儀母の気持ち

儀母、故に、女

 出会いなんて、結婚なんて、もう懲り懲りだと思った。

 娘の萌々を産んだのは、まだ私が16の時だった。

 周りから散々に言われたけど、その時に付き合っていた彼とならやっていける……そう思っていた……のに。

 私のお腹に子供がいると分かって、あの男は逃げた。

 悲しくて、悔しくて、もしもそいつの顔を見かける事があれば、私は迷いなくそいつをぶちのめしてやると決めていた。

 高校に行く事もなく、私は毎日バイトをこなして萌々の為に頑張った。

 来る日も来る日も、喧嘩に明け暮れていた自分がこんなに一生懸命な事が何だか可笑しく思えた。

 それからあっと言う間に萌々は成長して、今じゃ高校生に。

 萌々が若い頃の私の様に喧嘩に明け暮れている時、ある人に出会って再婚した。

 もう懲り懲りだと思っていたのに、やっぱり心のどこかでは寄り添えるパートナーが居て欲しかったのかもしれない。

 2度目は幸せになる……心に決めていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「ふざけんじゃねぇっ!! その顔面に大穴開けてやるっ!!」


 まただ。

 また私は裏切られた。

 何でもっと早く、こいつの事を見抜けなかったのだろう。

 こんな奴だと分かっていたら、幸せになるなんて思わなかったのに。

 ただ、一度目と違う点があるとすれば、今度はそいつをぶちのめす事ができた事だろう。

 でも、こんな事をしても、気持ちは沈んだままだった。

 私は、幸せになれないんじゃないか……そんな事しか考える事ができなかった。


 「巳柑さん」


 彼が私に、優しく声をかけてくれるまでは。

 あの最低野郎の息子……恭君。

 自分が悪い事をしたわけでもないのに、必死に私に謝ってくる姿を見ただけで分かる。

 彼はとても優しい人なんだと。

 今までの奴とは違う、恭君から感じ取ることのできる思いやりも親身に寄り添ってくれる包容力も……恭君の全部が、私の気持ちを晴れやかにしてくれた。


  「あんな奴に付いていく事無いよ恭君。貴方はこれからもこの家に住んで良いのよ」


 そう言って恭君をこの家に引き止めた。

 私には、恭君の優しさが必要だった。

 いい歳した奴が何を言っている……なんて言われたって良い。

 それでも私には恭君が……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 最近になって自覚できた事がある。

 私は恭君の事を、一人の男性として意識してしまったみたいだ。

 手放したくない。

 もう恭君以上の人となんて出会えない。

 恭君といると、そんな事ばかり考えてしまう自分がいる。

 必死に儀母を取り繕っても、中身はどうしようもなく一人の女だった。


 「ありがとうございます、巳柑さん!」


 恭君。


 「大丈夫ですか巳柑さん? 俺手伝いますよ!」


 恭君。


 「お仕事お疲れ様です、巳柑さん」


 恭君。

 私の恭君。

 もし私が、この気持ちを貴方に打ち明けたら、貴方は私を受け入れてくれるのかな?

 受け入れてくれたら……その瞬間に私は貴方を押し倒しているかもしれない。

 だって、今でも我慢するの……大変なんだよ?


 「恭君❤はぁぁ❤恭君の匂い❤」


 だからこうやって、恭君の匂いの染みついたベッドで我慢してるんだよ?

 最近は仕事が休みの日はこうしてる事が多くなっちゃったなぁ。

 でも仕方無いよね?

 恭君の事、それ程想ってる証拠だから、ね❤


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「俺……この家を出ようと思います」


 心臓が停止したかと思うほど、血の巡りが感じられなくなった。

 恭君がそんな事を急に言い出すから。

 内心取り乱しつつも、その事を気付かれない様に恭君に理由を聞いた。

 その上で、何とか説得をしてみたけど……結局恭君はこの家を出て、一人暮らしをする事が決まってしまった。

 何とかできないか。

 どうしたら恭君は思い止まってくれるんだろうか。

 ダメ。

 ダメ。

 ダメ。

 それから数日して、私の焦りとは裏腹に、恭君は家を出て行ってしまった。


 「恭君……恭君……恭君」


 居場所は分かる。

 でも、何て言えば良い?

 折れて承諾したのは私だ。

 家まで行って連れ戻しに来たなんて言えない。


 「……そうだ」


 ふと、思い浮かんだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 テーブルの上に、恭君の家の住所が書かれた書類を置きっぱなしにして、私はキッチンに身を潜めていた。

 しばらくそうしていると、自室から萌々が降りてきて、その書類に気付いた。

 そして……。


 「でも大丈夫だよ。恭がどこにいても、私が迎えに行くからね❤」


 そのまま萌々は家を飛び出していった。

 言葉通り、恭君を迎えに行ったんだろう。

 萌々は恭君の事を本当の兄の様に溺愛していたから、こうすれば連れ戻してきてくれるだろうと思ってやってみたけど、上手くいったみたい。

 隠れて娘を騙すようなマネはしたく無いけど、これも私達家族の為……萌々なら分かってくれるはず。


 「お帰りって抱きしめてあげよ❤」


 ここが恭君の家なんだから、私がそうするのも、何もおかしな事は無い。

 今か今かと、私は浮ついた気持ちで、萌々が連れて来てくれるであろう恭君の帰りを待っている。

 勿論、大事な娘の萌々の帰りも。

 だって私達は――――――。


 「家族……だからね❤」



 ――――――小声で「今は、ね」と付け足したのは……私にしか聞こえない――――――

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家族の距離感-ライン- toto-トゥトゥ- @toto-

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