第4話
非凡と善良①
【東条鼎】
――きみの小説は『人』が書けていない。高校生になるんだから、部活動でもして、いちから人間関係を学び直しなさい。
中学生の時は万年帰宅部だった。高校生になってもそのスタンスは崩さないつもりでいたが、シナリオライターである祖父からの助言により心変わりした結果、文芸部に入ることにした。文芸部であれば日課にしている執筆活動の妨げにならないだろうし、指摘があった『人間関係』についても学ぶ機会を得られるだろうと踏んだからだ。
実際入部してみると予想以上に筆が捗るという発見があった。普段は自室にこもりがちだったから気づく由もなかったが、周りに人の目があると気が散りやすくなるかと思いきや意外にそうでもなく、むしろ適度に緊張感を保つことができて作業に身が入るのだ。
一方で、肝心の人間関係の方は当てが外れた。
基本的に俺は正論を愛する。時に正論をかざすべきでない場面があることも承知しているし、実際にそのような場面にも何度か遭遇した憶えはある。しかしながら正論が頭に浮かんだが最後、どうしてもそいつを吐きたい衝動に逆らえない
そしてどうやら一般的な高校生というのは正論を忌避する生き物であるらしい。彼ら彼女らは物事の神髄を追求するより、我が身可愛さから保身を優先するきらいがある。
たとえば自作小説の感想を求めている者がいたとする。ここで彼あるいは彼女が欲しているのは、間違っても誤字脱字の指摘やストーリーの改善案などではない。地の文が冗長で読みづらいからもっとコンパクトに纏めた方がよいだとか、登場人物が多すぎるせいでストーリーが頭に入ってきづらいだとか、そういう生産的なコメントは全くお呼びでないのである。
では彼らが欲するのは何か?
ずばり言うと「賞賛」の言葉だ。
ストーリーが面白い。主人公が格好いい。描写が美しい。話の構成が斬新。紋切り型の美辞麗句でよい。要は自己承認欲求を満たして悦に浸りたいがために、酷く回りくどいやり方で小説の感想なんてものを求めてきているのである。
そんな薄っぺらい魂胆が透けて見えたとき、俺は正論という名の暴力で、そいつの歪んだ性根をこてんぱんに叩き潰してやりたくなる。誰かの掌の上で転がされるのはどうしても我慢ならない性分なのだ。
一切の協調性を持ち合わせていない自分が集団の中で浮いてしまうのは自明の理。案の定、入部から一週間と経たない内に俺は孤立した。
誰も進んで俺に話しかけようとはしてこなかったし、こちらからもあえて接触を試みることはなかった。孤立しても尚、俺は部室に通い続け、活動時間内は他の部員らと親交を深める機会をことごとく放棄し、歓談の輪にも加わらず、ただ黙々とキーボードを叩いて物語を紡ぐことに邁進した。
幸いなことに、特段の絡みがなければ害は無いとみなされたのだろう、七面倒くさい嫌がらせや物理的な迫害を受けることはなかった。ただ空気みたく『いない者』として扱われ、放置されるだけだった。
その処遇は自分にとって天恵と呼べるものだった。煩わしい人付き合いから解放されるばかりか、集中して執筆活動に打ち込める環境まで手に入れることができたのだから。
人間関係を学ぶという本願は果たせそうにないが、実のところそこまで真剣に取り組むつもりもなかった。文芸部に入ったことで助言をくれた祖父への義理立ては済んでいる。また、これを言っては身も蓋もないが、人物描写のスキルを向上させたいからといって、そのヒントを現実世界に求めることにそもそも承服しかねていたのだ。
長年プロのライターとして活躍してきた祖父の物書きとしての腕は疑うべくもないが、小説の中に描かれる虚構の世界と我々が暮らす現実世界が全く別物であることは弁えねばなるまい。ならばそこで暮らす〝人間〟も当然似て非なる存在と認識すべきであり、本当に〝人間〟を学びたいなら、既存の小説や映画など完成されたフィクションの中から盗み得るのが筋ではないか。
さすがの俺も祖父に面と向かって持説を唱えるのは不遜が過ぎると思い口を噤んでいたが、本音を明かせばそんな考えが優勢だった。
だが、悠々自適の環境下で創作活動に打ち込んでいられる時もそう長く続かなかった。転機は入部から三週間が経過した五月の初頭に訪れた。
文芸部では月初めの活動日に〝作品品評会〟なる催しが開かれる。これは部員たちが自作の小説を持ち寄って回し読みを行い、感想を述べ合うといった趣旨のものだ。
言うまでもなく俺はそのような会合に毛ほども興味はなかった。はじめから招かれざる客だとわかっていたし、丹精込めて作り上げた作品を見世物のように扱われるのもあまりいい気はしない。
しかし、当時部長を務めていた石崎という男から一度でいいから参加してほしいと強く要請され、殊更拒否する理由も思いつかなかったので、本音を言わせてもらえるならという条件付きで会に参加することにした。
当日、部室には幽霊部員と病欠者を除くメンバーのほぼ全員が集まった。その数、延べ四十名ほど。しかし作品を持ち込んだのは自分を含めてたったの三人しかいなかった。石崎に聞くと、今回が特別に少ないのではなく、毎度その程度しか集まらないのだという。
随分とやる気がないんだなと心の中で腐しつつ、出展された作品に目を通して、そのあまりのレベルの低さに唖然とした。悪書を目の前にすると頭に血が昇る性分なのだが、ストーリーも文章もお粗末すぎて怒りすら沸かなかった。『本音を言わせてもらう』と宣言したところではあったが、指摘箇所を挙げるときりがなく、すっかり言う気も失せていた。
さらに驚くことがあった。それらの不出来な作品に対して批判的なコメントを送る者がなんと誰一人として名乗りをあげないのである。皆つくり笑いを浮かべて中身のないおべんちゃらを挙げ連ねることに終始しており、まるで下手な芝居を見ているようで、率直に言って胸糞が悪かった。
普段は腫れ物扱いされている俺の作品にも通り一辺倒の賞賛が寄せられたが、そんな口先だけの評価を寄越されたところで素直に喜べるはずもなく、むしろ他の不出来な作品と横並びの評価が下されたことに腹の虫が治らなかった。
時間の無駄だと悟り、もう金輪際この会合に参加するのは止めようと決意した。ところが、その決意に待ったをかける人物がいた。俺をこの会に招致した張本人、石崎部長である。
その日の部活終わり、図ったようなタイミングでふたりきりとなり、そこで品評会への忌憚のない意見を求められた。そうして俺は溜まりに溜まっていた鬱憤を洗いざらい、捲し立てるように吐き出した。
恐らく三十分近くは一方的に喋っていたと思う。全ての毒を出し切った直後はさすがに清々しい気分になっていて、そんな自分を目の前にする石崎の口元にはどういうわけか企むような笑みが浮かんでいた。
話を聞くと、どうやら石崎は品評会の場で俺が今みたいな本音をぶちまけることを期待していたらしい。
当時の文芸部は厳格な上級生の不在と仲間内で駄弁りたいがために参加している半端な部員が多く在籍していたことから著しく緊張感が欠けており、馴れ合いを助長する空気がそこかしこに蔓延していた。そんな状態ではいくら品評会を開催して意見を募ろうと、作品の改善や部員らの成長は見込めない。石崎はそんな部の窮状に憂いを抱いている様子だった。
まともな人間もいたのだなと思う一方で、ならばどうして自ら声を上げないのかと不可解に思った。品評会で部員らが歯の浮くような麗句を口々にしていた最中、石崎はただひたすら静観することに徹していた。オブザーバーを気取ろうと異を唱えないのであれば悪しき空気の担い手であることに変わりはない。作品が不出来だと思ったのなら、わざわざ俺に言わさずとも自ら率先して思いの丈を主張すればよいではないか。
だがそこは、部長という立場にあるからこそ本音を明かせないもどかしさがあるのだと石崎は言った。
その程度の論で押し切られたわけではないが、男の達観したような口ぶりになんとなく説得力めいたものが感じられたので、一旦は抜きかけた矛を鞘に収めた。
当時はそんなもの八方美人の言い訳に過ぎないと決めつけていたが、その後の石崎の立ち居振る舞いを観察するにつけ、なんとなく理解が及ぶようになった。
人を統べる者の役割は大別して二種類ある。ひとつは指導者としての役割、もうひとつは象徴としての役割だ。石崎が当てはまるのは間違いなく後者のほうだった。
文芸部に指導者は不在だったが、だからといって象徴の役割を担っている石崎が指導者の役を買って出るわけにはいかない。指導者と象徴はそれぞれ独立した存在でなくてはならず、それらが混ざり合うと〝独裁〟になってしまうからだ。要はその穴埋めを、換言するところの指導者としての役割を、石崎は俺に一任したいと考えているようだった。
次回こそは本音をぶちまけてくれよと打診されたが、俺はもう出るつもりはないと辞退した。ところが、よほど文芸部の窮状を憂いているのか、石崎はなおも食い下がった。
しばしの間、押し問答を繰り広げた末に石崎が交渉の材料として切ってきたカードは、先の会で語られなかった俺の作品に対する評論だった。良い点、悪い点、改善策など、独自の感性に基づいた見解を矢継ぎ早に挙げ連ねていく。
その男が淀みなく語るのを、俺は目を丸くして聞いていた。先の会合で寄越されたような木っ端なレビューとは比べものにならないくらい深く洗練されていて有意義な書評だったからだ。
もし次回以降の品評会にも参加して一石投じてくれるなら、今後も引き続き、作品に批評を送ってやろう――石崎が餌として提示した条件は、俺を意のままに操るのに十二分の魅力を備えていた。
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