第五話 俺の異世界転移はハードモードってほどじゃないと思いたい
飲み物や食べ物を出そうとしてる間に日は沈んで、あたりはすっかり暗闇になってしまった。
都会っ子からすると、信じられないくらい暗い。星の光なんかじゃ何もできない。森なんかただの闇だ。
こんなことなら、明るいうちに井戸の水を汲んでおけば良かった。
井戸にすぐ飛びつかなかったのは、井戸水を直接飲むのに抵抗があったからだ。でも、喉は渇いていて、そこに水があって、それを飲まないで我慢しているのは難しい。
スマホの電池は出来るだけ温存しておきたかったんだけど、仕方ない。
ポケットからスマホを出して、ライトを付けると、それをかざして桶を手に取る。そのままそろりそろりと井戸に近付いて、ライトを上向きにしてスマホを地面に置いた。
井戸の中に落としでもしたら、俺は泣く自信がある。地面に置く方が安全だと思った。
部分的な明かりで見えにくい中、井戸から水を汲み上げる。ロープを引っ張ると重い手応えがあるので、水は入ってると思う。
炊事場の近くにあるんだから多分料理用だろうし、だったら飲めるだろうとは思ってる。非常に不安ではあるけど。
汲み上げるのに結構な時間がかかったような気がするけど、井戸から水を汲み上げるなんて初めてだしこんなものなのかもしれない。あるいは、単に俺が疲れているからそう感じるだけなのかもしれない。
汲み上げた水の半分を使って、空っぽの桶と柄杓をゆすいだ。ただの気持ちの問題だけど、何もしないでそのまま口にする気にはなれなかった。
地面に置いておいたスマホを拾い上げて手元を照らしながら、ゆすいだ水を捨てた。井戸の周りは石が多少の隙間を作って敷き詰められていて、足の裏にでこぼこと当たる。ゆるく斜面になっているらしく、水を流すと石の間を通って水が流れていく。その水は炊事場の裏側を通ってどこかに行っている。その先は暗くてよくわからない。
再び空っぽになった桶に、残りの水を入れる。
スマホのライトで桶の中を覗き込む。普通の水に見える。変なにおいがしたりもしない。
本当は沸かして飲みたいところだけど仕方ない。
柄杓ですくって、恐る恐る口に付ける。特に変な味もない。こくりと飲み込むと、じんわりと体に染み渡るような気がした。
はあっと息をつくと、柄杓に入れた分を一気に飲む。冷たくて気持ちいい。
少しだけでやめておこうなんて思っていたけど、我慢できなくて、さらに二回、柄杓ですくって飲んだ。
あとは、体を休めたい。ひどく疲れていて、体が怠い。気分の悪い疲れ方だ。
それでもやっぱり地面に寝たいとは思わなくて、スマホのライトを頼りに小屋に近付く。
小屋の裏手に、薪が積んであるところがあった。
その脇の床に上がると、小屋の壁と薪置き場の隅のところに寄りかかるように座った。
こうやって座ってると薄ら寒い。特に床や壁にくっついてる部分から、ひんやりと冷たい感触が服を通して伝わってくる。
今、俺が座ってるところ、地面から高くなっている床の、壁から外側にはみ出てる部分。そこはちょうど、座って安定する程度の幅があった。ギリギリ寝転べるくらいかもしれない。これがもうちょっと狭かったら落っこちるところだと思う。
足を投げ出して座ると、足の裏がじんじんする。サンダルでこんな長時間歩くもんじゃない。
体を落ち着けると、スマホのライトを切って、ポケットにしまう。充電はあと二十八パーセントだった。時間は十八時半。
スマホにはもうほとんど頼れない。時間見るのとライトしか使ってないけど。でも、当たり前にあったものが使えなくなるのは心細い。
空腹感から、俺はまた唐揚げを出して食べた。一個じゃ足りなくて、いくつか出してしまった。
コンビニの唐揚げを思い出したら、コンビニの唐揚げが出てきた。レジ脇でずっと温められてるからパサパサしちゃってることが多い。それがちょっと苦手で滅多に買わないのだけど、口に入れたら懐かしい気持ちになって、ちょっと涙ぐんでしまった。
同じコンビニで売ってる骨なしチキンは出てこなかった。ハンバーガー屋のチキンナゲットも出てこなかった。大手チェーンのフライドチキンも。
唐揚げなら出るかもと思って、魚や蛸の唐揚げをイメージしたけど、それは出なかった。鶏肉以外の肉もダメだった。でも、軟骨の唐揚げは出てきた。
基準がわからない。いや、鶏の唐揚げが基準な気がする。気はするけど、意味はわからない。
軟骨の唐揚げはコリコリしていた。
空腹感は多少収まったけど、体の疲れはちっとも回復しない。回復しないどころか、空腹や喉の渇きが落ち着いたからか、さっきより怠さが増してる気がする。
そんなに疲れてるのに、寒さと緊張感で眠れない。だいたい、いつもだったらまだ起きてる時間。平日なら仕事してるくらいの時間だ。
座って壁に寄りかかって体を休めながら、俺は今日のことを思い返す。
俺の異世界転移はハードモードなんだろうか。少なくともイージーモードじゃない気がする。
イージーモードってのは、あれだ。お城の儀式とかで召喚とかされて、目の前に人がいて、その人が全部説明してくれるし、勇者様だとか聖女様だとかなんとか様だとか呼ばれて、めちゃくちゃ強いみたいなチートがあって、なんかすごいことしてちやほやされたりするヤツ。
じゃなければ、神様の手違いだとか世界の都合とかで転生だか転移だかすることになって、代わりにめちゃくちゃ強い能力あげるからとかなんとかで神様に全部説明もしてもらって、なんだかんだうまくいくヤツ。そういうのがイージーモードなんだろう。
俺は誰からも説明を聞いてない。説明がないなんて、とてもじゃないけどイージーモードとは呼びたくない。
じゃあ、ハードモードなのかっていうと、なんだかそれも言い切れない。
確かにめちゃくちゃ疲れたけど、普段運動不足の人間が急にたくさん歩いて疲れたってだけだ。
俺の感覚ではそこまで命の危険も感じなかった。もしかしたら危うい場面はあったのかもしれないけど、実際に生きてこうしてるからなあ。
例えば、気付いたら目の前にモンスターがいたとか、突然捕まって幽閉されて、みたいなそういう極端なハードさはなかったように思う。
今だって、文化的な生活の片鱗も感じてる。森の中で野垂れ死ぬとかもなかった。
だから多分これは、ハードモードってほどじゃない。イージーでもないかもだけど。
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指先から出てきたもの
・自分で作ろうと思ってたいつもの唐揚げ
・会社近くのトンカツ屋の唐揚げ弁当の唐揚げ
・コンビニチェーン店のレジ横で売ってる唐揚げ(ニンニク醤油味)
・チェーンの弁当屋の唐揚げ弁当の唐揚げ(塩)
・冷凍食品メーカーの冷凍唐揚げ(調理後)
・居酒屋で食べる鶏軟骨唐揚げ
・会社近くの定食屋の竜田揚げ(唐揚げと区別がついてない)
出なかったもの
・コンビニチェーン店の唐揚げの隣に並んでる骨なしチキン
・ハンバーガーチェーン店のチキンナゲット
・大手チェーン店のフライドチキン
・近所のスーパーの惣菜コーナーでよく売ってる骨つきフライドチキン
・居酒屋の白身魚やタコの唐揚げ
・会社近くの中華料理屋の油淋鶏
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