第六話 住人との出会いに至ったけど気付いたら裸だった
すごく寒くて体が勝手に震える。
目を開けたけど、視界がぼんやりしてて良く見えない。
「あ……う、あ……」
声を出そうと思ったけど、うわ言みたいな意味のない音の羅列が口から漏れ出た。声がうまく出せない。
「目が覚めたの?」
知らない声がした。女の人だと思う。意味がわかる音の羅列にほっとする。言葉が通じる。助かった。
ぼんやりした視界を覆うように、何かの影がかかる。多分、人の顔だと思う。細かいところまでは見えないけど、人の輪郭っぽく見える。
人っぽい見た目で言葉が通じるなら、なんとかなるんじゃないだろうか。良かった。
安堵感に体の力が抜けた。
「今から薬を口に入れるからね、無理してでも飲み込んで」
言葉と共に、顎にひんやりとした指先がかかって、そのまま顎を持ち上げられる。口の中に、多分指を突っ込まれて、口を開かされる。
そこに、どろりとした液体が流れ込んできた。甘くて、少し酸っぱい。そしてすごく苦い。それぞれの味の主張は強く、端的に言って、不味い。
「吐き出さないで、飲み込んで」
薬は全部流し込まれたのか、顎を捉えていた指先に力が入って、口を閉じることになる。口の中に含んだ液体は行き場を失って、慌てて飲み込む。後味がとても苦い。
飲み込んだ薬の冷たさが、胃の中にはっきりと感じられた。
「あとはとにかく、ゆっくり眠って」
言葉と共に、目を覆われた。多分手のひらで。ひんやりとした指先が心地良い。
誘導のままに目を閉じても、まだしばらく手のひらは目を覆ったままだった。ミントに似てすっとした、でもミントよりも穏やかな甘さを持ったにおいがする。息をいっぱいに吸い込んで、いつの間にか体の震えが止まってることに気付いた。
そこからどっと汗が出てきて、自分の体が熱を持っていることに気付く。
触れられる指先がひんやりしていたのは、単に俺の体が熱かっただけだ。
「大丈夫、おやすみ」
その声を聞いて、俺はそのまま眠ってしまったのだと思う。
次に気付いた時には、だいぶスッキリしていた。ただ、とても喉が渇いていたし、ひどく腹が減っていた。
汗をかいたせいで、寝具がじっとりと気持ち悪い。
起き上がると、体にかかっていた布が落ちた。布団、だろう。羽毛布団ぽい感触のものもある。俺はベッドの上に寝ていた。
布団の中にあった体は服を着ていなかった。上も、下も。下着も。素っ裸だ。
いろんな疑問がいっぺんに頭を過ぎる。
服はどこだ。スマホと財布は。ここはどこだ。なんでこんなことに。俺はどのくらい寝ていた。あの薬を飲ませてくれたアレは誰だ。今どこにいる。
疑問の答えを探して辺りを見回す。
起き上がって見ると、ベッドの足元側は大きな布で視界を遮られていた。目隠しのカーテンみたいなものだろうか。天井からぶら下がったそれは、床にはくっつかない程度の大きさで、茶色をベースに黄色や赤で模様が織り込まれていた。こういうのに詳しくないから見当外れかもしれないけど、アニメで見たどこかの民族衣装を思い出した。
ベッドのすぐ脇には、スツールのような形の簡素な椅子。磨かれてるのか、何か塗られているのか、使い込まれているのか、表面は飴色だ。ベッドサイドには、サイドテーブルのような小さなテーブル。まあ、用途はサイドテーブルなんだろう。
サイドテーブルの上に、ゴツゴツした感じの瓶と、湯のみくらいの大きさの陶器っぽい器が置いてある。瓶はまだらに濃い緑色で、中身は何か入っているみたいだった。蓋はない。
その隣に、もう一つのベッド。
そのさらに向こうの壁際に、タンスくらいの大きさのタンスのような家具が置いてある。引き出しがたくさん付いている。多分タンスだと思った。俺ならあそこにはタンスを置く。
タンスの脇には窓があって、今は開いていた。空が見える。
俺が寝ているベッドのすぐ脇は壁で、窓があった。こっちも開いていて、同じように空が見える。今日はよく晴れた日らしい。
部屋の中は、ミントのようなにおいや、芳香剤みたいなにおいや、柔軟剤みたいなにおいが入り混じっていて、窓から入る風がそれをかき混ぜて、天井から下がる布をゆらゆらと穏やかに揺すっている。
あの布の向こうを見たい気がするが、素っ裸でうろうろしたくはない。うっかり住人と鉢合わせした時に困る。俺が困る。
いっそ布団の布を腰に巻いて様子を見に行くかなんて考え始めた頃に、ドアが開くような音がした。部屋の空気が大きく動いて、ベッド脇の布も大きく揺らいだ。
自分が裸なのが心許なくて、布団の布を引っ張ってせめてと腰回りを覆った。
油と肉が焼けるようなにおいと、パンが焼けるようなにおい。においに反応して、空腹感を思い出す。
そして、ベッド脇の布の端から、ひょいっと顔が覗いて、俺はその顔と目があった。
「良かった、起き上がれるようになったんだね」
明るい声と笑顔。ベッドサイドまで歩いてきたその人は、サイドテーブルの瓶と入れ物を脇に避けると、手に持っていたトレイをそこに置いた。
着ている服は目隠しの布と同じような色合いで、同じような模様が刺繍されていた。上下とも大きめの服を絞って着ている。腰のところで布を巻いているので胸のふくらみと細い腰は見てとれた。背丈は多分、俺よりも低いと思う。
彼女が動くたびに三つ編みの輪っかが背中でぴょんぴょん跳ねた。長い黒髪をきっちりと三つ編みにしてそれを背中側でくるっと輪っかにして纏めているみたいだった。
「この水、飲んでね」
サイドテーブルの上の瓶から、湯飲みみたいな入れ物に水を注ぐと、その入れ物を俺に差し出してきた。
丸顔で黒い瞳。日本人と言われても違和感のない顔立ち。リクルートスーツを着て「就活生です」って言われたら信じたかもしれない。
彼女の笑顔がとてもきらきらと可愛く見えたのは、看病をされたせいだと思う。体が弱ってて心が弱ってる時は、優しくされるとその気になってしまうものだ。それだけだ。
俺がぼんやりと手をあげて湯飲みっぽい器を受け取ると、彼女は視線を俺の顔から俺の手元に向けて、それから小さく「あっ」と呟いて、顔を逸らした。
最初に見た時から何か違和感を感じていたのだけど、耳の形が少し違っていることに気付いた。俺が見慣れた耳の形よりも少し尖っている。それでも、創作物で見かけるエルフほどには長くはない。
その少し尖った耳が、赤くなってる。
「何か、着る物、持ってくるから! あなたの服、今、洗ってて! 勝手にごめんなさい」
そういって、彼女はまた布の向こうに消えていった。
ひょっとして、俺は彼女に服を脱がされたのだろうかと思い至って、落ち着かなくなる。いや、ただの医療行為なんだろうけど。
彼女の耳の赤さが伝染して熱くなった頰に困って、俺は手に持った水をぐいっと飲んだ。水は冷たくはなかったけど、とても美味しかった。
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高熱でうなされている間に見た悪夢
「え、唐揚げ好きなの? レモンかける派? かけない派?」
「いや、どっちでもないですよ」
話を切り上げたくて、できるだけ興味ないように、やんわりと答える。
「どっちでもないってどういうこと? レモンかけないの?」
「だから、別に、かける時もあるし、かけない時もあるし」
酔っ払った相手は無駄にしつこい。
「えー、なんで? それとも、どっちかに遠慮して、角が立たないように話してる? どっちの方が美味しいとか、どっちの方が好きとかあるでしょ? どっち?」
唐揚げ好きだなんて言うんじゃなかった。
「だから、別にどっちも好きですよ」
「えー、唐揚げ好きなんでしょ?」
残っていたビールを一気に煽ってジョッキをそっとテーブルに置く。
「好きですよ。好きだからどっちも好きなんです。レモンかけてもかけなくても唐揚げは唐揚げだ。だいたい、居酒屋の唐揚げでレモンかけるかけないなんて意味がない居酒屋の唐揚げなんて大盛りで出てきて気楽にビールで流し込んでなんぼだろうがそこにレモンかかってようがかかってなかろうが大した差はないんだよレモンがなくても美味しい唐揚げもあるしレモンが合う味もあるし大体レモンかける派だったらなんでもかんでもレモンかけないといけないのかよレモンかけずに食ったって良いだろレモンかけるかけないで唐揚げの価値は変わんねーんだよ店がレモンをかけて出してきたらレモンかけない派は食わないのかよ唐揚げって名前の付いてない創作料理で鶏肉揚げたヤツが出てきて目の前でシェフがレモン絞ったらどうすんだよめんどくせえなだからこの話題
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