恋愛小説の申し子(4/6)
「感想がほしいだけなら、別に文芸部に入る必要はないんじゃないですか」
みちるちゃんがさらっと悲しいことを口にする。
ていうか、さっきから私、全然話についていけてない……。
「ダメだ。お前は俺のこの小説の質を高めることだけに全力を尽くせ」
「無茶苦茶言いますね」
みちるちゃんの口元がせせら笑うように歪む。なんとなく楽しそうな雰囲気だ。可愛いらしいルックスとは裏腹に、なかなか豪胆なメンタルをお持ちのようで。
「別に私、他人よりすこ~しだけ多くの恋愛小説を嗜んでるだけであって、批評とかできるレベルじゃないですよ。所詮、素人の横好きです。見当違いのことを言っても怒らないでもらえます?」
「無論見当違いのことを言ったら殺す……ゴホッ!」
私は手近な机に放置されていた国語辞典を手に取り、先輩の顔面に向かって投げつけた。
「何様なんですかアンタはっ」
目に余る傍若無人っぷりに、身体が勝手に動いていた。
その場に蹲り、痛みに悶えている先輩を無視して、すぐさまみちるちゃんのフォローに入る。
「ごめんね。わけわかんないことばっか言って。原稿なんて全然読まなくてもいいし、文芸部には……できれば入ってほしいけど、無理強いはしないから。一度しかない高校生活なんだもん、橘さんが本当にやりたいと思ったことをやるべきだし、私はその意志を尊重するよ」
「ありがとうございます。栗棟先輩」
こちらの心配に反して、みちるちゃんの表情はどこ吹く風といった模様。
……しかし『栗棟先輩』とは悪くない響きだ。秘めたる後輩欲(?)がいっそうぷくぷく膨らんでいく。
「先輩も何か書かれてるんですか?」
「うん。部員だから、一応ね」
「私、読んでみたいです。先輩の小説」
「えっ」
咄嗟に心臓が跳躍する。初対面の女の子に自分の小説を読んでみたいだなんて言われたことがないから、こんな時どう反応すればいいのかがわからない。
嬉しくもあるし面映ゆくもあるが、それ以上に恐怖が大きかった。後輩の期待を下回ってしまうことが、作品のレベルが低いと思われてしまうことが、何よりそれが後輩の入部を躊躇わせるダメ押しの一手となってしまうことが、恐ろしくて堪らないのだ。そうなった時、立ち直れる自信がない。
無言の評価。それはインターネットを介して寄越される心ないコメントや先輩の悪態なんかとは比にならないほどの脅威を私にもたらす。ともすれば、もう一生筆を執ることができない身体になってしまうかもしれない。
「どうだろう。私の作品って、橘さんの大人っぽい趣味に合わないと思うけど」
「なんですか、大人っぽい趣味って」
眉を八の字に曲げて苦笑するみちるちゃん。
「そんなに謙遜されると、逆にどんな小説を書かれているのか気になっちゃいます」
みちるちゃんの真っ直ぐな視線がむず痒い。
さて、弱ったぞ。この窮地、どうやって凌ごうか。
腹の中で打開策をあれこれ模索していたその時、
「一丁前に日和ってんじゃねぇよ」
不意に声が割り込み、思考を中断させられた。
「評価を恐れて小説が書けるかよ。そんなクソほどの役にも立たねぇ羞恥心なんざ捨てちまえ。そんなもんは評価が下された後にでも持ち直せばいい。むしろ評価が出る前から評価に臆しているその往生際の悪さを恥だと思え、この恥晒しがっ」
突然の悪態に、虚を衝かれた心地となる。遅れて沸々と怒りの念が芽生えるが、私はひとつため息をつくだけに留め、反論することは控えた。ものの言い方に難はあるが、言い分は一理あると思ったからだ。
先輩にいいように言われて思い出した。自分がどうして小説を書いているのか、を。無論、小説家になるためだ。より厳密に言うと、小説家になってこの高慢ちきなド畜生をギャフンと言わせるためだ。その夢を叶えるためなら、この身が、この心が、いくら傷ついたって構わない。見果てぬ夢の地が傷も無しでは辿り着けない場所だと言うのなら、どんな刃だって喜んで受け入れよう。
私は覚悟を決めて、後輩と向き合った。
「橘さん」
改めて呼びかけると、みちるちゃんは畏まったように背筋を伸ばして、はい、と返事した。
「中二病全開のライトノベルでもよかったら、
照れ隠しにはにかみながら私は告げた。
自分の作品のことを『中二病全開のライトノベル』と形容することや源氏名のようなペンネームを自らの口でおおっぴらにすることに全く抵抗がないわけでもなかった。だけどこうして言葉にしてみて、憑きものが落ちたように心がスッキリした。
小説を書くことに対し、どこかで卑屈になっていたのかもしれない。自分の妄想を恥ずかしげもなく垂れ流しにして出来たものを、堂々と『小説』と呼んでいいものなのか。常に不安と隣り合わせだったのだ。
しかし、迷いなど不要だった。自分の作品に『小説』という肩書きを与えられるのは作者自身をおいて他にない。作者自身が小説と認めていないものを一体誰がこれは小説だなどと追認できようか。たとえ他人に落書きと詰られようと、作者自身がそれを小説だと主張するのであれば、それは紛れもなく小説に他ならない。なぜなら小説は作者自身の所有物であって、他の誰のものでもないのだから。
「これですか」
私が長々とモノローグに浸っている間に、早くもみちるちゃんは検索を終えたらしい、スマホの画面を私に見せてきた。
瞬間、顔からボッと火が噴き出た。よりにもよって『戯曲・〇マツさんの大暴走』という問題作が最上位にヒットしてしまったからだ。
それはいわゆる二次創作という奴で、私のコアなオタク趣味を全開に盛り込んだ遊び心満載の作品だ。遡ること今から3年ほど前、まだ中学生だった私が初めて小説投稿サイトにアップロードしたのがその作品だった。幸か不幸か、それが顔も名前も知らない同志たちの注目の的となり、なまじ高評価を頂戴してしまったせいで消すに消せず、完全に黒歴史と化して今日に至っているのである(黒歴史と言いつつ、今でも月に1度の緩いペースで更新を続けている。妄想は尽きない!)。
贅沢を言える立場ではないが、できるなら初見は別の作品にしてほしい。素性の知らない他人ならいざ知らず、顔見知りの後輩が相手ともなればなおさらだ。少々アレな内容のため、先輩としての威厳・面目・沽券・その他諸々を一挙に失う恐れがある。すると部に入ってもらえないことは愚か、廊下ですれ違うたびクスクスと後ろ指をさされてしまう事態にもなりかねない。……これはまずいぞ。
「わ、私のオススメは『マサムネくんは異世界人』だよ」
自分の書いた作品を自分でお薦めしてしまうイタい人になってしまったが、なりふり構ってはいられなかった。
「マイページ拝見させていただきました。これくらいの作品数なら数日ほどで全て読み切れると思います」
みちるちゃんはどういうわけか意欲的である。
ありがたいような不安なような。複雑な心境だ。仕方ない。こうなったらもう、幻滅されないことを神に祈るほかないだろう。
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