閑話⑤ カバキ・オーカクVS大賢者

 黒と桃色が疾風を起こす。今や二人は旋風となり、高低に満ち溢れた大地を駆け抜けていた。飛べば追い、飛ばされれば態勢を立て直して再度襲いかかる、互いに連撃の応酬を繰り広げ、互いの身体に互いを刻み込んでいた。


 しかし、少し離れた場所では別の戦いがまさに始まろうとしていた。半透明、霊体の大賢者を見据えるは『職業ジョブ・地上最強の生物』たるカバキ・オーカク。悠然と佇む団子っ鼻には、一見害意がないように見える。だが、大賢者にはわかっていた。男に害意がなくとも、内に潜む最強の面々が大賢者の存在をかき消そうとしている。彼も強者故に、そのことを理解していた。


「俺が止めるからさ、大丈夫だ。だから、教えてくれよ。ユージオ・バールになにが起きてるかを」

「しかし」


 それでも大賢者は首を振った。ユージオの排除は、神の定めたことだ。未来から呼び寄せた者との戦いが、それを加速せしめている可能性はある。だが、他人に語れば。語ってしまえば――


「なあ」

「うっ」


 大賢者は、首に手をかけられた。決して太くない彼の首は、カバキのゴツゴツとした手の中におさまってしまった。幽体である己を掴む能力の持ち主は――彼は、理解してしまった。カバキの後ろにほのかに見える、七色にして双頭の竜。初めて神に逆らいし者。虹霓竜だ。


教えてくれよ汝、語るべし


 カバキのあくまで頼むような声。だが、大賢者にははっきりと聞こえた。もう一つの声。すべてを吐き出すことを要求する声。彼は悟った。このままでは、間違いなく完全に死ぬ。幽体ではいられなくなる。


「わかった。わかったから首を絞めるのはやめてくれ。死んでしまう」

「わかった。虹霓竜」

『よかろう』


 首の拘束が外れ、大賢者は大きく咳き込み、息を吐いた。いかに幽体とはいえ、人間としての本能が生命の危機を訴えてきた。これが最善なのだと、彼は己に言い聞かせた。ユージオ・バールを排除せしめた未来さき。それはあの女魔王と、今なおローブに身を包んだままのもう一人が、よく知っている。未来が人類にとって、おおよそ最悪であることもだ。ならば。


「それがしは、一度しか言わない。その脳に刻みつけていただきたい」

「わかった」


 大賢者の声に、カバキは大きくうなずいた。これは大事おおごとだという直感が、カバキを動かしていた。カバキは大ぶりなまなこを、じっと大賢者に注ぎ込んでいだ。


「ユージオ・バールは、この世界から排除されつつある。それがしは見た。先刻の炎の壁。アレを無傷にて突破できたのは、排除による副作用――法則からの超越――だ」

「ん? つまり、どういうことだい?」


 大賢者の語りに、カバキは疑問を隠さなかった。幾多の最強たちも、ここは口をつぐんだ。今は大賢者から、情報を出来得る限り吐き出させたい。


「ふむ。では汝に聞こう。あの炎の壁を、汝は自力のみで無傷突破できるか?」

「無理だねえ。俺自身には、とても無理だよ」


 カバキは即座に答えた。職業・地上最強生物とはいえ、カバキ自身の才覚は幾多の最強には及ばない。カバキは己について、深く自覚していた。だからこそ、最強の力をより引き出すための鍛錬を重ねてきたのだ。それでも彼は、未だ足りないとすら感じていた。


「で、あろうな。本来であれば、ユージオでも魔素と空気摩擦による火の惹起でようやく相殺できるか否か。そういう次元だ。女魔王とあの男では、そもそもとして魔素の総量が違う」

「なるほどね」


 カバキがうなずく。これはカバキにも共通の事案だった。カバキが最強たちの力を振るえるにせよ、魔素の量という一点においては女魔王が圧倒的に優位となる。それほどまでに、人類と魔界大陸の生物には差があるのだ。


「だが。先刻のユージオは生身のままに切り抜けた。本人でさえ、気付いているかは不明だ。だが」


 一拍置かれたところで、カバキは息を呑んだ。同時に、目で今一人の姿を追う。ローブを纏ったままの、未だ正体を見せぬ者。しかしその姿は、目に入る範囲には存在していなかった。身を隠したか、あるいは――


「今のユージオ・バールは、世界から拒絶されつつある。『炎魔法を喰らえば肌と肉が焼け、死に至る』。そんな当然の摂理さえ、超越し始めたのだ。そして行き着く先は」

「行き着く先は?」


 オウム返しに、カバキは問うた。それこそが、カバキの今引き出したい言葉だからだ。ユージオ・バールが最強と呼ばれた先に、なにが待ち受けているのか。カバキが、最強たちが知りたいのはその一点だった。


「世界からの消失。そして、暗黒の未来が訪れる」

「!?」


 それは、カバキ・オーカクをして驚きせしめる言の葉だった。ユージオの身に起こることは想像できても、その未来までは知る由もなかった。それをなぜ、大賢者は知るのか。


「時を越え、戦士を連れてきた時に、それがしは知った。人界大陸は魔界の大攻勢に屈し、わずかな抵抗勢力のみを残して支配下に置かれるのだ。収奪はなくとも人は下風に立たされ、誇りを失う。媚びへつらい、立ち上がる気力さえも失ってしまうのだ。哀れかな。人は神の妄執にさらされた挙げ句、勢力争いの果てに衰えるのだ」


 男は真実を語った。それが、大賢者の見た未来だった。二十年後の、地下勢力。十年後の、権勢を振るう女魔王。すべてを見たからこそ、彼は決意した。


「ゆえに。カバキ・オーカクは勝たねばならぬ。他の二人で済めば、もっと造作もない。だが、カバキ・オーカクが負けるのは許されぬ。汝は最後の駒だ。最後に出て、蓄積されたダメージを押し広げ、そして勝つ。それがしの見た歴史では、汝では足りなかった。足りなかったがためにユージオはこの世界から消えた。そして暗黒がおとず……ぐっ!」

『もういい』


 大賢者の首に、再びカバキの手が掛けられた。無論、下手人は虹霓竜だ。カバキも、止めようとはしていなかった。


「あまりにうるさいからやっちゃったけど、殺さないでくれよ」

『締め上げるのみだ』

「ぐ、うっ……!」


 大賢者は、自分がギリギリのところで生かされてると悟った。何がカバキの怒りに触れたのか。彼には分からなかった。だが答えは、先方からいともあっさりと示された。


「関係ないよ」


 カバキが、己自身の声でポツリと言った。大賢者は、己の目を見開いた。


「人類の未来とか、ユージオが消えるとか、俺が勝たなくちゃならないとか。そういうのは関係ない。関わってくるのは仕方がないけど、勝負には関係ないんだ」


 大賢者に向かって、カバキはとつとつと語った。その口調は平坦だったが、どこかに悔しさが滲んでいた。


「俺はユージオとなんのしがらみもなく戦い、そして勝つ。それだけがやりたいんだ」


 首を絞めていない方の拳を握って、カバキは言葉を続けた。痛切な表情から、大賢者でさえも彼の思いが理解できた。


「なのに、そこに余計な思惑を混ぜてくれる。俺はアンタが嫌いだ。嫌いだけど、この戦場いくさばをくれた。だから、感謝している」


 大賢者は一度持ち上げられ、そこで首を解放された。尻餅をつきかけてから幽体であることを思い出し、再び大きく息を吐いた。


「ま、安心してくれよ」


 カバキの声が、大賢者の耳を叩いた。大賢者は、カバキを見る。ただでさえ大柄なカバキが、今は巌のようにすら見えた。完全に、呑み込まれてしまっていた。


「俺のやりたいことは、たしかにアンタの思惑からは外れてる。だけど、この大戦おおいくさを止めようなんて無粋は考えちゃあいない。アンタは、俺の邪魔をしなければそれでいい。いいかい?」

「わ、わかった」


 大賢者は、首を縦に振った。もはや逆らう余地はなかった。下手な行動を取れば、カバキの内に棲まう最強たちに殺されてしまう。そういう確信が、大賢者の心に生まれていた。


「交渉成立」


 カバキが、ニッカリと笑った。こうして見ると、やはり人懐っこい。だが、その奥に潜むのは修羅だ。戦を求める、修羅。此度の戦ともいえぬ戦を経て、大賢者は心の底から感じていた。


「ところでさ」


 畏怖に佇む大賢者を、カバキの声が貫いた。その調子は、元ののんびりとしたそれに戻っていた。その目も、ユージオと女魔王の戦を見つめていた。


「そんなに未来の話をべらべらと喋って、大丈夫なのかい?」


 答えようとして、大賢者は目を伏せ、腕で隠した。カバキもそうした。二人の目が捉えたのは、戦闘地点を目指す謎の光芒だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る