恋愛小説の申し子(3/6)

「お話、聞かせてもらっていいですか?」


「あ、うん。部活動についての話だよね」


 落ち着け、私。ここまで何一つ良いところを見せられていないぞ。名誉挽回の時だ。先輩としての面目を保つよう振舞わなければ。


「今日は他の部員の方はどちらへ?」


 初っ端から回答に詰まる質問だった。


「部員は……今は私と部長の二人だけなの」


「えっ、そうなんですか」


 円らな瞳をさらに丸くして驚きの意を表明するみちるちゃん。

 私は言い訳するように言葉を連ねた。


「ちょっと前はもう少しいたんだけどね。方向性の違いで、私たち以外、別のサークルに移っちゃった」


「別のサークルというと、もしかして読書研究会ですか」


「うん」


 そっちは知ってるのね……。まぁわかっちゃいたけど、少しだけ物悲しい事実だった。


 みちるちゃんはまた私と部長を交互に見遣ると、なるほどなるほど、としきりに呟きながら頷いてみせた。なんとなく顔色が良い。ときたまよくわからない反応を見せる子である。


「ここと読書研究会って、活動内容の面ではどのような違いがあるんです?」


「実態はそこまで大差ないと思うけど。文芸部うちが書く方面に力を入れていて、読書研究会向こうが読む方面に傾倒してるって感じかな」


「文芸部はその名が表すとおり日本の文学界の前進に寄与することを第一目的とした高尚なる活動団体だ。対する読書研究会は悪書の増産を奨励し、文学界の退廃を助長していることにも気づかぬ愚物集団だ」


 ここぞとばかりに口を挟んでくる先輩。

 なんという印象操作だ……。関係者が聞けば即刻訴えられてもおかしくないレベルの暴言である。

 頼むからまだ免疫のない新入生の前で刺激の強い言葉を吐き散らかさないでくれ。


「な、なるほど。なんとなく方向性の違いは理解できました」


 面食らってはいるが、なんとか先輩の暴言を事なく収めてくれた様子のみちるちゃん。

 常人なら萎縮して言葉を失うところだろうに、すぐにそんな風に無難な切り返しができるのはやはり要領がいいからだろう。加えて、肝の据わり具合もなかなか良好と見える。


「橘さんは普段、本とかって読むの?」


 軌道修正のため話題を転換する。

 私の涙ぐましい努力を見よと言いたい。


「はい。人並み程度ですが」


「どんなジャンルが好きなの?」


「なんでも読みますけど、一番好きなのは恋愛小説ですかね」


「へえ、恋愛小説!」


 その可愛らしい風貌にぴったりの乙女らしい趣味に、つい黄色い声が口をついた。


「お前の守備範囲外だな」


 カタカタとキーボードを叩きながら余計な横槍を入れてくる畜生せんぱい


「そんなことないですよ。勝手に決めつけないでもらえます?」


「ラノベか少年漫画しか読まんだろうが。あんなリア充御用達の読み物は日陰者の自分には眩し過ぎて合わないなどと普段からわけのわからんことをのたまっているじゃないか。そうやって都合のいいときだけ迎合してんじゃねぇよ」


「やめてください後輩の前で!」


 私にだってメンツがあるのだ。無闇に私の沽券を貶めるような暴露は慎んでいただきたい!


「ふむ。しかし……恋愛小説か」


 早々に私への興味は失ったらしい(なんて身勝手な!)、先輩はふと思案顔になって虚空に視線を放った。程なくその視線の矛先がみちるちゃんに移り変わる。


「橘と言ったな。概算でいい、これまで何冊の恋愛小説に目を通してきたか、教えてくれないか」


 唐突すぎる問いかけにみちるちゃんの表情が強張る。そこにはありありと当惑の色が滲んでいた。


「……そうですね。恋愛小説の定義にもよりますけど」


「男女の恋愛を主軸に置いたストーリーなら恋愛小説とみなしていい。例として『舞姫』は恋愛小説だが『こころ』は恋愛小説じゃない」


 いまいちピンと来ない例だ。『こころ』が恋愛小説でないことは理解できるが、しかし『舞姫』はそのカテゴリーに含めてもいいのだろうか。


 是非の基準が曖昧に感じられたが、しかし当のみちるちゃんにはそれで伝わったらしい。なるほどと頷いたのち、神妙な顔付きとなって考え始めた。


「なら、ざっと500冊前後くらいだと思います」


 思いのほか大きな数で、驚く。

 みちるちゃんは口元に挑戦的な笑みを浮かべて、続ける。


「ちなみにですけど、私の見解では『舞姫』も恋愛小説とは言い難いですけどね」


「なぜ?」


 と先輩。


「男女が結ばれない理由が他の男女の存在によらないものだからです。そういう意味では『こころ』の方が恋愛小説に近い性質を持っていると私は思います」


「なるほどな」


 先輩は基本的に他人の意見や反論というものを受け付けない。そんな先輩がみちるちゃんの持論に耳を傾けるばかりか、殊勝に頷きさえしている。驚愕の事態だ。カメラを回しておけばよかったと後悔するほどに。


「ではその定義に則るなら、これまで読んできた本は何冊になる?」


「まぁ軽く見積もって、さっき言った奴の倍くらいですかね」


「面白い」


 満足げにそう発するなり、先輩はすたすたと自分の席に戻っていった。それからカバンの中からクリップ留めされた原稿の束を取り出し、再びみちるちゃんのもとにやってきた。乱雑な手付きで机上のティーセットを片付けて、空いたスペースに手持ちの紙束を放る。


「そいつは俺が書いた恋愛小説だ」


 寝耳に水の情報だった。ネットに投稿された先輩の作品には漏れなく目を通しているが、その中に恋愛小説なるものがあった憶えはない。過去に没にした作品か、あるいは現在進行形で執筆中の作品か。


「とある新人賞に応募しようとしたためているところだが、どうにも手応えを感じない」


 どうやら後者だったようだ。

 みちるちゃんはマグカップに手を伸ばし、悠々と口をつける。


「それで?」


 そっと淵から唇を離し、カップの中を覗き込みながら目を細める。

 その声がやけに冷たく聞こえ、私は思わず息を呑んだ。


 先輩は顎を引き、眼鏡のフレームを中指で押さえながら、告げる。


「橘みちる。文芸部に入部しろ。そして、この原稿を読んでくれ」


 瞬間、とてつもなく甚大な衝撃が私を襲った。

 天上天下唯我独尊とは自分のためにある言葉だと言って憚らないあの東条鼎が他人に教えを請おうとしている。それも〝小説〟のことについてだ。


 俄に信じ難い出来事の連続に、私はあんぐりと口を開いて途方に暮れるしかなかった。

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