非凡と善良②

【東条鼎】


 翌月の品評会は修羅場と呼ぶに相応しい、禍々しい空気が充満していた。


 石崎と秘密裏に締結した契約に従い、俺は出展された作品に対し忌憚のない意見を放った。相変わらず数は少ない割にろくでもない内容の小説たちが雁首を揃えていて少々感情的になった節はある。だが、間違ったことは何一つ言ったつもりはなかった。にも関わらず猛反発に遭ったのは、それが彼らが忌み嫌う〝正論〟だったからに他ならない。


「冗長な地の文に、突飛な台詞。独りよがりな文章は読んでいてストレスが溜まっていく」


「語彙が貧弱すぎて、文章に全く深みが感じられない」


「登場人物の主義・主張が場面ごとにブレていて、感情移入の妨げになっている」


「無駄に比喩表現を多用しているせいで、文章のテンポがすこぶる悪い。能無しがプロの猿マネをしたところで滑稽に映るだけだ」


「作者のご都合主義で登場人物たちが殺されたり結ばれたりしているのは見るに堪えない。付き合わされる読者の身にもなってくれ」


「紋切り型の異世界転生に、ツンデレ少女とのラブコメディ。全くオリジナリティのないキャラクターとストーリー展開に反吐が出る」


「本当に推敲したのか疑わしいほど誤字脱字衍字がやたら目につく。こんな不出来なものを人前に出せる奴の神経が知れない」


 立て板に水とばかりに毒を吐き散らかすと、平和ボケしていた出品者たちの顔が忽ち青ざめるのが見て取れた。


 泣き出す者、沈黙する者、顔を真っ赤にして怒りを露わにする者。リアクションは各人で異なるが、共通していたのはみな敵愾心のこもった眼差しをこちらに向けていたことだ。


 当然、その後は部員たちから相次いで抗議がなされた。後輩のくせに口の利き方がなっていないだとか、そんな酷いことを言うなんて人間の風上にも置けないだとか。


 みな俺の人間性を批判することに終始していたが、俺の意見そのものに異を唱える者が現れなかったことは特筆すべきことだろう。つまり内心ではみな俺の言うことに誤りはないと認めているわけだ。ならばなぜ俺に怒りをぶつけてくるのか。せっかくみなが言い出しにくいことを代弁してやっているというのに。


 理由は単純。次にその悪意ある牙が自分に向けられることを恐れているからだ。こうして俺を寄ってたかって糾弾することで批判=悪という空気をつくり出し、暗に部員同士、牽制し合っているのである。


 俗に言う、同調圧力という奴だ。批判された作者を庇っているようで、実のところ彼らが必死に守ろうとしているのは将来の己が身である。それは優しさとは呼ばない。ただのエゴだ。


 もっとも、俺の方も優しさで歯に衣着せぬ物言いをしているのではない。石崎の評論を得ることも狙いではあるが、やはりそれ以上にこの茶番劇が許せなかったのだ。


 石崎は厳しい意見をぶつけることが作者の成長に繋がると期待しているようだが、俺はそんな生やさしい思惑でヒール役を買って出たわけじゃない。本気で作者を潰す腹づもりだった。


 このような駄文を臆面もなくしたためてしまえる奴に成長なんて見込めない。本人にとっても付き合わされる読者にとっても、ここで引導を渡してやるのが健全な選択であるはずだ。表面上は優しく見えないかもしれないが、人道を正しているという観点でいえば俺の言動は極めてピースフルと言えよう。


 有象無象の部員たちがこぞって俺を責め立てる中で、この騒動のフィクサーにして黒幕である石崎はひと言さえ口を挟むことなく、腕組みして不干渉の構えを貫いていた。泰然と論争を見つめる眼差しに熱はなく、その胸を支配する虚無感が透けて見えるようだった。


 ひと通り罵声の嵐が止んだところで、俺は全体に向けて、


「貴公らは本気で小説家になりたいと考えているのか」


 と問いただしてみた。

 その甘すぎる考えから叩き潰してやろうという思いから投じた質問だったが、


「小説を書いている人たちがみんな貴方のように小説家を目指していると思わないで」


 それが先ほど俺に悪態をつかれて泣きじゃくっていた女の答弁である。


 俺はそれを乾いた声で嘲り、


「詭弁を言わないでくださいよ」


 と一蹴した。


 小説を編み出すという行為は莫大なエネルギーと時間を消費する。それは自己犠牲と呼んでもいい。なにせ人は小説なんて書かずとも生きていくのに何ら差し支えはないのだから。


「何の目標もなく、見返りさえ必要としない小説書きなどこの世にいてなるものか。もしいるとすれば、そいつは間違いなく狂人だ」


 自分を中心に険悪な空気が渦巻く中、不意にチャイムの音が割って入ってきた。もうじき完全下校の時が訪れることを報せる予鈴だ。


 これまで我関せずと沈黙を保っていた石崎が柏手を叩き、簡潔な口上を添えて会の閉幕を告げた。それを合図に部員たちが後味の悪そうな面構えでぞろぞろと引き揚げていく。


 帰り支度を進める最中、石崎がちらとこちらに目配せしたのを認めた。その瞳には先ほどまであったはずの倦怠の跡が霧消していて、代わりに悪巧みする子供のごとき無邪気な光が宿っていた。その瞬間、どうやらこの男の期待に見合う働きができたらしいと俺は悟った。



 予想はしていたが、その日を境に俺の処遇は苛烈を極めるものとなった。部室に顔を出せば露骨に悪態をつかれるのが常となり、身に覚えのない因縁をつけられて手を出されることも一度や二度ならずあった。まさに針のむしろとはこのことを言うのかと身をもって知り、以前までの居心地の良さは完全に消え去った。


 周囲の反応は大別して三派に分類できた。

 多数派は言うまでもなく、俺への敵愾心を剥き出しにした連中だ。連中をあえて保守派と銘打つなら、残りの少数派のうち、一つは石崎を筆頭にした不干渉派、そして最後の一つは俺のスタンスを支持する革新派といったところだろう。


 革新派勢力者たちは表立って俺の味方につくような言動を取ることはなかったが、保守派の連中と比べると明らかに俺と接する時の物腰が柔らかく、会話の節々にも親和的な雰囲気が感じ取れた。


 より厳密にいうと彼らが支持していたのは俺自身ではなく、俺が書く小説の方だった。彼らはみな俺の作品に何か光るものを見出したらしく、若干名ではあるが個別に感想を送ってくるほど熱烈な読者も存在した。


 その中には同じ一年生の水町りほや小康路安孝といった面々も含まれていた。この二名とはのちに文芸部の行く末を巡って真っ向から対立することになるのだが、当時は全くその気配はなく、ときたま休憩時間を共に過ごすことがあるくらいには良好な関係を築けていた。


 のちに『東条の乱』と呼ばれることとなる六月の会をもって品評会は休止ないしは打ち切りを迎えるだろうと目されていたが、石崎が部長権限を行使したことによりその翌月も会は通常どおり開催された。


 参加人数は二十数名と前回に比べると目に見えて激減したが、出展された作品は十作とこれまでで最多となった。初秋に控える文化祭に向けて毎年この時期は出展数が微増する傾向にあるらしいが、それにしてもなかなかの数が集まったと石崎も舌を巻いていた。


 その変化は前回の自分の大立ち回りこそが引き金だと確信をもって言える。嘘偽りない率直な意見に晒されることを恐怖する者が大勢を占める一方で、それを望む者も一定数潜伏していたということだろう。


 つまりは石崎が目論んでいた通りの展開になったわけだ。腐りかけていた集団の空気が少しばかり緊張感を取り戻し、再生の気運が高まりつつあることを俺は直感した。


 とはいったものの、たった一ヶ月で作品の出来まで改善されるわけがなく、出展作品は相も変わらず駄作だらけだった。前回と同様かそれ以上に無遠慮な言い方で、俺は感想という体の悪態を吐き散らかした。


「こんなクソみたいな駄文で構成された紛い物を衆目に晒して恥ずかしくないのか」


 といった具合に毒を振りまき、顰蹙を買った。


 暴論と反論の応酬が続き、ディベートと呼ぶにはお粗末なくらい中身のない罵声が会場を飛び交った。


 一方で、多少の変化も認められた。ただ闇雲に自作を庇うのではなく、ならばどこをどのように直せば良くなるのか、と一歩踏み込んだ質問をしてくる者が現れたのだ。


 進歩だなとそのときばかりは感心してやったが、私情が邪魔してただで教えてやる気にはなれず、そんなことは自分で考えろと一蹴すると、また中身のない誹謗中傷合戦に発展した。



 九月の文化祭が終わると自動的に三年生は引退となる。


 先輩らが退いたのち、次の部長に指名されたのは黒部半助という二年生部員だった。黒部は文化部らしからぬがっしりした体つきをしている割に気の小さい男で、これまでの泰然自若とした雰囲気をまとっていた部長と比べると、だいぶ頼りない印象が拭えなかった。


 どうして黒部が部長に選ばれたのか石崎に聞くと、どうやら主な理由は俺にあるようだった。


 大概の二年生が俺を敵視する中で、黒部は唯一と言ってもいい、保守派にも革新派にも属さない不干渉派勢力の一員だった。そのバランス感覚は石崎自身が標榜する〝象徴〟的リーダー像に肉薄するものであり、それがかの男を次代の部長に擁立する決め手になったのだという。


 影で自分の後ろ盾になってくれていた石崎の退任で、俺の立場はいっそう危うくなるだろうと覚悟していたが、結果的にそのような事態にはならなかった。引退前に石崎が色々と根回ししてくれたのだろう、黒部の采配と水町を始めとした支持層による細かな働きかけによって、最悪のケースとして想定していた文芸部からの『追放』は免れた。


 引退後も石崎との交流は続き、続編や新作を部誌に載せれば何も言わずとも向こうから感想が送られてきた。かつて取り交わした密約を律儀に履行しているのだろうが、一方で品評会には無理に参加する必要はないとも言われていた。


 現状、文芸部は創作活動に対する熱を取り戻しつつある。しばらくは放っておいても慣性に従って坂道を転がるボールのように勝手に前進してくれるだろう。それが石崎の見立てであった。


 しかし、俺はそうは思わなかった。その考えは些か楽観的過ぎる気がした。


 他の部員も従来のように褒めるばかりでなく、多少は批判的なことも言うようになってきたが、やはり嫌われたくないからか、核心に触れるようなことはあえて避けている印象だった。軟弱な黒部に期待はできないし、遠からず部の空気はなあなあなものに戻っていくことだろう。


 正直な話、文芸部が元の木阿弥になろうと俺の知ったことではない。だがこの先、救いようのない作品が生まれてしまうことを分かっていて放置するのもどうかと思う。俺の作品を後回しにして、そのような作品が人々の間で読まれ、あまつさえ評価されているなんて事態は想像しただけではらわたが煮えくりかえってくる。


 それに、自分が文芸部に籍を置いている理由を紐解けば、他人と交流ができる絶好の機会をわざわざ放棄するのも勿体ない。


 あれが人間関係の学びに役立っているかどうかは疑問であるが、この半年で実体をもった人間の心の機微を間近で観察したこと、引いてはそれが自分の創作活動の糧になっていることは確かだった。その証拠に、夏に公募に出した小説が初めて二次審査を通過した。


 成長のヒントは自身の内側だけでなく外部にも目を向けることが肝要だと俺は身をもって学んだ。

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