第七話 まさかの日本人とかちょっと待ってくれ

 彼女が着てるのと似たような服を貸してもらって着た。

 下着は柔らかな布でできたステテコみたいな感じで、ちょっと落ち着かないけど、ないよりはマシ。その上にゆるっとしたズボン。腰のところは紐で結んで止める。裾は長くて、これをちょうど良い長さに折り込んで、くるぶしのところを紐で結んで止めるのだそうだ。

 上半身は柔らかな布でできたTシャツっぽいものを着て、その上に少し固い厚手の布でできたチュニックみたいな形の服を被って着る。こっちも袖が長めなので、手首や二の腕の辺りを紐で結んで長さを調節するらしい。

 外に出かける時には、腰のところに幅広の細長い布を巻いて止める。ちょうど彼女がやっているみたいに。家だと止めないことも多いと聞いて、止めないでいることにした。彼女のと同じように刺繍の模様が入っている。ゆったりと着やすい服だ。

 財布とスマホは洗濯されることもなく、そのまま返してもらえた。スマホの電池は残り四パーセント。時間は昼の十二時過ぎ。ただし、最後にスマホを見た翌々日。つまり、俺は丸一日以上ここで寝てたわけだ。

 放置されていたスマホは、俺が時間を確認したらすぐに電源が落ちて、文鎮になってしまった。ある程度覚悟はしていたけど、仕方ない。それでも雑に扱う気にはなれず、財布と一緒にそっと枕の脇に置いた。


 俺が裸だったのは、服が随分汚れてしまっていたことが理由の一つ。

 あとは、薬の投与が目的だったと、真っ赤な顔で、小さい声で謝られた。


「その……薬を飲ませたかったんだけど、どうしても飲み込んでくれなくて……意識もないし、でも、そういう時は、その……お尻から入れるのが手っ取り早くって……あの、そのための薬もあって……」


 尻から入れるための薬、要するに座薬のことだろう。それを入れるために下着を脱がしてそのままだったってことか。

 目の前の、この若く見える女性が、俺の下着を脱がして座薬を……その状況を想像するといたたまれない気分になるのでやめた。座面が気になって、体がもぞっと動いてしまう。


「ごめんなさい、その、本当に薬をなんとかしたかっただけで、他には何にも意図はなくて、あの時は死んじゃうかもって必死だったから、あの、その、びっくりさせたかもしれないけど」


 俺より彼女の方が動揺してる。そりゃ、見知らぬ男の裸なんか見たくて見るもんでもないよな。お互いのために、この話題は流した方が良さそうな気がした。


「いや、その……ありがとう、ございます」


 なんとかお礼だけを言って、今の流れでお礼を言うのも変な意味に捉えられたりするだろうかと気付いて、慌てて言い訳めいた言葉を口にする。


「あ、いや、変な意味じゃなくて、その、いろいろと、その、助けてもらったというか、えっと、その」

「いや、えっと……あ、そうだ、それで、お腹空いてるでしょ。これ、パンを浸して食べてね……ゆっくり」


 彼女は多少無理矢理な感じで話題を変えると、スープの入った器をサイドテーブルから取り上げて俺に渡してくれた。

 この話はここまでにしたいという俺の意図は伝わったか、仮に伝わってなくても、思いは同じだったのだろう。


 どろっとしたスープは、コーンポタージュとか豆のポタージュみたいな味がした。香ばしいにおいのパンを浸すとよく染み込んで、口に含むとじゅわっと味が広がって美味しかった。肉のにおいがしていたけど、俺が食べた中には肉は入ってなくて、俺の目の前で彼女が肉の入ったスープにパンをちぎり入れて、パンと肉と豆を目一杯口に含んでいた。

 よっぽど俺が食べたそうに見てたんだろう、彼女は口の中のものを咀嚼して飲み込むと、申し訳なさそうに眉を寄せて首を傾け「丸一日以上まともに食べてないし、今はそれだけにしておいた方が良いよ」と言った後、また大きく口を開けて肉を口に入れる。美味しそうに食べてて、正直羨ましい。肉が食いたい。

 食後に、どろっと甘くて酸っぱくてすごく苦い緑色の薬を渡されてなんとか飲み込んだ後に、水を飲んで口をさっぱりさせ、一息つく。


 俺が落ち着くのを待って、彼女は『マコト』と名乗った。

 俺は急に出て来た日本風な名前に動揺する。異世界転移じゃなかったのか、彼女もまるで日本人みたいな顔立ちだし。だいたい、彼女はなんで突然現れた見知らぬ俺を受け入れてるんだ。

 俺がよっぽど変な顔をしていたんだろう、彼女はちょっと動きを止めて考えるようにした。


「母のね、生まれ故郷の言葉なんだって。『真実』って意味だって言ってた」


 混乱の中、はっと思い至る。彼女の黒い瞳を真っ直ぐに見る。


「その……君の、お母さんの故郷って、その……」


 彼女は、多分もっと早くにその答えに辿り着いていたんだと思う。俺を真っ直ぐに見つめ返して、そして言った。


「わたしの母は『ニホン』から来たって言ってた。ねえ、あなたの名前は? あなたは、ニホンの人?」


 頭の中はぐるぐるとして、まるで目眩のようだ。片手で目を覆ってみたけど、混乱はちっとも収まらない。


「ごめん、ちょっと混乱してる。ええと、俺は、確かに日本人だ。『マコト』って言葉の意味もわかる」

「名前は?」

須田すだ……真一しんいち

「わたしの母は、父にもみんなにも『ミノリ』って呼ばれてるけど、本当の名前は『タチバナ・ミノリ』なんだって言ってた。あなたのことは『シンイチ』と呼べば良い?」

「え、ああ……うん、はい、真一で」


 まだ頭は混乱したままだったけど、顔を上げて彼女……マコトの顔を見た。マコトの黒い瞳が窓からの光を反射してきらきらと輝く。


「ねえ、『シンイチ』って、どんな意味なの? 母の……『ミノリ』って名前は、植物が実をつけることだって言ってた。あなたの名前にも、意味はある?」

「あ……えっと、真一のシンは、マコトって字で」

「マコト? わたしの名前!」

「ああ、そうかも、真実のシンだから」

「同じ意味の名前! すごい!」


 彼女はその両手を胸の前で組んだり、口元に持っていったり、意味もなく握りしめたり、落ち着かなげに動かし続け、最後にふふっと笑った。


「ねえ、あなた、もしかして、お母さんの家族? 親戚とか?」

「え、いや、それは……どうかな……」


 流石にそれはないだろうと思うのだけど、心当たりもないのだけど、混乱していた俺にはないと言い切る自信はなかった。

 でも多分、どう考えても知らない人だと思う。そんな偶然あっても困る。






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 会社での呼ばれ方


「須田さん、今ちょっと大丈夫ですか」

「はい大丈夫ですよ、なんでしょう」


「須田っち元気? ちょっと相談したいことあるんだけど」

「一瞬待ってもらって良いですか、このチェックあと一分で終わるんで」


「シンちゃんこないだどうしたの、旅行とか?」

「会社に有給消化しろって言われただけですよ。家でゲームしてました」


「ちょっとごめん、工藤くん」

「工藤じゃないです、字も違います、なんですか」


「せやかて」

「それ呼び名にするのやめてください」

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