恋愛小説の申し子⑥
「しかし、あいつの話はどこまで信用に値するんだろうな」
ふと口外にこぼれ落ちたような先輩の呟きに、私は一拍間を置いて「え?」と反応する。
「みちるちゃんが嘘をついていると?」
「全てが虚言だったとは言うまい。だがひとつ確実に言えるのは、今日あいつは文芸部の入部希望者としてここを訪ねてきたということだ」
「? 言っていることの意味がよくわからないんですけど」
先輩は舌打ちして、この低能が、と毒舌を炸裂させる。
カチンとくるが我慢だ。今は口論するより先輩の発言の真意を明らかにする方が優先度は高い。
「要するに、あいつの中で文芸部に入ることは最初から決まっていたんだよ。はじめの頃、色々な部活を見て回っているなどと嘯いていたが、それこそ建前だったのかもしれん」
数分前の記憶を手繰る。
教室の扉が開かれ、みちるちゃんが姿を現した時のこと。私が勇み足で入部希望者なのかと質問すると、彼女は恐縮そうに手刀を振って否定した。そして恐らくは訪問した理由として、次のように続けたのだ。
――ここ、何部なのかなと思って。
思い返せばこの台詞、妙ちきりんだ。文芸部は看板も出していなければ部員募集のチラシも配っていない。それなのにどうしてここが何かしらの部室に割り当てられていると見当をつけることができたのか?
考えられる答えは一つ。最初からここが文芸部の部室だとわかっていたのだろう。
「推し量るに、読書研究会の連中から文芸部の存在を仄めかされたのだろう。それから、両部の活動方針の違いなんかもな。そして、文芸部に足を運んだのだ。そういう経緯なら、ここを訪れた理由も自ずと察せられる」
読書研究会と文芸部の違い。
……なるほど。そういうことか。
「みちるちゃんも『書く』側の人間だったということですね」
先輩は頷く。
「それもかなりの手練と見た。だから俺も途中から囲おうとしたんだ。未発表の原稿を餌にまでしてな」
ははあ、どおりで。
思い返せば今日の先輩は言動に一貫性がなく、態度も不自然極まりなかった。いくら自作小説の質を高めたいからといっても、出会って間もない後輩の目利きを頼りにするなんて節操がなさすぎる。あれは先輩なりの勧誘だったのだ。
「みちるちゃんはなぜ小説を書いていることを秘密にしたんでしょう?」
先輩は、さあな、と曖昧に応じて、窓の外に目を遣った。迫り来る夕闇が寂寞の気配を漂わせている。
「ただ、執筆は決して一般的な趣味とは言えない。少なからずカミングアウトすることに抵抗はあるだろうさ」
私はえもいわれぬ感情を催して沈黙した。
創作活動を公にすることを躊躇う心理はわからなくもない。私自身、小説を書いていることは家族にも内緒にしているし、仲の良いクラスメイトにさえ進んで作品を読んでもらったりはしない。今日だってみちるちゃんを相手に作品を紹介するのを渋ったくらいだ。
その理由は無論、恥ずかしいからだ。より具体的にいうと、他人から恥ずべきものを書いていると詰られ、嘲笑の的になることを恐れ慄いているのだ。
でも、そんなことを恐れていては、小説は書けない。評価が出る前から評価に臆しているその往生際の悪さを恥だと思え。先輩の言うことは腹立たしいが、クリエイターの心構えとして健全な在り方ではある。
創作活動をオープンにできる環境に身を置けることはクリエイターにとって幸せなことだと思う。文芸部はその大義名分を与えてくれる場所だ。
だからもし、私たちの推理が当たっているなら、みちるちゃんには是が非でも部に入ってきてほしい。
人生の先輩としても物書きとしても未熟な私だけれど、彼女を巣食う『孤独』を打ち倒すのに、少しは力にもなれるだろうから。
「どれ、明日にでもパソコンを一台調達してくるとするかな」
先輩が言った。
どうやらみちるちゃんが入部してくることは確定事項になっているらしい。
餌と称して渡した恋愛小説の出来によっぽど自信があると見える。
この人本当にクリエイターとしてお誂え向きな性格してるよな。
私は内心で呆れと羨望の入り混じったため息をついて、ティーセットの片付けをはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます