第23話 VS最後の射手

 カバキと大賢者、女魔王とユージオ。二つの相対が場を同じくして起きたのは、魔弾の射手にとって好機だった。彼はローブの下に隠していた弓矢を取り出すと、音もなく場から離脱した。全ては目的を果たすため。元の時代ではなし得ぬ、ユージオ・バールの殺害を果たすためであった。


 魔弾の射手は、名をガイといった。なんの意味もない。ただただ『男』とだけ、呼ばれていた。彼は物心ついた時に、それを母、そして父代わりの男から知らされた。


「アンタは男。息子でもなんでもない」

「お前の生きる目的は、たった一人の男、お前の父を殺すこと。それ以上でもそれ以下でもない」


 ガイの人生は、全てが鍛錬に捧げられていた。父代わりの男が仕切る組織の暗殺者アサシンとして、母譲りのエルフ弓術を仕込まれた。無論弓術だけではない。術式も格闘も、暗殺術も仕込まれた。鍛錬は苛烈を極め、時には傷を負い、死にかけることもあった。にもかかわらず彼が生き抜けたのは、その身体に流れる血のたまものであった。地上最強の生物――ユージオ・バール――の血が、ガイに死の安息を許さなかったのだ。


 三つの歳で初めて凶器を握り、四つで生きた豚を殺して締めた。五つの歳で組織の裏切り者を殺し、八つには武具を構えた大人を殺し切った。ガイの人生は、着実に朱色で舗装され、誰から見ても一角の暗殺者になるものとみなされていた。

 だが十の歳、彼を含めて人界すべての潮目が変わった。魔界大陸からの大侵攻である。絶海の向こうから現れし魔軍の大軍勢は、瞬く間に人界の大国どもを制圧せしめた。

 ガイの属する組織もなすすべなく滅ぼされ、ボス、そして母とともに地下へ潜ることになった。とはいえ、誰一人として人たることを諦めなかった。ボスは抵抗組織を組み上げ、ガイは母と組んで魔軍に抗う狙撃手となった。陰に陽に大地を駆け回り、多くの魔物を討滅した。討滅して、討滅して、十年殺し続けた。いつしか彼は、『人類に残された最高の射手』と呼ばれるようになっていた。厳密には半エルフであるが、父の血が濃く出たのだろう。ガイの耳は人類のそれに近かった。


 そんなガイに転機が訪れたのは、ある魔軍の駐屯地を、たった一人で破壊した直後だった。いつもの通りに撃って、いつもの通りに殺す。それでことは済むはずだったのだ。


「おお、おお。滅びた世界にも強き者がいた」


 転機は、魔軍の雑兵の形をとって訪れた。現地司令官格の魔物を倒した直後、殺したはずの雑兵が立ち上がったのだ。小さく弱いが、小ずるい知恵と数で押し込む。そういう魔物だと記憶していた。だがその雑兵は、人の言葉を口にしていた。


「……」


 ガイは無言にて弓を構え、眉間を撃ち抜こうとした。いかに奇妙なことが起きたとしても、表情を変えずして事をなす。暗殺者、狙撃手としては基礎の基礎に他ならなかった。しかし。


「ほっほ。そう慌てるでない」

「――ッ!?」


 次の瞬間、魔物はガイの眼前に立っていた。この時ガイは、二つの相反する感情に晒された。一つは冷静さだ。彼には魔物の使ったからくりが、転移術式であると理解できた。だが同時に疑問も得ていた。顔には出さずとも狼狽していた。それほどの術式を、瞬時に間合いを詰めるほどの術式を。なぜこの魔物は今の今まで封じていたのか。ガイには答えがわからなかった。


「答えはの」

「ッ!」

「魔物に取り憑いておるからじゃ。それがしがな」

「くっ!」


 ガイは飛び退いた。飛び退いたが、即座に魔物は追って来た。ガイは二度繰り返す前に立ち止まった。自分の足では、この間合いは解けない。技を使ったとしても、矢は明後日の方向へと刺さる。わずかな攻防で、彼は確信した。


「何者だ」


 言葉少なにガイは問うた。弓は未だに、構えている。ポーズにしかならないが、構えを解くよりはマシだった。心底のあきらめを見せないのは、せめてもの意地だった。


「『大賢者』と呼ばれておる。これでもかつては、魔王の素っ首を寒からしめた一員よ」

「大賢者」

「知らぬか」


 知っている。ガイは短く答えた。なぜこの場に現れたのか。そもそも何故に魔物の身体を使っているのか。およそ起きうる疑問を、ガイは封殺していた。代わりに強い言葉をもって、彼は問うた。


「人界が滅びんとしているにもかかわらず、なんの役にも立たぬ過去の遺物め。おれになんの用だ」

「おお、おお。これは一本取られた」


 敬意もへったくれもない言葉に、大賢者を称する魔物が額を掻いた。しかしガイは、透徹した目で相手を見ていた。一見堪えているように見えるが、その実、愉しんでいる。暗殺者としての勘が、彼に告げていた。必中必殺の距離でありながら、汗をかいているのはガイの方だった。


「言え。下らぬ用なら射ち殺す」


 努めて低く押し殺して、ガイは問うた。些細なことで心を揺らすなと、事実上の二親より散々に言われた。それこそが暗殺者の基本だと、言い聞かされた。この奇妙な状況下にあっても、彼は教えを実践していた。


「良かろうて。汝、ユージオ・バールという男を知っておるか」

「!?」


 己がいずれ殺すべき男の名が、唐突に飛び出した。想定のはるか外を行く事態に、ガイの構えがピクリと揺らいだ。細い呼吸を二つ重ねて、ガイは応じた。


「知らぬ理由がない。故あって、殺さねばならぬ」

「ならば、この世にはもうおらぬぞ」


 さざなみが、二つ続いた。まったくもって意外な通告だった。あの男ならば、今の世であろうがどこかで生きている。二親の根拠なき確信が、ガイにとっての生きる意味であり、使命だった。


「たわごとを」


 さざなみを押し殺して、言葉をつなぐ。今にも弓を、放ってしまいそうだった。乱れた心で放ったところで、当たりはしない。ましてや、大賢者相手ならなおさらに。そうと分かっていても、引き絞る指が震えていた。


「虚言にあらず。奴はこの世界からとうに消えた。神の差配でな」

「人がっ! 消えるなどっ!」


 激昂の言葉が先か、指が擦れる音がしたのが先か。ガイにも分からなかった。術式もなにもない矢弾が大賢者の眉間を目指し、そして地面に突き刺さる。後背への気配を、ガイは悟っていた。


「奴の動向を、噂でも聞いたか? 伝聞、又聞き、伝承。あるいは噂の領域ですらない与太話。その程度であろう?」

「……」


 図星を指されて、ガイは押し黙った。これまで幾度となく噂に振り回され、そのたびに臍を噛んできた。歯ぎしりの音が、小さく響く。彼は力なく、一縷の望みを賭して尋ねた。


「ならば、オマエは。ユージオ・バールを知るとでも」

「知っておる。故有りて、奴を消さねばならぬ。それがしについて来れば、汝に機会を与えてやろう」


 こくり。ガイの首が、縦に動いた。次の瞬間、ガイの背後が強烈に歪んだ。引きずり込まれる感覚を得て、男は唸った。


「理屈をこねる前に、連れて行かねばの。にな」


 それがガイの、最後に聞いた言葉だった。


 ***


「無粋、出て来い」


 ユージオ・バールの野太く、厳しい声を耳にして、ガイは小さく震えた。既に潜む段階は終わっている。女魔王との打ち合いで、否、それ以前から。『神々の大地』は荒れ果て、身を隠す場を失いつつあった。


「武者の震え……」


 手首を軽く握り、己に言い聞かせる。闇討ちに似た真似、無粋なる行為。それは自身が、もとより決めていた行動だった。戦の真っ盛りを狙い、必中の一撃を叩き込む。暗殺者、射手として成し得る、最大限の手法を、正しく実行した。それだけのことだった。二度目の狙撃も同じだ。自身への集中を怠った相手を、撃ち殺さんとした。それだけだった。


「言われず、とも」


 わずかに残った草むらに、隠していた身体。しかしガイは、それを捨てた。彼は、心に決めていた。最初の一撃、あるいは必中を賭した一撃。それらを外した時点で、『父』の前に顔を見せると。立ち上がり、二十歩ほど先に立つ男を見る。容貌と体躯は己に似つかず、剥き出しの岩肌を思わせる様相だった。


「なるほど。己の領分、得手を振るったまでか」


 声が響く。手持ちの弓などから、あっさりと見切られたらしい。それがどうしたと、ガイは弓をつがえた。矢はない。術式弾を、矢弾に使う。すう、と、息を吸った。


「ヌルい」


 十歩まで進み来たったユージオが、言う。ガイには意味がわかった。こうして顔を出さず、密やかに狙い続ける。それが暗殺者、狙撃手としての最上級の行動。ユージオ・バールに対して、優位を得るための行動だ。ガイが今行っているのは、理外でしかない。しかし。


「ヌルくとも、やるべきことがある」


 術式弾を放つ。加速と爆破を乗せていたが、ユージオはたやすく右手で払った。第二矢を狙うも、ユージオが速い。真っ直ぐに、間合いが詰められた。


「動くんじゃねぇ」


 間合いは五歩。ユージオからは、縛り付けるような声。足を一歩引きつつも、ガイは今こそユージオと視線を合わせた。『父』の凶相が目に入る。つり上がった眼に、黒の総髪。眉は太く、巌のような顔。正面から目にして、なお踏み止まる。だが同時に、ユージオも進撃を止めていた。


「……臭う」

「む」


 奇妙な沈黙が、突如として訪れた。ユージオの言葉の意味を、ガイは測りかねていた。目の前の男は、己になにを感じ取ったのか。


「精気から俺の臭いが漂っている。貴様、何者だ」


 意外なる誰何すいかの声。ガイは今こそ、呼吸を正した。この名乗りは、きっと必然だったのだ。


「ガイ。ただの男。されど」


 ガイは一度、呼吸を置いた。かつて犯された母を思う。ボスが語った、真なるいきさつを思う。全ては、この『現在いま』のためにあったのだ。


「ユージオ・バール。アンタのたねだ」

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