第21話 VS十年後の女魔王

「そなたと約定を交わせし童女の、十年後の姿よ」


 遂に正体を明かした女魔王に対して、ユージオの反応は薄かった。否。飲み込み切れていなかったのやもしれぬ。様子を見て取った半透明の大賢者は、すかさず合いの手を入れた。


「それがしの手にかかれば時を超え、先の世から貴様を倒し得る者を連れて来るのもお茶の子さいさいよ! さあ、未来の魔王、人界を制した大魔王に打ち勝てるか、ユージオ・バール!」


 しかしユージオに動きはない。むしろ表情を固めたまま、わずかの間微動だにしなかった。だがそののち、一度驚きの顔を見せたかと思うと――


「ブワッッッハッハッハッハ!」


 今度は笑い始めた。呵呵大笑、抱腹絶倒。そんな言葉がよく似合う笑いだった。しばらく笑い続けた彼は、笑いをこらえつつ、ようやく口を開いた。


「そうか、そうかそうか! 少し前に俺に向かって啖呵、大言壮語を切ったあの小童こわっぱがな! 十年後には大魔王か!」


 そこで一呼吸置くと、ユージオの構えが、低くなった。笑いが止まり、顔がいかめしくなる。凶相の色が、濃くなった。


「良かろう」


 腰を落とし、両腕を構える。ユージオという獣の、迎撃の姿勢。口の端がつり上がる。凄絶な微笑みが、彼の顔に浮かんだ。


「せいあっ!」


 女魔王が動いた。気圧された訳でもないだろうが、なにかに突き動かされるような動きだった。軽く浮いた高速移動から、頭部へ回転蹴りを試みた。空を切る。ユージオが屈んだのだ。巨躯が音もなく、滑らかに沈んだ。だが魔王もさる者。ユージオの肩に蹴り足を乗せると、今度は顎を狙って逆足を蹴上げた。しかしユージオは、上半身を反らしてかわした。何たるバランス感覚。やむをえず、魔王は三回転半の後ろ宙返りで間合いを取った。その距離、約十歩。


「どうした、終わりか」

「否」


 両者の声が交錯した。直後、魔王の掌が大地を押した。押したと言っても、さして強くではない。軽く叩くより、ちょっと強く押し付けた。その程度だ。だがそれだけで、大きな地割れが『神々の大地』を襲った。


「くっ!」

「やるね!」

「ち」


 ユージオが。カバキが。ローブの者が。三者三様に地面を跳び、生き残りを探る。大賢者も同様だ。さすがに彼ばかりは喚いていたが。ともあれ、地割れそのものはわずかの時間で止んだ。それぞれの主観では、一生分にも思えたかもしれないが。


「地面に軽く魔法を撃ち込んだ……というところか」

「ご明察だの」


 ユージオはくぼみから。女魔王は高所から。それぞれを直視していた。両者の高度差はほとんどユージオの背丈分だった。高所を取った分、女魔王が有利に見える状況だ。だがユージオは、即決で跳んだ。高さはともかく、距離はほぼ一足。ならば。


「そぉりゃ!」


 雷速の速攻。右の蹴り。空振りからの遠心力を生かした戻し蹴り。スウェーで空を切る。着地。息をつかせず左右の拳。これも後ろへ跳ばれる。そこから反撃の加速拳。さばいて右。さばかれた腕を軸にした回転。流れるようにかわされる。


「くっ」


 ユージオは思わず声を漏らした。未だ魔法との戦いではないというのにこの体たらく。口の端を噛み、己に気合を入れる。だが同時に、女魔王への評価も改めた。ユージオとの根本からの違い――一撃の重みの差――を認め、全力の一撃を受けぬよう、努めて回避に重きを置いている。これをどうにかしなければ、ユージオに勝ち目はない。


「調子こかせてもらうぜッ!」


 だがユージオは、その焦燥をおくびにも出さない。むしろそれらの感情をくべるかのように、攻撃をより苛烈なものにしていった。

 常人の目には消えたとさえ見えるような接近からの連撃。力任せではない、牽制や探りの攻撃まで含んだ徹底的な攻勢。しかし女魔王も冷静だ。引き付けずにかわし、時には理合でさばき、致命の一打を受けぬよう尽力する。


「ぬうっ!」


 ユージオは自身の焦りを実感する。だが押さえつけた。焦りを認めた上で、それをねじ込んだ。攻撃に焦りが出れば、隙を与えてしまう。彼はよく知っていた。故に一度間合いを取り、深呼吸をする。両者の間合いは、七歩となった。


「ふぅーぅ」


 女魔王も、息を吐いた。さばき、かわし、守り抜く。一見難なくこなしているように見えて、その実集中力の必要な武技であった。相手は曲がりなりにも地上最強を冠する生物である。一瞬の油断が、命取りだった。


「ぬんっ!」


 故に、構えと叫びはほぼ同時だった。どちらがより己を強いたか。それは遠くより見る三者にはわかり得ぬものであった。当事者である二人でさえも、相手のそれまでは慮れなかった。


「今度は、こちらから参ろう」


 五歩の間合い、先手を取ったのは女魔王だった。魔力を両拳、両足に集積し、瞬時に間合いを詰めていく。加速に増強、斬撃と、なんでもござれの魔力注入・物理攻撃。今度はユージオが、回避につぐ回避を強制された。


「そぉら! これならば攻勢に出られまい!」

「ぬうっ!」


 先刻から示されているように、女魔王の身のこなしは軽やかかつ巧み極まるものだ。身体の流れに逆らわず、反動や遠心力を駆使して次々に技を繰り出してくる。


「ハッ!」

「ふざけろ!」


 ほとんど顔を突き合わせた距離。女魔王がユージオを見上げる形だ。女魔王は、左右のコンビネーションでユージオを襲う。だがユージオはステップと体重移動でこれを難なく回避。


「フンッ!」


 すると今度は、左の後ろ回し蹴り。ユージオはかがむ。女魔王は足を地につけ、直後踏み込んで顔面狙いの拳。これに対し、ユージオはあえて更に屈んだ。女魔王の対処は? 追いつかない。逆に懐へと踏み込まれ――


 ドオッ!


 体当たりを受ける。近距離、決して高速にあらずとはいえ、ユージオとの体格差はいかんともしがたい女魔王。いともたやすく吹き飛んだ。しかしその事実は女魔王にとっても幸いだった。吹き飛ぶ途中から風魔法を用いて己を制御し、隆起した岩肌を回避。ダメージを最低限に抑え込んだのだ。


「ケホッ……やはり一撃はシャレにならぬか」

「ちっ、ブッ飛ばしでは分が悪ぃか」


 ユージオは息を軽く吐き、女魔王は軽く咳き込む。両者がそれぞれに息と構えを整え、十歩の間合いに陣取った。そして今度は魔王が、今までと異なる戦術に打って出た。


「ハアアアッッッ!」


 風刃魔法。風魔法の進化形たるカマイタチめいた風が、次々とユージオを襲う。ユージオは両腕をクロスし、厚みで受ける。だが相殺に至ることはなく、傷を残し、削っていく。


「チイッ!」

「ぬうっ!」


 声は二箇所から上がった。ユージオ、そして大賢者だ。ユージオが未だ神に存在を許されていることへの舌打ちだった。だがユージオは意に介さない。彼の道は、彼によってのみ作られる。乱れ撃ちの風刃魔法に対し、ユージオは獣じみた低い姿勢を取った。凍てつく大地の覇王に用いた、あの東方闘技を思わせる姿勢だった。


「シュウウウ……!」


 低い呼吸音。女魔王は内心で息を呑んだ。垣間見える背中に描かれしものは、傷痕連なる奇っ怪な絵。弱者なら失禁し、並の者ならば発狂しかねぬ恐怖を得、強者でも一瞬息を呑むほどの奇天烈な絵。


「ふふ。いい絵だあ」


 高所から見ていた、カバキが笑った。


「……」


 横から見ていた、ローブの者は沈黙していた。


「おお、恐ろしきかな」


 遠くから見据える大賢者は、獣じみた彼そのものを恐れた。


 ともかく、息を呑んだその一瞬が運命を分けた。ほんの一瞬の空隙は、強者の戦においては重大な間隙となる。低く踏み切った猛獣は、風刃魔法をも意に介さず、女魔王の腹部めがけてその掌を唸らせた。


「う゛っ゛っっ!!!」


 ゴッ、ともボウッ、ともつかぬ擬音と同時に、女魔王のくぐもった悲鳴が大地に響いた。ユージオが腕を伸ばすと、物理の法則に沿って女魔王は飛び、バウンドし、また飛んだ。三回ほど飛ばされて、ようやく止まる。血反吐を吐き出し、震えながらも、なお立ち上がらんとした。


「ぐ、ぬう……」


 破壊された内臓に魔力を回し、回復魔法も上乗せする。魔力は食うが、致し方のない決断だった。おかげで、風刃魔法に回す余裕はない。飛び回り、距離高低の間合いを取る余裕もなかった。せめてもの牽制に、女魔王は火を吹き、炎の壁を作り上げた。しかし――


「小癪な」


 なおも獣は獣のままだった。しかも並の獣ではない。人語を解し、知恵を持ち、そして火を恐れぬ。地上最強とも謳われる獣だった。


「ブチ抜いてくれる」


 牽制程度の、厚みの薄い火の壁へ。ユージオは生身のままに突っ込んだ。そして宣言どおりにブチ抜いた。火の壁を越え、なお無傷。回復への専念を許さず、女魔王の前に立つ。


「能わず、か」

「まだやれるだろう?」


 両者の言葉が交錯する。男も女も、軽く笑った。直後、空気が鳴動した。


 ***


「おお、おお」


 ユージオが炎の壁を打ち破るさまを、大賢者が遠くから見、畏れ、目を剥いた。彼は確かに見てしまった。ユージオが、炎の壁に忌避されていた。彼はその意味を知っていた。神の嫌悪による、世界からの排除だ。

 だが、その排除は時として副作用を起こす。今回のユージオに関しては、『あるべき物理法則からの超克』を生み出していた。ユージオは己の知らぬ内に魔法を拒絶し、女魔王に肉薄したのだ。


「どうしたい、賢者どの」


 震え、怯える大賢者の姿を捉えたカバキが、大きく声をかけた。大賢者は、なにも答えなかった。ただ首を振り、カバキを見るだけだった。


「答えぬかい」


 カバキはその身体に見合わぬほどの身軽さで亀裂の高低を飛び移り、大賢者に寄っていく。その目には自信が湛えられていた。彼は大賢者の目を見据え、言った。


「なあに、大丈夫さ。俺が止めるよ。俺が、あの男を止める。俺だって、バグなんだろう?」


 少し遠くでは、黒と桜色がぶつかり始めていた。

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