恋愛小説の申し子(2/6)

 それからしばらくして、校庭の喧噪がやや下火になってきた頃。

 部室の扉が、コンコンコン、と硬質な音を響かせた。それがノックだと気づいたのは、扉が開き、来客が姿を見せてからだ。


「失礼します」


 扉の向こう側に立っていたのは、一人の女子生徒だった。

 小柄な体躯に、艶のあるミディアムボブ。大きな瞳と小ぶりの口はチワワのような小動物を彷彿とさせる。


 制服の校章をみるに新入生のようだ。

 滅多にない来客とあって、いつもなら警戒の目を向けるところだが、今日だけは例外だ。訪問の理由について期待するなという方が無理がある。


「もしかして、入部希望の子!?」


 押っ取り刀で駆け寄ると、女子生徒は目を瞬かせてたじろぎの気配を露わにした。


「あ、いえ。ここ、何部なのかなと思って」


 肩透かしを食らい、内心がっくしと項垂れた。

 やはり認知すらされていなかったか……。


「文芸部だよ」


 気を取り直してそう答えると、女子生徒は大きな目をさらに丸々とさせて、


「この学校にそんなのあったんですか」


 と驚き声を発した。

 つくづく宣伝の力って大事だなと思い知る。


「今いろんな部活を見学して回っているところなんです。あの、もしよろしければ、少しだけお話、聞かせてもらえないですか?」


 気勢を削がれていたところから一転して、テンションが急上昇する。

 咄嗟に膨らむ期待感が急かすように私の口を衝き動かした。


「もちろん!」


「――却下だ」


 とあらぬ方向から冷徹な響きを孕んだ声が割り込んできた。声の主は言わずもがな、東条鼎である。

 振り返ると、相も変わらず難しい顔つきでパソコンのキーボードを叩いている。しかし、今のを独り言と解釈するには、明らかにタイミングと声量がマッチしていなかった。


「冷やかしに付き合っている暇はない。ご足労頂いたところすまないが、他を当たってくれ」


 続けざまに放たれた台詞に空気が凍りつく。

 まさか断られるとは思っていなかっただろう、女子生徒は言葉なしに反応に窮している様子だった。


「な、な……」


 私の口から上擦った声が漏れ出る。

 驚きや疑問もあるが、何より今は怒りの方が勝っていた。


「なんてこと言うんですかっ、このすっとこどっこい!」


 暴言をお見舞いすると、先輩は面食らったような表情でフリーズした。


「気にしなくていいから。さ、どうぞ、中に入って」


「お、おい。なに勝手なマネを……」


私の・・お客さんですから。先輩は口出ししないでもらえます?」


「部長命令に背く気か」


「なら副部長権限を行使します。先輩の手は煩わせませんから、そこで大人しく執筆でもしててください」


 強引に先輩の減らず口を封殺して、私は教室の前で立ち往生している後輩の手を取り、中へと招き入れた。


「ささ、どうぞどうぞ」


「え? あの、本当にいいんですか?」


「いいのいいの。気にしないで。あ、そうだ、お菓子の買い置きがあるんだった。ちょっと準備してくるから適当に座っててもらえるかな」


「は、はぁ、お構いなく」


 未だ困惑の境地を彷徨っているような面持ちで頷き、手近な椅子に腰を下ろす後輩ちゃん。

 よしっ、なんとか部室に連れ込むところまでは成功したぞ。こんなこともあろうかとデパ地下でクッキー缶を買っておいてよかった。


 私は戸棚からクッキー缶を取り出して、いつも自分用にストックしている紅茶を来客用のマグカップに注ぎ、急いで後輩ちゃんのもとに運んだ。それから向かいの席に腰掛けて自己紹介タイムに移行する。


「私は副部長の栗棟乃愛。2年生です。で、あっちで偉そうにしているのが3年生の東条鼎部長」


 よろしくね、と微笑みかけると、後輩ちゃんの硬かった表情が少しだけ和らいだ。


「橘みちるです」


「みちるちゃん! 可愛い名前だね!」


「は、はい。ありがとうございます」


「ほらほら、お菓子食べて」


「では遠慮なく」


 ぱく。


「美味しい?」


 まだ飲み込んでもいないうちから尋ねると、みちるちゃんは口元を手で押さえながらこくこくと頷いてみせた。


「よかった〜。紅茶はおかわりもあるから。遠慮せずくつろいでいってね!」


「――おい」


「ねえ、さっきから気になってたんだけど、髪の毛すごくさらさらだね。どこのシャンプー使ってるの?」


「へ? あ、あぁ、資〇堂のです」


「そうなんだ~。うんうん、なんだかんだ言って最強のブランドだよね、資〇堂。私の家のシャンプーも代々資〇堂だよ。あっ、そういえば、L〇NEとかやってる?」


「やめんかコラ」


 ゴツンと硬いものが後頭部に直撃する。

 一瞬目から火花が飛び出たかと錯覚した。


「いった~い」


 頭を押さえながら振り返ると、分厚い国語辞典を手にした先輩が呆れ顔で佇んでいた。


「なにするんですか」


「がっつき過ぎなんだよ。後輩に圧をかけるんじゃない」


「だ、だって! 新入部員ほしいんだもん!」


 涙声でそう抗議すると、先輩は嘆かわしそうにため息を吐き捨てた。


「ならもう少しやり方を考えろ。なにが資〇堂最強だ。薄っぺらい追従しやがって。だいたい、お前が使ってるシャンプーは無印〇品の奴だろうが」


「なっ、なんで先輩がそんなこと知ってるんですか!?」


「俺も同じシャンプーを使っているからだ。匂いでわかる」


 ぞわぞわっと肌が粟立った。反射的に「キモッ」と言いそうになったが、寸でのところで踏み止まる。だが、先輩を見返す眼差しに軽蔑の色が混じるのは抑えられなかった。


 そのとき、くすっと笑い声が聞こえた。正面を向くと、みちるちゃんが口元に手を添えて可笑しそうに肩を揺すっていた。


「栗棟先輩って可愛い方ですね」


「か、かわっ!?」


 不意に破壊力抜群のひと言を浴びせられ、気が動転する。


「そそそ、そんな! 橘さんの方が100億倍可愛いよ!」


「ありがとうございます」


 みちるちゃんは静かに口元の笑みを深める。お淑やかな令嬢を思わせる、余裕のある仕草だった。

 なんて良い子なんだ! そして大人だ、自分なんかより、よっぽど。

 私は後輩女子に、ちょっとした畏怖の念を覚えていた。

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