あたりまえ

ウワノソラ。

あたりまえ

「あたし、物貰ってもそんなに喜ばないから」


 うちの狭いダイニングは温かな日をたっぷりと受けて、まどろんだ空気に満ちていた。サチさんは、テーブルを挟んで正面の位置で両肘をついていた。


「つまらない人間でごめんね」

 私を見据えたサチさんが微笑む。

 サチさんと私は一回り以上離れていたが、そこまでの年齢差をあまり感じたことがなかった。サチさんは仕草がやや子供っぽく、小柄なのもあってそう見えるのかもしれない。


「ひかるちゃんは、人に物をあげるのが好きでしょう。でもあんまりそれであたしは喜んだりしないから、つまらないと思う」


 正しく意味を理解するために、その言葉を頭の中でゆっくりと反芻してみる。要は、物を貰うことではサチさんは喜ばない、というそのままの意味でしかない。


 今回に限らず、世の中には色んな価値観があるというのは人とお付き合いする都度、ありありと痛感させられることだった。

 友達同士なら多少の価値観のズレがあっても、それはそれ、これはこれで寛容に認め合えるものだ。けれど恋人同士の場合、露見してきた価値観の違いを見過ごしたりやり過ごせなかったりもする。習慣の違い、考え方の違いが癪に触って、喧嘩が始まるなんて経験はこれまでざらだった。

 だから「価値観の違い」は特に留意すべき事項だと心得ているつもりだ。


 ちなみに私は「プレゼントを贈ることは思いを伝える手段であり、プレゼントを選んでくれたその行為自体が嬉しいもの」と思っている、「物を貰うことにで愛を感じるタイプ」だ。そもそも日本ではこういった「物を貰うことで愛を感じるタイプ」が多数派なのではないだろうか。クリスマスやバレンタインともなれば町は賑わい、プレゼント商戦と化すのも日本の贈り物文化の賜物な訳だし。


 今まで当然のように信じてきていた《相手に気持ちを伝える方法(私の価値観)》が、彼女には通じないと突きつけられると思考が一気に鈍くなるのを感じた。

 表情から察するにサチさんは多分、私に何でもいいから話して欲しいようだったけど、言い淀んでいると察しよく話を続けてくれた。


「あたしって、色々拘りが強いから、欲しい物は自分で買いたいって思うしね。物なんて、お金さえ出せば誰でも買えるのよ。そんなこと思っちゃうから、あんまり嬉しいって思わないんだよね」


 さっきからにやりと好意的な笑みを浮かべて見つめてくるサチさんに、どう対処しようかと私は視線を彷徨わせていた。結局目を伏せ、躊躇いがちに口を開いた。


「へぇ。サチさん、ちょっと変わってるね。私はプレゼント貰ったら普通に嬉しいよ。サチさんが前、漫画貸した時にお返しでくれたお菓子あったでしょ。あれも凄い嬉しかったし。私のためにわざわざ買いに行ってくれたり選んだりしてくれたんだと思うと嬉しかったんだけどな」


 私は付き合う前にくれた花の形をした上品なクッキーを思い出していた。

 サチさんが私のこと好きなのかなと気付くきっかけはいくつかあったけれど、この時のほんの些細な心遣いの品も、きっかけの一つだったと思う。


「私には分からない感覚なんだけど、お礼としてプレゼントを渡すことがいいことだし喜ばれることだってのは承知してるつもりよ。ひかるちゃん、そんなに喜んでくれてたんだ。よかった」


 満足そうに細めた小粒な目が、私を捉えて離さない。終始くすぐったくてむず痒くなる程に。


「ねぇ、なんでサチさんの顔、ちゃんと見てくれないかなぁっ」

「サチさんこそ、こっち見過ぎ……。なんか恥ずかしいよ」


 穴が空くくらい、ずっと見られていて恥ずかしくない人なんて居るんだろうか。せめてもとチラチラ彼女の方を見てみたけど、居心地の悪さが勝って机の端に視線を逸らしていた。


「へぇ〜、恥ずかしいんだぁ。かっわいいーっ」


 わざとらしい猫なで声が甘ったるく耳に張り付いた。まだ三週間程の付き合いだし照れるのもしょうがないじゃないかと、内心では不貞腐れてしまう。


「ま、今だけな気もするけど。時期慣れるって、多分。てか今までの彼女には誕生日には何して貰ってたん?」


 翌月に迫るサチさんの誕生日のことを思い出して聞いた。 

 サチさんには贈り物が必要ないなら、いったい私は何をしたら彼女を喜ばせることが出来るんだろうと考えあぐねていた。


「私ね、思い出が欲しいかな。前の彼女には旅行の企画練ってもらって、旅行プレゼントして貰ったりしてたよ」


 確かに、旅行は物ではないからサチさん的にはアリなのだろう。二人の思い出として、経験として残る訳だから。

 しかし旅行なんて、今までのプレゼント選びの範疇になかったなぁと思う。薄給で金銭的に余裕のない私からすると、旅行をプレゼントとして選ぶのは予算オーバーでもあったし。


「まぁ、ひかるちゃんはそんな無理しなくていいよ。後物は要らないからね、私たちだっていつまで続くかなんて本当の所は分からないし。だから指輪とかアクセサリーとかはやめてよね。そんなのより私は、言葉が欲しいからさ。好きって気持ちが伝わるような言葉がいっぱい欲しいの」


 どこか諦めの滲む物言いに、胸の辺りが一瞬ひりつく。付き合い早々の時点で、悟ったようなことを言えてしまうのは、年齢差による経験値の差から来るものなのだろうか。

 とはいえ、サチさんは分かりやすく希望を口にしていた。物は要らないけど、言葉が欲しいと。頭で理解するだけなら容易い内容だ。

 ただ、実際求められてそれがすぐに私に出来るかと言えば微妙だった。今まで好きと言葉で伝えることを意識して付き合いをしたことがなかったから。何となく態度や雰囲気で伝えていることはあっても、好意的な気持ちをわざわざ口に出すのには抵抗があって殆どした試しがない。

 

 でもサチさんは愛の言葉を求めている。

 苦手な分野への要求に、『私にとってはそれは無理難題です』と叫びたいような気持になった。


「言葉ね……。私、あんまり好きとか恥ずかしいから言わないんだけど」


 心の中の威勢は何処へやら。もごもごと尻すぼみになりながら遠慮がちに伝えてみるも、サチさんは「でも、言って。好き、って言葉じゃなくてもそれが伝わる言葉だったらいいから」と、毅然とした態度を保ったまま、優しい目で笑っていた。


「毎日、ほんとは好きって言って欲しい」

「う……。毎、日…………」

「試しに、やってみようよ」

「え……?」

「ね?」


 今にも顔が引き攣りそうな私に、なんでもいいから言ってみてよとせがんでくる。

 そもそも好きって言葉、無理やり言わせたところで嬉しいもんなのかなという疑問が湧いた。今、「好き」と仮に言てみても、言わされてる感ばっかりの嘘みたいな響きにしかならないのに。

 押し黙って、しばらく考えていた。試しに、好きと囁く自分を頭に浮かべようとしてみるけど、気色が悪くて今にも眩暈がしそうで止めた。


 頭の中が煮詰まってきていて、何度でも溜め息を吐きたい気分だった。けれど実際にそれをすれば、サチさんの機嫌はとんでもなく悪くなるであろうことも予想がついていた。

 サチさんは大人だ。だからそれなりにプライドもあって、自分を蔑ろにされているということに対して敏感な人なのだ。他、性格で言えば妙に頑固で融通が利かない所がある。表面的な付き合いではおくびにも出さないが、付き合ってみればしぶとくねちっこいタイプだった。

 だから多分、いくら私が出来ない理由を並べた所で、それに同情して解放してくれるなんてことはない。何かしらの誠意を見せるまで彼女は食い下がりはしないのだろうということは明確で、私はただ項垂れるしかなった。

 諦めの念から、愛が伝わりそうな言葉や喜びそうな言葉は何だろうと、頭の中を探り始めた。でも、探せど探せど、脳内は既にゴミ屑みたいな要らない情報で溢れていて、なかなかいいフレーズには辿り着けない。

 結局正解など分からないまま、どうにか掻き集めた言葉たちを訥々と並べることにした。


「私ね、ずっと尊敬出来るような人と付き合ってみたかったんだ。だから、サチさんみたいにちゃんとした大人の人と付き合えて、いつも勉強になってるんだよ」


「うん、それで?」

 にやりと口の両端を吊り上げたサチさんに、「それで、私のどこが好き」と促される。


「あの……。サチさんのね、ちゃんと自分の考えをしっかり持ってる所とか、私のこととかもよく考えてくれる所とか……いいなって思うし。そこがその、好き——かな」


 何とか喉から絞り出すものの、恥ずかしさのせいで消え入りそうな頼りない声になった。

 サチさんは首を捻って、「なんか違うんよな」と唇を尖らせた。

 そりゃ腑に落ちないでしょうよ、こんなにもぎこちない愛の言葉なんぞ。と心で目一杯の悪態を返した。


「ま、今日はこのくらいにしといてあげるっ。また明日もよろしくね!」


 いじらしいく笑うサチさんに悶々となるしかなく、自らが情けなかった。明日からもこんな風に無理やりにでも、言葉を搾り出さねばならないのかと思うと憂鬱になってくる。


「私、ひかるちゃんが好きだよ。これからサチさんのために、頑張ってね!」


 サチさんは、清々しく無邪気に笑った。機嫌のよさそうな彼女とは対照に、私には淀んだ色の不安が渦巻いていた。

 私とは大きく違う所にある《サチさんの価値観》に今後、適応することができるんだろうか。いずれ、サチさんの顔をまじまじ見れるようになるのと同じように、私も好きと言えるようになるんだろうかと……。


 いい加減考えるのに疲れたから、一旦やめよう。そろそろ息抜きが必要だ、と私は気持ちを切り替えることにした。

 何か飲み物でも入れ直してついでにおやつにした方がきっといい。


「なんか飲みもんでもいれるわ」


 狭いダイニングは振り向くと、もうそこはキッチンだ。小窓から明るい日が差していて、穏やかな昼下がりに私は目を細める。

 椅子から立ち上がり、私は飲み物のストック置き場へと向かった。

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