第十六話 行き掛かりで薬草師見習いになった

「シンイチ、どうしたの?魔力足りない?」


 考え込んでしまった俺を心配してか、マコトが顔を覗き込んでくる。俺は頑張って笑顔を作るとゆるゆると首を振った。


「ああ、いや、大丈夫……ちょっと……考えたら、この先どうしようかと思って」

「君は……ニホンには帰れないのか?」


 オーエンさんが、ミノリさんを見下ろしながら言う。ミノリさんはまだ不貞腐れているのか、顔を上げない。


「多分……気付いたら森の中で、どうやってここに来たのか、自分でもわからないんです。それに……」


 そもそも、俺は死んでいるはずだ。どういう仕組みで今こうなっているかはわからない。それでも、自分がもう戻れないだろうということは、どうしてか確信していた。


「戻れないよ」


 不意に、ミノリさんが顔を上げてそう言った。


「わたしと同じなら、戻れない。戻ってもどうしようもない。そういう状況じゃなかった? ひょっとして、日本で最後に手に持ってた中に、唐揚げがあった?」


 それを聞いて、俺は気付いた。多分、ミノリさんも、なんらかの理由で死んだのだと。死んで、ここに来た。


「唐揚げじゃなくて、鶏モモ肉でした。買い物の帰り道で、帰って、唐揚げを作ろうと思ってたんです」

「そっか。わたしは……漫画用の原稿用紙を買って、帰る途中だった。オーエンは魔法とか魔力とか難しいことをいろいろ言うけどね、わたしはこの能力は未練だと思ってる。ただの未練だから、役に立たなくて当たり前なんだよ、きっと」


 ミノリさんはそこで、オーエンさんを見上げた。オーエンさんは、不安と憂いをその顔に浮かべ、ミノリさんを見ている。

 イケメンが憂いを湛えると、なんというか色気がダダ漏れで洪水を起こしそうだ。


「大丈夫だよ、オーエン。わたしは帰れないけど、それでも、自分で選んでここにいるんだから」

「ミノリ……」


 オーエンさんがミノリさんの頭を抱きしめようとして止められた。抱き締めるのは諦めたみたいだけど、ミノリさんの片手を持ち上げて、両手でそれを握っている。ミノリさんも、それは止めなかった。


「わたしはさ、森の中でわけわからなくて泣いてるときに、オーエンとオーエンのお父さんに拾ってもらったんだよね。それで、そのままこの世界でずっと暮らしてる。来たのが突然だったから、また突然いなくなるんじゃないかって思われててね」


 大丈夫って言ってるんだけど。そう呟いて、ミノリさんはオーエンさんを見た。オーエンさんは、ミノリさんの手を離すまいと両手で握りしめている。


「まあ、わたしは運が良かったんだよね。うまいことここで暮らしていくことができた。可愛い娘も生まれたしね」


 ミノリさんの言葉に、マコトはくすぐったそうに笑った。


「で、君は……どうしようか? 正直、ここで一人で生活とか無理でしょ? 火起こせる? 森歩ける? 狩りできる?」

「無理です」


 それは即答できる。突然こんなことになってからまだそんなに時間は経ってないが、生活できる気はこれっぽっちも起こらなかった。


「わたしも拾ってもらってなんとか暮らしてこれた身だからね、同郷のヨシミもあるし、なんとかしてあげたくはあるんだけど……うちは駄目だよね?」


 ミノリさんがオーエンさんを見て首を傾けると、オーエンさんは拗ねたような表情でミノリさんを見た。


「ミノリは……俺以外の男と一つ木で暮らしたいと言うの?」

「誤解生むような言い方しないで。まあ、そう言うとは思ったけど」


 ミノリさんは溜息をつくと、自分の手を握っているオーエンさんの手に反対の手を重ねて、オーエンさんの顔を覗き込むように微笑む。


「わたしはね、今のシンイチくんが事情を知らない人と暮らすのは難しいんじゃないかなと思ってる。経験上ね。わたしの時は、まだわたしが子供の範疇だったからわたしが変なことを言ってもみんなうまいこと聞き流してくれたけど、シンイチくんはもう良い大人だよ。それに……わたしには、わたしの話を笑わずに真面目に聞いてくれるオーエンがいたでしょ? オーエンがいたから、わたしは大丈夫だったんだよ」

「ミノリ……」


 オーエンさんはうっとりとミノリさんを見詰め、そのまま感極まって抱き締めようとして、やっぱり止められた。


「他の選択肢は、一人で暮らしてもらうか、森に放り出すかだ。でも、それって死ねって言ってるようなものだよね」


 さらっと恐ろしいことを口にして、ミノリさんはマコトを見た。

 マコトは、もう全部わかってると言うように頷いた。


「うちに……」

「駄目だ!」


 マコトが全部を言い終える前に、オーエンさんが大きな声を出した。マコトは不満をあらわにして唇を尖らせる。


「男と一緒に暮らすなんて認められない」

「別にお父さんに認めてもらう必要はないと思うけど。子供扱いしないでよ」

「子供扱いじゃない。心配しているんだ。それに彼は……」

「心配はありがたいけど、それでわたしの行動を制限しないで。お母さんの話聞いてた? わたしのところなら集落から離れてるから、ニホンのことも魔法のことも問題になりにくいよね。わたしだって、お母さんやシンイチの言うこと全部理解できる訳じゃないけど、普通よりはわかってるつもりだよ」

「だが……」


 なおも納得いかなげに口を開く父親の言葉を止めて、マコトが言葉を続ける。


「わたしの師匠は男の人だったよ。わたしはずっと師匠と暮らしてた。薬草師ってそういうものでしょ」

「彼は薬草師じゃないだろう」


 オーエンさんの言葉に、マコトははっと息を呑んで口を閉じた。そのまま黙って俺の顔を見る。

 自分のことが話されているというのに、俺は何も口を出せないでいる。何も言えない申し訳なさに俺はマコトの視線から逃れたくて、俯こうとする。それより先に、マコトが笑顔になる。とっておきの何かを見つけたような顔で。


「じゃあ、シンイチは、今日から薬草師の見習いね。わたしは、シンイチの師匠」

「……え?」


 ぽかんとする俺をそのままに、マコトがオーエンさんの方を向く。


「見習いは、師匠と一緒に暮らして知識を学ぶ。それなら、問題ないよね」

「……本人の意思はどうする」

「やるでしょ?」


 マコトは、俺がやるものだと信じて疑わない笑顔で、俺の方を振り返った。

 オーエンさんの言うことはもっともで、俺の面倒を見る義理なんて、マコトにはない。もちろん、ミノリさんにもオーエンさんにも。本当は森の中に放り出したって良いくらいだ。なのに、マコトは突然現れた見知らぬ俺の面倒を見てくれるつもりでいる。

 それに応えるために、俺は慌てて頷いた。


「や、やります……やる」


 ミノリさんが声を上げて笑った。


「オーエン、もう諦めなよ。マコトは確かにわたしたちの娘だけどね、でももう大人だし、一人前だし、立派な薬草師だ。自分で決められる。それに……ある種の運命なんだよ、きっと」






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 森の民が使う言い回しに「一つ木」「一つ木に暮らす」というものがある。

 森の民の語彙の中で、しばしば「木」と「家」が混同されるというのは先に述べた通りだが、この言葉はそのわかりやすい例になるだろう。

 「一つ木」の単純な意味は「同じ家」だが、「一つ木に暮らす」と言えば同じ家に住む家族のことを表す。そのため「一つ木」には「家族」という意味もある。


 また、森の民は成人をすると婚姻が認められるようになるが、婚姻した者どうしでこれまでの家を離れ(森の民風に表現するなら「木から巣立ち」)新しい家に暮らし始める。

 そのため、そういった関係の男女間では「一つ木に暮らす」と言えば婚姻して新しい家族になることを意味し、そこから「一つ木」が「婚姻」や「求婚」の意味合いも持っている。


 婚姻では面白い風習もある。

 それは「木から巣立った」者はこれまでの集落を出なければならないというものだ。これは——


 ——『コリン博物記』森の民についての記述より一部抜粋

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