アポロニアン・パリスの花

澤田慎梧

アポロニアン・パリスの花

『達夫さん。その花の名前をご存じですか?』

『いいえ。あの女が……陽子が勝手に置いていった物です。私が知る訳ないでしょう』


 ――映画は結末を迎えようとしていた。

 テレビから流れているのは、「空言そらごとの花」という母が若い頃に流行ったらしいミステリ映画だ。久しぶりのテレビ放映ということで、母は先程から画面に釘付けだった。


 物語はそれほど複雑ではない。

 とある富豪の家に、陽子という若い家政婦がやってくる。陽子はその美しさと器量の良さで、その家の長男である達夫を夢中にさせ恋に落ちるのだが――それは陽子の罠だった。


 実は陽子は、達夫の父が愛人に産ませた娘で、達夫の腹違いの妹なのだ。

 陽子は自分と母を捨てた父親とその一族に恨みを持っており、家政婦の立場を利用して一族の皆殺しを画策していた。

 その計画は順調に進んでしまい、陽子の正体がバレぬまま、達夫の家族は一人また一人と謎の死を遂げていく。


 しかし、いよいよ達夫が残された一人となったその時、名探偵が現れ鮮やかに事件を解決する。

 今流れているのは、陽子が無言のまま警察に連行され、残された名探偵と達夫が会話するラストシーンだった。

 名探偵が、豪邸のリビングに飾られていた向日葵にも似た黄色い花を指さし、達夫に「その花の名を知っているか?」と尋ねたところだ。


『ええ、そうでしょうね。ご存じないのも無理はありません。これは非常に珍しい花なんです。……達夫さん、この花の名前は「アポロニアン・パリス」と言うんです』

『……花の名前なんて僕にはどうでもいい話です。陽子に裏切られ、家族をすべて失った。僕はこれから、どう生きれば――』

『いいえ、達夫さん。この花の名前が――その花言葉がとても重要なんです。聞いてください!』


 達夫としては、自分を騙し家族を皆殺しにした女の残した花の名前など、心底どうでもいいはずだ。

 けれども名探偵は、その花の「花言葉」が重要なのだと必死に食い下がる。


『達夫さん。アポロニアン・パリスの花言葉はね……「たとえ禁じられても貴方を愛す」なんですよ。先程も言った通り、これは珍しい花だ。陽子さんが偶然に飾ったとは考えにくい。――これは、彼女から貴方へのメッセージなんですよ!

 陽子さんは恨むべき貴方を……腹違いの兄と知っていてもなお、愛してしまったんです!』

『……陽子』


 この世の悲哀を全て込めたような達夫の表情が大写しになり――暗転。スタッフロールが流れ始めた。

 ……確かに、そこそこ良く出来た映画だった。けど、後味は最悪だ。

 母は「伝説の映画」と言っていたけれども、そこまでの名作とはとても思えない。だから私は、忌憚のない感想を母に漏らしていた。


「お母さん……確かに面白かったけど、これ、ちょっと後味悪すぎない? とても『名作』とは思えないんだけど」

「あら、私は『伝説の映画』とは言ったけど、『名作』とは一言も言ってないわよ?」

「はぁ? どういう意味? じゃあ、どの辺りが『伝説』なのよ。そんなに凄い大仕掛けがあったようにも思えないんだけど」


 母の言葉に、思わず首を傾げる。

 「伝説の映画」だけど「名作」ではない。ということは、何か凄い趣向が隠されていたということなんだろうけど、私には皆目見当が付かなかった。


「アンタ、『アポロニアン・パリス』の花は知ってる?」

「もちろん。映画でも名探偵が言ってたけど、珍しい花だよね? 私も数えるほどしか見たことないや」


 「アポロニアン・パリス」は、向日葵によく似た形をした、黄色い小さな花だ。

 鉢植えで売っているのを何度か見たことがあったけど、珍しい品種らしく、そこら辺の花屋では売っていない。


「じゃあさ、この話は知ってる? 『アポロニアン・パリス』の花は、って」

「……えっ、どういうこと?」


 「アポロニアン・パリス」の花が存在しなかった……?

 いや、現に私が生まれた頃から存在する花が、映画が公開されるまでなかったとは、どういうことだろうか?

 ――もしや。


「気付いたみたいね? そう、『アポロニアン・パリス』なんて花はね、。映画に出てくるのも良く出来た造花らしいわ。花言葉もね、ラストシーンに合ったものを捏造しただけらしいわよ」

「えっ!? それって有りなの……?」

「そこら辺も含めて『伝説の映画』って訳よ。――実はね、この映画の公開日は四月一日だったの」

「あ、エイプリルフール……?」


 私はよほど間抜けな顔をしていたのか、母がニンマリと笑いながら「ご名答」と言った。


「この映画、タイトルにある『空言』って言葉が、ダブルミーニングになってるのね。陽子が重ねた幾つもの嘘という意味と、そのままズバリ『嘘っぱちの花』という意味と。監督の茶目っ気ね」

「……今やったら炎上間違いなしだね」

「あはは、当時も今で言う『炎上』に近い騒ぎになったわよ? 映画を観た内の結構な数の人達が、花屋に『アポロニアン・パリスって花はありますか?』って問い合わせたらしいから、それはもう大騒ぎよ。当然、映画会社にも監督にもクレームが集中したわ」

「ああ……」


 何となく、その時の光景が目に浮かぶようだった。

 母が若い頃にはまだ、インターネットも無かった。「アポロニアン・パリス」という花が架空のものだと知らぬまま、花屋に買い求めた人が出てもおかしくはない。


 ――いや、インターネットがある今なら、また別の騒ぎになるかも。

 誰かがふざけてありもしない「アポロニアン・パリス」の解説ページでも作ったら、それを本物だと思う人が出てくるかもしれない……。


「監督もね、茶目っ気のつもりが大騒ぎになってしまって流石に反省したのか、映画の稼ぎを使ってある計画を立てたのよ。――本当に『アポロニアン・パリス』という花を作ってしまおうって計画をね」

「じゃあ、今ある『アポロニアン・パリス』は……」

「その時に品種改良で作られた新種、という訳よ。花言葉もね、映画で出て来た『たとえ禁じられても貴方を愛す』があてられたんだけど……私らの世代には、むしろ違う方が馴染み深いわね」

「違う方?」


 私の問いかけに、母はまたニンマリと笑ってから、こう答えた。


「うん。『アポロニアン・パリス』にあてられたもう一つの花言葉はね、『嘘から出たまこと』なの」




(おしまい)


※本作品はフィクションです。実在の人物、団体、作品、植物とは一切関係ありません。

※当然、「アポロニアン・パリス」の花も実在しません。作者の創作です。

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アポロニアン・パリスの花 澤田慎梧 @sumigoro

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