第九話 俺はどうやら唐揚げ出しすぎると死ぬらしい

「もう一つ、気になってたんだけど」


 マコトは眉を寄せて口をへの字に曲げて、いかにも難しいことを考えています、という顔をして切り出した。


「わたしが家の裏でシンイチを見付けた時、あなたは魔力欠乏になってた。魔力欠乏のせいで呼吸が止まりかけてて、体温も低くなってて、意識もないし、本当に死にかけくらいの感じだった」

「ちょっと待って……マリョクケツボウって……魔力? 魔力がなくなってるって意味?」


 マコトは口元に手を当てて、何かを考え込んでしばらく黙っていたけど、やがてゆっくりと口を開いた。考えながら話しているのか、口調もゆっくりだ。


「そっか……ニホンの人は知らないんだっけ……んー、薬草師の間では生き物が生きるための力だって言われてて、魔術師の人がそれを『魔力』と名付けた。生きるための力だから、足りなくなると、生きるために必要なことができなくなってしまう。息を吸って吐くとか、体を温めることとか、体の中に血液を巡らせることとか」


 マコトは自分の胸元に手を当てる。


「わたしの中にも魔力はあって、それでわたしの体は動いてる。もちろん、あなたの中にも。森の生き物にも。魔力自体は、単に体の中にあるだけのもので、いろんな理由で増えたり減ったりすることはあるみたいだけど、自然にしていて空っぽになるほど減ることはないし、多少減るくらいだったら、自然にしていれば元に戻る」


 俺はぽかんと口を開けたままマコトの言葉を待つ。突然の設定説明に戸惑っていたのもあるし、今まで感じていなかったものが欠乏してましたと言われても……正直ピンとこない。


「それで、魔術師の人たちは、その体の中の魔力を使って魔法というのを使うことができるの」


 ついに魔法が出てきた。異世界っぽさを感じつつも、なんだか置いていかれてる気持ちで、やっぱり俺は何も言えない。


「魔法を使いすぎると、体の中の魔力が自然ではあり得ない程に減る。その状態で魔法を使い続けると魔力欠乏になって、生きることが続けられなくなっちゃう。シンイチは、そういう状態だったの。魔力欠乏を起こす病気もあるけど、それも違ったし。魔法を使ったんじゃないと、あり得ない」

「いや、魔力なんて今日初めて聞いたくらいだし、魔法だってお話の中……あ」


 お話の中……これは小説や漫画なんかでよく見る異世界転移だって考えていたことを思い出した。突然出てきた唐揚げを暫定的にチート能力だと結論付けたことも。


「あのね、お母さんは一つだけ魔法を使えるんだ。魔術師の人たちが使う魔法とは違いすぎて魔法って言って良いのかわからないんだけど、体の中の魔力を減らして使うから魔法と同じものなんだと思う。使い過ぎると魔力欠乏になるから使うなってお父さんにずっと言われてる」


 この小屋に辿り着くまでの間、辿り着いてから、俺は唐揚げをいくつ出して食べただろうか。

 あれは全部俺の中にある魔力というものを減らして作られたということか。そして、唐揚げを出し過ぎると、魔力が減り続けて死んでしまう……俺は死にかけてたのか、唐揚げを食べるために。


「それ……心当たりあるかもしれない……」


 よくよく思い返せば、俺は唐揚げの材料を買いに行って死んで、この世界に転移して、そしてまた唐揚げを食べるために死にかけた。なんなんだ俺は。唐揚げ大好きか。好きだけど。

 唐揚げ大好きだけど。

 あ、やばい、思い出したらまた唐揚げ食べたくなってきた。また唐揚げ出したら死ぬかもしれない、堪えないと。


 マコトは真剣な顔で身を乗り出して、俺の顔を覗き込む。顔が近い。


「心当たりがあるなら気をつけてね。今回は助かったけど、ほんとギリギリだったんだから。次も助けられるかはわからないんだからね」


 マコトの真摯な眼差しに見詰められながら、俺の頭の中には唐揚げが揚がるジュワジュワパチパチっという音が響き渡っていた。揚げ油のにおいと、噛み付いた時の香ばしさを思い出して、口の中に唾液が溢れていた。

 ダメだと考えるとより食べたくなってしまう。死因が唐揚げの出し過ぎとか悲惨なので我慢しなければ。ぎゅっと目を瞑って唐揚げを食べたい気持ちをぐっと堪えてから目を開けた。

 マコトの顔はまだすぐ目の前にあって、黒い瞳にバカみたいな顔をした俺が映っているのまで見えた。ふっくらした頬と、今はキリッと結ばれた桜色の唇。おかげで頭から唐揚げが吹っ飛んだ。


「わかった、ありがとう……死にたくないから、気をつける」


 俺がそう言うと、マコトの目が嬉しそうに細められて、唇がふんわりとほころんだ。至近距離でそういう表情をするのはやめてほしい。何か非常にまずい気がする。俺は視線をそらすために俯いて、そして深呼吸した。

 マコトは俺の動揺なんかには全く気付いていない様子で、にこにこしたまま立ち上がった。


「そうだ、足見せて。薬塗らないと」

「足……?」


 マコトはサイドテーブルのトレイを持って布の向こうに消えた。少しして戻ってきた時には、手にはトレイはなく、何かの包みを持っていた。

 サイドテーブルに手の包みを置く。布が折りたたまれたそれを開くと、布の内側は何か塗ってあるのか、ツヤツヤしている。その上に、薄い黄緑色の何かがある。

 手が空くと、マコトはさっきまで座っていた椅子の位置を変えた。


「ここに足乗っけて、片方ずつ」


 言われた通りにベッドの上で体を動かして足を乗っける。そういえば、歩きすぎて痛くなってたんだった。靴擦れでもおこしてたのかもしれない。

 マコトの指が、サイドテーブルに置いた布の上から、薄黄緑の何かを掬い取る。軟膏みたいな感じに見える。


 俺の足の裏を指先がなぞる。薬の冷たさとくすぐったさにぴくりと動いてしまった。マコトはそれには構わず、手のひらを使って足の裏に薬を伸ばす。

 マコトの指は俺の指より細くて、手のひらも小さい。でも指が長くて、きっと器用なんだろう。よく動く。

 俺はくすぐったさを堪えながら、大人しくしている。マコトの顔は真剣だ。きっとこれは彼女の仕事で、彼女は自分の仕事に誇りを持っているようだったから。

 小指の付け根の靴擦れに薬を塗りながら、マコトが口を開く。硬い声音だ。


「痛みはない?」

「あ、もう、全然……忘れてたくらい」


 マコトは俺の足から顔をあげた。真剣な顔が急に笑顔になる。


「良かった。もうほとんど良くなってる」


 俺は咄嗟に声を出せなかった。あ、とか、あう、とか意味のない音が口から漏れる。多分それも小声すぎて彼女まで届いていない。

 薄々感じる度に気付かないようにしていたが、マコトはやはり可愛いのではないだろうか。特に、いろいろな表情を浮かべるくりっとした丸い目が。そしてそれが笑うときにキュッと細くなって目尻が少し下がる瞬間が。

 俺は手で口元を覆うと、横を向く。何かわからないけど、非常にまずい気がする。わからないことにしておきたい。

 マコトはすぐに真剣な顔と声音に戻ると、反対の足も出すように言う。俺は黙って横を向いたまま足を入れ替える。


「今日食べて寝たら明日には大丈夫そうかな。明日出かけるからね」

「え……?」


 足に触れる指先から意識をそらしていたせいで、反応が遅れた。彼女の方を向くと、彼女はあの笑顔で俺を見た。


「お母さんに会いに行くからね」






 --------


 「生きる力」が減るとどうなるか、もちろん生きられなくなる。

 体の中には心の臓があり、そこから体中に血液が巡って、それで体を温めている。「生きる力」が減るにつれて、その動きがだんだん弱くなる。そうすると、体温がだんだん下がっていく。

 息を吸って吐くのも「生きる力」があってできることだ。呼吸が浅く、薄くなっていって、そうすると考えることや体を動かすことができなくなっていく。

 「生きる力」は目には見えないが、心の臓の動きや血液の流れ、体温、呼吸、目の焦点、いろんな状態を見て判断することができる。


 普通にしていればそんなに大きく増えたり減ったりするものじゃないし、気にする必要はない。

 ただ、いくつかの病気は「生きる力」をどんどん失わせる。そうすると、体がどんどん弱っていく。そうなると、普通の薬だけでは難しくなる。

 いくつかの薬草は「生きる力」を増やすと言われているが、普通の量では間に合わない。あとで作り方を教えるが、この症状に対してまともな効き目を出す薬を作るには、非常に手間がかかる。


 病気以外だと、魔術師の「魔法」がある。

 魔術師は「生きる力」を「魔力」と呼ぶが、同じものだと考えて良い。

「魔法」は「魔力」つまり「生きる力」を自ら体外に出して、それを使って自分以外のものに干渉する。

 「生きる力」を体外に出すので、体の中の「生きる力」はその分減る。出し過ぎれば、さっきの病気の話と同じことになる。

 魔術師たちは、その状態を「魔力欠乏」と呼んでいる。この言葉は便利で、薬草師の中でも「魔力欠乏」というのは良く聞くから覚えておくと良い。


 ——とある薬草師の話より

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