第20話 VS魔王を受け継ぎし者

 健闘も敵わずダウィントン・セガールが斃れた様に、三者はそれぞれ異なる反応を見せた。

 背の低いローブの者は、己の胸元で拳を握った。

 背の高いローブの者は、なるほどと言わんばかりにうなずいた。

 そしてカバキ・オーカクは――


「つっよいなあ」


 憧憬にも似た一言を残した。


 気を失い、立つことさえもままならぬセガールは、ユージオの手によって脇へと投げ捨てられた。捨てたというのは過剰な表現かもしれぬが、打ち捨てられたのだから仕方ない。大賢者も三者も、それを咎めることはなかった。敗者の定めとして、受け入れていた。


「次は、わらわが」


 背の低いローブの者が、口を開いた。残りの二者は、そこで初めてこの者が女だと知った。背が低いとは言っても、常人のそれよりはやや高く見えた。二人が総じて、大柄にすぎるのだ。ともあれ、二者からの反駁はんばくはなかった。女は肯定と受け取り、被ったままにローブを焼いた。


「行きますかな。女魔王殿」


 大賢者が口を開いた。青白い肌に桜色のロングヘアが映える、耳長の乙女が。問いに応えた。


「行きます。十年前の約定を、今ここに」


 耳長の乙女――当代魔王の、十年後の姿――は、たおやかに腕を振るい、ユージオに向けて長距離氷結魔法を発射した。


 ***


 十年後の世界――。彼女は飽いていた。抵抗勢力を幾許かのみ残して、人界大陸のほとんどを制圧したからだ。その経緯は、怒りから始まった。


 三百日前。約定を交わしたはずの男は、いつまでも現れなかった。女は五十日ほどその時を待って、まず待ちくたびれた。彼女は決断した。


 ――そうだ。こちらから会いに行こう。


 女の決心は翻らない。老臣たちの説得を退け、逆らう魔軍貴族は根絶やしにした。老臣どもの懇願により現れた魔軍上皇――先代の魔王――も、改めて約定の話をすると引き下がった。ただし、一度人界を調査するという意だけは汲んだ。百年の和約を破棄するにせよ、名分が必要だからだ。だが、その結末は最悪だった。


 ――約定は果たされぬ。あの男は、我が好敵手は、消えてしまった。


 十年前に西方大森林へ赴き、行方不明。

 それが、人の口に上るユージオ・バールの結末だった。女魔王は一筋、涙をこぼした。同時に、彼を消したものへの怒りを掲げた。


 ――許さぬぞ、人界。


 かくして、人界大陸は滅亡の炎に包まれた。王国を内外から攻め落とした連合帝国も、魔軍の猛攻には帝都防衛が精一杯だった。絶海を越えて次々と次元門が送り込まれ、疲れを知らぬ魔軍が物量で叩き込まれる。悪夢にも似た光景だった。あまりにもの攻勢に人界に生きる者の過半が焼き払われ、残りは隷従を誓うことで生存を許される事態と成り果てた。帝都は籠城を決めて門を閉ざし、僅かな抵抗者は地下に潜り、抵抗のための抵抗を繰り返すのみとなった。


 しかし彼女は空虚だった。自らの手で人界を滅したわけでもなく、手下の軍勢が粛々と事を成しただけだからだ。魔界大陸の軍勢はそれほどまでに訓練が行き届いていた。先代から引き継ぎ、当代として成し遂げた偉業が仇になった。人界のほぼ全てを征服してなお、彼女に開いた穴を埋めるには足りなさすぎた。


 大賢者を名乗る男が現れたのは、そんな時だった。彼女もよく知っている。何代か前の魔王が、勇者に敗北しかけたことを。そのことがきっかけとなり、人魔和約が成立したことを。大賢者なる男が、勇者のパーティーにいたことを。


 ――人間の敗北を知り、わらわの首を取りに来たか。


 大賢者を名乗るひび割れた虚空に向けて、彼女は問うた。


 ――否。陛下がかつて、ある男と交わした約定。少々ずるい手段でですが、果たす術をお伝えせんと。

 ――なぜ貴様がそれを知る?


 ひび割れの答えに、女魔王はその端正な顔を歪ませた。ほっそりとした指には似合わぬ、憤怒の相だ。


 ――それがしは今や神の使い。そのくらいはお手の物にて。

 ――乙女の心根に触れるとは。罪は重いぞ。


 女魔王は空間歪曲魔法をひび割れに向けて放った。彼女ほどの使い手ともなれば、多少の強力魔法といえども、魔力のみで制御可能である。だがひび割れは一度ぐにゃりと曲がった後、何事もなかったかのように元の姿を取り戻した。


 ――む?

 ――それがしは現世に直接介入できませぬ。ですがその分、魔法にも術式にも耐性がございましてな。


 ひび割れが、カラカラと笑う。女魔王の歯ぎしりが、はしたなく私室に響いた。世話をする者さえ下がらせていたことは、彼女にとっての幸いだった。


 ――十年前においでませ。さすれば、陛下は約定を果たせるでしょう。『十年後の自分が、彼の餌に値する者になる』という。

 ――……如何にすればいい? わらわには今、約定を果たす自信がある。

 ――手を伸ばしなされ。


 言われるがままに、女魔王が手を伸ばす。すると、わずかに透明がかったシワだらけの手がそれを掴み、ひびへと引きずり込もうとした。


 ――なにをする!

 ――これで良いのです。


 引きずり込まれる女魔王。配下への書状も残していない。指示も下していない。しかし時既に遅し。彼女はあっという間に、『その日その時』まで連れて行かれたのだった。


 ***


 そうして彼女は、今に至る。ユージオへ向けて高らかに魔法を放った艶姿は、魔界大陸、魔軍の種族、八百万やおよろず。多士済々たる戦士を束ねるにふさわしいものだった。氷結魔法は、寸分違わずに狙いに着弾。遠目に見ゆるユージオの姿が、煙に包まれた。


「む」

「おおっ」


 残りの二闘士が感嘆の声を上げる中、一人魔王だけが首を傾げた。放ったのは氷結魔法。だというのに、なぜ煙が上がるのか。その答えは――


「さすがに凍り付くかと思ったぜ……」


 未だ五体満足で健在のユージオ。そして彼がまとう陽炎にあった。揺らめいて見える影が、女魔王に宣戦を布告する。


「そこに立ってろぉ!」


 叫びとともに、ユージオが雷をまとって加速した。その速さは、常人の目には捉え難きものがあった。彼は女魔王の氷結魔法を、拳をもって迎え撃った。放たれた豪腕は彼自身が持つ魔素と、空気との摩擦で炎をまとい、氷結魔法を無為にせしめたのである。当然だが、並の火炎魔法では太刀打ちする前に炎ごと凍り付く。彼の豪腕と、かつて吸い込んだ魔素があってこその迎撃だった。

 しかしユージオにそこまでの考えがあったかは、定かではない。かつて火炎術式を跳ね返した際と、同じ程度の考えだったやもしれぬ。さりとて、恐るべき判断力と戦闘力である。


「大人しくすると思うてか!」


 応じて、女魔王も突進した。無詠唱でいくつかの魔法陣が飛び出し、彼女の加速を支えた。肉体強化というよりは、加速魔法の類だろうか。ともかく、両者の間合いはみるみる狭まった。


「お、るぁ!」


 先手を打ったのはユージオだった。雷速の右腕を、低い彼女に向けて殴り下ろした。だがかわされた。敵手は素早く、ふわりと浮いた。そのままくるりと回り、ユージオの後ろに着地した。


「そう焦るでない」


 女魔王の口が開いた。ユージオは、背中合わせのままに問いかけた。


「キサマ、何者だ」

「魔界大陸の王。千の魔法を修めし者。そして」


 答える女魔王。続けて彼女は間合いを広げ、大仰に振り向いた。軽く、そして美しく作られたバトルドレスが、物理に従って大きくなびく。無論、桜色のロングヘアもだ。そして遂に、正体を明かす。


「そなたと約定を交わせし童女の、十年後の姿よ」

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