第十話 出かける準備には時間がかかる

 夜に食べたスープは、俺のにも肉が入っていた。なんの肉か聞いたら、セマルという鳥だそうだ。森にたくさんいて、この辺りではお馴染みの食材らしい。マコトが自分で狩ってきて捌いたものだと言う。


「自分で狩りしなくても食べ物は足りるんだけどね、たまにはやっておかないと腕が鈍るし」


 薬草師は集落の人から食べ物をもらって、代わりに集落の人の体調を見るのだそうだ。地域の医者みたいな感じだろうか。


 マコトは当たり前のように、隣のベッドに入り込んで寝た。

 隣のベッドでマコトが寝ている。彼女の息遣いや、身動ぎの音が落ち着かなくて、俺は寝返りをうって壁に向かう。

 別のことを考えようとするけど、ここに来てからのことは全て彼女と結び付いている。死ぬ前のことを思い出そうとすると唐揚げのことを思い出す。うっかり唐揚げが食べたくなるのは困る。

 プレイ途中のゲームのことを考える。そういえば、あのゲームで畑の世話をしてたな、なんて思い出す。薬草を調合するゲームもあった。そういえば異世界転移もののアニメが放送中だったな。録画してまだ見てないアニメ、こんなことになるなら見ておけば良かった。この間連載が始まったウェブ連載漫画、更新楽しみにしてたんだけど。新刊を何年も待った小説シリーズ、続きが読めないのか。

 それに、部屋が随分と散らかったままだった気がする。あの部屋は誰かが片付けるんだろうか。

 とりとめのない考え事の途中で、俺は自分が死んでしまったことを思い出す。

 俺がここにいるということは、事故現場はどうなってるんだろう。事故現場から俺が消えてるのか、消えてないのか。消えてるとしたら大騒ぎだろうな。確かに事故はあったのに、肝心の本人がいないんじゃ。

 消えてないとしたら、今ここにいる俺はなんなのか。スマホも財布もあるのに。もしかしたら、俺は今病院で眠っていて全部夢とかそんなオチだろうか。そういう話を昔読んだような気がする。


 役にも立たないことを考えている間に、眠ってしまったらしい。気付いたら朝になっていた。

 マコトに起こされてあくびを噛み殺しながらベッドを出る。俺のサンダルはベッド脇に用意されてた。洗ってもらったらしく、綺麗になっている。


 目隠しの布の向こう側に入って目についたのは、まずは大きなテーブル。テーブルの半分は、草だとか本だとか布だとか何かの器だとかで塞がっている。こちら半分に、パンとスープが置いてあった。

 背もたれのある椅子が二脚あった。マコトが片方に座ったので、俺はもう一つの方に座る。

 壁際には、いろんなものが置かれている。小さな引き出しがたくさんの大きな棚、戸棚。背の低い棚の上にも何かたくさん乗ってるし、その上の壁には、花だとか草だとかがぶらさがってる。水が入っているらしき壺。布が入った籠。

 その間に、外に繋がっているだろうドアがある。


 昨日と同じスープにパンを浸しながら、今日のことを聞く。

 今日は森の民の集落に行って、マコトの母親と会うらしい。それとついでに父親にも。父親はついでで良いのだろうか。


 俺の服は洗濯が終わって乾いているけど、着替えないで持っていくだけにすると言われた。それはまあ、ゆるゆるの部屋着だし、森を歩くようにもできてないし。

 俺の財布と文鎮になったスマホも持って行くことになる。これは言われなくてもそうするつもりだった。役に立たないものだけど、手放せないでいる。電源がつかないとわかっていても、ついスマホを手にとって時間を確認しようとしてしまう。

 荷物を運ぶための布を借りた。布に包んで紐で止めた後、腰や背中に回して結ぶのだそうだ。ウェストポーチやボディバッグみたいな印象だ。


 ヒゲを剃りたいと言ったら、カミソリを貸してくれた。薄い金属の刃が、木の持ち手に取り付けられている。素朴な作りで、現代日本の物に慣れた身からすると怖いが、ヒゲを剃りたかったので頑張ることにした。

 小さな鏡も貸してくれた。あまり映りは良くないけど、何もないよりはマシという感じだ。

 井戸の脇で、慣れない道具で頑張った。それなりに綺麗になったとは思うけど、頬や顎が傷だらけだ。小屋に戻ったら、マコトが傷薬を塗ってくれた。


 いつも木靴を履いていると言われてマコトのものを借りて履いてみようとしたけど、俺には小さいみたいだった。


「やっぱり無理か」


 マコトは困ったように眉を寄せて、お父さんに相談してみると呟いた。元々履いていたサンダルで行くことになった。

 足に布を巻いてその上から木靴を履くらしく、その布を俺にも貸してくれた。靴下みたいなものかと思って、マコトの様子を見ながら見様見真似で布を巻いてみる。

 包帯みたいなものだろうと思ってはみたものの、想像以上にうまくいかない。均等に巻けずに凸凹になって歩きにくそうだし、かかとの辺りは巻いてる途中でズレ始める。足を引き寄せる姿勢を続けるのも、結構疲れる。俺の体はそんなに柔らかくない。

 マコトの方をチラチラと見ていたが、慣れた手付きで巻いている。くるぶしが見えて、なんだかいけないものを見た気分になって、慌てて自分の足元に視線を戻す。

 試行錯誤していると、布を巻き終わって木靴を履いたマコトが近付いてきて、ふふっと笑った。


「シンイチ、小さな子供みたい。貸して」


 マコトは俺の手から布を取り上げると、俺の足に布を巻いていく。巻きながら、ニホンでは足に布を巻かないのかと聞かれた。


「倒れてた時も、布を巻かないでその靴を履いていたでしょう?」

「日本には靴下っていうのがあって……糸を筒状に編んでそれを履くんだ。でも、サンダル……俺が履いてた靴とか、そんなに長く歩かない用事だと、履かないことも多い」

「じゃあ、その靴はそんなに長く歩かない時の靴? 歩きにくそうだよね」

「そう、すぐに脱ぎ履きできて、ちょっと履いて外に出てすぐ帰ってくる用。長く歩いたりする時は、踵がある靴を履くし、ものによっては足首までしっかり固定する靴もある。そういう靴を履く時は、靴下を履く」


 結局、両足とも彼女に布を巻いてもらった。


 マントも貸してもらう。広げると柑橘系のようなにおいが漂った。虫除けの香を炊き込んであると言われて、ありがたく借りる。

 それから手袋。これもありがたく借りた。俺の手には少し大きいが、細かい作業をする訳じゃない、手を守るのが目的だからじゅうぶんだろう。手袋を重ねて付ける時用なのだと言っていた。


 木でできた細長い入れ物を渡される。中にはミントみたいなにおいのする水が入っている。


「それも虫除け。顔につけても大丈夫だし、口に入っても大丈夫。肌が出てるところには塗っておくと良いよ。あと髪の毛にも」


 言いながら、マコトは水を手のひらにとって、顔や耳、首筋をぺちぺちと触っている。俺は試しに付けていた手袋を一度脱いで、マコトの真似をして顔や首筋に水を付けていく。スッとした感じが制汗剤みたいで気持ち良かった。

 マコトは頭を撫でた後三つ編みのところも触っている。その後、袖を少しあげて手首の周り、それからズボンの裾を持ち上げて布を巻いてない脹脛ふくらはぎなんかにも塗ってる。脹脛を見てしまったことになぜか罪悪感を感じて、慌てて目を逸らして自分も同じように虫除けを塗っていった。






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 大抵の森の民は集落で暮らしているが、そこに当てはまらない者もいくらかはいる。


 まず一番わかりやすく、それでいてわかりにくいのが、森の民の中で彷徨さまよう者と呼ばれる者たちだ。

 彷徨う者は、その名前の通りに集落から集落、森から森へと渡り歩く。

 森の民たちは、自分たちが暮らす広大な森を何かの基準で幾つかの領域に分け、それらを全て別の森として扱っている。個人の暮らしで言うと、集落を行き来することはあるが、森を超えて行き来することはほとんどない。

 彷徨う者たちは、その森を超えて行き来する。

 彼らは、集落から集落への伝言を伝えるメッセンジャーである。直接的なやり取りだけでなく、他の集落や森で見聞きしたこと、出来事、噂話など、様々な情報を集め伝える。

 彷徨う者たちはそれらを語ることに長けており、内容を面白おかしく人々に伝える。それは、森の民にとっての娯楽の一つだ。彷徨う者が集落にやってくると、その日の夜は広場に人が集まり、皆でその話を聞く。そういった、娯楽を提供する旅芸人としての側面も持っている。


 他には、薬草師と呼ばれる者たちがいる。

 薬草師は集落から少し離れたところで暮らしていて、その集落にとっての医者のような役割を持っている。

 そういった集落と共に暮らす者たちとは別に、旅をする薬草師がいる。

 旅をする薬草師は、集落と共に暮らす薬草師を巡回して疫病のような兆しがないかを見て回る役目を持っているようだ。また、薬草師どうしの情報交換や知識の継承といった側面も持っている。

 面白いのが、その役目は固定ではなく——


 ——『コリン博物記』森の民についての記述より一部抜粋

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