第25話 黒いマンション

 この大学の周辺で、最近様々な怪異が起こるようになった。

 下宿している女子が、特におびえているという。


「てなわけで、今日は土曜だ。午後、調査するぞ」

 体育会系の髙橋が、学食にいるみんなを見回して、そう言いだした。学内のサークル会の主要メンバー、男女数名。

 僕はもちろん、文系も文系の文学部。


 午前で講義が終わったから、さっさと帰るつもりだったのに、「たまには昼飯でも一緒にどうか?」と言われて、来てみたらこれだ。

「飯が不味くなるな」

 思わず心の声が漏れたら、髙橋がギロンと睨みつけてきた。

 まつ毛の長い、かたちの良い二重。

 男子学生の常として、僕も美人には弱いのだ。ボーイッシュなところも。


「分かったよ、やるよ」

 学食といえば定番の、片栗粉たっぷりの肉無しカレーを急いで流し込む。

 そう。カレーは飲み物だよな。


 手始めに、新入生の下宿女子が下校時に道に迷って出くわしたという、「不気味な黒いマンション」を探すことになった。何でも、尋常ではない雰囲気で、中からは呪文の詠唱のような声が響いてきたという。

 闇雲に探すのも時間の無駄なので、この辺りでは一番高い校舎の屋上に来てみた。郊外もいいところのド田舎なので、周囲は畑や農家ばかりで、高い建物はほとんどない。

 五月晴れの下、初夏の風が吹き抜ける。風になびく黒髪に見惚れてると。


「あのあたりが怪しいな」

 髙橋がきれいに爪を切りそろえた指で、北側を指し示す。

 そこには、このあたりで唯一背の高い、信金の建物があった。もっとも、上部の2~3階分は、胡散臭くなるほど陽気なキャッチコピーの、でっかい看板だが。


「よし、行くぞ」

 髙橋の一言で、ぞろぞろと降りていくことに。


 例の信金は、東西に走る広い通り沿いに建っていた。しかし、その左右は農家がずっと連なっていて、裏手に回るにはかなりの遠回りになりそうだった。


「おい、勝手に入ったら叱られるぞ!」

 髙橋が注意してきた。


「じゃあ、僕が一人で叱られるから、みんなはぐるっと回ってきてよ」

 でも僕は知っている。……いや、知っていた。この家の主を。

 去年の夏、地元の祭りを手伝った時に気に入られ、何度か訪れては昔話を聞かせてもらい、それをサークルの会誌に書いたりしてた。

 中でも面白かったのは、この土地の西にある山に封印された祟り神の話だった。

 ……でも高齢だったから、その冬に急死して、それ以来ここは空き家になっている。


 仕方ないな、という感じに髙橋は肩をすくめると、みんなを連れて通りを歩いて行った。

 僕は空き家に踏み込み、母屋を回って裏手の生け垣の隙間を踏み越えて、裏手にでた。表の通りと違って、北側の路地は生け垣やブロック塀で陽光が遮られ、薄暗くてひんやりしている。その路地を少し行ったところに、はあった。


 黒いマンション……確かに黒い。いや、壁そのものは白く塗られている。しかし、南側の信金のビルにぴったり寄り添うように立ってるために、一切日が差さず薄暗い。

 それに……じっと見つめていると、その薄暗い壁に、何か文様のようなものが浮かんでうごめいているような気がした。

 さっきの肉無しカレーが逆流しそうだが、少しは高橋に良いところを見せてやらないと。

 辺りを見回す。振り仰げば青空が広がり、小鳥のさえずりも聞こえる。のどかな田舎の風景だ。大丈夫。

 そう言い聞かせて、僕は殆んど真っ暗な正面玄関へと踏み入った。


 すぐに気が付いた。この建物の異常さに。

 マンションなら、日当たりなどを考えて、階段や通路を北側に寄せるはず。なのに中央部に階段があり、東西に通路が走っている。これでは、北側にはまったく日が差さないことになる。

 少し通路を歩いてみると、どの部屋にもドアが無く、中は真っ暗だった。しんと静まり返っていて、人の気配はまったくない。

 東西に二、三十メートルほどで、三階建て。マンションとしては小さい。だから、エレベータも無いようだ。


 階段の所に戻り、吹き抜け部分から見上げる。上に行くほど暗さが増していて、最上階は闇の中に飲み込まれている。


(これは……ヤバイな)

 みんなを待ってから一緒に行った方がいい。

 いや、怖がりな女子とか可哀想だ。それに何かがあったとき、多人数だとむしろ危険かもしれない。


 僕は意を決して、階段を上り始めた。足音を控えて。しかし一歩上るごとに、僕の状態がヤバくなる。

 具体的にどこがどうと分からないけど、何か嫌なものが染みこんでくる感覚、増加中。

 二階。感覚の増加は感じるが、まだ影響はなし。そこで、三階へ。


 聞こえる。多人数が唱える、詠唱のようなものが。

 何か知らんが、あの嫌な感じがこのマンション全体に領域拡大。

 周囲はほぼ完全な闇。そのせいか、見えるはずのない呪文のような文言が、天井も壁も床も埋め尽くし、うごめいている。

 ヤバイ。なんというか、流れる詠唱は非常に危険な感じがした。


 逃げ出したい。その思いに反して、僕の足は勝手に廊下を西側に歩み出した。

 そして一番闇の濃い、南西の角部屋を覗き込んだ。すると。


 ほとんど闇一色の室内には、大勢の人影が座り込み、ブツブツと詠唱のようなものを唱えていた。その異様さに、僕は声も出せず立ち尽くすだけ。


 と、最後尾にひざまづいている一人が、こちらに振り返った。

 それは間違いなく、この年初に亡くなられたはずの、僕に様々な伝承を教えてくれた人だった。

 だがその両眼は、ただの黒い穴。


 僕は逃げ出した。その場から。

足音が残るのも気にしなかった。


 そして。僕は逃げ切って、黒マンションの入り口でへたり込んだ。

 ほぼ同時に、髙橋たちの一行が、マンションのエントランス前に現れた。


「よう、どうしたん……」


 髙橋の声が尻つぼみになり、僕の背後を見つめたまま固まる。


「お嬢さん」


 背後から声がする。昔話を語ってくれたあの声が。

 心が凍てつくような温度で。


「彼には大事な用があるので、失礼するよ」

 僕の手が掴まれた。

 そんなつもりは無いのに、立ち上がってしまった。

 そんなつもりは無いのに、振り向いてしまった。

 そんなつもりは無いのに……光のまったく無いまなこの老人に、付き従ってしまった。


 僕の名を呼ぶ髙橋の声が、僕の最期の記憶。

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夢日記 原幌平晴 @harahoro-hirahare

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