閑話④ 神VS虫

 ユージオ・バールも、魔界の者も知らぬ、竜種以外はほとんど知らない事実があった。彼らの住む世界は、空――我々でいう宇宙――に漂う、一つの『球体』でしかない。彼らは球体の上で生き、そして死ぬ。その巡りは、球体の持つ『意志』によって定められていた。


 だが。


 球体の意志は、時としてバグを生み出した。なにが原因かはわからない。栄枯盛衰を繰り返すだけの流れに飽いた、意志自身が変化を望み、生み出したものかもしれない。しかし球体の存続を至上に置く意志にとっては、虫は敵でしかなかった。


 最初の虫は、竜種だった。始祖至高たる虹霓竜こうげいりゅうを筆頭に、雷雲、白銀、蛮王、炎帝、地裂、渦水かすいと七匹もの虫が生まれた。『意志』は排除を試みたが成し切れず、彼らを組み込み、常には現出せしめないことで手を打たざるを得なかった。


 その後も虫は、手を変え品を変え現れた。亜竜と呼ばれる大型獣が地上を闊歩した際には、白銀竜の暴威をもって地上を冷やした。今でいう魔界大陸に追い込み、そちらでのみ生存を許した。しかしやがて絶滅した亜竜の死骸が、大気と交わり魔素が生まれるのは想定外だったし、魔界種の生物体系が生まれるのはさらに想定の外だった。彼らは争い、やがて統一され、魔王に率いられる一つの軍となった。


 意志はこれを危険視した。彼らが海を越え、大陸を渡ることに成功すれば、世界が虫で埋め尽くされてしまう。そこで意志は、人界大陸に生きる生命体たちに目をつけた。適性に対して「職業ジョブ」の概念を恩寵として授け、彼らの成長を促したのだ。

 結果は、覿面とは言えぬまでも良好だった。幾代もの勇者と多くの冒険者を礎にして、人魔が互いの大陸を分かつ和約を結んだからである。意志は概ね、安堵した。これでようやく、輪廻サイクルを遂行できると考えた。


 しかし、新たなる虫はすでに出現し、しかも除去不能なレベルにまで増えていた。人類種。魔界の生物よりも弱く、エルフよりも短命で、ドワーフよりも図体が大きく、ハーフリングよりも小回りが利かず、人馬族よりも足が遅く、コボルトよりも鼻が弱い。そんな弱点だらけの連中。

 だが彼らは、どの種族よりも多才だった。どの種族よりも連帯に長けていた。彼らはいつしか、己らの大陸をほとんど自儘にしていた。意志さえも気づかぬ間に、意志を飛び越えていたのである。事ここに至っては、意志さえも人間を滅ぼすとは決められなかった。星の存続さえもが問われかねなかった。結局虫と虫を睨み合せ、目を背けることしかできなかった。


 千年、万年。否、それどころではない時を、意志は経ていた。多くの虫を組み込み、虫を潰すための対策を組み込み、結果として中身は泥縄の迷宮スパゲッティーコードとなっていた。故に、虫は増える。潰すために対策を積む。イタチごっこの果てに、その虫は生まれた。


 ユージオ・バール。人の中に生まれながらにして、人を逸脱していく異様な存在。人の身でありながら勇者を殴りつけ、魔界種や魔王と争い、獣を屠る。ただただ強さの一点のみを駆け上がる。

 意志がその虫を知った時には、もはや潰すべき運命は食い尽くされた後だった。そして、彼を排除するための第一の選択肢は『大量破壊兵器の技術開放』――星さえも滅ぼしかねない、いわばパンドラの匣を開けるに似た行為だった。意志が意志である限り、その選択はできなかった。


 ならば次善の策は。これまで通りに虫に虫をぶつける他なかった。これは正しかった。雷雲、白銀、そして蛮王。三匹の古竜が動いた。かつて魔王の心胆を寒からしめた、人間の群れ勇者パーティーにいた虫も動いた。だが、全て敗北した。人間の群れにいた虫――大賢者に至っては、人間の身を捨て、己のもとにまで至った。これには意志も驚愕した。


 ――驚きましたぞ。神がこのような、我々には想像もつかぬ代物だったとは。

 ――私は意志だ。この星を滅ぼさぬよう、定められている。すべての危険を、排除するよう、定められている。

 ――ならば、あの化け物に対する策も、すでにあると。

 ――ある。


 遂に意志は、あらかじめ用意していた奥の手を打ち明けた。カバキ・オーカク。あらゆる虫の記憶を内包せしめた、自作にして格別の虫。説き伏せた虹霓竜に、亜竜の祖。初代魔王、大剣豪……最強の内の最強どもを内に秘めた、最強の虫。これならばと、意志は考えていた。しかし。


 ――神の意志といえど、人の手によるものがあの者に敵う保証はなし。神よ、それがしにも一枚噛ませていただきたい。


 にべもない却下。さらなる提案。意志はこれを許諾した。己のみで考えるよりも、人数を経たほうが良いと翻意した。意志はあえて大賢者に従い、時さえも越えて可能性を引き出さんとした。その成果は、十分にあった。


 連合帝国最強の男。

 職業ジョブ・地上最強生物。

 十年の時を経て、威風と強靭、千の魔法を得た女魔王。

 二十年先より招きし、地上最強の種を享けた男。


 ――これだけあれば。

 ――足りるやもしれず、足りぬやもしれず。

 ――なぜだ。

 ――あの男は、戦の度に成長する。だからこそ、危険。貴方の懐を食い破る可能性を持った、虫に最も相応しき者。

 ――そうなれば、我が意志をもって消し去るのみ。

 ――たとえ地上の混迷を深めようとも、ですか?

 ――構わぬ。


 意志は真っ直ぐだった。虫がこれ以上強くなり、組み込めぬのなら。意志をもって排除する腹積もりだった。だが、大賢者の反応は芳しくない。意志は精査を試みる。二度時を超えた男は、カラカラと笑った。


 ――虫の中身なぞ見ようものなら、虫が貴方を食いますぞ?


 それもそうだと、意志は思った。なにはともあれ、すでに勧誘は成功したのだ。後は然るべき時に、呼び寄せるのみ。すべてが終わったあとで、目の前の虫についても決着をつけよう。意志はそう判断することで、結論を先送りにした。それが招く未来を、知る由もなかった。

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