第09話 経験と適正
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【一年十ヶ月前】
「いやー、インターンに受かった日の酒は美味いね!」
ビールを飲みながら、気の抜けたことを言ってみる。
「俺らは三か月前にはその味を知っていたけどね。」
「右に同じ。」
長谷川が釘を刺し、山岡がそれを金槌で打つかのように答える。研究室でインターンシップ初合格の話をした後、長谷川と山岡と飲みに来たところである。ちなみに木下は用事があると言ってついてこなかった。飲み屋の入り口で靴を脱ぎ、下駄箱に靴をいれ、「い六」と書かれた四角い木型の鍵を取る。黒で統一されたTシャツ、腰に巻いたエプロン、ズボンを身にまとった店員さんの後をついていく。店内は黒のフローリング、壁は白、全体的に薄暗く、それぞれの個室は障子の引き戸で仕切られている。俺らが通されたのは四人掛けの席だ。学生には嬉しい価格帯のこの居酒屋に、俺らは度々訪れていた。
「あんまり調子に乗らないように。中田は真面目なのに、いつもハメを外して失敗するんだから。」
山岡が再び金槌を振り下ろす。長谷川は苦笑いしている。山岡はこういった忠告を度々するタイプで、長谷川は注意や助言は頼まれなければしないタイプである。そのため、俺は山岡に言われたことは渋々受け入れるように心がけている。
「はい、気を付けます。」
俺の素直な返事に、正面の山岡は視線で返事をした。もう聞き飽きたとでも言いたげな視線だった。店員さんが席を訪れ、注文した焼き鳥を置いていった。机の壁側に置いてあった皿と割り箸を取り、それぞれに配る。焼き鳥は人数分あるため、箸で串から外すことはせずに、そのままいただく。焼き鳥はタレか塩か、と聞かれる度に一瞬流れる間が俺は好きだった。ちなみに俺はどちらかといえばタレが好きだが、塩でもいけるので周りに合わせるタイプである。今回は山岡が塩と言ったので塩になった。モモには程よく火が通り、表面にかけられた塩が肉の油と絡み、良い塩梅になっていた。ビールでそれを流しこむ。
「そういえば、さっきの長谷川の話の続きを聞きたい。」
俺が問いかけると、隣に座る長谷川は首をかしげた。
「何の話だっけ、それ。」
「ポジションがどうのこうの、って話。」
先ほど研究室で中断してしまった話である。確か、企業がどこのポジションを欲しがっているかは重要ではない、という話であった。
「あぁ、あの話。」
長谷川がこちらを向いた。意地悪そうな顔をしている。こんな顔をしている時、長谷川が言うセリフは決まっていた。
「中田はどういう意味だと思う?」
想像通りの問いかけである。質問に質問で返すのは長谷川のいつもの手段である。単純に尋ねてみても、長谷川は大抵答えを教えてくれない。先ほどの話は、企業が『どこのポジションを欲しがっているのかは重要じゃない』という内容だった。ひとまず、思いついた答えを口にしてみる。
「企業は学生に専門性を問わない、っていうことか?」
「どういう意味だ。」
一言にまとめすぎて長谷川には伝わらなかったらしい。さきほどの野球の話に例えてみることにする。
「企業が学生に求めるものは、野球なら野球をやりたいっていう気持ちだと思う。ピッチャーとかキャッチャーとかのポジション、いわゆる専門性は後で覚えさせればいいものだし。学生は結局、社会人――大人から見たら子供みたいなものであって、大人が子供に求めるものはやる気なんじゃないかと思う。」
年齢でいえば、俺らはとっくに成人している。多少なりとも大人としての自覚はある。酒は飲めるし、煙草も吸える。だからといって、真の意味で大人なのかは分からない。それ以前に、どういう人を大人というのかは明確には分かっていない。二十歳になったら大人なのか。学生じゃなくなったら大人なのか。感覚的に、企業の面接官は大人だと思う。大人を演じているのかもしれない。だからこそ、社会人が学生に求めるのは子供らしさではないだろうか。まっすぐな仕事への思い、やる気、情熱、憧れ、エトセトラ。
「大人って何だろうな……。」
俺がぼそりと呟く。
「そういう話をすると長くなるからやめような。」
山岡がすかさずストップをかける。酔っぱらい同士の話にロジックなんてものは存在しないからこそ、ここでストップをかけるのは正しい。その割には、酔っぱらうと一番議論が白熱するのは山岡だ。今日も既に顔は赤い。
「その話は半分当たりかな。」
長谷川は俺のつぶやきを華麗にスルーして話を続ける。
「そもそも、中田はさっき『どのポジションを募集しているか分からない』って言っていたよな。」
研究室での話を思い出し、俺は相槌を打つ。そろそろ二杯目を頼もうかと思う。次はハイボールにしよう。
「実際のところ、企業がどのポジションを募集しているかは頑張って調査すれば分かる。ただ、それを知ろうとするのは大変だ。ネットの情報を調べたり、説明会やインターンシップに参加したり、OB訪問をしないといけない。」
「インターンシップの選考に受かるために、インターンシップへの参加が必要なのか……?」
禅問答のようなことになった。卵が先か鶏が先か。俺が頭の上に疑問符を浮かべていると、長谷川が片手の平をこちらに向けて俺を制する。落ち着け、という意味だ。
「だからこそ言っただろ、『どこのポジションを欲しがっているかは重要じゃない』って。企業が欲しがるポジションを知らなきゃいけないのは、自分が内定の欲しい企業だけだ。」
分かったような、分からないような。山岡は黙って話を聞いている。俺の頭の上の疑問符が二つに増えたので、一度まとめてみる。そもそも野球の話から引きずっているポジションという表現がまどろっこしいのだ。ポジション=経験として考えてみる。
「つまり、『ある企業が学生に求めている経験』を知ることは可能だけど、知るためには手間をかけないといけないから大変。『ある企業が学生に求めている経験』を知る必要があるのは、就職したい企業だけで十分、ってことか。」
「そうそう、そんな感じ。」
長谷川はそう言うと、手元のボタンを押して店員さんを呼んだ。酒を頼むのだろう。長谷川もハイボールを頼む気がした。
「本題に戻るか。俺らが知らなきゃいけないのは、面接をする企業が必要とする適性だと思う。」
適正、と俺は呟く。店員さんが来て、長谷川はハイボールを頼む。俺と山岡はそれに便乗して、注文したハイボールの数は三つになった。山岡にしては珍しく、既にビールを飲み干していた。
「例えば、高校に入学して部活に入るとしよう。学校には野球部、サッカー部、バスケ部、ソフト部、水泳部、とたくさんの部活がある。」
何となく高校時代を思い出す。ちなみに俺と山岡は男子校出身で、長谷川は共学出身だ。長谷川の明るく楽しくテキトーにをモットーにしている性格は、その共学生活から来ているかもしれない。当然だが、俺の高校にはソフト部が無かった。
「ある日の野球部の見学に、身長百八十センチ、体格が良くて足は速い、そんなムキムキ君が来た。話を聞けば、どの部活に入ろうか悩んでいるらしい。中田がもしも野球部で、そんな奴が見学に来たらどうする。」
「迷わず野球部に勧誘するな。」
おそらく誰でもそういうのではないだろうか。長谷川が続けて話し始める。
「同じ日の見学に、身長百六十センチ、体格は細めで足はそんなに速くない、ヒョロヒョロ君が来た。ただし、小学校から野球経験があり、中学は野球の名門校。そんな奴が見学に来たら?」
「勧誘する。絶対に野球部に入ってもらう。」
長谷川が頷く。なんとなく、長谷川が言いたいことが分かってきた気がする。
「ムキムキ君は野球の適性があり、ヒョロヒョロ君は野球の経験があるってことになる。これを就活に当てはめれば、ムキムキ君はある企業が必要とする適性を持っていて、ヒョロヒョロ君はある企業が必要とする経験を持っている、ということになる。」
酒を飲んでいるにも関わらず長谷川は分かりやすい説明をする。俺と山岡は黙って聞いていた。
「インターンの選考で求められるのは、この適性だ。企業側は学生に経験があれば嬉しいが、そこまで求めてない。企業が必要とする経験を持つこと自体、難しいからだ。学生の頃からプリンタを一年で百台売った経験があるなら、そいつはプリンタの会社に入るよりも、自分で起業した方が良い。」
何故かプリンタの営業らしき話が入り込んだが、置いておく。店員さんが来て、ハイボールを三つ置いて行った。ハイボールの入ったガラスのジョッキは、中央に黄色いマークが入っており、独特の亀甲模様が刻まれている。ジョッキの中で炭酸が抜けていく様が綺麗だ。ジョッキの持ち手の感触を感じながら、それを飲む。焼き鳥の肉感とハイボールの爽やかさの相性は抜群だ。美味しい。
「その適正はどうやって身につける。」
山岡が長谷川に尋ねる。長谷川はハイボールを一口飲み、答える。
「身につける前に、どういった適性が必要かどうかを知ることだな。営業、事務、技術、といった職種の適性、IT、不動産、メーカー、といった業種の適性。そういった分類から受けたい企業の求める適性を考えて、そういう風に面接で振る舞う。それだけ。」
簡単そうに聞こえて、簡単じゃなさそうだなと俺は思う。
「それならできそうだな。」
山岡はそう言った。嘘だろ、と愕然とする。その俺の様子を見て、長谷川が笑った。
「俺や山岡はそういう風に振る舞えるだろうな。でも、中田は不器用だから難しい。だからこそ、十社のインターンの選考で落ちたんだろ。」
図星だった。俺はとにかく不器用だし、あがり症だ。面接では緊張しっぱなしだし、予想外の質問をされた時は顔が引きつる。
「この話を踏まえると……中田は何で十社も選考に落ちたんだ?」
山岡に言われて、考える。面接が下手というのは要因の一つだと思うが、そこは重要ではない。長谷川の説明を鑑みて、答える。
「俺が自分の適性を考えず、イメージだけで企業を選んで選考を受けていたからか。」
「その通りだろうな。」
山岡が頷く。当然だが、俺は企業が必要とする経験を持っている人間ではない。だからこそ、勝負できるところは適性のみだ。落ちた十社は俺の適性とは合っていないものが多かった。最も、三社くらいは適性に合っていた気もするが。そこは面接下手が祟ったのだろう。
「じゃあなんで中田は今回受かったんだ?」
今度は長谷川が尋ねてくる。
「俺が自分の適性を考えて、行きたい企業を選んでインターンの選考を受けたからだな。」
長谷川が驚いたような顔をする。山岡が満足そうに頷く。
「中田が自己分析をしている……。」
そう呟く長谷川の肩をパンチした。自己分析という言い方は正しいか分からないが、流石にこれだけ選考に落ちれば俺に問題があると気づくだろう。俺の落ち度はインターンシップを受けたい企業を、イメージ、給料、勤務地、仕事の楽さで決めていたことだった。それでも受かる人は受かるだろう。だが、面接下手な俺がそんな動機で選考に臨めばどうなるかは一目瞭然だった。ハリボテの志望動機を面接官に見抜かれて落ちたことは、想像に難くない。
「それが中田にとって一番良い就活のスタイルなんだろうな。行きたい企業に自分の適性を合わせるよりも、自分の適性を元に行きたい企業を決める。」
山岡がそう言いながら微笑む。言われた言葉を反芻し、その通りだなと思う。きっと、長谷川と山岡は自信の適性を、行きたい企業が必要とする適性に合わせることができるのだろう。しかい、俺はそれがうまくできない。できないことに、気付いてしまった。エントリーシートを書き、面接を重ねていくうちに、それが分かってしまった。
「面接で嘘はつかないほうが良い。でも、話を盛るのは重要だからな。」
長谷川はそう言う。そうなのだ、俺は話を盛れない。盛ろうとしても、しどろもどろになってしまう。盛れたとしても、内心はそんなことないのにな、と思ってしまう。精神的に負のスパイラルに陥ってしまう。そして、面接がうまくいかなくなる。
「話を盛れないんだよな……。」
そう言うと、長谷川が口を挟んだ。
「自信を持って、堂々と話すだけだよ。」
それが難しい。そう思っていると、山岡が俺の目を見ながら言った。
「自信を持て、中田。」
山岡の言葉に、俺は視線で返事をする。自信とはいったい、どうやって持てるのだろうか。自信の持ち方、大人とは何なのか、そんなどうでもいい話をしながら夜は更けていった。
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N駅に到着したアナウンスを聞き、目を覚ました。体の節々にダルさを感じながら立ち上がる。電車を降りると地下鉄特有の湿り気を感じた。白い床のホームを歩きながら、案内表示に従って改札に向かう。電光掲示板に書かれた電車の発車時間を見て、集合の午後四時までまだ余裕があることを知った。
約一時間前、暗闇の中で目が覚めた俺は身支度を整え、支払いを終えて、漫画喫茶を出た。ちなみに漫画喫茶の支払いは千円だった。休日であることも考えれば妥当なのだろうか、漫画喫茶を普段使わない俺には相場が分からなかった。そして、寄り道せずに駅に向かい、電車に乗った。電車を二本乗り継ぎ、N駅行きの路線に乗ったところで寝てしまったようだ。休息を何度も取ったおかげで、体は幾分か調子を取り戻していた。それでもやはり体は重い。過度の飲酒が体に与える影響は絶大である。そんなことを思いながらエスカレーターを昇り、自動改札機に向かう。
自動改札機を抜ける時にICカードを確認すると、残額は千円まで減っていた。残りわずかな所持金を見て不安を覚えるも、今はやるべきことをやるしかないのだと自分を奮い立たせる。改札から少し離れた位置に立って待つ。本当にこの場所で良いのだろうか、と思ったところでどうすることもできない。現在、俺は誰とも連絡が取れないし、取った連絡を確認することもできない。自動改札機の奥にある電光掲示板を眺め、電車の発着時間を見ながら待つのみだ。
電車の発車時間の表示が五回ほど変わった頃、エスカレーターから見覚えのある人影が昇ってきた。ハワイで売っていそうな青のサンダルに、黒い短パン、上は白のTシャツを着ている。自動改札機を通ってきた木下は、笑顔だった。
「お疲れ様です、中田さん。」
時刻:午後四時
所持品:交通系ICカード(残額:千円)、目薬、傘、電話番号の書かれた紙
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