾人かの兵がその当然の行動に移ったものの、それとほぼ同時に城門が開く音が城内に鳴り響いた。
地獄の釜の蓋と酷似したその音にせっかく上がった意気は簡単に消沈してしまい、今織田軍に向かおうとした兵が真後ろに向きを変え出した。
「申し上げます!北門が破られました!」
「どこの誰にだよ!」
「あ、浅井軍です!あ、浅井が裏切りました!」
その上に浅井の裏切りである。予想していた最悪を簡単に上回る展開に、もはや長繁は吐き出す言葉すらなかった。
長繁は悟りを開いたかのように、単独で兵たちに背を向けて走り出した。その後ろからは兵たちの悲鳴や恨み節が聞こえて来たが、長繁は振り返らなかった。
※※※※※※※※※
「敵である以上、ためらえばこっちが殺されるぞ!」
織田勢に囚われている隙に城を通過し、後方へと回った浅井軍はそのままがらんどうになっている北門より潜入していた。
五百を率いる物頭の声とともに、高虎は走り出す。高虎同様、若い兵士たちをかき集めた「奇襲隊」には朝倉に対するためらいはない。浅井の事しか知らない兵士たちは、それこそ我先にとばかりただの敵として朝倉軍を斬りまくる。
(確実に手柄を取るにはあわてる必要はない……)
高虎は兵士たちの後方に付き従い、打刀を抜きながらゆっくりと走った。
「おら!」
「このっ!」
その間にも、他の兵たちは次々と戦果を上げていく。勝ち戦が目に見えている以上、後は個人の手柄稼ぎである。
中には数人単位の兵の隊長を斬ったり、逃げ出そうとした守将の一族を捕らえたりした者までいる。言うまでもなく雑兵の首級より将の首の価値は高い、それこそ金銀財宝に類するお宝である。
「おいどうした高虎!今さら迷いがあるのか!」
「お前がそんな奴な訳ねえだろ、力を使い果たしたのか!」
だが勝ち戦とて、犠牲が皆無と言う事にはならない。必ずや数人の犠牲が出る。
浅井軍が勢力の集中している南門にたどり着くまで、六人の命が失われていた。朝倉軍の損害は死傷者投降者合わせて浅井軍の手にかかったそれだけで三ケタであったが、それでも犠牲者が出たと言うのは紛れもない事実だった。
その犠牲者の事を思いつつきれいな刀を掲げきれいな鎧を着ながら、高虎は既に四人の雑兵を斬った物頭の後を付いて行く。
「どうした高虎、お前は人を斬るのが怖いのか」
「死ぬのは怖いですが」
「それで何が兵士だ!」
自分がいるだけで、皆がやる気になる。だからこそ今回はおとなしくしていようと思った高虎だったが、それでも自分自身の手柄を求めない訳には行かない。
「敵将はどこだ!」
「朝倉の将、富田長繁よ!手柄が欲しくば取りに来い!」
やがて中身を全て運び出された武器庫の中で、ひとりの男が吠えているのを発見した。事実上の守将と言うべき男の姿に、浅井軍の兵士たちは色めき立った。
「俺がお前の首を取ってやる!」
「落ち着いてください、誘っているのです!」
「俺はお前とは違、ぅ!」
この作戦に加わった兵のほとんどが高虎を強く意識していた。
高虎にだけは負けたくないと考えたり、高虎とか生意気なんだよと思ったり、高虎とは違うと主張したい気持ちが渦巻いたりしている人間。彼は三番目であったが、いずれにせよ大手柄を立ててやろうと言う気持ちがあふれ返っていたことだけは間違いない。
ましてやこの物頭の場合、自分を通り越してなぜいの一番に高虎に声がかけられたのかと言う不満が溜まっていた。まぐれ当たりではないのか、これほどの舞台であれば自分のような古強者の方が良いのではないか。
実際、物頭だけでなく同じ感情を抱いた人間は多かった。
「さあ来い!手柄が欲しければくれてやる!」
それが結果的に兵士たちを煽って闘争心をむき出しにさせ、また同時に長繁の前に物頭が首級を授けて士気を高める事となってしまった。
その物頭の最期を見た高虎は一人長繁から目を離し、この時初めて逃げ惑う雑兵に向かって走り込み、初めて刀を血に濡らした。
「くらえ!」
「ぐわあ!」
「この!」
「ひいっ!や、やめてくれ降参する!」
人を殺すのはこれが初めてだった。それでも浅井のために、我が身のために、この初陣の舞台を華やかな物にしようと高虎は死に化粧を求めた。
結果的に三人の戦果と三人の降伏者を得た高虎が満足して戻ると、浅井の兵士たちが一列になって一点に向けて突っ込んで倒れていた。
逃げ惑う雑兵を織田勢が担当しているのをいい事に、武器庫の周辺に集った浅井の兵たちは長繁に向けてその刃を振るい続ける。長繁の背後にはもはや兵はなく、壁しかなかった。
だがそれゆえに、数で押される事もなかった。ひとりでも多くの道連れを作ってやろうとたくらむ長繁の前に、浅井の兵たちは次々に散っていた。
「ここだ!」
高虎は、この時を待っていた。長繁が傷を負い、得物の長巻の振りが鈍くなっていくのを。そして長繁の鎧が赤くなるのを。
高虎は長繁に向けて走り出し、その喉に向けて打刀を振るった。将に確実に勝つにはこれしかない事を認めていたからこそ、素早く走って素早く振るう事も出来た。
もはや反応する力も残っていなかった長繁の首はその気合の一撃により宙を舞い、武器庫の床を赤く濡らした。
「敵将、富田長繁殿、藤堂与右衛門が討ち取ったり!」
高虎は長繁の首級をたかだかと掲げながら、自らの名を叫んだ。
それと共に刀槍も、宙を舞った。朝倉家の将兵が降伏したと言う証だ。
※※※※※※※※※
「誠に素晴らしい戦果だ」
「しかし物頭は討ち死にしてしまいました」
「残念だ。そしてそなたはわしの押し付けた捨て駒同然の役目からよく生き残ってくれた」
「逃げる兵を後ろから斬っただけです」
「それでも敵将の首級を取ったのだ、戦果としては十二分であろう」
「たまたまです」
木ノ芽城の中で、高虎は長政から太刀を受け取っていた。その初陣を終えたばかりの男を軽蔑するような視線など、もうどこにもない。
ああいう任務を命じた長政に、高虎を厄介払いする意思はなかった。だが信長と言う人間に高い評価を受けた所で、それは織田家の人間の評価でしかない。あくまで、浅井家の中で認められる評価が必要だったのだ。
その期待に見事応えた高虎は長政自らから丁重にほめ言葉と恩賞の太刀を受け取っておきながら、恐ろしく低姿勢だった。
実際、高虎とて長繁がいつ倒れるかという正確な見通しがあった訳ではない。
それこそ長繁がわざと雪隠詰めのような状態になってくれたからこそ計算ができただけで、普通に集団で取り囲むような事になればそれこそよくて囲んだ数人分で等分の戦果とされるか、あるいは首の奪い合いによって最悪死ぬかもしれない。
「この戦が終わるとどうなるか分からないから今のうちに言っておく、見事だな高虎!」
「ありがたきお言葉にございます!」
「ああとにかくだ、今後ともどうかその太刀に誓って励んでもらいたい!」
この時代下の名をじかに口に出来るのはよほど目上の人間か、それとも敵味方の関係かのどちらかである。もはや高虎はそんな身分ではなくなるだろうと言わんばかりの長秀の賛辞に、まだ血の気の多かった木の芽城は一挙に和んだ。
「それでこれから我々はどうすれば」
「浅井の方々はここでお控えください。今回先鋒になったのですから今度は後方をお守りくだされば幸甚です」
ひとつ戦が終わると先陣が第二陣になり、一旦後方を固める事に専念する。
そして残る軍勢が危機に陥った時は後方支援を行う。一見普通の話だが、それでも簡単に履行できる物ではない。大きな成果を上げたはずの浅井軍に、小さなため息がこぼれた。
とにかく木の芽城を一日で落とした丹羽長秀・浅井長政連合軍はその木の芽城に留まり、城内の整理と共に援軍の準備を整えていた。
「次の戦場は小丸城でしょうな」
「そこには池田殿と徳川殿が行かれるのか」
「まあ備前守様、今日明日までゆっくりとお休みを」
「わかっております、それで朝倉はさすがに本腰で来るでしょうな」
「小丸城にはいかほどの兵がいるのですか」
浅井軍が動いたと言っても、活動したのは実質木の芽城を攻撃したわずか五百である。残る五千余りはほとんど疲労しておらず、その気になれば戦う事は出来た。
「織田軍一万五千、朝倉軍は三千です」
「は?」
だからこそいくら織田軍が早くて強いとは言え、それでも少しは出番が回って来るだろうとか考えていた所に放たれた丹羽家家臣の言葉に、長政より先に直経があきれてしまった。
小丸城は一乗谷防衛の最終戦一歩手前の地であり、ここを破られたらもう後がないはずだ。そんな場所を守らずに一体どこを守ろうと言うのか。
元々二万五千であった織田軍は占領地に兵を残したためだいぶ兵は減っていたが、それでも一万五千と言う数はまったく少なくはない。その上に徳川軍の五千がいるから都合二万であり、いくら城に籠っているとは言え七分の一でどうにかなる物だろうか。
「もう徳川殿は前進しておられるのだろう?」
「もちろんです」
朝倉家は越前一国で六十万石ほどの兵力を有している。つまり一万五千人の兵が投入できる計算になるが、金ヶ崎城にも木の芽城にもまともな兵力はいなかったとなると、長政は朝倉軍が一体どこにいるのかわけがわからなくなって来た。
「ああ備前守様!」
「大丈夫だ、問題ない。長束殿、それでは我々は」
「ええ、これ以上の戦いはいろいろ辛い物があるでしょう。ここで吉報をお待ち下さい」
東をいささか遠い目で見つめ出した長政を尻目に長秀の家臣は本丸を離れ、浅井の人間二人きりになった空間で、直経は長政に歩み寄り頬を軽く叩いた。
「ああ喜右衛門!」
「本当に高虎が浅井の人間で良うございました」
「それは」
「それがしは正直、織田と手を組む事はあまりよく思っておりませんでした。恩を仇で返したくありませんでしたからな」
「結局は浅井が一番大事なのだと言う事か」
時は五月、真夏である。
近江に住む直経とて、相模の北条氏康がかつて小田原城に籠城して上杉謙信の攻撃をしのぎ切った事は知っている。だがそれは長滞陣による敵将兵の疲弊と城の固さを頼みとした勝算ありきのやり方であり、その上に味方の軍勢が敵を外から攻撃してくれると言う期待ありきのやり方でもあったはずだ。
しかし浅井家がはっきりと敵対関係に回った今、朝倉家に同盟と呼べる勢力はない。一万以上の軍勢を残して後方を突いてと言う展開はなくはないが、だとしてももし織田がそういう隙を見せるような軍勢であると考えているのならば甘い見通しでしかない。
籠城した所で助かる当てがないのでは士気など上がるはずもないし、それにもし仮に一万人以上で籠城するとなればそれこそ住民の分と合わせて食糧の問題が一挙に深刻化する。そして仮に真冬なら雪を当てにする道もなくはないが、今は夏である。
「自家を大事に思う者こそ重用すべしか……」
「もちろん藤堂だけが肝要な訳でもございませんがな」
結局注目の的になっていた高虎が朝から自分が与えた太刀を振っている事も知らず、長政と直経はのんびり話していた。
そして次の日、木の芽城で浅井が力を見せたように、徳川もまた力を見せていた。
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