共生依存

宮古遠

共生依存

 

 

 死のうと思っていた。

 たしかに死のうと思っていた。

 どうしようもない人生にケリをつけるべく、家の中で首を括って死んでしまおうと考えていた。

 けれど出逢ってしまった。

 花びらに包まれた或る少女と。

 ぼくの幸福と。

 だからぼくは匿った。

 少女を永遠とするために。

 永遠に死を忘れるために。



    一



「タスケテ」

 どういう事だろう、と思った。

 警察かなにかに連絡したほうがよい案件だろうかと思った。

「助けて、って―――」

 それは、少女だった。

 白の布に身をつつんだ少女は、深夜、僕のアパートの部屋の前で、なにかにひどく怯えながら、僕に助けを求めている。

 ―――いったいどうすればよいのだろう。

 そう、僕が困っていると、

「なんで見失ったんだ、お前」

「逃げないと思って」

「―――はあ」

「すみません」

「いいから。探せ探せ」

 なにかを探す声色が、どこからともなく聞こえてくる。

 若い声と、掠れた声。

 二人組の男らしい。

 その声を聞いた途端、少女は怯えを加速させ、僕の足にすがりつき、不安そうに僕を見上げ、

「オネガイ」

 と一言。

 僕に向けて嘆願した。

 ―――甘い香りがした。

 甘い、甘い香りが。………

 ―――あの声につかまるとこの子は死ぬ。

 突然に悟った。そして僕は、どこから沸き起こったかわからぬ「少女を絶対に救わねばならない」という衝動に駆られ、目の前の不明な少女というのを部屋へと仕舞い込んでしまった。

「―――なんで僕、こんな」

 僕は僕に問うていた。

 これから死ぬはずだったのに。



    二



 部屋の電気を消すまま、僕はドアスコープ越しに二人組の男をみた。

 二人は黒服にサングラスという、いかにもないで立ち連中だった。背の低い、ずっしりとした体形の、白髪まじりの初老の男と、痩せこけた、ひょろ長い、張り付いた笑顔の若い男―――

 警察、などとは違う、明らかによからぬことをしている人間。

 そう感じざるを得なかった。

「まったく、どこへいったんだ」

「始末書じゃすまないでしょうね、はは」

「笑ってる場合かよ」

「笑うしかないでしょう」

 などと云いながら、彼らはあたりをうかがっていた。

 が、

「とにかく探せるだけ探すぞ」

「まだ探すんですか」

「しょうがないだろう仕事なんだから。態度くらいは示しとかないと」

「めんどうくさいですねえ」

「俺だって面倒くさいよ。―――いくぞ」

「はい」

 二人は居所に気付くことなく、深夜の闇の中へ消えた。

 ―――ああ。

 ―――助かった。

 僕はホッと、知らぬ間に止めていた息を吐いた。

「もう大丈夫。どこかへいったよ」

 僕は安全を云うべく、少女のほうへ振り返った。

 すると少女は、

 とすん。

 と、僕のところへ飛び込んできた。

「――――――」

 ドアへもたれかかる形で、少女は、受け止めた僕と一緒にずり落ち、僕の上へ馬乗りになった。馬乗りになった少女は、僕の上で、自身を包むその白布を、するりするりとほどいていった。

 ―――美しかった。

 その身体は、普通の人間とは全く違う、植物の特性を持った異質な存在であった。白く美しい花そのものが少女の形を模しているような、そんな雰囲気を有していた。

 華奢な、あばらの少し浮き出た身体と、発達しきらぬままの肉体―――少女を有している筈なのに、その花びらの曲線は此の世の物とは違う異質な、大人びた雰囲気を印象付けた。花びらの一枚一枚が髪となり、折り重なって、少女の顔を、両の瞳を、すっぽりと覆い隠していた。口元だけを示す少女の、花びらたちの連なりから僕が連想したものは、あの、花に擬態して獲物を刈る、ハナカマキリの姿だった。

「ア リ ガトウ ………」

 震える、少女の口元。

 紡がれる音。

 かわいらしい声。

 コトバ。

 驚きと焦りと戸惑いと、色々の感情に襲われながらも、僕はどうしても少女のことを恐ろしい存在と思えなかった。救いを感じた。変革のために異質との出逢いを以前から求めていたのだのだと、確信せざるを得なかった。

 こうして僕は、少女を匿うことを決めた。

 誰かに必要とされる喜びを、じっとりと、かみしめた。

 


    三



 少女と出会ってから、僕の人生は一変した。

 今までは理不尽なことがあったり、気に入らないことがあっても、ただ、我慢するしかなかった。それらを自分の中に押し込めて、声にも出さず、頭の中だけで自分に対する会話を延々と行うから、どうしたって精神が疲弊し、疲れきってしまっていた。僕という存在が壊れてしまったために発生する不利益を思って、自身を嫌悪するしかなかった。

 けれど今は、家に帰れば少女がいる。

 僕を迎えて、その身を僕に預けてくれる。

 すりよって、僕に対して、信頼の表情を示してくれる。

 そう思うだけで僕はもう、高揚に陥るのだった。

「アレハ ナニ?」

 窓から外をのぞきながら、少女は僕に質問をした。

 東京タワーだった。

 夜空の中で東京タワーは、蛍みたいに光っていた。

「あれは東京タワーっていうんだ」

「トウキョウ タワー?」

「そう。あそこから色々なところに、人間の作った映像とか、音とか、いろいろの電波を飛ばすんだ。ほら、この前キミは、僕と一緒にテレビってのを見ただろう」

「ウン」

「あの映像を映すために、あそこから色々の絵を、この中に飛ばしてるんだ」

「―――キレイ」

 僕に寄り添いながら、少女は窓の外にみえる東京タワーの明かりに見惚れ、延々とその光を、その身に浴び続けていた。

 少女の様相をみながら、僕はどこまでも、この少女の傍にいたいと思った。結局、少女が家にいるからといっても、僕のしんどさは変わらなかった。が、少女がいるからこそ、僕は僕の『死』というのを、毎日遠ざけることができた。

 それさえ頼りにしていれば、僕は「生」を認められる。

 機能さすことができる。

 僕にとって牢獄でしかなかったこの部屋を、唯一の救いがある場所として機能さすことが出来る。

 とても。

 とてもうれしい。

 ―――けれど。

「こんなのはただの依存じゃないか」

「なにかに依存をすることで、死を鈍らせているだけじゃないか」

 そうした感覚が、ときたま過る。

 過って辛くなり死を連想するたび、僕を抱擁し、優しく受け止めてくれる少女。

 ごまかしてくれる少女。

 少女は、僕はどれだけ落ち込んでいたり、うだうだと暗い言葉を吐き捨てたりしても、決して僕には文句を云わず、横たわる僕の身体に寄り添い、話をききつづけてくれる。少女の、甘い香りが、その、心音が(それはとくとくと、とてもかわいらしい音である。指の腹でわき腹を触られ続けるような、そんな心地よさがある)僕を心底いやしてくれる。柔らかな肌の感触が、誰かが傍にいる感覚を与える。

 僕はもう、少女なしには、精神を維持できなくなっていた。少女の為ならなんでもできるし、なにかを頑張ろうと思えた。死の感覚に矛盾して、僕は貧しい心の中に決意を抱くようになった。

 少女の存在するこの部屋を、誰にも明け渡すつもりはなかった。少女が僕を、どこまでも深く受け入れてくれるのだからと、僕は僕自身の心象を、醜く、卑しく、拗らせていった。この現状を維持するために、なにもかもを尽くそうと。………

「じゃあ、いってくるよ」

「ウン」

 僕は少女に別れを告げて、今日も僕にとってのシンドさの待つ、金銭を稼ぐための場所へ向かった。この生活を続けたければ、いまの僕はどうしたってそこへ通い続けるしかない。職種を変える事すら億劫に感じる僕は、こうして自分を抑制し、心象に影響のないものばかりを率先して選ぶのだった。

「仕事なんかしないで、ずっと少女と過ごせればいいのに」

 僕は夢想した。

 脅威と対峙するまで。



    四



「ヒトみたいな花の化物が存在するとしたら、オニイサンはそれ、信じます?」

 仕事先に黒服の男がやってきたのは、深夜、僕がひとりきりになって、品出しや清掃の色々に取り組んでいる最中のことだった。

「どうです? 信じます?」

「ええっと。………」

 例の、若い男。

 恐らくこいつは、僕がこのあたりに棲む人間と知って探りをいれに来たのだろう。やつを匿っているんじゃないかと。当たりをつけて。

「どうでしょう。………判らないですね」

 僕は世間話をするときみたいに、どうとでもとれる返事をした。

「まあ、そうですよね」

 男が笑った。

 不気味だった。

「あ、これ温めで。結構強めで。二分くらい」

「だいぶ熱いと思うんですが」

「大丈夫です。すきなんで」

「………わかりました」

 応じて僕は、男の購入したおにぎり二つを電子レンジの中へ入れた。

 スイッチ。

 回り始める。

 ―――男が喋りだす。

「なんか、すみませんね。突然植物の女がこの世界に生きているだなんだと聞かれても、困りますよね。そんなことを聞いてくるやつは、普段から宇宙人だとか陰謀だとか電波だとか、そういう類のモノを信じる頭のネジがぶっ飛んだ、ちょっとたのしいお人みたく認識しちゃいますものね。………でもね私は、それはそれであると思うんですよ。存在すると思うんですよ。だから、そういう人たちを見てると、その人たちはそもそも、私たちとはつくりが違う、なにか別世界からきた異世界の住人なんじゃないかって、そんな風に感じるんです。あなたもそうは思いませんか。………」

 突然の解説。

 何をしたいか判らないが、不気味なのは確かだ。

 ―――探りを入れているのかも。

 僕は思ったから、

「そう、なんですかねえ」苦笑いをしながら返事をした。

「きっとそうだと思います。なにせわたしがそうですから」

「………はあ」僕はうなずく。

「ちなみにオニイサンって、無花果って食べたことあります?」

 ―――無花果?

 不意だったので少し戸惑う。

「無花果ですか?」

「そうです。ありますか?」

「いやあ」僕は答える。「そういえば食べた事ないですねえ」

「ああ、そうなんですね。それはあれですか喰わず嫌いとか」

「というよりは、あまり馴染みがなかったので、そもそも考えに浮かんでこない、という感じかもしれません」

「なるほどそういう」

「はい」僕は答える。

「じゃあ」男はすこし笑って、「そんなお兄さんに、ちょっとばかし無花果の話をしようと思うんですけど。………いいですか?」

 振り返ってレンジをみる。

 一分三〇秒。 

 僕はなるべくいつも通りに、「はい」と頷いた。

「じゃあ、ちょっとばかし、お話させてもらいますが。………」

 男は改まって、

「じつは無花果ってのはね、実の中に花が咲くんです。外へ向けて咲かす花を内側に向けて咲かすんです。とするならばですよ。実の中に花が咲くなら、じゃあどうやって無花果たちは自分たちを果実にするのか、と思うじゃないですか。―――なんとね。無花果ってのは、実の中にあるものを匿うことで自分が果実になることを手伝ってもらうんです。そうやって手伝ってもらえるから、猿とか鳥がそれを食べて、いろんなとこに広がるんです」

「へえ」

 思わず声がでた。

 油断しすぎているかもしれない。

「で、その」

 男は続ける。

「実の中に這入ってくれる生物―――イチジクコバチっていう昆虫はね、無花果の中に卵を産み付けるんすけれど、その卵からは、オスとメスが産まれて、産まれたときから同棲状態みたいなもんになるんです。それもただの同性じゃなくて、産まれた途端に二人ってのは実の中で愛し合うんですね。―――というか、オスが生まれたばかりのメスをどうしようもなく犯すんですよ。さんざん甘えて、愛液を注いで、孕ませて、どうしたって子孫を残せる身体にメスをしてしまうんです。―――しかもメスは抵抗もせず、それを絶対に受け入れるというかね。もう、システムとして、生き残るための術として、そうしたものをやってるんです。―――なんだよ。それってどうなんだよ、みたく感じかもしれないんすけど。動物ってよくできてるというか、生まれる目的がハッキリしてるぶん、迷いがないよなあ、なんて僕は思うんです」

 少し、どきりとした。

 けれど別に、僕は少女に対して、そんな感情を抱いているわけではない。僕は欲しいのは永遠の平穏であって、そうした欲望などではない。どこまでもその部屋があり続ける―――という現状維持が、僕の求める安息なのだ。

「それで、」

 だから僕は、このあとなにを云われたって、平静を保っていられる自信があった。

「それで、―――」

 だからこちらから質問をした。

「実の中に育った虫たちは、その後、どうなるんです」

「―――気になります?」

 男が僕をみた。

「………ここまで聞いたからには」

「じゃあ、お話ししますがね」

 のこり一分。

 男が云う。

「外へ出られるのはメスだけなんです。オスは実の中で、メスに甘えるだけ甘えて、役目を果たすだけ果たしたら―――もう、それっきりなんです。そのまま実の中で死んで、二度と外へは出られないんです」

「―――え」

 このときの僕は本当に、間抜けな顔をしていたと思う。

 こいつが匿っている。

 と。

 男を確信させたと思う。

 男はわらって、

「―――コバチのオスはね。メスを外へ出すために、必死に穴を開けてやるんです。オスは実の中でメスを犯して、卵を生める身体にしてやって、そうして最後はメスのために出口を造ってやるんです。そして実の中に死ぬんです。―――それに、そもそもオスは、実の外へ出ることはできないんです。………哀れな奴なんです。空を飛ぶための羽ももたないままそのためだけに産まれてくる―――もう、つまりそいつらは、メスの中に果てることと、メスが無事に飛び立てるようにだけ存在をするモノなんです。その実の中が、オスにとっての全部の世界なんです」

 ここまで云うと、男はすこし気まずそうに、

「だからなんというか、それが幸せなのか幸せでないのか、どうにも判らないじゃないですか。飛び立って行くメスだって、卵を産まなきゃだし、いろいろ過酷な事をしなくちゃならないんですけど、僕はもうなんというか、こうした話をいつぞやか、職場の先輩に教えてもらったときには、もう、なんだか急に、オスがかわいそうな奴だなって、どうしようもなく思えてしまって。………でも」

 そして一息を置いて、

「人間は違うんです」と云った。

「人間は、外に出ることができるんです。外へ出る道があるんです。部屋の中に籠り続けたら、どのみち最後は、死ぬんですよ。死ぬしかなくなるんですよ。―――■■さん」

 僕の名前に呼び掛けた。

 忠告としか思えなかった。

 やっぱりもう、この男は、秘密のすべてを知っているのだ。

 だからいまここへやってきて、僕に忠告をしているのだ。

 そう、察するしかなかった。

「―――でも」だのに僕は、口を開く。

「そこに死んでゆくことが幸せだって思うオスも、いるんじゃないですか。彼らにとってはそれだけが生きる目的なんですから。………他の選択肢なんか、這入り込む余地はないと思います」

 ぶるぶると震えて、僕は云った。

 みっともなく、戦慄わなないた。

「………はは」男は笑って、「あなたはそうかもしれませんね」と云った。

「おにぎり、さしあげます」

 そうして男は、外に停まった車の助手席へ乗り込むと、「また明日」と云い遺し、どこかへと走り去っていった。

 ―――電子レンジの音が聞こえる。

 ―――タイムリミットを過ぎた僕らの。

「うああああ」

 僕は仕事着のまま、夜の世界へ飛び出した。

 僕唯一の幸福の場所へと逃げ込むことを決めた。


  『明日、終わりがくる』


 だったら引きこもるしかないと。

 終わる永遠を貪るだけだと。



    五



 ―――音が聞こえる。

 インターホンの音が部屋の中で響いている。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 音が、無数の同一の音が、延々と響き続けている。

 こわい。

 外へ出るのが怖い。

 僕のそばで、少女が僕と同じようにうずくまっているのが判る。その体温が。柔らかさが。怖さの中にあるというのに妙にしっかりと感じられる。怖さを受け続けることで、その感覚に浸り続けてしまおうという、そんな思惑が僕の中に漂っている気さえする。

「………さん、………さーん。………ダメだなこりゃ。絶対出てくる感じじゃないよ」

「どうします」

「そりゃあもう、やるしかないよ」

「面倒くさいですねえ」

「俺だって面倒くさいよ」

「どうしてこんなの押しつけられたんですか」

「仕方ないだろう。他人の尻を拭うのがオレたちの仕事なんだから」

「はーあ」

 気怠げな男たちの声が響く。

 もうあと数分としない間に、彼らは少女を捕らえるために部屋へ這入ってくるだろう。

 外へなんか出たくないのに。

 ここが僕の棲処なのに。

 ―――オスはどうしたって、部屋の中で死んでゆくんです。

 僕はなんて情けないのか。

 あんな話を真に受けるなんて。

 僕を受け入れてくれた少女がそんなことをするはずないのに。

 どうしてそんな不安感を、生じさせなければいけないのだろう。

 そう、愚かな僕が、思考を流転させていると、

「―――ワタシ」

 少女が暗闇のなか、弱々しい声で僕に云った。

「ワタシ ズット ガマン シテタ」

 僕の腕のなかで云った。

「ズットアナタヲ タベタカッタ」

 告白だった。

 僕への思いの告白だった。

 ―――ああ。

 この、言葉を聞いた途端、僕は僕の心理というのが、熱病に浮かされたときに生じる無音そのものになるのを感じた。恐怖でなく、死を意識するがゆえの非常な感動があった。

「デモ」

 少女がうつむく。

「ワタシガタベタラ アナタハ イナクナッテシマウ ダカラタベレナイ タベタイケド タベタクナイ ………」

 覚えた言葉を紡ぎながら、少女は僕に思いを伝えた。

 ―――少女は本当に僕のことを。

 ―――僕を思ってくれているんだ。

 そう、僕は。

 感じずにはいられなかった。

 ―――悟りだった。

 そこへ至った時僕は、そこにいる少女を見つめる僕には、もう、外の音の何もかもが一つも聞こえなくなっていた。そして考えた。あの、外の騒がしいものたちは、いずれ僕のこの籠る場所を脅かし少女を僕から引きはがす。ここから出れば少女を失う。少女を有していられるのはこの部屋の中しかないのに、僕はどうしたってあと数分で、僕にとっての唯一の救いを失うことになってしまう。

 ―――ならば。

 ―――ならばもう。

 ―――僕のやるべきことは、一つしかないのではなかろうか。 

 僕は答える。

「―――僕は君がいたから、生きていられた。でも、このままだと僕は君を失う。君を失って、もう、死ぬことしか僕にとっての救いでしかなくなる。あの人たちに君を取られて、本当に地獄へ堕ちてしまうんだ。―――だから気にしないで。好きに、自由に、僕の身体を食べてほしい。君になら、僕はどんなふうに食べられても、苦しくないよ。寧ろ、嬉しいんだ。僕は、僕の身体は君の中に這入って、君の中で僕は生き続ける。形が変わるだけなんだ。その方が断然いい。救いの中にいられるんだから」

「―――アア」

 僕の言葉を聞いて、少女は、瞳を隠す花の髪をふる、と震わせて、

「ホントウニ イイ ノネ」

 僕の頷きを受け入れた。

 頬を赤らめ、息を乱し、僕を一気に押し倒した。

 瞳を隠す白の花びらを「かはあ」と開いた。

 ―――口があった。

 無数の歯が、そこにはあった。

「あ」

 首が抉られ、貪り喰われてゆく痛み。

 少女の放つ香のせいか、快楽としか思えなかった。

 ―――しあわせ。

 しあわせだけがやってきた。

「あ ああ、ああ、あ、―――」

 少女の中へ這入った僕は、彼女の変容と、扉を蹴破り這入ってきた男どもの断末魔を聞いた。そして僕は、少女によってもたらされた此の世でいちばんの幸せを噛み締めつつ、その子守唄をぽつりぽつりと、少女の奥底で聴くのだった。



    六



 少女。

 という植物。

 喰われた男の肉体は、に擬態した存在に完全に取り込まれてしまった。

 男が遺伝子を提供したおかげで、それは劇的な進化を遂げた。東京中をその植物の、脅威に陥れるに至った。植物の目的は子を増やすことでしかなく、そこには愛も安らぎもなかった。あるのはただそれらしく見えうる、都合のいい解釈でしかなかった。

 共に生きるべく依存すること。

 男が少女へ向ける愛情、少女存在に対する依存ともとれる心の崩壊が、か弱い生物には必要であった。だからこそ少女は愛玩物であるよう、仕草や姿を演じ続けた。演じる行動そのすべてが相手の求める理想になれば、それはもう、演技でなくなる。

 植物はいま、自身の果実を実らせるのに一番適した宿主―――東京タワーの全体に何重にも触手を巻き付けている。

 政府はそれらを駆除するべく、爆撃を実行に移すようだ。ゆえに東京は封鎖され、首都としての機能を完全に喪失。新電波塔の建設も中止せざるを得なくなった。

 もし無数の白の蕾が開けば、少女を模した化物たちが再び野に放たれるだろう。報われぬ男どもに快楽を与え、一時の幸福に狂わせるだろう。無数の繁殖を続けるだろう。

 ―――逃してはならない。

 逃せばいつか、また同じことが起きる。人類はおのれの住処を失う。この世の平穏を保つためには、少女は抹殺するしかない。少女がどれだけ自身にとって苦痛を癒す存在であろうと。………


  『東京に繁殖する植物たちが、残る最後の果実である』


 人々の淡い祈りと共に。

 明日東京へ、それらは飛び立つ。

 


 

 

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共生依存 宮古遠 @miyako_oti

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