第19話 VS連合帝国最強の男・再来

 ついに、この時が来た――

 迫り来るユージオの巨躯を見据えて、連合帝国一代騎士ダウィントン・セガールは淡々と思考を巡らせた。かつて貴族の麗しき婦女子を魅了した銀の長髪は短く切り落とした。かつては美しさに基点を置き、鍛え上げていた肉体も、鋼の如く鍛え直した。己のすべてを一度削ぎ落とし、今一度磨き上げたのだ。

 連合帝国では一笑に付されてもおかしくない神秘的体験――神との遭遇――を経ての再起以来、彼は日々の訓練を欠かしたことがなかった。否、鍛錬だけではない。滋養強壮、肉体強化、心身保全、過剰集中……およそ思いつく限りの香草薬草、薬物を試せる限り試した。凡百は過剰鍛錬と嘲ったが、セガールには耐えられた。全ては。


「俺は神に選ばれたのだ」


 圧倒的な自負。新たなる矜持。すべてを失ったと思い、侯爵家で抜け殻になっていた時とは違う彼が、そこにはいた。


「俺は、あの男に打ち勝たねばならない」


 遥か高き目標。己が賭けていたものすべてを打ち砕き、己から傲慢を取り去ってくれた恩人。しかし憎さは変わらない。無様に沈められ、名声を、名誉を奪われ、一度は地に打ちひしがれたのだから。


「故に、俺は征く」


 隣に立つ妙に呑気そうな男を。残り二人の、フードを被った者どもを。セガールは見た。三人がうなずく。彼はその意味を「構わぬ」と受け取った。


「応ッ!」


 裸足で土を蹴る。すでに全身の筋肉にくが張り詰めていた。人生を賭けても良い宿敵を打ち倒すべく、心も体も漲っていた。一つ、二つ。呼吸を重ねる。全身を興奮物質アドレナリンが駆け巡り、今にも爆発しそうだった。思わず口角が上がる。これほどの楽しみを、己は忘れていたのか。今なら何でもできる気がする。格闘術など要らぬ。この想いをぶつけるだけでいい。


「ユージオ・バール。今征くぞっ!」


 恋する乙女のように、男は叫んだ。一歩の歩幅が、人のそれを越えていた。駆けるというより、跳ぶという言葉が似合う。そんな歩みだった。早足のユージオに向けて拳を振りかざし――


 バァン!


 弾けた。


 ***


 その一撃は、己の足を止めるに足るものだった。速さの乗った、思いのこもった一撃。地面にめり込む感覚を得た重み。腕で防いで、下手人は飛び下がった。だが、目の前にいる。獅子のように着地し、口角を上げ、獣の笑みで、こちらを見ていた。覚えがあった。連合帝国最強を名乗った男。少々人相が変わっても、交わした拳を、身体が覚えていた。


「いい顔に、なったじゃねえか」


 素直な言葉が、口をついて出た。ユージオ・バールの、素直な感嘆だった。同じく口角を上げる。獰猛な、獣の微笑み。


「どおらッッッ!」

「シイィッ!」


 咆哮を上げ、肉をぶつける。右の大振り。ガードで胸が開く。左をぶつける。小さくガード。前蹴りで飛び退く。相手は耐える。肉付きも戦闘法も、何もかもが違う。新鮮な驚き。筋肉にくがわななく。口がニヤける。飛んできた足をかわす。もう一度。これもかわす。即座に踏み込む。顔と顔がぶつかる。やはりいい顔だ。だが。


「そおらっ!」


 顔面狙いのジャブ。命中。足りぬと、口の中でつぶやく。事実として、足りなかった。もっと上を見るための驚きがない。敵手の戦の変化には驚いた。未だ対応は追いついていない。だが、それだけだ。新鮮味はあっても、駆り立てるものがない。調子こかせるだけのものが、見当たらない。


「もっと来いっ!」


 苛立ちが声に変わる。相手の早い連撃を、捌く一瞬に思いは漏れ出た。弾いてボディ。連続で二回。分厚い腹筋が止めるが、そんなものはより強引な力で打ち抜いてやる。たたらを踏み、咳き込む音。ユージオは、確信する。目の前の男は、己には届かない。ならば。


「喰らうのみ」


 顎門あぎとを開いて、文字通りの捕食に移ろうとする。ユージオはその人命への冒涜行為をもって、神と大賢者への宣戦布告とする腹積もりだった。己を弄ぶ輩への、怒りの布告とするつもりだった。


 だが。


 シュンッ。


 二歩近づいた時、左頬を速いものがかすめていった。思わず触れる。ベットリと、血。頬を削がれたのか、痛みが走った。続いて、腹を薙ぐような感触。これも速い。地に膝をつくことはないが、これまた痛みが走った。

 三歩目。パチンと音が鳴る。顔が傾ぐ。思った以上に痛む。左頬。だが正体は見えた。掴む。脱力としなりの加わった、腕だった。肉を削いだのは、指先だった。


「へぇ……」


 ユージオは唸った。よくよく見れば、爪が尖っている。肉を削ぐために用意された、セガールの刃だった。手品としては、なかなかに楽しいものだった。


「だがヌルい」


 タネが分かってしまえば、ユージオには物足りないものとなる。握った手首に、力を入れた。このまま砕ければ上等だが、そうはいかない。苦し紛れの、左の一撃。死角からでもないそれを、ユージオはあっさりと捉える。だが。


「ここぉ!」


 声が聞こえると同時に、敵手の手首が太くなる錯覚を得た。まさか、このタイミングで。


「ぬぅん!」


 前回の戦では聞いたことのない野太い声とともに、手首のロックが外れる。間違いなく、強化術式。そして、ここから使われるのは。


「ハイハァイ! ハァイ! ハイハイッ!」


 右、左。右、左。衝撃は感じるが、腕が見えない。間違いなく加速術式だ。一手のダメージはともかく、脳の揺れがまずい。身体が揺らぐ。そこへ!


「シャッ!」


 下から上へ、加速された蹴り上げが襲い来る。後方に避けようとして、顎にかする。その瞬間、衝撃が脳天まで直撃した。ユージオは直感する。顎が砕けた。揺らぐ身体を、制御できない。わずかな時間とはいえ、見逃さないのが強者の領域。すなわち。


「オ、オ、オ、オ、オ!」


 術式連打の滅多打ちの雨が、ユージオを襲った。ほんのわずか、秒以下の空白が、ユージオを防御へと追い込んだ。咆哮。連打。ユージオは亀のごとく身を縮め、守りに徹する。対抗するのは簡単だが、今のセガールの勢いでは、跳ね返されるのが必定だった。筋肉にくを収縮させ、凝縮させ、解放の時を待つ。それがユージオの選択だった。


「ヌウウウッ!」


 セガールが獣のように唸る。ユージオの防御が、剥がれないのだ。加速と強化を使った連打が、ユージオを打ち崩せない。常人に見えるよりも遥かに多くの打撃を浴びせてなお、防御は鉄壁だった。


「ガアアア!!!」


 セガールが吼えた。思考を振り切り、脳内で過去に吸い上げたいくつもの薬物薬草を反芻した。それらは所詮、想像の産物でしかない。だが、神に遭遇する奇跡を体験し、地上最強をねじ伏せんとする男の想像力は桁が違った。反芻が脳内麻薬を生み出し、興奮を加速させ、身体強度を跳ね上げた。僧帽筋が膨れ上がり、殴打がさらなる加速を遂げる。時折立てる爪が鋭く光り、ユージオの外皮を切り裂いていく。腰を落とすユージオは、まさにダウン寸前かとさえ見える。一気呵成に勝敗を決するべく、セガールは拳を振り上げ――


「どおらあっ!」


 下ろせなかった。その一瞬こそが、ユージオの待っていたものだった。足の筋肉を解き放ち、肉の弾丸を炸裂させた。稲光こそまとわぬまでも、筋肉にくの暴発は凄まじいものだった。セガールの懐を捕らえ、足をかき、更に押し込む。引き剥がすことを許さず、巧みに方向を操る。その行き先は――


「き、貴様……」

「天然自然を利用する。これも戦だ」


 ユージオの踏み込みが強まる。セガールは引き剥がせない。稲光さえ従えて、肉弾超特急が岩に突き刺さる。セガールの背中から腰にかけて、硬質のダメージが襲いかかる。同時に、ユージオの圧で身体がプレスされ、セガールの口から、血がこぼれ出た。


「ガハッ!」


 ユージオはセガールを離して間合いを取り、構え直した。呼吸を整え、敵手を見据える。彼は全く、これで終わりとは思っていなかった。大賢者に選ばれた以上、意地でも立ち上がると想定していた。それが全力タックルからの押し込み、押し潰しであってもだ。


「ごほっ、げほっ……」


 そして事実、セガールは立ち上がろうとしていた。口の端から血を滴らせ、腹を押さえつつ、震える足で立ち上がろうとしていた。目の色にかげりはない。未だ爛々と燃えていた。


「かはぁ。効いたぁ……」


 ゆらぁり。

 そんな擬音が聞こえそうなほど、セガールは揺らめいていた。命の炎が、今にも消えそうな。錯覚さえ覚えるほどのゆらめきだった。否、実際揺らめいている。下半身は安定しながらも、上半身が異様なまでに脱力し、ゆらゆらと動いていた。


「ちいっ……」


 ユージオが飛び退く。刹那のあと、そこをムチのような右腕が通った。加速術式の乗った、凄まじい一撃。ユージオの外皮が、当たらずしてわずかに裂けた。セガールの一撃が、カマイタチにも似た現象を生み出したのだ。


「ぐっ!」


 セガールの攻撃は一発だけではなかった。上下左右。ゆらめきとムチの合わせ技が、変幻自在とさえ錯覚するような腕の軌道を描いていた。しかしユージオは打ち合わず、全てを回避していた。げに恐ろしきはユージオの判断力と冷静さ、そして動体視力である。所々に傷を負いつつも、しっかりと全てを見極めていた。故に。


「どぉらぁ!」

「あああああっっっ!?」


 その反撃は、必定だった。一般人から見ればほとんど差異はない。だがユージオにはわかる。そんな程度のかすかな遅れから、ユージオがセガールの疲れを見切った。  

 振り回される腕の隙間から腕をねじ込み、大振りのアッパーカットが円弧を描いた。ギリギリのところで回避はされたが、遂にセガールの連打が止まった。そして、ユージオの拳は二段構えだった。


 ユージオの広背筋がミシミシときしむ。

 左の手首に、稲妻が走る。

 筋肉が膨張し、傷跡が連なり、見る者を竦ませる絵が描かれる。


「――、――、ッ、ンッッッ!!!」


 意味のない叫び、言葉にならぬ蛮声とともに。セガールを襲うは壁に向けて杭を打つような一撃。その一撃はセガールの肉盾に無慈悲に突き刺さり、身体をくの字に叩き折った。足が浮き、顎が飛び出し、ツバが浮く。あまりにもの速さに、ついぞセガールは対応できなかったのだ。


「行くぜ」


 処刑宣告じみた、低い声が場に響いた。ユージオは何一つ見逃していなかった。決まったと過信することもなかった。右の拳を握り締め、飛び出した顎を壊す一撃。下顎が上顎にめり込み、歯が砕け、顔がひしゃげた。ユージオが腕を伸ばせばセガールはたやすく宙に浮き、そのまま数回転の後落下し、ヒクヒクと痙攣し、やがて動かなくなった。


「フン」


 ユージオは鼻息を吐きながらも、しばらくの間は不動だった。フードの者どもも、カバキ・オーカクも動かなかった。ややあって、荒涼とした風が一つ吹いた。それを受けて、ユージオはようやく口を開いた。


「次はどいつだ。どいつが俺の、餌になる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る