第十五話 神話級の魔法 ※ただしなんの役にも立たない

 とりあえず、パンとスープを食べ終えてからということになった。

 スープが入っていた器を片付けてテーブルの上をあけた後、素朴な色合いの小さなお皿を借りて、俺はそれを自分の目の前に置く。


 注目されているので、少し緊張する。ここで出てこなかったらどうしようかと少しだけ不安になる。

 大きく深呼吸をして、目を閉じて、唐揚げのことを思い出す。


 最初に思い出すのは、結局食べられなかった、あの鶏モモ肉。

 チューブのニンニクと生姜と酒と醤油、それからごま油を少し入れて揉み込む。そのまましばらく馴染ませる。

 厚手のフライパンに油を入れて、火をつける。熱くなるのを待って菜箸を入れる。ジュワジュワと泡が立ち上るのが見えて、鶏モモ肉に薄力粉と片栗粉をまぶして油の中に入れる。すぐにジュワジュワパチパチと賑やかになって、俺は次々と鶏モモ肉を投入する。

 段々と肉が浮いてくるのでひっくり返す。パチパチと大きく立ち上っていた泡が段々と細かくなっていって、音もピチピチと高くなる。そしたらすかさず取り出して、キッチンペーパーの上で油を切りながらしばらく置いて熱が全体に回るのを待つ。

 試しに一つ切ってみると、生姜とニンニクとごま油のにおいにヨダレが出てくる。

 俺は半分に切ったその唐揚げを口に入れる。醤油のにおい。その香ばしさ。モモ肉の弾力。中から溢れてくる肉汁。

 実際には、俺の口の中には唐揚げはなくて、ただただ溢れた唾を飲み込んでいるだけだ。俺は目を開けて、今の気持ちを自然と口にしていた。


「唐揚げ食べたい」


 その声と共に、右手のひらに熱が集まる。その熱は、唐揚げを揚げる直前にモモ肉をキュッと握って形を整えるみたいに、ぎゅっと手のひらの上で塊になる。そのまま指先に移動して、唐揚げになって指先から現れ、そしてそれは借りた小皿の上に落ちた。

 生姜とニンニクとごま油のにおい。期待通りの唐揚げが出てきた。多分、片栗粉が多めになったんだと思う、表面がちょっと白っぽく揚がった唐揚げだった。


「すごい、ホントに唐揚げだ……揚げ物のにおい……」


 ミノリさんがぼんやりと呟く。


「うわ、ホントに出てきた……」


 マコトの声ははしゃいだものではなく、表情も、どちらかと言えば若干引き気味に見える。気持ちの悪いものでも見たかのような目で、俺の前にある唐揚げを見ていたかと思うと、俺の手を取って手首を触った。


「え、これ大丈夫なの? シンイチ、気分悪くない?」


 マコトは魔力が減っているのを心配しているんだろう。今のところ、自覚はないので大丈夫と言っておいた。やっぱり若干引き気味に見えるが、気のせいだと思うことにした。


 オーエンさんは、鼻の付け根を摘むように目頭に手を当てて、大きく息を吐いた。


「ミノリと同じだ……」


 見せて欲しいと言われて、オーエンさんに唐揚げの皿を渡す。食べても良いかと聞かれてどうぞと答える。

 マコトも食べたかったりするだろうかと隣を見たら、こちらの問いかけより早く「いらない、食べたくない」と大きく首を振った。ひどい嫌がりようで、まるで俺自身を拒否されたような気持ちになって勝手にショックを受けたが、マコトからしたら得体の知れない食べ物だろうし普通は食べないと思い直して心を落ち着ける。

 この場では、食べたがっているミノリさんの方が異端なのだ。多分。


 オーエンさんはミノリさんの手を逃れて立ち上がると、皿を高い位置にキープして、じっと眺めたりにおいを嗅いだりしている。

 下から手を伸ばしてジタバタしていたミノリさんだったけど、椅子の上に上がって皿の上の唐揚げを奪おうとする。オーエンさんはその前に、唐揚げを摘んで口に放り込んでしまった。ミノリさんは、泣きそうな顔で「ひどい」と呟くと、椅子に座って机の上に突っ伏した。

 オーエンさんは持っていた皿をテーブルに置いて、唐揚げの油が付いてない方の手でミノリさんの頭をそっと撫でる。しばらく咀嚼してから、ゆっくりと唐揚げを飲み込んだ。


「これは、ただの魔力の塊だ。味はするし、飲み込めばその時は腹が膨れる。でも、魔力の塊でしかない、何も食べてないのと同じだ。これだけ食べていたらそれと気付かずに餓死しそうだな。下手に腹が膨れるのがタチが悪い」

「え、腹が減ったからって食べてたけど、意味のないことしてたのか、俺」


 なんだその役立たずな能力は。

 それじゃあ、俺は唐揚げを出しても、ただただ魔力を減らすだけじゃないか。

 せめて、ちょっとくらい何かの役に立ってくれないと、心が折れそうだ。


「俺が出す唐揚げって、魔力でできてるってことなんですよね。それを食べたら、食べた人の魔力が増えたりとかはしないんですか」

「しない訳ではないが……食べたうちのほんの少ししか、体に取り込まれないみたいだな。目には見えないから分かりにくいが……」


 ミノリさんの頭を撫でる手はそのまま、反対の手の親指と人差し指で丸を作る。その指先は、唐揚げの油でツヤツヤしていた。


「さっき君はこのくらいの『カラアゲ』を出しただろう。この『カラアゲ』を出すための魔力を、同じ『カラアゲ』で補おうとすると……そうだな、だいたい十個くらいは食べる必要があるだろう、もしかしたらもっと必要かもしれない。かといって、多く食べれば外から入ってきた魔力に体が過剰反応する可能性もある」

「めちゃくちゃ効率悪いじゃないですか!」

「まあ、もともと魔法というのは、効率の悪いものなんだ。魔力を減らしてできることといったら、自分でやった方が早いことばかりだ。そうだな……例えば、魔法で空気を動かして風を起こそうとしたとする。時間をかけて、魔力を減らして、ようやくカナデラの木の葉であおいだくらいの風が起きる。だったら、最初からカナデラの木の葉で仰ぐ方がよっぽど早いし疲れもしない。だから、この『カラアゲ』が特別に効率が悪いとも思わない。俺が問題にしているのは、もっと別のことで……」


 オーエンさんはそこで言葉を切った。額に手を当てると、溜息をつく。


「本当に、信じられないんだ。ミノリの時もそうだったけど。普通は、魔法では何かを生み出すことはできない。これまで、それができたことという話はないし、神話か古い伝承にそういう話が出てくるくらいのものだ。そのくらい、魔力から何かを生み出すっていうのはあり得ないことで……それが二人も……」


 そんな風に言われても、俺の能力が役立たずなことに変わりはない。


「まあ、マコトが言うように、使い過ぎれば魔力欠乏になって死ぬ恐れもある。この魔法は使わないように生きていくのが良いだろう」


 折れそうだった俺の心は、もうすっかり折れてしまった。折れた心に、オーエンさんの言葉が突き刺さる。


 生きていく……生きていく? この世界で?

 この先、俺は、ここでどうやって生きていくのだろう。

 俺にあるのは、すぐ疲れる軟弱な体と、使えなくなったスマホ、それから役に立たない唐揚げを出す能力だけだ。






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 女神グエンフイヴァルは森の中で一番高い木の上に立つと、その右の御手を空に差し伸べた。すると、その右の御手から水が溢れ出した。

 女神グエンフイヴァルは、今度は左の御手を大きく横に薙いだ。すると、その左の御手から風が吹き出し、右の御手から溢れる水を森に運んだ。

 女神グエンフイヴァルの水を受けて、森の木々を燃やし広がっていた炎が消えた。炎が消えたので、隠れていた鳥たちが現れて、森中に火が消えたことを知らせて回った。

 その知らせを聞いて、森の獣たちはまたその姿を表すようになった。

 女神グエンフイヴァルが右の御手から出した水は、炎を消し去ったあと、同じように全て消えた。女神の御技によって現れたものは、長くその姿を留めない。

 女神グエンフイヴァルは、ルーウェリンをこの地に呼んだ。ルーウェリンに森を守る知恵を授け、この森の守り人とするためである。


 ——森の民に伝わる神話より

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