第11話 カイキ

 電車に乗り、N駅からS駅に向かう。電車内は混みあっており、座ることができなかった。立ったままでいることはしんどいが、わがままばかりは言っていられない。席が空くことを願いながら吊革につかまり、携帯を起動させる。アプリを確認すると、木下、長谷川から連絡が来ていた。連絡がきた時刻が深夜なので、両名とも俺の安否を心配していたのだろう。その心配通り、俺は家に帰れなかったのだが。二人は既に事情を知っているため、手短に感謝の言葉と幾つかの質問を送っておいた。続いて、昨晩の飲み会に参加した人たちが含まれるグループに連絡を取ることにした。何て送ろうかと文面を考えてみるが、深く考えるような内容ではないと思い、端的なメッセージを送信した。


『昨日の飲み会で酔っぱらってカバンを無くしました。

もしも中田のカバンの行方を知っている人がいたら連絡ください。』


 携帯の画面を消し、ポケットにしまう。眠気なのか疲労なのか分からないだるさに襲われつつも、この先の事を考える。木下が二次会の居酒屋Tで見つけた忘れ物は、俺の携帯だけだ。すなわち、俺はカバンを持って居酒屋Tを出た可能性が高い。その先の足取りについては不明だが、S駅で下車したことは確かだ。S駅で降りる理由として考えられるのは、乗り換えである。朦朧とする意識の中、家に帰ろうとS駅で乗り換えたところで力尽きたと考えるのが妥当だろう。憶測に浸っていると、次の停車駅がS駅であることを告げるアナウンス聞こえた。その時、ポケットから振動を感じた。携帯を取り出し、画面を確認すると長谷川からの連絡が来ていた。


『中田は俺と一緒に電車に乗って、S駅で降りて行ったよ。カバンは背負っていたと思う。』


 反応が早くて助かった。先ほど長谷川に送った質問は、『俺が居酒屋を出た後、どこに向かったか知らないか?もし知っていたら、カバンを持っていたかどうかを教えてほしい。』という内容だった。長谷川の返信を見て、カバンを無くしたのはS駅であると確信した。文末に『思う』、と書かれているのは長谷川も酔っぱらっていたからだろう。とりあえず、S駅に向かうべきという予想が外れていないことに安堵した。電車が緩やかにスピードを落とし、ホームに侵入する。窓越しに外を見ると、多くの人々が電車の停車を待っているようだ。降りる人の流れに乗り、S駅のホームに降り立つ。日曜日だからといって、人が少なくなるわけでは無いようだ。人混みに巻き込まれながら目的地を目指す。多くの人の熱気と自分の体の油っぽさに辟易しながら歩く。やっとの思いで階段に辿りついた時、体の異変に気付いた。今までとは比べ物にならないくらい体が重い。足に力が入らず、咄嗟に傘で踏みとどまった。どこからともなく寒気がして、身体が丸まりそうになる。ここで立ち止まる訳にはいかない。ヘソのあたりに嫌な異物感と胸のつかえを感じながら、一段一段踏みしめる。階段を上り切ったところで息切れがした。体力の限界とはこういうことを言うのだろうか。傘を杖代わりに何とか改札を通り過ぎたところで眩暈を感じ、壁際に座り込んだ。そういえば、今朝自分が通り過ぎた改札はここだったはずだ。眩暈に耐える。だが、自分が倒れていた場所をいまひとつ思い出せない。眩暈に耐える。視界に黒いモヤがかかるのを感じ、目を閉じた。眩暈に耐える。血の気が引いていく。しゃがんだ体勢を維持できず、背中を壁に預けて胡坐をかく。眩暈に耐える。口が開き、天を仰ぐ。


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「バカは死んでも治らない。」

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 昔言われた言葉を思い出す。その通りだ。酔っぱらって荷物を無くすのも、実は三回目だ。自業自得だ。学習していない。もう諦めて実家にでも帰ればいいじゃないか。こんなところに荷物を探しに来ても、見つからないだろう。親に泣きついて家の鍵を開けてもらえばいい。半年前まで学生だったし、きっと何とかしてもらえるさ。無理に実家を出る必要は無かったのだ。だって実家はここから一時間半もかからない。最初に荷物を無くした時点で、実家に帰れば良かったのだ。


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「でも、中田さんは諦めが悪いですよねー。」

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 そんな台詞と共に笑われたこともある。それもその通りだ。バカなのは認めるし、酔っぱらって記憶もカバンも無くす、同じ失敗を繰り返す、どうしようもない人間だ。でも諦めたくはない。こんな状況で何を言っているのだと思われてもいい。自分で何とかしたい、それを諦めたくないのだ。


 まずやらないといけないことは、今の自分の持てる全てを出し尽くすことだ。自分が辛いから諦める、なんてことはしたくない。


 どれくらいの間、座り込んでいただろうか。血の気が戻ってくるのを感じ、目を開けた。視界がチカチカするが、見えないわけでは無い。周りを確認し、立ち上がる。急に動いたせいか、立ち眩みがして壁に手をついた。そこには見覚えのあるポスターが貼られていた。数秒間、派手な化粧の女優の顔を眺める。女優の視線の先を見て、その辺りに倒れていたのだと思い出す。だが、今は倒れるわけにはいかない。呼吸を整え、前を向く。その場から離れ、人の波をかき分けながら先に進む。何とか地上に出ると、辺りは暗くなり始めていた。時刻は午後五時を過ぎている。日が傾くのが早くなったことを感じながら歩くと、目的地を正面に捉えた。


 すいません、と声をかけると中から青い制服のお兄さんが出てきた。ここは交番である。何かありましたか、と警察官のお兄さんに聞かれた。カバンを無くした事を手短に伝えると、お兄さんは交番の中に入るように言った。出されたパイプ椅子に座ると、お兄さんは交番の奥に引っ込んでいった。手持無沙汰で辺りを見回す。交番の中はなんとなく薄暗い。質素な白い壁に必要最低限の設備としてグレーの机とパイプ椅子がある、といった形だ。何となく落ち着かず、キョロキョロするとパイプ椅子がその動きに合わせて軋んだ。悪いことをしたわけではないのにこんなにも緊張するとは不思議である。いや、悪いことをしてないわけでは無いだろう。記憶が無いだけで、俺は誰かしらに迷惑をかけている。迷惑をかけた相手を覚えていないのは最低だ。思考がネガティブスパイラルに陥りかけたところで、お兄さんが戻ってきた。お兄さんはパイプ椅子に座ると、書類を目の前に置き、書くべき項目の説明をしてくれた。ヘコヘコ頷きながら話を聞き、ボールペンで書類の項目を埋めていく。無くしたものを書く項目で、自分が無くしたものを思い浮かべる。カバン、サイフ、携帯の充電器、手帳、本、ペットボトルも入っていただろうか、そういえばイヤホンも……、と一つ一つ思い出す度に心が沈んでいく。全てを書くのは無理なので、貴重品だけを書き記してお兄さんに書類を渡した。そして、無くしたものに関していくつか詳細な質問を受ける。身分証は入っていたか、サイフには現金がいくら入っていたか、などなど。具体的にどこでこれらの物を無くしたか、と聞かれたが俺に分かるはずもない。内心開き直りながら、飲酒をしていて詳しく覚えていないと伝える。お兄さんは納得したような顔をして、質問を続けた。さほど珍しくも無さそうだった。質問が終わるとお兄さんはどこかに電話をかけ始めた。淀みなく進むやり取りに、この街で物を無くす人の多さを感じた。毎日無数の人々がこの駅を利用する。その中で、俺のように酒に溺れて記憶を無くし、物を無くす人はどれくらいいるのだろうか。一日一人か二人だろうか。だが、俺以外にもいるのだ。他の人は、どういった理由で意識が無くなるほどお酒を飲むのだろう。とても気になる。そういえば、俺は何であれだけ大量にお酒を飲んだのだろうか。何故か、ってそれは――。


 お兄さんに声をかけられ、我に返る。警察署に問い合わせたところ、俺が無くしたであろうカバンは届いていないとのことだった。ここでカバンを回収して無事に家に帰ることができればベストだったが、そんな都合の良い話があるわけない。ただ、お兄さんによると明日にならないと本当にカバンが届いていないかどうかは分からないらしい。忘れ物を預かっている部署が土日は休みのため、この土日に届いた忘れ物については月曜日になるまで分からない、とのことだった。もしも明日以降、無くした物が届いたら携帯に連絡をくれるとのことだった。あまりに流暢な説明に面食らいながらも、相槌を打つ。その対応に、この説明を今まで何度もしてきたのだろうという結論にたどりついた。今回の届け出の番号が書かれた紙を受け取り、謝罪と感謝を伝え、交番を後にした。


 次に向かうべき場所も決まっていた。再び例の女優のポスターの前を通り過ぎた。この顔は忘れたくても忘れられないなと苦々しく思う。今日一日を振り返れば、散々回り道をして今朝の出発地点に戻ってきただけなのだ。今思えば、最善手はS駅の漫画喫茶に入って木下に連絡を取り、N駅で携帯を回収する事だった。そしてS駅に戻り、カバンを探すべきだったのだ。そんなことを考えても後の祭りだな、と苦笑する。歩みを進めると、鉄道会社の受付に到着した。駅改札内で忘れ物をすると、各路線の鉄道会社に忘れ物が集められるのだ。そのため、すぐには警察に届かず、ここに預けられている可能性がある。一縷の望みを抱きながら、自動ドアを通って受付のお兄さんに話しかけた。駅に忘れ物をしたことを伝えると、お兄さんは確認してくると言い、奥へと消えて行った。先ほどの交番とは打って変わって、清潔感のある部屋である。白いカウンターの向こうには先ほどのお兄さん以外にもう一人仕事をしている人がいる。ワイシャツに黒のスーツの上下、ネクタイをキッチリと締めている。自分の今の格好とは大違いだなと思う。交番で感じたような緊張感は無く、ぼーっと室内を見渡す。どこかへの旅行のパンフレットだろうか、赤を基調に作られた表紙には紅葉した山の写真が写っている。もうそろそろ紅葉の時期か、なんて思っているとお兄さんが戻ってきた。半ば予想していた通り、俺のカバンらしき物は届いていないとのことだった。大したショックも受けず、続けて発せられたお兄さんの質問に答えていく。無くした物、場所、時刻、などなど。交番でのやり取りがフラッシュバックする。お兄さんの声とパソコンを叩く音が良く聞こえる。特に見る物も無いのでお兄さんの頭頂部付近を眺めた。下を向きながらパソコンを操作するその頭頂部を眺め、俺は滅多に人の頭頂部をみることは無いな、なんてどうでもいいことを考える。お兄さんは俺の忘れ物は他の駅にも届けられていない事を告げた。もしも今後見つかったら連絡をくれる事、一週間保管したものは警察に送られるため、届出を出していれば警察から連絡がある事を教えてくれた。俺は頭を下げ、受付を後にした。


 自動ドアを抜けて、大きく伸びをする。S駅でやるべきことはやったはずである。これ以上はジタバタしても仕方がない。携帯を確認すると、木下から返信が来ていた。『居酒屋Tを出る時には、俺のカバンは無かった』そうである。さっき会った時に聞いておくべきことだったなと思う。携帯の画面の上部が午後五時半を示していた。長い日曜日である。そして、この日曜日を終わらせることが俺の役目である。俺は電話をかけながら、改札を通る。これでICカードの残額がほとんど無くなることを思い出しながら、通行許可の音を耳にする。何となく気持ちが晴れた気がしながら、俺は改札を通り抜けて行った。




時刻:午後六時

所持品:交通系ICカード(残額:千円)、目薬、傘、電話番号の書かれた紙、携帯

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