第10話 エピローグ

 とある高校の一室で、何名かの生徒たちが雑談を繰り広げていた。日が沈んでしばらく経つというのに、生徒たちには一向に帰る気配がなかった。

「ねえ知ってる? あの噂」

「何、あの噂って?」

 茶髪でショートの女子生徒が、三つ編みで眼鏡の女子生徒に話しかけた。

「例の殺人鬼、また現れたんだって」

「マジ⁉ どこどこ?」

「隣町だって。ヤバくなーい?」

「うっそ超近いじゃん! 見に行く?」

「絶対ヤダー!」

 一応ここは文芸部の部室なのだが、まともに部活動をする者はいない。執筆活動は愚か活字に触れようとする者さえいない。彼女たちも正式な文芸部員であるが、放課後に駄弁りたくて入部したようなものである。つまり、質量のある幽霊部員ということだ。

「なになにー? 何の話してんの?」

「ブギーマンの話。また現れたんだってさ」

「あっ、それ知ってる! 隣町のやつでしょ」

 癖毛気味のショートボブの女子生徒が、新たに二人の会話へと加わった。ただでさえ盛大に咲いていた花が、更に姦しく咲き乱れていく。互いが互いに水をやるため、決して枯れることはない。刈り取る者がいなければ、きっといつまでも彼女たちは花を咲かせ続けるのだろう。

「てかさ、ブギーマンってかなり昔にいたっていう殺人鬼でしょ? 今現れてるのって、実際本物なわけ?」

「さあ、知らなーい? ぶっちゃけ、本物でも偽物でもどっちでも良くない?」

「言えてるー‼ 面白ければいいよね!」

 咲きこそすれど、実りのない話はなおも続く。狂い咲く花たちに、終わりは未だ訪れない。それどころか、更に蕾を開花させようと貪欲に新たな仲間を求めた。

「ねえねえ、遼子さんはどう思う?」

 雑談をする女子生徒たちから少し離れた位置で、遼子と呼ばれた少女は静かに本を読んでいた。先ほどまともに部活動をする者はいないと言ったが、彼女だけは例外であった。

 緩いウェーブのかかった栗色の長い髪。細くしなやかな指。切れ長な目を僅かに細めたアンニュイな表情。その姿は一つの芸術であり、物言わぬ彫刻のようであった。けたたましい騒音の中でさえ動じないその様は、まさに優雅の一言に尽きる。

 しかし、遼子をその様に称する者はどこにもいなかった。何故なら彼女は、氷細工のように脆く、茨よりも刺々しい雰囲気を常に身に纏っていたからだ。それは美しさや儚さとも違っていた。遼子と言う少女は、あまりにも危う過ぎたのだ。

「ごめんなさい。そういう話には、あまり興味が無いの」

 女子生徒たちを一瞥することもなく、遼子は淡々と言葉を返した。微かな唇の動きを見逃していれば、本当に彫刻と見紛えたかもしれない。それほどまでに、遼子は微動だにしていなかった。

「えぇー、そうなの?」

「でも話くらいは知ってるでしょ?」

「ええ、知ってるわ。でも私は、自分の目で見たものや、正しいと思ったこと以外は信じないようにしているの」

 本を読む片手間に遼子は答えた。相変わらず視線は本に向けたままで、彼女たちを見ようとはしない。別にそれは、読んでいる本が面白く、没頭していたからではない。ただ単に、遼子にとって彼女らは、わざわざ視線を向けてやる相手ではなかっただけなのだ。

「私はそろそろ失礼するわ。皆も気を付けて帰ってね」

 遼子は読んでいた本を鞄にしまい、帰り支度を始めた。ようやく人間らしい動きを見せたというのに、その姿からは生を全く感じない。生きているという熱を遼子は発していないのだ。

 もし仮に、遼子は機械人間だと嘘八百を並べても、その者がオオカミ少年扱いされることはないだろう。何故なら遼子は、誰もがそう思うほど無機質な人間であったからだ。


 倉瀬遼子は、自身を取り巻く全てのものに嫌気が差していた。

 家柄ばかりを気にして、中身が伴わない両親にも。

 口を開けば低俗な話しかしないクラスメイトにも。

 自らの無能さも自覚できず、訥弁を振るい続ける教師にも。

 目先の利益ばかりを追い求め、望んで疲弊する社会にも。

 平和に寄り添いながら、争いを手放さない国々にも。

 それら全てを内包した無意味な世界にも。

 ただひたすらに嫌気が差していた。世界なんて滅びてしまえばいいのに。そうすれば、こんな煩わしさからも解放される。ずっとそう思っていた。しかし、世界とは案外丈夫に出来ている。壊そうと思って壊せるのは、漫画や映画の住人くらいである。

 世界の滅びを祈っても、それを叶える神はいない。世界の滅びを望んでも、終末論などあてにはならない。

 だから遼子は世界の滅びを諦めた。その代わりに、自分自身を壊すことを考え始めた。だがそれは、遼子にとって世界を滅ぼすよりも困難なことであった。何しろ遼子は、自分が生きているという実感が無いのである。

 いくら自分を傷付けようとも、痛みを感じなかった。流れ出る血の熱さも、躍動し続ける鼓動も感じない。遼子の命はどこにもなかった。それ故に、単なる死という現象では自分を壊せないと、遼子は悟っていた。

 だから遼子は求め続けた。自分を壊してくれる存在を。くだらない世界を滅ぼしてくれる存在を。たとえそれが徒労に帰すと分かっていても、求めずにはいられなかった。

 そして遼子は出会った。自分を壊し、世界を滅ぼしてくれるその存在と、遼子は出会ってしまったのだ。

 人気の少ない夜の道は、水底のように静かで重々しい。けれど、遼子の足取りは思いの外軽く、表情も明るかった。それこそ、人前では決して見せない笑みを浮かべながら、前へ前へと進んでいった。

 一時間ほど歩き続けた先にあったのは自宅などではなく、小さな公園であった。公園と言っても遊具などは一切なく、ベンチや街灯だけが置かれた手狭な空間でしかなかった。公園が見えるなり、遼子は入り口近くの街灯へと駆け寄った。そこには、セーラー服を着た少女らしき人物が佇んでいた。

「本当に待っていて下さったんですね。少し驚きました」

「うん。だって、約束したから」

 明滅する街灯に照らされて、輝きを放つプラチナブロンドの髪。暗がりでも分かるくらい透き通った白い肌。一見作り物かと思うほどの端正な顔立ち。しかし、あどけなさが残り子どもっぽくも見える。小柄なことや、髪を下ろさずツインテールにしていることが、そう見える要因なのだろう。

「うふふ、そうでしたね。それで、私をどこへ連れて行って下さるんですか?」

「ナイショ。その方が楽しめるでしょ?」

「ふふっ、分かりました。楽しみにしておきます。では行きましょうか――ハルカさん」

 ハルカと呼ばれた少女は小さく頷き、そして笑った。


 嘲るように、

 見下すように、

 ただ卑しく嗤った。


 その姿はまさに――地上の三日月であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メメントモリにさよならを @human0831

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ